モルトゥルク編 第五十五話 森の少女
「――――てるの?」
静寂の中で丸まっていた僕の耳に一つの音が届いた気がした。どうせ寂しさによる幻聴だと、別れたばかりの父さんたちの顔を思い浮かべる。
(…………ん? ………………!!)
「うわぁ!!」
何かが肩に触れたことでガバッと身体を起こした。勢いよく反り返った上体を支えきれず、緑が生えそろった地面に背中から倒れる。
柔らかな感触に包まれると同時に、鼻先に青々とした草の香りが広がる。空を仰ぐ僕の上には綿菓子のような雲がゆったりと流れていた。
寝転がる僕を見下ろしようにして顔を近づけてくる人物が一人。僕の脇にしゃがむと、不思議そうに首を傾げる。
僕の肩を叩いたその人物は、柔らかそうな黄色の丸い髪で幼い顔を包んだ可愛らしい少女だった。
「えっと……」
「だれ?」「どうしてここにいるの?」「親は?」続く言葉が渋滞を起こして喉に詰まった。
身体を起こすことも忘れたまま口をパクパクさせる僕に、少女が問いかける。
「どうして泣いてたの?」
「え…………」
少女の言葉に慌てて目を擦る。涙は出ていないけれど、頬を撫でるとうっすら筋が引かれているのが分かった。シャツの裾をたくし上げて顔を拭く。
涙の証拠を隠滅してから身体を起こした。そのまま動揺にふらつく足で立ち上がる。
少女も僕に合わせて腰を上げた。
フリルのついたワンピースを着こなした少女は、僕よりと同じくらいかさらに幼く見えた。高い方ではない僕の身長でも、彼女を見下ろす形になっている。
手ぶらなうえに靴もワンピースも土で汚れていない。汗もかかずに涼しい顔を向ける少女。森の真ん中であるはずなのに、「この辺に住んでいるのかな」なんて考えが浮かんだ。
「どうして泣いてたの?」
ふたたび少女が訊く。小さい声なのに頭の中に澄んで響いた。
「べつに――――――」
こぼれかけた否定を呑み込んだ。
恥ずかしい姿を見せたことに顔が紅潮する。今すぐに走り出したい。けれどこのままではいつまで経っても帰れないかもしれない。
「えっと……帰る道が分かんなくて……」
逃げ出したい衝動を抑えて俯きがちに白状した。耳たぶが熱をもってじんわりと熱い。目線だけで少女の様子をちらちら窺う。
少女は笑うも驚くもせずに少しの間黙り込んだ。
「どこ?」
「…………モルトゥルク」
少女の目が見開かれる。
少女はいきなり歩み寄って来たかと思えば、僕の腕をバシッと掴んだ。そして僕が来た道を反対側の手で指さすと、「こっち」と腕を引っ張った。
現在地はよく分からなくても、モルトゥルクまではまだ遠いことはなんとなく分かる。僕と同じかそれより幼い少女が長距離の道案内なんてできるはずがない、疑惑から足を止めた。
動かない僕に少女が頬を膨らませて不満を示す。あまりにもグイグイ引っ張るものだから、僕はやがて観念して彼女についていった。
少女は複雑な枝分かれのある自然歩道を迷うことなく進んでいく。抵抗する力が抜けた僕の腕はすでに解放されていた。ときおり躓く少女に肝を冷やしながらその小さな背中を追う。
やがて枝分かれが少なくなって、一本道の終わりに見知った城壁が見えた。
ほんとうにモルトゥルクに着いてしまった。
安堵の波が胸に押し寄せる。モルトゥルクの街から漏れる光が輝いていつもより見えた。
驚いている僕に笑みを向ける少女。「あれが恋しかったんでしょ」と言わんばかりにモルトゥルクの街を指さしている。
「ありがとう」
たどたどしく礼を述べて念願の街へ歩を進める。
ふと振り返ると少女はその場で佇んで僕の背中をただ眺めていた。てっきり彼女もモルトゥルクの子だと思っていたため、そうではないのかという驚きと、では何故モルトゥルクの場所を知っていたのかという疑問が湧き上がってきた。
疑問の答えを探すでもなくモルトゥルクへ向かう。
やがて森から離れて、振り返ってみると彼女の姿は見えなくなっていた。
街に到着して闘技場へ向かっていると僕の名前を呼ぶ声が聞こえた。緑色のバンダナを巻いた青年だった。僕は彼に抱えられるとギルドへ連れて行かれ、そこでお姉さんと合流した。お姉さんは僕を力強く抱きしめた。いなくなった僕をずっと捜していたらしい。
その後すぐに父さんたちが現れて僕の冒険は終わりを迎えた。次の日もモルトゥルクにいる予定だったけど、その日は一日中母さんと一緒にいた。やけに僕と手を繋ぎたがっていたのは気のせいだろう。
母さんと街を回っていたときにすれ違った冒険者は、僕の瞳にこれまでよりもずっと逞しく、魅力的に映った。その頃から僕の夢は「父さんみたいになる」から「父さんみたいな冒険者になる」へと変わっていったことを覚えている。
