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モルトゥルク編 第六十四話 エリサの秘策

 何が起こったのか分からなかった。ただ気がつけば身体は宙に浮き、吐き気とともに耐え難い激痛が腹部に刺さっていた。刃物で裂かれたみたいな痛みが脳を揺らし、視界をチカチカと点滅させる。


 正面にいたはずの魔族の姿が見当たらないと気づいたのは、そのすぐあと。


 視界の端から迫る濃緑色の塊が見えた。目立つ真っ赤な舌から唾液を垂らし、細かな白い突起付きの大口は深淵へと続く迷宮の入り口だ。


風操魔法(ウィンディール)


 血の味がする口を動かして魔法を唱えた。同時にもう一度腹に食い込む鈍い衝撃。同じ場所を殴られたことで痛みがさらなる痛みに上書きされる。

 エリサは前方に旋風を飛ばすことで、受けた拳の威力を宙に浮く身体とともにほんのわずか押し流した。


 回る視界に霞む意識。さっきの緩和がなければ今頃エリサは暗闇の中だった。

 飛んでいく身体の平衡感覚も失って、ただ風の通るままに身を預けている状態だ。いつもなら風を操作し続けて飛ぶことができる。でも今は一度強風を発生させることが限界、あの場所から身体を離脱させるだけで精一杯だった。


 さっきまでエリサが立っていた場所に魔族が立っている。

 彼は拳を解くとエリサになんとも侮蔑的な視線を向けていた。


 ありえない、とエリサの顔から血の気が引いていく。

 油断していたのはたしかだ。だが自分と彼の実力差を一瞬にして思い知らされた。

 

 魔獣使いならば魔獣を駆使して戦うのが普通だ。エリサも当然そうだと思っていたし、注意すべきは本人よりも蠱穣蛇だった。あの男はただの司令塔、人類の脅威となっているのは魔獣を従えているが故だと勝手に見なしていた。


 けれど目の前で起きた高速移動。腹に残る激痛が物語っている彼の強さは、魔獣使いとしての枠を外れた純粋な脅威だ。

 エリサの実力はこの際あまり関係がない。ここに立つのがソラでもクロンでも、眼前の男は正真正銘、人類が恐れる魔族の一人だ。


 身体を運ぶ旋風が限界を迎えて、エリサを地面へ投げ出す。勢いのままに後ろへ転ぶように倒れた。

 固い地面への衝突でまた電流のような痛みが襲う。呼吸をしてもまるで腹部に空いた穴から空気が漏れているみたいに、息苦しさが永遠と続いている。


「おまえが死ねばあいつは悲しむのか?」


 魔族の声が飛んできた。それはたしかにエリサに向けて放たれた問いかけ。

 すたすた歩いてくる魔族はまた小さく戻った蠱穣蛇を愛でている。


 魔族の発言が胸に引っ掛かった。


 

(あいつ……? あいつってソラのこと……?)


 

 たしかにソラならエリサが死ねば悲しんでくれるだろう。自分でも過保護な自覚のあるエリサだが、ソラはエリサが危険に晒されることを彼女以上に嫌っているように見える。

 初めてできた仲間だからか、それともただエリサが危険な目に遭うことが多いだけで、誰に対しても同じなのか、それはエリサにも分からない。



 自分だけを特別視してくれる――――そんな考えをエリサは否定したくなかった。


 

 ソラが自分に見せる優しさに、「彼へ抱く想いが悟られているのでは……?」と何度ヒヤヒヤしたことだろうか。仲間としての嬉しさで上塗りしてずっと隠してきた。

 不純な想いで近づいたなんて知られたくないし、話すにしてもエリサにはまだ勇気がない。時期で言い訳をしてしまうくらいには。


 

 冷たい地面を押し沈めるようにして、魔法杖に体重を乗せて立ち上がった。まだ突き刺すような痛みは残ったままだ。

 

 目の前の魔族に勝つ未来も助かる希望も、扉が閉ざされて道筋すら闇に覆われている。

 盲目となったエリサにできることは、手探りでもいいからたしかな導を見つけること。これから通る誰かのために光を探すこと。


 

 何故か狙われているソラのために――――――たった一人で戦うこと。


 

風操魔法(ウィンディール)!!」


 エリサの放った旋風が魔族に迫る。

 

 素直にさらわれてくれたら楽だったが、戦闘態勢にはいった魔族は容赦がない。

 横に跳んで魔法を躱すと、大地を強く踏み込んで、滑るようにエリサへ突撃してきた。蠱穣蛇がまた肥大化を始める。質量まで増幅していそうなのに、それを乗せている魔族のスピードは緩まることがない。


 エリサの乖離していた肉体と精神が一つに結びつく。視える景色と聞こえる音色が、脳を満たして思考を彩る。

 

 

 ――――残像がいくつも見えるが大丈夫、瞬間移動ではなく高速移動なら。


 

