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モルトゥルク編 第六十一話 邂逅

 僕らの前で血溜まりに寝転がる巨体は、もう音を発しない肉塊へと変わり果てていた。微風が獣毛を揺らすたび、またいつ動き出すかと身構えてしまう。

 嵐の後の静寂みたいに少しばかりの閑静が僕らを包む。みんな僕と同じで、さっきまで威勢のいい咆哮を鳴らしていた巨躯に唖然と視線を向けている。


 荒々しい呼吸を静めようと大きく吸い込んだ大気に、生臭い血の匂いを覚えて激しく咳き込んだ。口に血の味が広がる。空中から地面に叩きつけられたときに口の中を切っていたらしい。

 片手に握られた魔晶石はすでにその役割を終え、冷たいただの石塊に戻っていた。


 聖獣を倒したことでドッと溢れ出た汗。額に滲んだ大粒を、前髪をかき分けるように袖口で拭う。熱を帯びていた全身が、悪寒のような寒気に覆われていた。魔法杖で上体を支えて戦場で気を失わぬよう気を引き締める。


「ふざけるな!!」


 彼の怒声が聞こえた。僕らに向けた言葉か、倒された聖獣へ向けた言葉かは分からなかった。

 冷静さを失った彼の叫びは、僕をふたたび戦場へと引き戻す。


「こんなことが…………!」


 振り返って僕を睨みつける彼と目が合った。紅の瞳は炎のように光輝き、彼の並々ならぬ激情を浮き彫りにしていた。

 わなわな身体を震わせ睨んでくる彼を、膝を折ったまま見上げるように見つめる。もう動くことも魔法を撃つこともできそうになかった。


「――――せいで!!」


 彼がおもむろに杖の先をこちらに向ける。


火炎魔法(スロワファイア)!!」


 唱えた杖の先に朱色に燃える炎が浮かび上がる。

 拳大まで膨れた炎は朱色の袖をはためかせながら、身動きのとれない僕へ向けて射出された。


 薄暗い大気に真っ赤な直線が引かれる。発生した熱風が僕の顔面に当たった。焼けるような感覚を覚えたとき、放たれた火柱はすぐそこまで迫っていた。


(まずい……どうにかしないと…………)


「えいっ!!」


 焦る僕の前に現れる影。

 威勢の良い掛け声とともに飛び込んできたエルティナが、僕の正面で銀色に輝く聖剣を振るった。何かを斬りつけたような甲高い音が響く。

 

 勇者の獲物に一閃された火柱は、朱色の分身を散らし彼女の着ていたローブにまとわりついた。


 ――――大変だ!!!

 

 燃える炎を掴もうと手を伸ばす。


 エルティナは迫る炎によってあっという間に火だるまに――――――――ならなかった。


(え…………?)


 彼女は明らか可燃性でありそうな素材のローブに守られていた。よく見ると、ローブと炎の間には薄い膜のようなものができており、炎への接触を防いでいる。彼女がローブを翻すと、まとわりついていた炎がローブに反発したみたいに弾け飛んで、空気中へ消えた。


「大丈夫!?」


 コクリとうなずいてエルティナのローブを観察する。見た目はクロンが着ていたものと変わらない、茶色いただのローブだ。


「調子に乗るな!!」


 彼がエルティナへ杖を突きつけ走り出した。その動作にエルティナも振り返って彼へ聖剣を構える。彼女がさっきまで使っていた魔法杖は、主人の元から離れて灰色の地面に転がっていた。


 彼が顔の前に杖を構えて唱える。


「火炎――――」

「させないよ!!」


 エルティナが手にした聖剣を彼に投げつけた。

 大気を地面と水平に切り裂きながら飛んでいく聖剣。回転する刃は彼の杖の先端を捉えて、彼の手から杖を弾き飛ばした。


 不意をつかれたと彼が固まる。その隙をついてエルティナが懐へ飛び込んだ。

 上がる粉塵と重なる二人の悲鳴。


 ――――まずい!!

 

 そう思ったときにはすでにエルティナは彼の腕を押さえつけながら一緒に地面へ倒れていた。背中への衝撃からか彼の表情が苦痛に歪む。


 ――――触れちゃった、そんなことしたら…………


 歪めていた口角を彼が不気味に引く。


「そういえば、きみは知らなかったね」


 彼が手首を反してローブ越しにエルティナの手首を掴んだ。

 

「大人しくして!!」

「エルティナさん!! 離れて――――」

封印魔法(シールス)!!」


 彼の叫びが一瞬の静寂に流れて消える。エルティナは首を傾げて彼を押さえつけたままだ。僕は歯をかちかち打ち鳴らしながら二人を見つめることしかできない。

 二人の視線が至近距離で絡み合う。魔法を掛けられたエルティナの身体が刹那震える。


 彼の目が見開かれた。


「どうして…………」


 彼が頬を引きつらせてそうこぼした。

 エルティナはさっきと変わらず彼を捕らえたままだ。


 封印魔法が発動しなかった?

