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『龍の生け贄婚』令嬢、夫に溺愛されながら、自分を捨てた家族にざまぁします

作者: 卯月八花

(どうせ死ぬなら、密室殺人がよかった)


 そんなことを思いながら、ルディーナ・フォーコンは空に浮かんだ孤城の門を押した。


 もし密室で殺されたなら、その謎を解くために名探偵が登場するはずだ。――そう、まるで曾祖父が書いたミステリー小説のように。

 自分の人生にも、最後くらい劇的なフィナーレが欲しい。


 ううん、駄目だわ……。すぐにルディーナは首を振る。探偵なんか登場しない。だって私の人生は、つまらない駄作だもの。


 事の発端は、血の繋がらない妹シャルロットに降りかかった災難だった。

 魔物たちを統べる星龍皇帝グラルシオから求婚があったのだ。


「いやよ! 魔物の皇帝になんて絶対に嫁ぎたくないわ!」


 可憐な妹は喚き散らし、泣き崩れた。だが相手は星龍皇帝である。断れば国ごと灰にされる。

 そこで、家族に疎まれ、使用人同然に扱われていたルディーナに白羽の矢が立った。


 ――そして今。


 飛龍を降りてたった一人城の内部へと歩み入ったルディーナの指先は、氷のように冷たく、心臓は早鐘を打っていた。


 緊張に身を強張らせて入った大広間だったが、しかし、ルディーナは呆気にとられてしまった。


「……え?」


 そこは、図書館のような空間だったのだ。

 石造りの大広間の壁という壁、天井近くまで巨大な本棚があり、ぎっしりと本で埋め尽くされている。


 ルディーナは吸い寄せられるように、最も目立つ中央のガラスケースへと歩み寄った。そこに鎮座しているのが見覚えのある装丁だったからだ。


「『龍と星空の密室殺人事件』……著、ジャリング・フォーコン」


 思わず著者の名を読み上げていた。

 それは、ルディーナの曾祖父が遺した伝説的なミステリー小説であった。


「保管方法は気に入ったか?」


 大広間の空気を震わせる重低音にビクリと肩を跳ねさせて、ルディーナは振り返る。

 いつの間に現れたのか。そこには、農家の家を数倍にしたような巨躯が猛々しい翼を畳んでたたずんでいた。

 窓から差し込む陽光を反射して輝く白銀の鱗と、細められた黄金の瞳が美しい。


 この龍が星龍皇帝グラルシオだと、ルディーナは悟った。


 本能が逃げろと叫ぶが、ルディーナは礼をとり、その場に崩れ落ちるように跪いた。純白のヴェールに包まれた美しい金髪が、ふわりと羽のようにように広がる。


「せ、星龍皇帝陛下におかれましては……」


 挨拶をしようとしたが、恐怖で舌が回らない。だが、言わなければ。妹の代わりにここに自分が来たことをこの皇帝に納得させなければ、祖国が滅ぼされてしまう。


「妹のシャルロットは病弱で……起き上がることもままならず……」


 大嘘だ。今頃彼女はその実親と共に、姉の厄介払いができたと祝杯をあげていることだろう。


「ですので、姉である私が参りました。下働きでも、非常食でも、なんでもいたします。どうか、どうかご慈悲をたまわりますよう、陛下……」


 床に額を擦り付ける。

 だが。


「俺が望んだのはフォーコンの娘だ。だからお前なのだ、ルディーナ。俺はお前が欲しかった」


 予想外の言葉に、ルディーナはおずおずと顔を上げた。

 至近距離にある巨大な龍の顔。鋭い牙が並ぶ口元が、ニヤリと歪んだように見えた。


「お前の窮状は知っている。二年前に両親が馬車の事故によって死亡し、お前は血の繋がらない叔父のロドルフ・ヴァロアに引き取られた。しかし奴らは姓をフォーコンに変え、由緒ある公爵家を乗っ取り、正統な継承者であるお前を使用人以下に貶めた」


