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モルトゥルク編 第六十三話 ソグルム

エリサ視点に移ります

 怒濤の展開の数々に頭の整理がつかなくなってきた。風操魔法で運んでいる魔族も、抵抗を示さないでいるのが不気味だった。


 魔族の尾行を開始するまでは順調だったと思う。エリサから攻撃を仕掛けるまではたしかに気づかれていなかった。


 肥大化した蠱穣蛇にキルガレスが襲われそうになったため、強引に彼から魔族を引き剥がしたわけだが、その選択が正しかったのかエリサには分からない。

 キルガレスもその状況もどこか変だった。彼が水路を飛び越えてまで下層に来た理由、足元に落ちていた血塗られた防御貫通の短剣(ピアンザ)――――――――――


(今はそんなことどうでもいいわ)


 混濁した思考に区切りをつけたエリサの耳に、またしても無視しがたい情報が飛び込んでくる。


 

 それは風操魔法で飛行するエリサよりも上空で突如起こった爆発だ。


 

 橋が落とされたときの爆発とは規模が桁違いだった。遠く離れたエリサのもとまで熱風と空気の震えが届くほどだ。振り返った先に、黒煙と空中で何者かを燃やして輝く炎だけが見えた。

 何が爆発したのか、何で爆破したのか、誰が爆破させたのか、疑問はさっき以上に湧いてくるが、後ろの二つにエリサは心当たりがあった。


 

(ソラ…………!?)


 

 かつて悪魔戦でエリサたちにソラが披露した譲渡魔法と爆発魔法の合わせ技。上空まで対象をおびき出してから譲渡魔法で譲渡した爆発魔法を強制発動させる。肉体の内部から魔力を爆発させるせいで、爆破後は細かな燃えた肉片しか残らない。


 クロンなら孤児院にいるはず、だからソラも孤児院に来ている。初めに立てた予想が外れていたと察した。

 クロンが孤児院に行かずに他の魔獣の討伐に向かった、もしくは孤児院の人たちを避難させ終わった、そのどちらかなら問題ない。ミルシェが誰もいない孤児院に驚く程度。


 問題はクロンとソラが別行動をしている場合。何かの理由で二人がはぐれてソラが一人でさっきの魔法を使ったとしたら。


 譲渡魔法を使うときは決まってソラが追い詰められているとき。

 誰か他の冒険者がいるかは分からない。だがクラージやマラビィが一緒でもない限り劣勢は目に見える。


 エリサは自然とクエストでのソラの姿を思い浮かべていた。


 寄りかかる相手がいないときのソラは冷静さと柔軟な発想でとても頼りになる。エリサもソラのおかげで竦んだ足を動かせたことが何度もあった。

 ただ四人揃っているときに自分の手に負えなくなると、すぐクロンのもとへ逃げ帰ってしまう。まるで野良動物に吠えられて飼い主に縋る愛玩動物のようだった。格好良さと情けなさを往復しているせいで、素直に褒められないのがもどかしい。


 今のソラはどっちだろう、ちゃんと一人でやっているだろうか、同い年なのに母親みたいな心配が溢れてくる。


 魔族を遠くに投げ捨てて助けに行く? でもそしたら魔族が野放しに――――そう考えたとき、前方から肥大化した緑色の首が伸びてきたのが見えた。蠱穣蛇が竜巻の檻から顔だけを覗かせているのだ。

 迫る巨大な頭部が上下に開いていく。エリサを呑み込もうと開けた口の中はどこまでも続く深淵だった。


風操魔法(ウィンディール)!!」


 エリサは風の刃を飛ばして細く伸びた首を斬りつけた。一瞬だけ呻き声を上げた蠱穣蛇だったが、またすぐに性懲りもなくエリサを食べようと頭を突き出す。


「めんどくさいから引っ込んでて!!」


 さっきよりも強く魔法を放つ。

 今度は風の刃ではなく、圧縮して撃ち出した空気の塊だ。それを空気の渦でできた輪っかに通して、蠱穣蛇の顔面に直撃させる。


 空気砲に押し返された蠱穣蛇が避けようと首を振る。そうしたら輪っかの渦がふたたび顔面を空気砲の正面へ連れ戻す。

 徐々に押し返される蠱穣蛇はやがて魔族の捕まっている巨大な竜巻の中へと消えた。


 