風操魔法(ウィンディール)!!」


 残像と自分を繋いだ直線上に地面を削りとる旋風を飛ばす。粉塵を撒き散らして進む小型の嵐。魔族がこのままの軌道で猛進するならば直撃は避けられないだろう。


 魔族の残像が風の刃を飛び越えるように浮き上がった。

 エリサと目が合うと同時に、蠱穣蛇が細長い首を伸ばして襲いかかってきた。「シャァァ!」という鳴き声が馴染みの野獣とやっと重なる。


(大丈夫、目で追えてる)


 エリサは飛ばした旋風が纏った刃の一つを、渦の中から蠱穣蛇へ向けて撃ち出した。魔法杖から撃っていては攻撃が間に合わないと判断したエリサの咄嗟の機転だ。

 一度飛ばした風はエリサの魔力。彼女のもとを離れても自在に操ることができるのだ。


 死角からの攻撃に蠱穣蛇が気づく。

 細長い首をうねらせて飛んでくる刃に大口を合わせると、侵入する瞬間、細かな牙が覗く口で風の刃を噛み切った。


 "空気を噛み切ってしまった"蠱穣蛇にエリサが眉をひそめるが、まだ計算通り――――隙はできたのだから。


風操魔法(ウィンディール)


 魔法を唱えたエリサの身体が発生した旋風に巻き込まれる。

 主人を呑み込んだ魔法が、彼女を乗せたまま自由な空へ飛び立った。


「逃げるつもりか?」


 地上から魔族の声が聞こえる。焦燥は見えないが苛ついているのは分かる。

 

 エリサのほうはスピード重視で飛び上がったためひどく不安定な飛び方だ。


「ヴァルノックス!」


 地上でエリサを睨む魔族がそう叫ぶ。技名かと身構えたが、すぐに他の脅威を察する。

 

 彼の懐から漆黒の被毛をまとった小さな鳥が、まるで空間を割るようにでてきた。太陽に照らされてもその肉体には黒以外の色が見えない。小さな影がいくつも浮いているよう。


 懐にしまっていたわけではなさそうだ。するとどこから召喚したのか。魔獣使いとは魔族を操るだけではないのか。

 そんな数々の疑問など目に映る光景にとっては塵に等しい。


 

 鋭い羽音を響かせる小さな影は、気がつけば数十匹にものぼっていた。


 

 漆黒の黒鳥たちがエリサへと放たれる。

 

 まるで弓矢のようだった。

 一つ一つが意志を持った矢となって飛んでくる。鋭く尖ったくちばしが空気抵抗を減らし、大気を切り裂く音を響かせる。

 

 エリサは自信にまとわりついた空気を引きつけると、その一部を飛んでくる黒い塊に向かって射出した。


 触れないはずの空気は魔力がつくった偽物だ。目視することも難しい空気砲が、傍若無人な小鳥たちを穿つ。甲高い悲鳴を上げて小鳥が一匹、地上へ落下した。

 ただすべてを撃ち落とすことはかなわない。


 エリサは自身を支える風の出力を上げた。


 魔族はスピードが速いといえども空を飛ぶことはできない。空を飛べる魔獣だって多くはないのだから、地上はやつらの主戦場だ。不意打ちを避けるためにも空中で常に動きながら反撃の機会を探る方が得策のはず。


 魔族から少しでも離れようとすると、それを遮るようにヴァルノックスと呼ばれた魔獣が道を塞いでくる。


風操魔法(ウィンディール)!!」


 風の刃がヴァルノックスの翼を切り裂いた。そいつは翼を削られ体勢を崩しながらも、エリサを襲うことを止めなかった。


(速すぎる…………)


 動き回るあの小さい身体に魔法を直撃させるなんて簡単じゃない。こちらも相手も風に乗って動いていて、魔法杖の狙いがブレる。


 エリサの放つ何発もの魔法がヴァルノックスを捉えている。しかし漆黒は減ることなく膨らみ続ける。

 得体の知れない暗闇に追いかけられている気分だった。


 高速で移動する視界を地上へ落とした。

 佇んでこちらを睨む魔族の懐からは次々と黒い塊が湧き出てくる。倒すたびに供給されるようじゃきりがない。


 エリサが肩に痛みを感じて振り返る。ちょうど顔の横をヴァルノックスが通り過ぎた。

 

 頬にも痛みを覚えて顔を歪める。指で頬をなぞってみたが血は出ていなかった。くちばしでも掠ったのだろう。


 エリサが逃げないよう囲むみたいに攻撃してくるヴァルノックスと地上で傍観を決め込む魔族。それでもエリサが地上へ近づくことがあれば、魔族は容赦しない。

 

 旋風がエリサの身体を押し上げるたびに、魔法杖が淡く光るたびに有限の魔力が流れ出る感覚がする。

 ソラほど潜在魔力量は少なくないし、ここまでの鍛錬のおかげで、タルカルで冒険者を始めたときよりも扱うことのできる魔力量は増えた。それに風操魔法だけを使っているため、魔力の節約の方法もなんとなくなら掴めてきている。


