モルトゥルク編 第五十六話 初恋も魔法から
「名前なんていうの?」
僕の問いかけに少女はニコニコするだけで答えてくれない。
僕と話すのが嫌なのかと心配になって訊いてみたけど、少女はぶんぶん首を横に振った。
「ぼく、ソラ。遠くにすんでるんだけど、たまにモルトゥルクにくるんだ。えっと……きみはここらへんにすんでるの?」
彼女は少し困ったような顔をした。何か考え事をするみたいに首を捻ると、やがてコクリとうなずいた。
もしかして彼女も僕と同じでこっそり森に入ったのではないか、彼女の素振りを見ているとそう思えてくる。以前あんなに複雑な道を迷うことなく進んでいたことからも、よく森に出入りしているのだろう。
何か話しかけようと頭を巡る言葉が、木々を揺らす風に流されていく。
沈黙の中で少女の顔を見つめる。彼女の背後には煌めく水面に映る小鳥。木漏れ日が緑を照らして鮮やかな彩りを加えている。まるで絵画の世界に飛び込んだみたいな、目に映る光景が一つの芸術みたいに綺麗だった。
「どうしたの……?」
少女が大きくて丸い瞳で見つめてくる。つい彼女を凝視していたことに気づいて、恥ずかしくなり「なんでもないよ!」と首を振った。
なおも不思議そうに見つめてくる少女の目線が、ふと僕の手元に落ちる。そこには身の丈に合わない魔法杖が転がっていた。
少女が魔法杖を指さす。
「それ…………」
「これ? これは魔法につかうつえだよ」
僕は立ち上がると両手で魔法杖を持ち上げた。片手で魔法杖を何とか支え、もう片方の手を腰に当てる。泉に向かって杖を突き出し、なんとも不格好な決めポーズを披露した。
「ぼく、しょうらい冒険者になるんだ」
「ぼうけんしゃ……?」
「うん! すごいかっこいんだー!」
ピンと伸ばした腕に限界がきて腰の手を杖に添える。「重い……」とつぶやくと少女はフフッと口に手を当てて笑った。
みっともないところを見せたと顔が紅潮する。
「かっこいいね」
「ほんと!?」
彼女が笑いながら言う。
冒険者としての自分を褒められた気がして嬉しかった。
「そうだ! みてて!」
僕はあることを思い至って魔法杖を構えた。何度も練習した成果を発揮するときが遂にきたのだ。
小さな身体を流れる魔力の流れを何とか掴もうと目を閉じる。少女のこちらを見つめる視線を感じて密かに鼓動が高鳴る。
魔法杖を握った両手に力を込めて
「閃撃魔法」
そう唱えた。
今よりもずっと弱々しい光が近くの樹木めがけて飛んでいく。純白の輝きはそれでも日光を弾き返して、完成された絵画に美しい一本線を描いた。「うわぁ……!」少女の感嘆の声が聞こえてくる。
魔法は樹木にぶつかると、どこも傷つけることなく弾けて消えた。
「どう?」
狙った樹木に命中したことで嬉しくなり、ドヤ顔を我慢して少女に尋ねる。彼女は立ち上がると「すごい!」と微笑んで両手をパチパチと打ちつけた。
同い年くらいの子に魔法を見てもらうことも、褒めてもらうことも初めて。照れ隠しのつもりで「これくらい余裕だよ」と視線を逸らした。
「みててね!」
調子に乗った僕はまた閃撃魔法を放とうと杖を構えた。もっと大きくて綺麗な魔法を見せたかった。
「閃撃魔法!!」
さっきよりも声を張って魔法を唱えた。
しかし調子に乗っているときは大抵空回りするもの。力んだことで狙いはブレ、魔力の制御もままならず、杖から放たれた光は泉に張った清水に吸い込まれていった。
光が水面に触れた瞬間、パチンッと高い音が鳴って水飛沫が上がった。静寂を湛えていた泉に、銀色の糸のような波紋が広がっていく。
泉のほとりで羽を休めていた小鳥たちが一斉に飛び立った。短い鳴き声をこだまさせて散り散りに空へと舞い上がって見えなくなる。
(やっちゃった…………)
おそるおそる少女の顔色を窺う。
僕がいる空間に残されたのは、すぐに静寂を取り戻した泉と、眉間にシワを寄せて不満げにこちらを睨む少女――――――
「もう! せっかく気持ちよさそうだったのに!」
少女はぷくりと頬を膨らませて泉を指さした。
調子に乗りすぎたのだとこのときやっと気がついた。慌ただしく空を駆ける小鳥たちの鳴き声が聞こえてくる。
「ごめん! ねらいがはずれちゃって! ほんとうにわざとじゃなくって!」
全身でお辞儀をするみたいにして少女に謝った。
