最終話:異世界アフォガート 〜溶け合う時間と、二人の明日〜
お祭り騒ぎだった祝宴も、夜が更けるとともに穏やかな余韻へと変わっていった。
満足げに店を後にするエルザやリィンたちの背中を見送り、サトウは最後の一皿を洗い終えた。
静寂が戻った店内に、パチパチと暖炉の爆ぜる音だけが響く。
「……ゼノスさん。最後の一仕上げ、やりませんか?」
サトウが取り出したのは、今日のために特別に冷やし固めておいた、最高級ムーン・ミルクのバニラアイスだった。
ゼノスは無言で立ち上がり、棚の奥から一番上質な『深淵の雫』の豆を取り出す。
「……アフォガート、だったか。イタリアの言葉で『溺れた』という意味らしいな」
「ええ。冷たくて甘いアイスが、熱くて苦いコーヒーに溺れる。……正反対のものが一つに溶け合う、僕の大好きなデザートです」
ゼノスが杖を振るう。
漆黒の豆が極限まで細かく挽かれ、魔法の熱源によって加圧された湯が、濃密なエッセンスを抽出していく。
それは通常のコーヒーよりも遥かに力強く、どろりと濃厚な、まさに「琥珀の血」のようなエスプレッソだった。
サトウは、小さなガラスの器に、真っ白なアイスを丸く盛り付けた。
そこに、ゼノスが静かに、淹れたての熱い液体を注ぎ込む。
ジュッ……。
微かな音と共に、白い山がゆっくりと崩れ、黒い海へと溶け出していく。
熱気と冷気がぶつかり合い、そこから立ち上る香りは、甘美でありながらも気高く、嗅ぐだけで魂が震えるような芳香だった。
「……さあ、どうぞ」
二人はカウンターに並んで座り、小さなスプーンを手に取った。
半分溶けかかったアイスと、熱いコーヒーを一緒に掬い、口に運ぶ。
「…………っ」
言葉が出なかった。
暴力的なまでの苦味が、瞬時にしてクリームの優しさに包み込まれる。
熱いのに冷たく、甘いのに苦い。
矛盾するはずの感覚が、口の中で完璧な調和を奏でている。
「……美味いな、サトウ」
ゼノスがぽつりと呟いた。
その声には、かつての孤独な魔導師の影はどこにもなかった。
「僕の世界には、こんな魔法はありませんでした。……でも、こうしてゼノスさんと一緒に作ると、何倍も美味しく感じます」
「ふん。お前の妙な知識が、俺の杖を狂わせただけだ」
ゼノスはそう言いながらも、溶けきった最後の一滴まで、名残惜しそうに飲み干した。
窓の外では、異世界の二つの月が静かに並んで昇っている。
サトウはこの世界に来たばかりの頃、あの月を見て「もう二度と帰れない」と絶望したことを思い出した。
けれど今は違う。
あの月の下には、明日も豆を挽く音が響き、ミックスジュースを待つ笑顔があり、そして、この「世界一美味しい一杯」を分かち合える仲間がいる。
「ゼノスさん。明日は、あの『雷鳴豆』を使った新しいラテを作ってみようと思うんです。……あと、エルザさんのために、もっと大きいパフェグラスも発注しませんか?」
「……勝手にしろ。ただし、薪割りは三倍だぞ」
二人の笑い声が、夜の静寂に溶けていく。
明日もまた、『豆と杖』の扉は開く。
コーヒーの香りと、ミックスジュースの甘い誘惑。
迷い子たちの心を解きほぐす、魔法のような日常は、これからもずっと続いていくのだ。