 たしかに彼はエルティナに触れているし魔法を唱えた。魔法が不発だった? でもどうして?

 

「無駄だよ!」


 エルティナが彼を見下ろして告げる。


 よく見ると彼女は掴んでいる彼の腕に、着ているローブを挟んでいた。手、ローブ、彼の腕というふうに間にローブをかませることで、直接彼に触れていない、触れないようにしている。


 ――――もしかしたら…………


「エルティナさん、それって…………」

「うん! 魔法防御効果? がついてるローブ。勝手に着てきた」


 僕はふとマラビィ戦を思い出した。

 

 マラビィはハノークに封印魔法を掛けられたにもかかわらず、軍服のような衣服とともに身体を動かした。本来なら軍服の形状を固定されて動けないはずなのに。

 あれもエルティナのローブ同様、魔法防御効果が付与されていたんだ。僕も譲渡魔法を掛けようとしたなら失敗していた可能性が高い。接近戦が苦手な魔法使いにはうってつけの品だ。


 エルティナを睨みつけていた彼の双眸が恐怖の色で染まり出す。不利を自覚したのか、ゆっくりと恐怖に満ちた小動物のような目線をエルティナに送る。


 彼の口元が何度か揺れ動く。声にならない何かを訴えるみたいに、エルティナへぷるぷる首を振っている。

 もう観念したのだろうか。彼が目を瞑って横を向いた。


 エルティナが「えっと……」と首だけ回して僕を見る。


「ここからどうしよう…………」


 気の抜けたいつものエルティナらしい発言だ。押さえつけてからどうするかは考えていなかったのだろう。

 彼にヘタに触れれば洗脳される。かといって僕は救援を呼びに行けるほど回復していない。


 縛る? いや、そんな道具持っていないし、最中に触れられる危険が高い。何よりも彼は遠隔で魔獣を操る。まだ洗脳済みの魔獣が残っていたら厄介だ。


 あまりにも悠長過ぎる、戦場にとっては長考もいいところな僕ら。


 無力化できたと思い込んでいた彼が目を細めてこちらを見ていたことに気づけなかった。


「いやぁぁ!!」


 エルティナの叫び声が響くと同時に、彼女の身体が横に吹き飛ぶ。

 彼女の腹を蹴り上げた彼が、足を振り上げて跳ね起きた。ギリギリと歯ぎしりをし、紅の瞳を尖らせた彼が僕を睨む。


 ――――諦めてなんかいなかったのか。


 彼が上体をこちらに傾ける。

 攻撃に備えようと気怠く放り出された両足を引き寄せたとき、彼が視界から消えた。


 衣服が擦れる音と何かを拾い上げる音が聞こえる。

 そっちの方向に意識を向けたときにはすでに、彼は僕の懐に飛び込んでいた。鋭い杖の先端をこちらに突き出しながら。


 首元に伸びる凶器が見える。

 身体の気怠さは残ったまま。立ち上がることはできない。しかし魔力切れといえど、命の危険となれば一度くらい腕を振るうことができる。


 僕は考える間もなく、手にした魔法杖で彼が向ける杖の先を弾いていた。自分でも驚くほどの反射神経だ。

 木刀を合わせるにしては軽い打撃音がコツンと鳴って、彼の腕が側方に弾かれる。


 しかしそれだけ。姿勢を崩すことも一撃を与えることもできない。ただ攻撃の一つをいなしただけ。

 

 彼は弾かれた腕を見つめ、不機嫌そうに舌を鳴らした。苛立ちの色が濃くなっている。

 僕は彼の瞳を見つめながらゆっくりと荒れた道路を後退していった。


 身体を引きずる音に彼が目線を戻す。ふたたび絡みついた彼の視線には憐れみなど含まれていなかった。ただ純粋に僕への殺意だけが紅の瞳に揺らいでいる。


 彼が地を蹴った。

 僕がわずかにつくった距離を瞬きの間に詰める。


火炎魔法(スロワファイア)


 杖の先に灯りだす朱色の光。繰り出した刺突と合わせて魔法を至近距離で僕に放とうとしている。

 