 確かにその通りだった。屋根裏部屋で一人、膝を抱えて耐えていた日々を、この龍は知っているというのか。


「よいか。俺は結婚するためにフォーコンの娘を呼び出したのではない、フォーコンの娘を呼び出すために結婚という手段を使ったのだ」


 謎解きのような言葉を告げると、白銀の龍は楽しげに喉を鳴らす。


「お前は神作家ジャリング・フォーコンの曾孫である。ならばその血に恥じぬよう、トリックを用いてフォーコン家を取り戻そうではないか」


 確かに曾祖父は稀代のミステリー作家であった。ルディーナ自身、その作品を愛読書として育ってきた。

 だが、それは曾祖父の話である。


「わ、私にはミステリーを生み出せるような才覚はありませんが……」


「シナリオは俺が考えておる。お前は舞台に上がり、役を演じればよい」


「はぁ……?」


「神作家ジャリング・フォーコンの最後の末裔よ。お前と俺は、今から共犯者である」


 星龍皇帝は空気が震えるほど大きく顎を開け、凶悪な牙を見せつけてきた。


「断れば、今ここでお前を喰う」


 その瞳は、新しい玩具を見つけた子供のように無邪気にキラキラと輝いている。


 圧倒的強者からの脅し。それ以上にその爛々とした瞳の輝きに、ルディーナは頷くしかなかった。


「か、かしこまりました、星龍皇帝陛下。共犯者にならせていただきます」


 ルディーナは震える手で花嫁衣装の裾を握りしめ、よく分からないまま覚悟を決めた。

 どうせ、もう失うものなどない人生であるから。



 * * * *



 数日後。ルディーナの訃報は、瞬く間に国中を駆け巡った。


 哀れな生け贄妻は龍の牙に掛かり、その命を散らしたということである。


 ――そんな悲劇の裏で、フォーコン公爵邸のサロンは、むせ返るような歓喜に包まれていた。


「いやー、めでたい!」


 高笑いを上げるのは、ルディーナの叔父であり義父でもある、現当主のロドルフ・フォーコンである。


「本当にうまくいきましたわね。あの薄汚い出来損ないを処分できただなんて」


 ロドルフの妻がワイン片手にほがらかに笑えば、愛娘シャルロットがケラケラと笑い、バターたっぷりのクッキーを口へ運んだ。


「ああ、お姉様ったらお可哀想! 龍なんて野蛮な生き物のお腹に収まるなんて!」


 だが。異変は、唐突に訪れた。


「え?」


 シャルロットの動きが止まる。


 クッキーを持つ白い指先。そこに、一滴のインクを垂らしたような、黒い染みが浮かび上がったのだ。


「なんですの、これ?」


 彼女が拭おうとした瞬間、黒い染みは生き物のように蠢き、手首へ、腕へと、猛烈な勢いで這い上がっていった。

 それは蔦のように絡みつき、美しい肌を毒々しい蔦模様で侵食していく――。


「いやぁっ!?」


 シャルロットの絶叫が、サロンの優雅な空気を切り裂いた。


 それは、終わりの始まりだった。


 黒い蔦は熱を帯び、シャルロットの体力を確実に削り取っていった。


 ロドルフはすぐ、高名な医者に頼った。次に頼ったのは地位の高い神官で、そのうち胡散臭い占い師も屋敷に出入るようになった。

 そして誰もが首を横に振って帰っていった。


「呪いです」「報いです」「贖罪を」


 誰も彼もが同じことを言う。


「ええい、役立たずどもめ! 誰か、誰かおらぬのか!」


 そんな時だ。門番が、一人の修道士の来訪を告げた。


「『フォーコン家から、裏切られた星龍皇帝の気配を感じる』と、旅の修道士が申しております」


 その言葉に、ロドルフは弾かれたように顔を上げた。


 フォーコン家が星龍皇帝に娘を差し出したのは、世間的に知られていることである。だがシャルロットの身代わりとしてルディーナを嫁がせたことは、家族しか知らない秘密のはずだった。


「通せ! すぐにここへ連れてこい!」


 やって来たのは、粗末な修道服に身を包んだ男と、黒いヴェールの女だった。


 男がフードを取る。現れたのは、驚くほど整った顔立ちの、白銀の髪と黄金の瞳を持つ青年だった。


「私は修道士ソラン。女神ノリジア様の信徒です。そしてこちらは――」


 青年は、隣に立つ小柄な影を恭しく示した。


「聖女ルーニー様でございます。女神との誓約により言葉を発することはできませぬが、星龍皇帝の呪いを解ける、世界でただお一人の尊きお方です」


「で、ではお前たちは我が娘の呪いを解けるというのか!」


 静かに無言で頷く黒衣の聖女ルーニーに、ロドルフはニタリと笑った。


「ではさっそく観てもらおう。さ、我が愛娘の眠るベッドへと参ろうぞ」


 しかしロドルフは気付かなかった。決して屋敷に入れてはなかった復讐者たちを、自ら招き入れたことに。



 * * * *



 寝台で目を瞑って待ち受けるシャルロットの痣に、聖女ルーニーは聖水瓶を振りかけた。

 それから恭しく両手をかざすと、手のひらから光が生まれてシャルロットの全身を包み込む。

 やがて光が消えると、絡みついていた黒い蔦模様が一本だけ消えていた。


「おお……! 消えた、本当に消えたぞ!」


 ロドルフが身を乗り出し、娘の腕を掴む。


 この数週間、どんな高名な医者も高徳な神官もサジを投げた呪いが、目の前で霧散した……!