 そんな蠱穣蛇との一悶着があったせいで、気がつけば外壁の上を通過していた。

 ここまで来てしまったらソラを助けに行く選択肢はなくなった。むしろ今エリサがソラを助けに向かえば、厄介な魔族も追ってくる危険がある。


 外壁に設置された大きな門。その門の前には、立ち塞がるように巨大な魔獣が鋭い眼光を飛ばしていた。


(やっぱりわたしたちを閉じ込めるつもりだったのね)


 眼下の門番に気を配りながらモルトゥルクの外へ飛び出す。

 空を飛べない者の助けは望めない孤独の地へ、エリサは迷うことなくその身を晒した。


 

 モルトゥルクに来てから、魔獣含めた獣相手にエリサは負けたことがなかった。風操魔法は必ずエリサの思い通りに獣を討伐してくれる。

 だからこのときのエリサも、魔族相手といっても魔獣使い、たった一人でも時間稼ぎくらいはできると高をくくっていたのだ。自分がやられることは決してないと。


 

 門番の魔獣が乱入してこないくらいの距離と角度を保ってから、エリサは魔族を手放した。あまりにもモルトゥルクから離れすぎると、誰もエリサの戦闘に気づいてくれない。ちょうどクロンとクラージが模擬戦をしたあたりを選んだ。


 魔力を無駄に消費しないように風操魔法を解除する。魔族にできるだけダメージを与えたくて、空高くに誘ってから竜巻を消した。


 ぱっと見では普通の男性に見える魔族と、肥大化が収まり細長い身体を魔族に巻き付けた蠱穣蛇が落下してくる。抵抗する暇もなく魔族の身体が尖った岩肌が目立つ地面に衝突した。

 鈍い音が響くかと思ったエリサに届いたのは、鼓膜を突き刺すほど鋭い乾いた音だった。上空から落下した聖剣が地面に突き刺さるような鋼の音。


 舞い上がった粉塵が晴れて、男性のシルエットを浮かび上がらせる。

 服についた砂を払う素振りを見せる魔族は、怒るでも睨むでもなく怪訝そうに眉をひそめていた。


 何かを必死に思い出そうとしているような表情の魔族は、ときおり首を傾げては手癖のように蠱穣蛇の頭部に指を這わせている。


 自分の呼吸が荒くなっていることに遅れて気がつく。

 魔族が攻撃してくる素振りはない。ただ対峙しているだけで息が詰まって全身が硬直するのだ。魔族から漂っている緊張感と威圧感、これまで感じたことのない雰囲気に背筋を冷たいものが走った。


 決して目を離してはいけない。回避動作の準備を怠ってはいけない。魔法杖を手放してはいけない。そのどれもが死へと繋がる綻びとなる。


 魔法杖を握りしめる手が汗ばんでくる。

 魔族の強さは分かっているつもりだった。そこを侮ったことなど一度もない。ただエリサは魔獣を、その使い手を侮っていた。


「あなたがこのテロを仕掛けたの?」


 動揺が顔に出る前にエリサが魔族に問いかける。この言葉を絞り出すために、いったいどれくらい心臓を打ち鳴らしただろうか。


 そんなエリサの勇気なんて魔族には伝わらない。エリサに応えることもしないで、聞こえていないかのようにただエリサの顔を見つめている。


 ここまで飛ばされた怒りを露わにしてくれるほうが、エリサにとっては楽だった。相手の心の内を探りながら警戒するなんて魔族相手にできるものではない。

 出方を窺う方法では埒が明かないと、杖を握り直して覚悟を決める。魔法を放とうと魔族を睨みつけたときだった。


 魔族が大袈裟に息を吐いた。


 ガサッ――――


 初めは吹き抜ける自然の風が草木を揺らしたのだと思った。でもすぐに思い直して身体を翻す。


 

 ――――――――――背後にいたのは牙を向く三体の魔獣だった。


 