お姉さんたちの格好いい姿に胸を打たれ、真っ白な幼心を一色に彩ったあの日。僕の人生における一つ目の分岐点だ。
モルトゥルクから帰ったあと、父さんに「冒険者になりたい」と打ち明けると、さっそく冒険者の適性検査に連れて行かれた。そこで僕の適性はお姉さんと同じ『魔法使い』であること、魔法使いにしては潜在魔力が少ないことを知った。当時は魔力の有り無しよりも『魔法使い』になれるということを喜んだ。
ねだる僕に父さんは魔法杖を買ってくれた。子ども用ではない本格的なものだ。自然好きの母さんの提案で花の模様が施されている。花は別に興味なかったけれど、毎日顔を合わせているとすぐに愛着が湧いた。
あと元魔法使いの母さんから閃撃魔法を教わった。初めは魔力を外に放出するだけで精一杯だったけど、訓練を重ねるにつれ細いながら光の線を飛ばすことができるようになった。
「次モルトゥルクを訪れるときはまたあの泉に行こう。今度はみっともないところじゃなくて魔法を見せつけて驚かせてやる」と来年の訪問を夢見て一人で意気込んでいた。
六歳になった僕は一つ歳を重ねただけなのに身長は伸び、あの日の孤独に震えていた自分と決別したような、そんな気になっていた。
そして一年ぶりに訪れた夏に、僕はふたたび両親とモルトゥルクへ足を運ぶことになる。
* * *
母さんからモルトゥルク周辺の地図を借りる。僕が入った森の真ん中に赤い印がつけられていて『秘守の泉』と小さく書いてあった。位置的にもそこで間違いない。地図を持っていくと母さんにバレるので道順を必死に頭に叩き込んだ。
冒険者を志したことで少しばかり逞しくなった僕に、父さんは一人行動を許可した。母さんは反対していたようだけど、あまり遠くへは行かないという約束のもと渋々うなずいてくれた。モルトゥルクを訪れるのが最後になるかもしれないと父さんから聞かされたことも、単独行動を許した理由の一つだったのかも。
こうして僕は父さんたちから離れ、一人で門を通って外壁の外へ出ると、もう一度あの森へ足を踏み入れた。
前日に記憶した道順を頭の中で反芻する。景色の変わらない森の中で、頼りとなる目印は分岐した細道のみ。帰り道を忘れないように、歩道へ飛び出た枝木を折りながら進んだ。
手には買ってもらった魔法杖を抱えている。六歳の僕の背丈よりも遙かに大きいため、両手で持たないとすぐ腕がパンパンになる。
(たしか、このあたり…………あった!)
太陽の光に照らされた空間を木々の隙間から確認した。魔法杖を肩に担ぎ、急ぎ足で差し込む光へと向かう。
あの幻想的な泉は一年前と同じ姿で僕を歓迎していた。
小鳥がほとりに群がり泉の水を飲んでいる。くちばしで水面をつつくたび、小さな波紋がゆらゆら広がる。心が乱れていないせいか以前より光輝いているように見える。眩しいほどに懐かしい光景に一歩、また一歩泉に近づいた。
澄み渡った水面を覗き込む。冷たい風が頬を優しく撫でる。
水面にはまだ幼い少年の顔が陽射しに照らされて映っていた。僕が微笑むと少年が微笑み、僕がふっと息を吹きかけると、その顔は波打って歪んだ。
小鳥たちと並ぶようにして泉のほとりに座って、ぼんやりと水面に映る青空を眺めた。爽やかなに吹き付ける微風が落ち着く緑の匂いを運んでくる。まるで初めからここが僕の居場所であったかのように穏やかで安らかな気分だ。
もうここに来た目的すらも忘れて、小鳥たちのさえずりが奏でる音色に意識を託す。気がつけば足を畳んで座った状態から横に身体を転がして、心地良い重みに沈んでいくように眠りに落ちていた。
夢の中にいるみたいなフワフワした感覚。柔らかい香りに包まれながらどこか遠い空を彷徨っているよう。
(…………)
(…………ん)
(…………んん?)
まどろみに沈む意識が徐々に現実味を帯びてくる。
鼻先あたりがムズムズする。何かに触られている感触が僕を覚醒させる。
ゆったりと重い瞼を開いた。飛び込んでくる光が眩しくて目を細める。
ふと降りかかる日光が影に遮られた。ふたたび感じる鼻先あたりのくすぐったい感覚。僕の鼻をしきりにツンツンと指で押し込んでいる小さな手が視界に入った。
すぐ傍にはスカートを折り曲げてしゃがんでいる誰かの白い足。
視線を持ち上げると僕を見つめる一年前の少女がそこにはいた。
僕と目が合うと彼女が可愛らしい笑みを浮かべる。
(やっと会えた……)
一年越しの再会がここまで嬉しいだなんて知らなかった。目の前の笑顔につられるように、僕はぎこちない笑みを彼女に向けた。
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