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吾まだ死せず  作者: えねこ
序章 ―― 新しい提督が着任しました。
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朱鷺は舞い降りた(後)

 大日本帝国は、立憲君主制の国家である。すなわち、天皇という君主が存在するが、憲法がある以上それに従う、勿論万一の事態に備えた勅令があったらそれに従う必要はあるが、それも議会に掛けられて不許可となったら効果は持続しない。まあ、わかりやすく書けばそんなところである。

 何を当たり前のことを、と思われる読者の方もいらっしゃるだろうが、一応今からの事情を理解して戴く前提条件を確認するために書いておくことにした。

 と、いうのも、連合艦隊司令長官という職は本来ならば大将、そうでなかったとしても中将以上でないと務めてはいけない職業である。当然ながら、高松宮宣仁親王は当時大佐であり、特別に一番早く昇進させたとしても少将に過ぎない。本来ならば、不可能な相談である。

 だが、高松宮宣仁親王はその椅子に座っていた。何も、特例から来るものでは無い。証拠として、彼はベタ金に加え、将校の象徴である印を二つ肩に乗せていた。まあ尤も、特例であっても誰も異を唱えようのない人選ではあったのだが。

 では、死んだ訳でもないのに二階級特進なのは何故なのか。勿論、我が儘に依るものでは無い。むしろ、高松宮宣仁親王は階級を理由に断ろうとしていた節すら存在する。だが、兄にして国家元首でもある人物に、ある種退路を封鎖された上、懇願された結果そこに座っていた。ではその懇願した国家元首とは誰であるか。言う必要も無いだろう。

 そして、高松宮宣仁親王が連合艦隊司令長官として着任したのは、昭和十九年四月一日。年度初めであり、人事異動の時節としては順当であったが、当然それが原因ではない。

 そして、「高松宮一新」と賞される軍制改革が始まった。勿論、それは本来平時にやるべきことではあったのだが、戦時中だからこそ出来ることも、その軍制改革には存在していた。

 数々の改革が行われたが、不思議なことに抵抗勢力と目される存在は何も言わなかった。まあ尤も、眼前の「長官」は天皇陛下の弟君である。抵抗など出来ようはずも無かった。

 そして、あっという間に二ヶ月余りが過ぎ去り、敵艦隊来襲の一報が劈いた。

 昭和十九年、六月十八日。彼は既に戦場に身を置いていた……。

「何、逆に言えばこれだけの物量を出さねば奴さんは勝つ自信がない、ということだ。お前ら、船を潰すことを考えるな、まずは手足、すなわち飛行機をもげ」

 ……彼の者が、マリアナ沖迎撃作戦において行った訓示は、いとも短いものであった。

 そして、総復讐が始まった。

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