モルトゥルク編 第六十五話 エリサ VS 魔族
空中に浮いた水晶玉が落下していく。ただ落下しているのではない、まるで何かに撃ち出されたみたいに、真下の黒い渦へと勢いよく吸い込まれていった。
衝突波が地面を伝って身体を痺れさせる。それでも爆風が飛んでこないのは、黒い渦の中心に空気砲が直撃したから。
空気砲を受けた黒い渦は、瞬時にその特徴の一つを変化させる。
――――――――――――黒い渦は荒野に昇る火柱となって燃え上がった。
炎の渦、それも空気砲の落下で発生した上昇気流が炎を巻き込んで舞い上がったことで、朱色の竜巻は天まで伸びていた。
竜巻を朱色に彩っているのは囚われた数十匹のヴァルノックスだ。漆黒の羽根に炎をまとって、その輝きをエリサに見せつけるように、回転する空気に囚われ続けている。
魔石によって生じた炎の熱が、エリサのもとまで伝わってくる。普通の魔石ならここまでのエネルギーは秘めていない。高価な物にはそれ相応の理由があるのだ。もしこの作戦が成功したのならお礼を言わないと、とエリサはマラビィの顔を思い浮かべた。
炎に遮られて魔族と蠱穣蛇の姿は見えない。
風操魔法と魔石でつくった炎の檻。魔族相手にどこまで通用するか期待すると同時に、不安でもあった。
(お願い…………大人しくしてて)
祈るように竜巻を眺めるエリサ。
炎の檻が内からの衝撃でこじ開けられたのは、そのすぐ後だった。
回っていたヴァルノックスの群れが、渦の流れから外れて放り出される。全身を覆う被毛に炎がまとわりついているせいで、鳥ではなく竜巻から吐き出された火球のようだった。
吐き出され続けるヴァルノックスは、荒野に朱色の斑点模様を描く。くたっと羽根を倒していて、飛び立とうとするものはいない。
朱色の斑点を四方に散らした中心、竜巻の内部にあたる部分に佇む人影。正確には"人"影ではない。"魔族"影か"獣"影か、どちらにせよエリサによっては不都合この上ない。
姿を現わした魔族は上半身に身につけていた衣服が燃えおり、彼の肌が露わになっていた。
人型であるのに獣のような被毛で覆われており、被毛越しでもその強靱な胸板と二の腕に身震いする。さっきまで露出していた両手も獣のものに変化しており、ゴツゴツとした指の先端は下層の魔獣同様鋭く尖っている。あれでは首の蠱穣蛇を愛でるのは厳しそうだ。
「ったく。またダメにしやがって」
ダメージなど感じさせない、変わらない苛立って高圧的な口調で魔族が言う。被毛にくっついていた焦げた衣服を払うと、パラパラと黒い欠片がこぼれ落ちた。
蠱穣蛇はというと、こちらは主人の首に巻きついて、肥大化していた細長い身体をしまって縮こまっている。
「めんどくせぇ」
そうつぶやく魔族はじりじりとエリサのもとへ歩いてくる。ヴァルノックスの焼死体が彩る円の中心から外れて、苛立ちのしわを刻んだ怪訝そうな表情でエリサを睨む。
エリサは半身を傾けると、いつでも逃げられるように魔法杖を構えた。
「こいつは火が苦手なんだ。あまり怖がらせるんじゃねぇよ」
"こいつ"とは誰か、すぐに魔族が落とした視線の先の蠱穣蛇と結びつく。
(火が弱点……?)
エリサが魔族に視線を戻したまさにそのとき、魔族の巨体が視界の中でブレた。
戦闘の中で見慣れた光景、エリサがこれを目にするときは決まって回避行動を余儀なくされる。
何故なら彼女の瞳に映る彼はもう本物ではないのだから。
「風操魔法!!」
残された魔力を振り絞って真上へ飛び上がった。
下を向いた彼女がさっきまで立っていた場所は、すでに魔族の鋭い爪が切り裂いていた。彼女を見上げた魔族と目が合う。
「しくった」と思った。魔法の出力を上げて魔族と距離をとろうと試みる。
これは避けたのではない、誘い出されたのだ。
魔族がエリサを追うように飛び上がる。獣毛が露わになったからだろうか、人型であるのに獣に襲われている感覚だった。それは半分正解で、半分が不正解。
顔を引きつらせながらも杖を魔族に突き出す。一瞬の迷いが敗北をぐっと近づける。
魔族がエリサへ屈強な腕を振り下ろした。それは直撃すれば皮膚を切り裂き、骨をも砕く暴力だ。
(間に合わない…………!)