僕があまりに必死だったからか、少女は最後に可愛らしく「もう!」と僕を一喝してから元の彼女に戻った。「ことりさんたちごめんなさい」と頭を下げる彼女に申し訳なくなって、僕もならって「ごめんなさい」と小鳥たちが飛び立った方向に頭を下げた。
すっかり小鳥の影がなくなった空は微かに茜色が混ざり始め、薄く流れる雲が金色に縁取られている。外で遊んでいるときの帰宅の合図だ。
微かな沈黙のあと、おもむろに切り出した。
「もう暗くなりそう。そろそろ帰らないと」
僕の言葉に「そっか……」と寂しそうな表情でうつむいてみせる少女。
「あしたも来るから」
「ほんと?」
彼女の表情がパッと明るくなる。それから僕は「あしたはべつのところで魔法みせてあげる」と約束を交わした。
魔法杖を肩に担いでから少女に手を振る。
「じゃあねー」
「ひとりで帰れるの?」
「もう帰れるよ!!」
心外だと大袈裟に怒ってみせると、少女は口に手を当てて上品に笑った。彼女の笑顔につられて僕も笑う。
もう一度「じゃあね」と別れを告げて来た道を引き返した。僕を心配そうに後ろから見つめる視線に負けないように、いつもより胸を張って歩く。
折ったはずの枝木を見失って迷子になりかけたことは内緒だ。
翌朝、ふたたび一人行動の許可を父さんたちにねだった。意外にも今回は母さんもすんなり許可を出してくれた。
「やけに嬉しそうだが、なんかあったか?」
「べ、べつになにもー」
隠し事をしているときの父さんはほんとうに恐ろしい。すべてを見透かされているようで「そうか」と父さんが引き下がってからも、しきりに顔色を窺ってしまう。心中を隠す衣服を生成する魔法でもあったらいいのに。父さんの前では僕の纏った衣服はスケスケにされてしまうから。
泉に到着するとすでに少女は僕を待っていた。泉のほとりに座って、小鳥たちと歌でも歌うみたいに小さな鳴き声を真似している。僕を見つけると、小鳥たちを驚かせないようにそっと立ち上がって、スタスタと小走りに近づいてきた。
「まってたよ」
「ごめんね。なかなか一人になれなくて」
昨日よりも降り注ぐ陽射しが強い。急いで来たこともあって僕の額には大量の汗が浮いていた。
「それじゃあ、行こっか。ぴったりのばしょ知ってるんだー」
少女に魔法を見せるために地図で場所を確認してきた。もっとも僕がこのあたりで知る場所といったら一つしかない。
今度は僕が案内すると言わんばかりに、少女の返答を聞くことなく歩き始める。僕から一歩遅れて彼女がついてきていることが分かった。
ふと彼女の腕が僕に触れた。くっついたと言ったほうが正しい。じかに触れ合う距離まで少女が密着しているのだ。
彼女も楽しみなのだろうかと顔を覗き見る。上目遣いで見上げてくる彼女の瞳に、感情の揺らぎを感じとる。少女が柔らかそうな唇をゆっくりと開いた。いけないものを見ている気がして心臓が高鳴る。
そして少女は僕に言った。
「ほんとうに道分かる? まいごにならない?」
――――――――心配されているだけだった。
森を抜けた先にあったのは断崖絶壁。ゴツゴツとした岩肌が目立つ崖面は、下の方にぽっかり穴を空けていた。あの日と同じままだ。
緑が途切れた地面には六歳の僕らの身体よりも大きな巨岩がいくつも転がっている。
「ここなら魔法うってもいいでしょ?」
少女がうなずいた。
僕は少女から少し離れると身に余る魔法杖を両手で構えた。眼前には灰色の巨岩がそびえている。大人数人でもびくともしなさそうな大きさだ。少女に魔法を披露できる絶好の機会、中途半端な的を破壊するだけじゃ物足りなかった。
目の前の巨岩をジッと睨みつける。十分なほど巨大な的、狙いよりも威力のある魔法を撃ったほうがいい。
じんわりと熱い感触が身体を流れる。手足を通って心臓あたりにたどり着き、今度は魔法杖に集まっていく。「いまだ!」と魔力のこもった杖に力を入れた。
「閃撃魔法!!」
手に残る魔力が電気のようにピリピリ弾けている。惚れ惚れするような手応えを噛みしめる。
飛んでいった純白の光線は、美しい一本線を描いて巨岩のど真ん中に直撃した。
白い煙が舞い上がる。手応え十分だ。
ドヤ顔を堪えた顔を少女に向けようとしたけれど
――――――――目の前の巨岩はひび割れ一つ起こしていなかった。
(うそだ!?)