 だけどこのままではいずれ魔力が尽きる。時間稼ぎにはまだ足りない。


 

(一か八か…………)


 

 キル魔道具店で買ってから、ずっと持ち歩いている物の感触を懐から確かめる。

 まさか魔族相手に使うとは思っていなかった。しかも練習なしで失敗は許されない極限の状況。


風操魔法(ウィンディール)!!」


 この飛んでくる黒い塊も被毛で覆われた鳥。だったら弱点のはずだ、と周囲を飛び回るヴァルノックスを見渡す。


 逃げてばっかじゃ足りない。それじゃ導を探すことも、誰かへバトンを繋ぐこともできない。

 それに腹の痛みが今になって苛立たしくなってきた。魔獣使いが魔法使いを拳で殴るなんてルール違反だ。


 

 魔法杖を飛ばされないよう握りしめる。覚悟も同時に決めた。


 ヴァルノックスの突進に合わせて、


風操魔法(ウィンディール)!!」


 何度目かそう唱えた。


 

 エリサを中心にして空気の渦ができる。中心に浮く彼女はそのままに、彼女を取り巻く鳥の群れを旋風がかっさらう。

 空気を頼りに飛んでいた小鳥たちは当然制御を失って、誕生した竜巻を真っ黒に染めた。


(逃げないでね!!)


 エリサはそう願うと、ヴァルノックスによってできた漆黒の竜巻を、地上で佇む魔族に向けて落とした。"落とした"そう言えるほど、縦にまとまった竜巻は質量をもった巨大な砲丸へと変貌していたのだ。


 ドシンッという重くのしかかる音がして、竜巻が地面へ衝突、それと同時に魔族と蠱穣蛇が黒い渦に巻き込まれた。

 わずかに残った緑が刈り取られ、ゴツゴツとした岩肌までも削るような竜巻の威力。ヴァルノックスによって、それは天から降り注いだ厄災のようだ。


(そしたら…………)

 

 エリサははやる気持ちを落ち着かせて、懐に手を入れた。


 でてきた手のひらに握られていたのは"魔石"。以前マラビィにねだって買って貰った少し大きな魔道具だ。

 握る手のひらにじんわりと伝わる熱。それこそが魔石に込められたエネルギーで、エリサが魔族に抵抗するための最終兵器だ。


 

 エリサは手にした魔石を黒い渦の中に投げ入れた。

 軽い魔石はぐんぐん竜巻の中を昇っていく。やがてヴァルノックスの影に隠れて見えなくなった。


 

 魔石は何か衝撃を与えることでエネルギーが解き放たれる。

 エリサが投げ入れた魔石は"火の魔石"。つまり魔石に衝撃を加えることで起こりうることは――――――


 魔力を使いすぎてはいけないと、エリサは自身を支えている魔法を解除してすぐに地上へ降りた。ほんの少しぶりの地面に違和感を覚える。飛んでいた方が気のままに行動できて便利だ。


 エリサは派手な装飾の魔法杖を身体の中心に立てると、黒い渦を見ながら、魔力の流れに意識を集中させた。

 魔力切れにならないくらいで、それでも魔族を倒すぐらいの勢いで、できる全力の魔力を杖に込める。


「我が手に集いし虚空の大気よ、天の息吹となりて舞い上がれ!」


 エリサの詠唱が響き渡る。揺れだした大気はエリサの詠唱に耳を澄ませているよう。

 

 渦の中の敵に思いを馳せながら、間髪入れずに唱えた。


風操魔法(ウィンディール)!!」


 

 エリサは自在に形を変えることができる風操魔法が好きだ。使い方次第で人を柔らかく包む毛布にも、敵を切り裂くナイフにもなる。発想によってその可能性は無限大に感じられる。魔法はイメージの世界だとよく言うが、風操魔法を操っているときが一番それを実感した。

 他の魔法を知らなかったから、初めに教わったものがこれだったから、エリサは風操魔法を使っている。けれど無数に広がる選択肢が見えるようになってからも考えは変わらない。


 「これからずっと風操魔法と一緒に生きていく」疑うこともなくそう思うのだ。


 

 黒い渦の上空にできるているのは巨大な空気の塊。圧縮された空気は白んで、その輪郭すらはっきりと確認できた。無だと思われている場所に質量を宿し、空中に浮かぶ鈍器を作る。

 浮かんだ球体はモルトゥルクの空を映す水晶玉のようだった。


 檻の中で踊り狂う悪意に、モルトゥルクを脅かす傀儡たちに、渾身の一撃を空から落とす。

 快感に似た不快感が込み上げる。逸らしたくなる目を上空に縛りつけて杖を掲げる。


(どうか、上手くいきますように!!)


 祈りながらエリサは勢いよく杖を振り下ろした。

ここまでお読みいただきありがとうございます


次の投稿はあさってです

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