モルトゥルク編 第五十九話 かけがえのない約束
崖面を割るようにでてきたのは、ギルドほどもある巨大なゴーレムだ。
二本足で自立し、二本の腕と胴体、首に頭まで備え付けられている。人間との違いは泥でてきていること、身体のパーツがすべて角張った四角のような形をしていること、それに顔がないこと。頭部はあるけど、表面には口のような亀裂が横に入っているだけ。
積み上がった岩が人の形を成したまま動き始めたかのよう。表情が読み取れない分、存在以上の恐怖を感じた。
ゴーレムとは守護者としてダンジョンの最下層に潜んでいることが多い泥人形だ。昔はその製造方法が不明だったこともあり、大地から自然発生する神秘とされていたらしい。やがて魔法の研究が進むにつれて人の手で作ることができるようになった。
大都市から離れた地域では危険な作業をさせるために利用されていると聞く。使い古されたゴーレムが魔法を解かれることなくこの地に廃棄、もしくは封印されたものだったのだろう。
しかし当時の僕はそんなこと知るよしもない。突如現れた巨大な泥人形。崖から剥がれた落ちた化け物を見上げ、身を縮こめて怯えていた。
現実離れした巨躯を前にして震え上がっていた僕ら。
そんな中でも師匠だけは素早かった。
「閃撃魔法!!」
突如現れたゴーレム、彼女にとっても未知の化け物に、躊躇すること無く彼女は魔法を撃ち込んだ。魔法の当たった腹部に砂埃が舞う。
しかしゴーレムは一度動きを止めただけで、ふたたび僕らの元へ巨大な一歩を踏み出した。
「き、効かない…………」
師匠の口からこぼれた小さな音。初めて聞いた彼女の弱気な声。
揺れる赤紫色の瞳が僕と少女とを行き来する。守るべきものをたしかめるような彼女の表情は、美しいながらも曇っていた。
師匠でも敵わない、そんな事実を目の当たりにした僕は、
「ソラくん…………?」
いつの間にか魔法杖を構えていた。深い息をついて震える杖を握りしめる。
(ぼくが守らないと…………)
身の丈に合っていない正義感と義務感。実力を客観視できていたならもっと方法もあったかもしれない。けれどこのときの僕の行動は正しかった、と今の自分に胸を張れる。それは冒険者にとってもっとも大事なことだったから。
「閃撃魔法!!」
限界まで魔力を絞り出して僕は魔法を放った。魔力がごっそりと削られる感覚がして頭が少しくらついた。
数日ぶりの魔力切れ。でも魔法を撃ったその瞬間だけは形容しがたい高揚感があった。
飛んでいく純白の光はゴーレムの足元に直撃した。ゴーレムの背丈を考えずに正面に撃ち込んだせいだ。
ゴーレムの身体と足元から巻き上がる粉塵。激しい衝突音が鼓膜を震えさせて、陽射しに照らされた魔法杖が漏れ出た魔力によって眩い光を発していた。
魔法を撃った感触に反して、手応えはあまり感じなかった。
だから、無傷で進行を再開したゴーレムを見ても、「やっぱり」と溜息がもれるだけだった。
「お姉ちゃん…………」
少女が師匠のスカートの裾を掴む。僕も師匠に目線を向けた。「せっかく教えてくれたのにごめんなさい」と謝るような表情をしていた。
師匠がふたたび僕と少女を交互に見つめる。緊急事態だというのに目が合うたびに心臓が跳ねた。
やがて彼女は意を決したようにうなずいた。
「さがってて」
師匠が柔らかく告げる。
僕はすぐうなずくと少女の手を引いて、師匠とゴーレムから距離をとった。近くにそびえる大木に身を寄せて、師匠の背中をジッと見つめる。隣の少女の手を優しく握った。
「あまり見せたくないんだけど…………」
師匠が振り返る。真剣に見つめる僕らと目が合って「だよね」と笑った。
迫り来るゴーレムと対峙した師匠。ゴーレムの重々しい足音がこだまする空間に、緊張と、なぜか少しの静寂を感じた。唾を飲み込む音が反響して聞こえる。
――――――――――師匠がゴーレムめがけて駆け出した。
白銀の杖を片手に据えて、転がる岩石を軽々飛び越える。スカートを翻し、まだまだ子どもの身体を自在に操っている。その巧みな身のこなしにまた心惹きつけられた。
手にした魔法杖が白銀に発光する。空から降り注ぐ陽射しが集まっているみたいで綺麗だった。
彼女はすぐにゴーレムの傍までたどり着いた。
ゴーレムが足を踏み出したタイミングを狙って師匠が足元に潜り込んだ。両足の隙間に身体を滑り入れ、杖をもたない手でゴーレムに触れる。そして唱えた。
「譲渡魔法『蒼泉魔法』」
はっきり聞こえたわけじゃない。けれどあのときの光景から、師匠はきっとこう言っていたのだと思う。
師匠がゴーレムの足元から飛び出す。ゴーレムの進行軌道からずれるように走ると、僕らが待つ大木の傍に走ってきた。白銀の髪をなびかせながら走る彼女は明るく笑っていた。
僕らと目が合うと、
「いくよ」
彼女が静かにそうつぶやいた。いや、聞こえてはいなかったからそう言っているように見えただけだ。
師匠が目を瞑る。ふたたび眩い光に包まれた魔法杖を天へ掲げると、
「強制発動! 『蒼泉魔法』」
そう叫んだ。
蒼泉魔法はよく母さんが見せてくれていた『水をつくる魔法』。そして聞き覚えのない譲渡魔法という魔法。
このときの光景は七年経った今でも鮮明に思い出せる。ある意味一番馴染み深かった魔法と訊いたこともない魔法、二つを組み合わせたような彼女の掛け声。そして「強制発動」という言葉。
たった一瞬だったけど、僕の中で師匠への期待が恐怖を上回った。