 聖女の隣に控えていた修道士ソランが、フードの奥で静かに告げる。


「ですが、相手はさすが星龍皇帝の呪い。完全に消し去るには、さらに高純度の聖水が必要です。……それなりに元手が掛かりますゆえ、どうかご布施を」


 金の話が出た瞬間、ロドルフの顔が歪んだ。

 屋敷の金庫は女たちの度重なる贅沢三昧により空に近い。借金取りの足音も聞こえ始めている。


「くそっ、金か。お前たち、金をむしり取るためにわざと1回で治さないのではあるまいな!」


 唸るロドルフに、妻が耳元でそっと囁いた。


「今はただ、約束だけしておけばよろしいのですわ」


「……何?」


「呪いが消えてしまえばこっちのもの。あんな薄汚い修道士たちなど、不敬罪でもなんでもでっち上げて、衛兵に突き出してしまえばいいのです。支払った金も、すべて没収してしまえば私たちのもとに還ってくるというもの」


「なるほど! そうか、民草など使い潰して捨てればいいのか」


 ロドルフの瞳に、下卑た光が宿る。

 自分たちが狩られる側だとも知らず、彼らは「よし、金に糸目はつけん!」と、破滅への切符を嬉々として買い求めたのだった。



 * * * *



 重厚な扉が閉まり、静寂が訪れる。

 長逗留をするためにあてがわれた客室は、カビ臭く、薄暗い。だが、そこに立つ二人の纏う空気だけは、王宮のそれよりも甘美だった。


「――あの悪党どもの声は良く通るな。まる聞こえだったぞ」


 修道士ソランが、黄金の瞳を面白そうに光らせている。


「『使い潰して捨てる』か。三流の悪党らしい、実にチープな台詞だ」


 聖女ルーニーも小さく息を吐いた。


「騙されるフリをするのって、骨が折れるのですね」


「だが、これで伏線は整った。奴らは自らの強欲さゆえに、すべてを失うのだ」


 ソランは言うと、ルーニーの細い腰を引き寄せた。


「ルーニー、お前の演技は最高だ。あの愚かな者どもがお前の正体にも気づかず聖女様と縋り付く様……あれこそが極上の叙述トリックよ」


 グラルシオの指先がヴェールの内側に入り込み、ルーニーの頬を甘くなぞる。

 ぞくりと身体を震わせ、ルーニーはヴェールの奥で頬を赤く染めた。


「癖になりそうです。……私を虐げてきた人たちを、私の手の上で踊らせるなんて」


「いいぞ、その意気だ。清廉潔白な令嬢よりも、共犯者として悪だくみをするお前の方が、数百倍美しい」


 薄暗い部屋、吐息の混ざる距離。

 ソランの黄金の瞳が、ルーニーを射抜くように見つめていた。



 * * * *



 シャルロットの肌を蝕む毒々しい蔦模様は、とうとう残り一本となっていた。

 だが、その一本がどうしても消えない。焦燥がフォーコン邸の空気を重く淀ませていた。


「……申し上げにくいのですが」


 修道士ソランがわざとらしく眉を下げ、沈痛な面持ちで切り出した。


「この最後の一本は、いわば呪いの核。並大抵の祈りでは消えませぬ。高純度の聖水に加え、星の輝きに匹敵する魔石が複数必要となります。金額でいえば、そうですね……この程度は掛かるかと」


 提示された金額は、もはや貴族の資産でも用意できぬほどのものであった。


「なっ……馬鹿な! そのような大金、用意できるわけがないだろう!」


 ロドルフが悲鳴に近い声を上げる。だが、ソランは待っていましたとばかりに黄金の瞳を妖しく光らせた。


「そこでご提案がございます、ロドルフ様。この屋敷と全財産の所有権を――一時的に私にお譲りください」


「は……? 正気か貴様」


「あくまで形式上でのことです。その権利書を担保に、私が伝手を使って融資を受けるのです。もちろん、呪いが解けたあかつきには、手数料を少しばかり頂いて、権利と全財産はそっくりそのままお返しいたします」