「風操魔法!」
衝突のギリギリで魔法を滑り込ませる。エリサの前に突如として空気の膜が出現した。
流れの違う空気の層を何重にも重ねて、防御魔法のような盾を生成する。もっともただの空気であるため、その強度と防衛効果は期待できない。
魔族の攻撃を魔法の応用でいなせるなんて――――――――夢物語だった。
「キャッ!!」
鋭い悲鳴を響かせて、エリサが殴り飛ばされた。込み上げる吐き気が潰されて、唾液だけが地上へこぼれ落ちる。
上げた悲鳴は殴られた瞬間のものではない。迫る獣手に思わず漏れた拒絶だ。
頭をだらんと後ろへ垂らして飛んでいくエリサは息を吸うことも、言葉を紡ぐこともできなかった。ただ走った激痛に脇腹を押さえ、遠のく意識を繋ぎ止めているだけ。
何かが――――――何かが変だ。
たしかに迫り来る獣手を空気の膜で防いだ。威力までは殺しきれなかったが、凶悪な爪がエリサのもとに届くことはなかったはず。
でも、エリサは"殴られた"のだ。
何とか頭を持ち上げて魔族に視線を合わせた。
脇腹を押さえた手には生暖かい液体が止めどなく流れている。「はやく止めないと」震える手で脇腹を圧迫するが、あまりの痛みに手を離してしまう。視界に入った手のひらは、自分のものとは信じられないほど鮮血で真紅に染まっていた。
ありえない、そう思った。
血塗られた手のひらを見てじゃない、自分を殴った魔族の姿を見て、だ。
初めは蠱穣蛇の一部に見えた、がすぐに魔族の腰下あたりから伸びていることに気がついた。
――――――――――そこにあったのはエリサの胴体ほどの太さをもった、尻尾のようななにかだ。
人型を保っていた魔族が、ついに獣としてエリサに牙をむく。鞭のようにしならせる尻尾には、先端に血痕が付着している。
エリサはあれに殴られたのだ。
棍棒のような尻尾。脇腹にかすっただけで命の危険を感じる。
脇腹からはいまだ絶え間なく出血していることが分かる。貧血か魔力切れか、徐々に意識を保つための集中力が切れてきた。
泣きたいほど、気絶したいほど痛い。どれほど肉が抉られて、どれほど自身の身体から血が流れ出ているか、目視したくなくて目を逸らした。現実を知ったらショックで死んでしまうのではと本気で思った。
しかしこれからを思えば悪くない結果であることはたしかだった。痛みを代償として魔族と距離をとることは成功したのだから。
空を飛べない魔族にとって、一度上昇を止めてしまえば後は落ちるだけ。やつがふたたび大地を蹴るその前に、逃げることができればまだ望みはある。
そう、逃げることさえできれば望みはあったのだ。
空中に一瞬留まっている魔族。その首に絡まっていた蠱穣蛇が頭部を肥大化させた。エリサのほうを向くわけでもなく、予備動作のように淡々と膨らんでいく。
蠱穣蛇は空気を呑み込むように頬を膨らませると、口を閉めて空気を口内に閉じ込めた。
(なにを…………)
蠱穣蛇が魔族の首から身体を外す。正確にはまだ半分ほどが首に絡まったままであるが、魔族から身体を乗り出してエリサの方へ首を伸ばしている。
蠱穣蛇の身体に魔族の尻尾が絡まりついた。
体重を絡めた尻尾に預けて身体を持ち上げると、魔族の身体が浮き上がった。落下を開始していた巨躯を蠱穣蛇を起点に支えて、重力に逆らうように空中を滑る。
魔族を追うように蠱穣蛇が瞬時に身体をしぼめた。空気抵抗を失った蠱穣蛇は魔族に引っ張られて、魔族の勢いが弱まったらまた瞬時に頭部を膨らませる。
それをまた魔族の尻尾が掴まえた。
蠱穣蛇の自在な身体を使った空中移動だ。まるで木の枝を伝って移動する獣のように、腕の代わりに伸ばした尻尾を手足のように扱い、存在しない枝を掴む。
彼の足下に地面が見えるようだった。それくらい、エリサに迫る二体の踊り子は重量を感じさせない軽やかな飛躍を続けていた。
魔族が蠱穣蛇を操っているからか、主従関係を越えた絆が言外の呼応を可能にしているのか。