鋭い重低音とともにゴーレムの動きがピタリと止まった。障害物なんて何もないのに、持ち上げかけた足を垂直に叩きつける。
ゴーレムの身体に変化が生まれたのはこのすぐ後だった。
ゴーレムを形作っていたブロック。その一部、右肩から右腕を担っていた泥の塊が傾いたかと思えば、そのまま身体との接着を外れて地面へ落ちていった。地震みたいな振動が僕らの足元に伝わる。
さらに今度は左腕が外れて投げ出される。接合面はドロドロに溶けていて、地に落ちた両腕はみるみる角張った形を崩して泥水と化した。
そこからは一瞬だった。
残されたゴーレムの身体から泥が流れ落ちる。まるで太陽光に照らされ溶ける氷みたいに、さっきまで乾ききっていた土の肉体が形を保てずに濁った液体になっていく。頭部から流れ落ちる泥が胴体との隙間を埋め、胴体から滴る泥で両足を幕のように覆う。泥人形が粘り気のある泥水の塊へと姿を変えていく。
べちゃべちゃと泥水を吐き出すゴーレムの足元は、茶色い液体でいっぱいだった。
見上げる僕の目線が徐々に下がっていく。やがてドシャっという音とともに、ゴーレムの肉体は溜まった泥水のもとへ沈んでいった。
――――――――――――化け物は抵抗することなく師匠によって討伐されたのだった。
「「すごい!!」」
胸に手を当てながら歩いてくる師匠に駆け寄る。魔力切れでまとわりついていた倦怠感を、興奮によって一時的に忘れた。
少女が師匠の腰にしがみつく。顔を擦りつける少女の瞳はわずかに潤んでいた。
「今の魔法は内緒ね?」
師匠が人差し指を唇に当てて、可愛らしくウィンクを決める。身体の真ん中が熱を帯びるみたいに暖かくなった。
「なんですかその魔法!?」
「秘密だって」
師匠が僕の頭に手を乗せて笑う。
でも僕は我慢できなかった。
「ぼくも使いたい!! おしえて!!」
敬語なんて忘れて師匠に頼んだ。
あんな巨大なゴーレムを一瞬で倒してしまう魔法。あんな魅力的な技を秘密の一言で忘れるなんて、幼かった僕には無理な話だった。
「えっと…………」師匠が困ったように僕を見つめる。
「これはね、すごく危険な魔法なの。だから――――」
「だいじょうぶ!! 気をつけるから!!」
我が儘な子どもと化した僕は師匠の言葉に耳を貸さない。彼女が「でも……」と食い下がっても、「いいでしょ?」としつこく返した。
彼女が困惑していることは幼い僕でも分かっていた。でも、このまま帰っても後悔するということも分かった。
「この魔法はね禁忌の魔法って呼ばれてるの」
「きんき?」
「使っちゃだめってこと」
彼女の言葉に頬を膨らませる。「でも使ってたじゃん」と言い出さないのは、僕らを守るために仕方なく使ったのだと理解していたから。
「ね? だから……」
師匠が僕を納得させるための終わりの言葉に入ったことに気づく。
黙っていたらもうあの魔法は手に入らない。けれど我が儘を訊いてもらうためには師匠を説得させる必要がある。師匠に魔法を教えてもいいと安心してもらうためには――――――
「――――――するから」
「ん?」
「やくそくするから!!」
お腹から声を張り上げた。師匠と少女が驚いたように目をパチパチさせる。
「大人になるまでつわない! だれにも言わない! もっと魔法れんしゅうしてすごい魔法つかいになる! だから師匠、ぼくに――――――ぼくにもみんなと違うものををください…………」
最後まで言い切る前に、瞳に涙が溜まった涙を隠すように頭を振り下げた。
適性検査を受けたあとの父さんたちが一瞬見せた悲しそうな表情。冒険者としての才能がないと知った僕を父さんと母さんは、そっと慰めてくれた。そのときは気づいていなかったけれど、一年経って、二人の気遣いに気づいてしまって、とても苦しかった。まるで自分が何者にもなれないと無情な現実を後から突きつけられたみたいで。
「おねがいします…………」
二人の息遣いだけが頭上から聞こえてくる。もう頭を上げる勇気なんてなかった。わずかに開いた瞼の隙間に震える僕の拳が覗く。
しばらくの静寂が僕らを包む。
師匠がそれでも厳しく叱ってくれたら僕も諦める決心ができた。判断を彼女に委ねているみたいで、ほんとうに格好悪い。
「ソラくん」
師匠の優しい声に顔を上げる。
彼女は柔らかく微笑むと、中腰になって顔を近づけた。息が掛かるほどの距離に師匠の可憐な顔がある。
「師匠からのプレゼント、特別ね。でも絶対に秘密だよ。お姉ちゃんとの約束」
「ほんと?」
「うん。私もソラくんがすごい魔法使いになるところ見たくなっちゃった。でもこの魔法よりも閃撃魔法の方を頑張ること、約束できる?」
「うん! 約束する!」
師匠が差し出した小指に自分の小指を絡めた。
絶対師匠に認められる魔法使いになってみせると、彼女から受け取った譲渡魔法を覚悟の証にする。僕を信じた彼女のために。
僕が譲渡魔法を使いたくないのは、誰かにバレる危険があるから、だけじゃない。師匠との約束を守るため。彼女を悲しませないため。
結局悪魔戦やジードたちにも使ってしまったけれど、師匠にバレたら怒られるだろうか。もしかしたら「今度は仲間を守れて偉い」と褒めてくれるかもしれない。
譲渡魔法を使う者だからこその制約と責任を背負って、僕は冒険者を始めたんだ。
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