 ロドルフは脂汗を拭った。さすがに全財産を譲るなどという非常識な契約を結ぶ気にはなれない。


「もちろん、契約書には事が済んだら全てを返還するとの文言を入れますので、安心していただきとうございます」


「しかしだな……」


 さすがに渋るロドルフに、しかし妻が意外なことを言い出した。


「あなた、これはチャンスですわ」


 夫人の瞳は、欲望と狂信で濁っていた。


「シャルロットの呪いが消えかけているのは事実。これは女神ノリジア様が私たちを試しておられるのです。ここで躊躇えば、娘は元の醜い姿に戻ってしまいますわ」


「それはそうだが、さすがに全財産は……」


「……あなた」


 夫人は扇子で口元を隠し、ロドルフの耳元へ唇を寄せた。腐り落ちた果物のような甘く冷たい毒の囁きが、ロドルフに注がれる。


「……書面など、あとで破り捨ててしまえばいいのです。呪いさえ解ければ用済みですもの。所詮は薄汚い修道士、衛兵に突き出して『脅迫された』とでも言えば、一銭も渡さずに済みます」


 その言葉に、ロドルフの瞳から理性の光が消え、卑俗な欲望が宿った。


「……なるほど。確かにその通りだ。相手は無力な民草、どうとでも料理できる」


 そして口の端を吊り上げると、鷹揚に頷いたのだった。


「よかろう。全ては愛しいシャルロットのためだ。我が全財産、一時的に貴殿に預けようではないか」


「ありがとうございます、ロドルフ様。女神ノリジアは法も司ります。交わされた契約は、神聖にして絶対。必ずや遵守いたします」


 ソランが恭しく取り出したのは、一枚の羊皮紙だった。

 そこにソランはサラサラと細かな文字を記していく。重要なのは最後の一文だ。


『本契約終了後、全ての資産は正統な持ち主に返還されるものとする』


 ロドルフは鼻で笑った。この契約が守られれば、すべては正統な持ち主は自分である自分に還ってくる。そう思えば、あながち悪い契約でもない。


 彼は羽根ペンを執り、インク壺に浸した。

 カツ、カツ、とペンの先が羊皮紙を走る音が、静まり返った部屋に響く。


 それはまるで、断頭台の刃がゆっくりと引き上げられる音のようだった。


 サインを書き終え、ロドルフは満足げにペンを置いた。


 その、瞬間だった。


「く……っ、くくく……!」


 修道士ソランの肩が、小刻みに震え始めた。


 最初は押し殺した忍び笑い。だがそれは瞬く間に膨れ上がり、部屋の窓ガラスを震わせるほどの哄笑へと変わった。


「あーっはっはっは! 愉快! 愉快だ! ここまで完璧に進むとは、三流小説でもありえんぞ」


「な……っ、何がおかしい!?」


 異様な雰囲気に、ロドルフと妻、そしてシャルロットが凍り付く。

 修道士から放たれる気配が、一変していた。先ほどまでの敬虔で慎ましい空気は消え失せて、肌が粟立つような、平気で人間を喰らう上位種の殺気が部屋を支配している。


「何者だ、貴様!」


「星龍皇帝の呪いを解けるのは、掛けた本人だけだ……と言えば分かるか?」


「ま、まさか……」


 ロドルフの背筋が凍り付く。


 呪いを解けるのが本人だけというのなら。その本人とは……!