 防御魔法か飛行魔法を使えたら……無駄か。どうせ僕には魔力が残されていない。

 

 ――――せっかくあの魔法を思い出せたのに、もったいないな。

 

 僕は自分でも驚くほど冷静に窮地を客観視していた。これまで経験したいくつもの危機がそうさせているのだろうか。いや、下層に飛び込んだ時点で薄々感づいていたのかもしれない。

 

「ダメ!!」


 エルティナの悲鳴を彼越しに聞きながら目を瞑る。瞼の裏には師匠と少女の姿が――――――――残念ながら映っていなかった。


 

 鳴り響く鈍い打撃音。視界が真っ暗なせいで脳を直接揺らす。

 それから骨を軋ませる音に被さるように、乾いた衝突音が聞こえてきた。瓦礫が散乱したような、建物が倒壊したような。魔獣が暴れている、そんな光景を思い描かせる。


 何が起きたのか分からなかった。分かることといえば一つだけ。

 僕の身に火柱は届いていないということだけだ。


 ――――助かった?


 肯定する世界を望みながら、ゆっくりと重たい瞼を持ち上げる。



 ――――――――――最初に見えたのは、遠くで群れをなす魔獣たちだった。



 その魔獣たちがうるさい乱暴な足音を立てながらこちらに猛進してくる。小さかったシルエットが徐々に拡大されて、さっきまで彼に使役されていた種類の魔獣たちだと分かった。大きな牙を威嚇のように打ち鳴らすやつらの視線は明らかに僕らを向いていた。


 ――――魔獣を呼んだ!?


 大変なことになった。あの量の魔獣を相手にするなんて不可能だ。


 前方に彼に吹き飛ばされたばかりのエルティナの姿が見える。彼女は回避体制に入ることなく、ジッと、僕の後方を凝視していた。


 彼女はきっと魔獣に気づいていない。このままだと彼女が魔獣に襲われる!!


「エルティナさん!! あぶな――――」


 僕の叫び声が一瞬のうちに掻き消された。


 僕の前方に映る光景が銀色の光によって上下に分断される。建ち並ぶ家屋とエルティナの姿はそのままに、突然走った一閃は瓦礫の山と魔獣を二つに分かつ。まるで朝日が地平線に眩い光を灯すように、僕の世界に色彩が加わる。


 それは陽射しに照らされて散布する鮮血による。


 突然の光景に聞こえた甲高い音。それは大気を切り裂いた鋼が起こした乱流がもたらす自然の音。

 幾度となく聞いてきたはず。それなのに耳に残った振動が所在も分からず彷徨っている。


 肉片と化した魔獣の死骸。その中心に佇む男は、白地に青のラインが特徴的な騎士の制服を着こなした一人の男性。いや、その制服も魔獣たちが撒き散らす鮮血に一部染まっている。それでも純白が強調されているのは、きっと汚れがつきにくい効果でも付与されているのだろう。


 ――――よかった、間に合ってくれた…………!!


 キュルシニィを爆撃したときから、いつかは来てくれるだろうと踏んでいた。しかしいざ目の前に現れると泣き出したいくらい嬉しい。

 もちろん助けに来てくれた人に涙を見せたり飛びついたりなんて格好悪いまねはしないけど。


 もしその人物がクロンならば……………………努力はする、たぶん。


「クロンの仲間なだけあるじゃねぇか。あんな怪物倒しちまうなんて」


 男性の言葉にエルティナが深く息をつく。僕も安堵に全身の力が抜けた。


 存在自体が勝ち負けを決めるような、そんな"規格外"な存在。この人に勝てる可能性があるのは、この街ではクロンかまだ見ぬ魔族くらいか。


 ふいにこぼれてしまう笑みは、正そうにも緩みきった頬がそれを拒む。

 僕とエルティナ、まだ駆け出しの二人だけでここまで戦ってきた。生死の境を彷徨うみたいなギリギリの攻防だった。

 染みついた緊張から解放されたとき、人は湧き上がる安堵を顔にだしてしまうのだ。


「さあ、教えてもらおうか」


 男性が言葉を切って歩みを進める。その先には木片を全身に被った白髪の青年。いつの間にか彼は僕の前から倒壊した家屋の瓦礫の上へ移動していた。彼みずから移動したわけではないんだろうけど。

 

「おまえが使役している魔獣はこれですべてか?」


 鋭い眼光を返してクラージが低くそう言った。

ここまでお読みいただきありがとうございます


次の投稿はあさってです

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