エリサの主戦場であった空中に、魔族はいとも簡単に乗り込んできた。
「風操魔法!!」
エリサが迫り来る魔族に風の刃を放つ。
魔族が鋭い鉤爪で風の刃を切断する。刃は分厚い被毛に阻まれて、表面の毛を刈り取るにとどまった。
(こんなの…………)
あまりにも理不尽だ、そうつぶやく暇もエリサにはない。
魔族と距離をとるために風操魔法で飛行する。すぐさま迫る魔族に風の刃を飛ばす。しかし慣れたのか、魔族は首を傾げるだけで刃を避けた。
逃げるエリサと追う魔族。空中で有利をとっていたエリサの立場がひっくり返ってしまった。
空を自在に飛び回るエリサと魔族による空中戦。
エリサの放つ風の刃が、空気の砲丸が、魔族と蠱穣蛇を穿ち、振るわれる獣手にエリサが魔法を合わせる。
風操魔法と離脱を繰り返す戦闘。わずかな綻びが死に直結する。ギリギリの戦いはエリサの神経を蝕んで、続くほど判断力を鈍らせた。
「痛っ!!」
鉤爪が頬を掠める。あと少し頭を引くのが遅れていたら、大事な部位がまるまる削り取られていたところだ。
風をまとうエリサだが、額は汗でびっしょり濡れていた。
このままでは魔力切れで落下してしまう。しかし地上は魔族の独壇場、エリサがこうして生き残っているのも空中であるから。そのアドバンテージもだんだん詰められている。
"絶体絶命"信じたくない言葉が頭に浮かび始めた。
「風操魔法!!」
ひときわ大きな空気砲を蠱穣蛇に向けて放つ。魔族を狙うよりも蠱穣蛇の制御を奪うほうが現実的だし効率がいい。
だが蠱穣蛇には最強の護衛がついている。飛ばした空気砲をその護衛が弾く。パンッと乾いた音を立てて魔法は弾けて消えた。
(このままじゃ…………どうにかしないと…………)
突如、身体がぐらついた。
「風操魔法!」
慌てて魔法を唱えるが、発生した旋風を真下に押し込むように身体が下へと落ちていく。身体が急に鉛玉に変わったみたいに重かった。
体重が重くなったのではない――――――支える風の威力が弱まってきたのだ。
地面が眼下に迫ってくる。旋風がエリサを持ち上げるが、そのたびにバランスを崩して旋風がつくる土台から落ちてしまう。
落下する感覚が永遠のように続いている。想像よりも高い場所で戦っていたようだ。
地面がすぐそこまで迫っていると肌が感じとった。はやく手を打たないと落下死は免れない。
魔力はもうあとわずか。
それでも――――――――――
(負けるわけにはいかないの!)
「風操魔法!!」
目を見開いて叫ぶように唱えた。
発生した旋風が地面とエリサとの間に空気の膜を生成した。エリサの身体が押しこんだ膜は地面で跳ね返ってふたたび彼女を支える。
幾度となく跳ねながら勢いを殺していく。脳が揺さぶられて内臓がかき混ぜられている感覚に吐き気が込み上げた。
やがてふらつく足でなんとか荒野の真ん中に着地した。
安堵の息をつくより先に上空を見上げる。
まとわりついた倦怠感と疲労感から目を逸らして、迫り来ているであろう"敵"を見据える。
相手は空でこちらは地上。地理的有利をとられたエリサができることは、ただもがくだけ。
魔族が口をガバッと開けた。人間と同じ大きさを保っていた口は耳付近まで裂けて、ますます化け物の様相に変貌している。
こちらに向けられた口内に赤い光をエリサは見た。
それは口の中で膨張を続けて、光輝く球体のような見た目になっている。魔力を凝縮させたエネルギーの塊であることがすぐに分かった。
思い描いた魔族と自分の未来にソラが重なる。
――――――――エネルギーの塊は閃撃魔法のような光線となって、地上のエリサに向けて放たれた。
(こんなの、卑怯よ………………)
閃光によって魔族と蠱穣蛇の姿が見えなくなる。
空から降り注ぐ光柱は、天がエリサへ下した鉄槌のようで、彼女を真っ赤に照らしていた。
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