「星龍皇帝!?」


「そうだ。ようやく気付いたか」


 余裕綽々に黄金の瞳を歪ませるソラン――いやグラルシオに対し、ロドルフは顔面蒼白になり、机の上の契約書を掴み取った。


「くそっ、こんなもの!」


 契約書を破り捨てようと力を込める。だが――。


「あつっ!?」


 羊皮紙がまばゆい青白い炎を放ち、ロドルフの手を弾いのだ。しかし契約書は傷一つなく、空中にふわりと浮遊する。


「無駄だロドルフ。契約は成立した。もはやこの紙切れは、お前たちの命よりも重い『龍の盟約』である」


「ふ、ふざけるな! いや待て、そうだ――」


 ロドルフは契約内容を思い出し、恐怖に震える頬をニタリと歪ませた。


「龍の盟約だかなんだか知らんが、結局はワシに返還されるという契約ではないか。この契約が正統であればあるほど、ワシは守られておる!」


「まだそんな寝言を言っているのか? 契約書にはこうあるのだぞ。『全ての資産は正統な持ち主に返還されるものとする』とな」


「だから、それはワシだ――」


「違うな。貴様らはただの簒奪者だ」


 グラルシオが、聖女の黒いヴェールに手をかけた。


「本当の正統な持ち主とは、この者のことよ」


 さらり、とヴェールが取り払われた。

 こぼれ落ちたのは、朝の光を溶かしたような黄金の髪。宝石のように美しい水色の瞳と、透き通るような白磁の肌を持つ美しい少女――。


「ル……ルディーナ……!?」


「お姉様、死んだはずじゃ!?」


 黙って成り行きを見守っていたシャルロットが腰を抜かし、夫人が悲鳴を上げてその場に崩れ落ちる。


「そんな! 違うの、これは誤解なのよルディーナ。なんにせよ無事でよかったわ。ねぇそうでしょ!?」


 ロドルフが這いつくばり、ルディーナの黒衣の裾にすがろうとした。


「そうだルディーナ、お前はワシたちの家族だ。あの男を説得しろ! お前を育ててやった恩を忘れたのか!?」


 見苦しい命乞い。ルディーナは汚らわしいものを見るように、わずかに黒衣を引いた。


「恩……? ええ、忘れておりませんわ。私から全てを奪い、死地へ追いやったその恩はね」


「なにをいうんだ、ルディーナ!」


「それに、今の私の家族は……」


 ルディーナは隣に立つ龍の皇帝を見上げ、初めてその表情を崩し、花が咲くように微笑んだ。


「夫であるグラルシオ様、ただお一人だけですわ」


 その言葉に満足したようにグラルシオは高く手を挙げると、パチン! と指を鳴らした。


「せめてもの情けだ」


 その音と共に、シャルロットの顔に残っていた最後の一本の痣が、煙のように消え失せた。


「……き、消えた」


「え? 本当ですの?」


 ロドルフの呻きにシャルロットが頬に手を当てて確かめているなか、グラルシオは興味なさそうに顎をしゃくった。


「せめてもの情けだ、お前に美貌と健康をくれてやる。どれもこれから必要になるだろうからな」


 グラルシオは残忍な笑みを浮かべ、扉を指さした。


「だが、それ以外を持ち出すことは許さん。さあ、もとの姓である『ヴァロア』に戻り、今すぐこの俺の屋敷から出ていけ」


「そ、そんな……」


「聞こえなかったか? 今すぐに出て行け!」


 ビリビリと空気が震えるほどの咆哮。


 もはや反論の余地などなかった。

 一文無しになったヴァロア一家は、絶望に顔を歪ませながら、自ら招き入れた復讐者によって、我がものとしたフォーコン家から転がり出るように逃げ出したのだった。



 * * * *



 午後の柔らかな陽光が、磨き上げられた窓ガラスを通してサロンに降り注いでいる。

 かつては重苦しい空気が淀んでいたフォーコン公爵邸のサロンだが、今は華やかな紅茶の香りと穏やかな静寂に満たされていた。


 ルディーナは、取り戻した我が家のソファに深く身を沈め、目の前の愛しい夫――星龍皇帝グラルシオと紅茶を嗜んでいた。


「ロドルフたちは、北の国境付近に落ち着いたそうだぞ」


「その噂は私も聞きました。雇われ農夫として泥にまみれて働いているそうですね」


 ルディーナは小さく息を吐いた。


 無一文で放り出されたロドルフ夫妻だったが、それでも親類の伝手を頼んである貴族の領地に身を寄せたということであった。人望のなさゆえか、貴族ではなく貧農として、である。


 彼らの現状を嘲笑う気持ちは、不思議と湧いてこなかった。ただ、物語の悪役が舞台から退場したときのような、淡々とした納得感があるだけだ。


「心を入れ替えて地道に生きていけるのでしたら、それが彼らにとってのハッピーエンドなのでしょうね」


「ふん、ぬるい結末だ。俺のシナリオではもう少し劇的な破滅だったのだが」


 人間形態をとっているグラルシオの白銀の髪が陽光を浴びてキラキラと輝き、龍族特有の金色の瞳がいたずらっぽく細められる。その姿は凶悪なほどに美しく、紅茶を飲む仕草の一つ一つがまるで絵画のようだ。