「――――ッ!! 風操魔法(ウィンディール)!!」


 魔族に放とうとしていた魔法をそのまま三体の魔獣に向けて放つ。

 地面と水平に飛んでいく風の刃が魔獣の前足を切断した。


 三体の魔獣から同時に発せられる絶叫。


 降りかかる血飛沫を巻き込むようにしてエリサがふたたび竜巻を発生させる。三体の魔獣が宙にさらわれ、鮮血が竜巻をベール状に包んだ。


 エリサが魔法杖を振るうと竜巻がさらに上空まで持ち上がった。そしてさっきの魔族同様、竜巻が消失して、魔獣が地面へ叩きつけられる。

 グシャッという物が潰れる音が響いた。おかしな方向に曲がった手足は、まだ生きているのか血を噴きながらピクピクと痙攣している。


 血の匂いが運ばれたことで、下層のような不快で物騒な空気が漂いだす。


 エリサは周りの危険を確認してから魔族を睨みつけた。

 考えている振りをして魔獣を呼び寄せていたのか? それともあれは近くにいた魔獣が主人を守ろうと勝手に行ったことなのか? いろんな疑惑が渦を巻く。


 ただどちらにしても、このまま睨み合いを続けるわけにはいかなかった。次の攻撃を仕掛けられる前にこちらから動かないといけない。


 呼吸を整えて魔法杖に魔力を込める。幾度となく繰り返してきた動作なのに、まるでこれまではずっと練習だったような、初めて本番の舞台に立たされているような、ぎこちなく重苦しい感覚だ。


「ああ…………そうか」


 突如聞こえてきたつぶやきに背筋が凍った。


 低くて鋭くて、今にも逃げてしまいたくなる重厚な威圧感。間近で放たれたその声はエリサの敏感な神経を的確に貫いた。


 魔族がゆっくりとその屈強な豪腕をエリサに向ける。


「思い出した…………」


 ここにいてはいけない。これは弱音なんかじゃない、エリサの本能が生き延びるために警鐘を鳴らしているのだ。


「おまえ、ソグルムといた…………」


(ソグルム…………?)


 聞いたことのない名前だった。

 エリサはその「ソグルム」という人と出会ったこともなければ、誰なのかも知らない。だが魔族は「ソグルム」とエリサが一緒にいたという。

 

 では目の前の魔族と出会ったことはあるかと記憶を遡ってみる。


 

(……………………あ! もしかしてあのときの…………)


 

 エリサが思い出したのは、ソラが密会していた青年に文句を言おうと下層へ向かっていた日。あのときソラが強面の男性の前に尻もちをついて、その男性に睨まれていた。

 真っ黒な瞳孔に特徴的なうねった緑色の短髪。間違いない、あのときの男性こそが目の前の魔族なのだ。


 ではソグルムとは誰なのだろうか。


 あの現場にいたのはエリサとソラ、それにソラとぶつかった少年二人。少年たちにソグルムという子がいたのだろうか。少年と魔族に接点があるとは思えない。

 では誰かと間違えた? 分からない、わけが分からなかった。


「ソグルムはどこにいる?」

「え…………?」


 誰かも分からない人の所在なんて知るわけない。だが応えなかったら何されるか分からない。


 エリサの沈黙を回答拒否と捉えたのか魔族が険しい表情にしわを刻む。


 このままではいけないとエリサは震える唇を動かした。


「待って! ほんとに知らないの」

「知らない………………そうだろうな」

「え…………?」


 困惑するエリサを睨む魔族の視線が、彼女の身体をなめ回すように動き、また赤紫色の瞳へと帰ってきた。


「あいつは人間だ、こんな幼いわけがない」

「…………何を言ってるの?」


 エリサの問に答えることなく、遠い目をした魔族が続ける。

 

「あいつの子ども――――――フッ、だったらなおさら運命的じゃねぇか。なぁ?」


 突然魔族の唇の端が横に引かれる。置かれた状況を楽しむような不気味な笑みだ。

 

 疑問を投げかけたくせに一人で解決するなんて身勝手だ、と魔族を睨みつける。相手のペースに呑まれてはいけない、気をつけていたはずなのに、エリサはほんのわずか魔族に不安定な精神を握られてしまった。


 

 肉体と精神は意外と離れた場所にあるのかもしれない。


 

 ――――――――――――気がついたときにはエリサは空中で血反吐を吐いていた。

ここまでお読みいただきありがとうございます


次の投稿はあさってです

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