これまでにないくらいの完成度だったはずなのに。
渾身の一撃を弾かれたことで僕の中に負けず嫌いの闘志が宿った。
「閃撃魔法!!」
僕らの正面に涼しい顔で佇む標的に向けてふたたび魔法を放つ。少女の前で恥をかかされたせいで、むきになっていたのだと思う。
二度目の閃撃魔法を受けた巨岩は、なおもその巨体を維持し続けている。
「閃撃魔法! 閃撃魔法!!」
びくともしない巨岩に苛立ちが募り始める。歯を食いしばり魔力を全身から振り絞るようにして魔法を撃ち続けた。
けれど結果は変わらない。放たれる光線が周囲を鮮明に照らし、岩肌に直撃する乾いた衝突音が鳴り響く。巨岩は無力で情けない僕を嘲笑っているかのように、避けることなくジッと次の魔法を待っている。
「もうだいじょうぶだよ」と少女が止めてくれた手を、振り払ってなおも魔法を撃った。これでは僕が負けたみたいで悔しかったのだ。
「閃撃魔法!!」
呼吸の乱れが突然手元を狂わせた。魔法は巨岩の真横を通り過ぎ、崖面にぽっかりと空いた洞穴の天井部に激突した。洞穴に重低音が反響して広がる。
全身の力がいきなり抜けて、杖にもたれかかるように身体を倒す。ずるずると杖を伝って、緑が途切れた黄土色の地面にへたり込んでしまった。
そこで僕は自分が魔力切れになっていることに気がついた。
少女が慌てて駆けてきて、僕の背中に手を回す。「だいじょうぶ?」と顔を覗き込んでくる少女に、言葉を返す気力もなくて黙ってうなずいた。きっと情けない姿を見せた悔しさから、言葉を交わしたくなかったからだ。
突如、僕らの間に割り込むように怒声が轟いた。
乱暴な足音が洞穴から聞こえてくる。洞穴が巨大な獣の口のように見えた。
目の前に現れたものに僕らは目を見開いた。
――――――――――そこにいたのは二本足で自立した黒毛の獣だった。
(やじゅう!?)
僕らどころか巨岩をもしのぐ巨体は分厚い皮に覆われ、突き出た鼻が湿っているのか陽射しに照らされて光っている。おそらく前足である部分から伸びた三本の鋭い爪は、その獰猛さをより強調していた。
一年前にリィナお姉さんたちに討伐された野獣がまだ残っていた、咄嗟に僕はそう結論づけた。もしくは別の野獣が住み着いたのかもしれない。どちらにせよ言えることは一つ、
僕の魔法が野獣を怒らせた。
暑さを思い出したかのように全身から汗が噴き出してくる。僕の冷静な心もまるごと抜け落ちて、残ったのは絶望と拒絶。
魔法杖を地面に突き立て、不安定な身体を持ち上げた。
鼓動は早鐘のごとく打ち乱れている。魔力切れによるものか、魔獣への恐怖によるものかは分からないけど、本能が危険信号を発していることは分かる。
少女が僕のシャツの裾を掴む。彼女の白い足はガタガタ震えていた。「あ、あれ……」と野獣を指さしては「どうしよう……」とか弱い声をもらす。逃げないのではなく逃げられないのだと悟った。
震える両手で魔法杖を構える。
僕の武器は魔法しかない。少しでも良い、ほんの少しでも野獣に対抗できれば――――――そんな思いに応えてくれる魔力など、すでに枯渇してしまっていた。
(ぼくが魔法をむだにうったせいで…………)
魔法杖を下ろした。もう持ち上げる体力すら残されていなかったのだ。
僕は隣で震えている彼女の手をとった。不安にさせたくないなんて格好いい理由じゃなくて、心細かったから。少女が握り返してくれたおかげで、彼女も同じだったのだと分かった。
野獣が僕らを睨みつける。突如大地が揺れた。
周囲に転がる岩を砕きながら僕らへ迫ってくる。目を瞑る少女に合わせて僕も目を瞑ろうとしたときだった。
――――――――――――純白の閃光が野獣の頭部を吹き飛ばした。
鮮血が黄土色の地面を真っ赤に染める。司令塔を失った巨体がよろめきながら後ろへ倒れ込む。
どこを切り取っても、幼い僕には刺激の強すぎる光景。しかし、
「大丈夫!?」
僕らに駆け寄ってくる一人の少女を見たとき、僕の血に染まった視界が一瞬にして真白に塗り替えられた。
白銀色の髪を肩まで伸ばし、赤紫色の瞳はあの泉のように澄んでいる。
白銀の魔法杖を抱える少女の目線は当時の僕よりずっと高かった。今の僕ぐらいだったはずだ。
「大丈夫……?」
助けてくれたお姉ちゃんがもう一度優しく問いかけてくる。
緊張の糸が柔らかくほどけ、僕の中に新たな感情が芽生える。それはずっと無縁で具体的な意味すらも曖昧だったもの。胸が熱を帯び、一度彼女と絡みついた目線は逸らそうにも縛り付けられて離れない。
そのすべてが僕を魅了し、人生における新たな色彩に心奪われた日。
――――――――――初恋は魔法が彩った戦場にて。
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