「確かに、陛下の作られたシナリオは完璧でしたわ。あの義父たちが、あんなにも見事に自分の掘った穴に落ちるなんて……」


「そうか? そう思うか?」


 グラルシオが身を乗り出す。その黄金の瞳が『もっと褒めろ』と言わんばかりに輝いている。


「ええ、とても素晴らしかったです。まるで、ひいお爺さま――ジャリング・フォーコンの小説の伏線回収を見ているようでした」


「……む」


 その賛辞を聞いた途端、グラルシオは急に身を正すと、気恥ずかしそうに視線を逸らし、ポリポリと頬を掻きはじめた。


「それは……言い過ぎだ。神作家ジャリング・フォーコンは唯一無二にして至高。あのプロットを超えるなど、一介のファンである俺には無理だ」


「ふふっ、まあ」


 世界中の魔物を統べる星龍皇帝とは思えないほどの謙虚さに、ルディーナは思わずクスクスと笑い声を漏らした。というか、ファン心理というのは繊細なものらしい。


 穏やかな時間。満ち足りた空気。

 けれど、ふとルディーナの胸に冷たい風が吹き抜ける。


(……ああ。終わってしまったわ)


 復讐は終わった。屋敷も取り戻した。

 ソーサーにカップを戻す指先が、わずかに震える。


 彼がルディーナを求めたのは、『フォーコンの娘』だからである。彼の描いたシナリオを演じるのに最適な女優だったからだ。

 舞台の幕が下りた今、女優はもう必要ないのは自明の理である。


「……グラルシオ陛下」


 呼びかける声が、自分でも情けないほど細くなる。ルディーナは水色の瞳を伏せ、膝の上でドレスの裾を握りしめた。


「あなたのシナリオは完結いたしました。ということは……私たちの共犯関係も、もうお終いですね」


 これからは自分はどうなるのだろうか。

 用済みだとして離婚されてしまうのか? そうやって、取り戻したこのフォーコン家で一人歳をとっていくのだろうか。

 胸が締め付けられるような沈黙が落ちた。


 だが、次の瞬間。

 サロンの空気を震わせるような、豪快な笑い声が響き渡った。


「はははは! 何を言うかと思えば!」


「え……?」


「終わり? 馬鹿をいえ。俺がお前を逃がすものか」


 驚いて顔を上げたルディーナの視界が、不意に遮られる。

 グラルシオがテーブル越しに身を乗り出し、その大きな手でルディーナの頬を包み込んできたのだ。


 龍の体温は人間よりもずっと高く、熱い。その熱が肌から伝わり、不安で冷え切っていた心を一瞬で溶かしていく。


「お前はもう俺のものだ、ルディーナ。この俺が一度手に入れた財宝を、みすみす逃がすとでも思うたか」


「で、ですが……私はただの、シナリオで必要だっただけの女優で……」


「俺のシナリオは、まだ続いている」


 黄金の瞳が、熱っぽく潤んでルディーナを射抜く。


「だいたい、奴らを騙すことにかまけて、俺たちはまだ式すら挙げていないではないか。初夜も済ませていないのだぞ」


「――ッ!?」


 直球すぎる言葉に、ルディーナの顔がゆでポッと染まった。


「陛下ったら、もう……!」


「事実であろう? これからも共犯者として――更に俺の妻として、たっぷりと愛させてもらうからな。覚悟しておけ、ルディーナ」


 グラルシオは愉しげに喉を鳴らすと、真っ赤になったルディーナの唇を親指でなぞり、さらにニヤリと笑みを深めた。


「それに、お前もミステリー読みなのだろう? ならば、俺の書いた小説の批評もしてもらわねばならん」


「……え?」


 ルディーナは瞬いた。甘い雰囲気から一転、予想外の単語が飛び出してきたからだ。


「小説……? グラルシオ様、小説をお書きになられていらっしゃるのですか?」


「無論だ」


 星龍皇帝は胸を張り、少年のように目を輝かせる。


「俺にミステリーの髄を教えてくれたのは、そなたの曾祖父だ。そのひ孫であるそなたに、俺の渾身の新作を一番に読んでもらえる……こんな幸福なことがあろうか! ぜひ感想を聞かせてくれ、忌憚のない意見を頼むぞ!」


「ふふっ……」


 あまりの熱量に、ルディーナは吹き出してしまった。

 この恐ろしくも愛おしい龍は、一生自分を離してくれそうにない。そして自分もまた、彼の手を離したくないと強く願っている。


「ええ、喜んで。あなたの最初の読者にさせてくださいませ、陛下」


「約束だぞ、我が愛しき共犯者よ」


 二人は見つめ合い、どちらからともなく幸せな笑い声を上げた。


 窓の外には、どこまでも広がる青い空。

 二人の本当のシナリオは、これからも書き続けられていく。




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