モルトゥルク編 第五十四話 泉のほとり
リィナお姉さんたちのあとを追って出掛けたことを僕は早々に後悔していた。
街を飛び出し森の中に入ったところまではワクワクが止まらなかった。しかし自然歩道を進むにつれて自分の体力のなさを自覚することになった。
歩道といえども舗装はされていない自然の道。浮き出た木の根や岩肌に何度も足をとられた。五歳の小さい身体では少しの傾斜でも、後ろに転がり落ちそうになる。
加えて僕はリィナお姉さんたちを尾行している身。三人の歩くペースに合わせて早歩きになり、突然立ち止まられたら茂みに飛び込んで隠れる必要があるのだ。細かく分岐する細道に彼女たちを何度も見失いそうになった。
季節はすでに初夏を過ぎており、晒した肌を照りつける陽射しが焼いていた。草木の湿った匂いが濃く鼻を突く。生い茂った緑が半ズボンから伸びた両足をくすぐっている。
薄手のシャツが汗に濡れて背中に張り付いている。不快感と疲労感から身体をよじりながら歩いた。ときどき木漏れ日がちらちらと揺れるが、涼しい風が運ばれてくる気配はない。
僕の少し先を進む三人は楽しそうに笑顔を送り合っている。今すぐにでも存在を明かしてあの会話に飛び込みたかった。だけど怒られるのが怖くて、臆病な僕は膜が張った耳で曖昧な話し声を聞きながら、ただ黙ってまだ知らぬ目的地を目指した。
ようやく見えてきた森の出口にホッと胸を撫で下ろす。
たぶん掛かった時間はわずか三十分ほど。けれど幼い僕には一日中歩いたような、経験したことのない疲労を感じていた。足が棒みたいに固く、胸の奥の倦怠感が呼吸のたび頭をふらつかせる。
「地図によるとこの辺りなんだけど……」
「ほんとうに合ってるのか? その地図」
三人が立ち止まったことで森の出口に佇む大木の陰に身を隠した。
クエストの場所にたどり着いたんだ。ついにリィナお姉さんたちが戦う姿を見ることができると心が躍る。
三人の前には急な斜面を構えた高山がそびえていた。斜面には岩肌が目立ち、僕らの正面は壁のような崖がそそり立っている。
また登るのではないかと怯える僕に気づくことなく、三人が荷物を下ろし始めた。
「解除」
リィナお姉さんの広げた片手に紫色に輝く杖が握られた。ちょうどクロンが悪魔戦で僕に貸してくれた魔法杖のような見た目だった気がする。
彼女はその崖面に魔法杖を突き出すように構えた。
(なにをするんだろう……?)
彼女の動きに釘付けになっていた僕の視界が突如真っ白に染まった。暗い室内から太陽が照らす屋外に出たときみたいな眩しさに目を閉じる。
次に目を開けたとき、リィナお姉さんはもう杖を下ろしていた。彼女の目の前には粉砕された崖面と、その先にぽっかりと空いた空洞が出現している。
「やっぱりそうだ。塞がれてたんだよ」
涼しい顔をしてリィナお姉さんが、ぽっかりと口を開けた青年二人に告げる。聖剣を持った青年が何か彼女に言葉を掛ける。それを聞いた彼女は魔法杖でぽかっとその青年を小突いた。
(あれが冒険者……!)
父さんも母さんも僕が生まれる前に冒険者業を引退している。だから現役の冒険者の魔法を見たのは初めてだった。母さんが手のひらから水を生成する様子を、目を輝かせて見つめていた自分が可愛らしく思えてくる。
リィナお姉さんたちは転がった岩を避けながら、現れた洞穴に入っていった。青年は聖剣を腰から引き抜いており、バンダナの青年も小刀のような武器を二本両手に据えている。
僕はどうしようか迷ったのち、リィナお姉さんたちが出てくるのを待つことにした。洞穴の中に入るとリィナお姉さんたちの迷惑になる気がしたのだ。結果としてこの決断は我が身を守ることになる。
(つかれた…………)
木陰に腰を下ろして痺れた足を解放する。筋肉が緩み血流が正常へと戻っていく。座った柔らかい土の中に疲労がじんわりと溶けていくようだった。
どっと溜まった疲れを癒やそうと寝転がったとき、突然身体が大きく震えだした。
別に僕が震わせているわけではない、僕を支える大地そのものが生き物みたいに暴れ出したのだ。何事かと飛び起きる。
グアォォォォ!!
鼓膜をつんざくような咆哮が響き渡った。どうやらリィナお姉さんたちが入っていった洞穴から聞こえているようだった。
咆哮に重なって聞こえる打撃音と何かがせわしなく暴れる足音。昨日闘技場で聞いていた鋼がぶつかる音も鳴っている。
(お姉さんたちだいじょうぶかな…………)
洞穴に入っていった三人が心配で、僕は耳を塞ぎたくなる両手でシャツの裾を握りしめた。
しばらくして戦闘音が途切れた。
急ぎ足で洞穴の出口に近づいてくる足音がして胸を撫で下ろす。それから目立たないように、歩道から逸れた丈の長い草むらに飛び込んだ。
「もう大丈夫だからね」
優しく語り掛けるリィナお姉さんの声にそっと顔を覗かせる。
バンダナの青年に抱えられて一人の少女がそこにはいた。顔は青ざめて頬がこけてる。リィナお姉さんの言葉にうなずく少女は、まだ現実を受け入れられていないといった様子で虚ろな目線を彷徨わせていた。
あとから知ったが、彼女たちのパーティーが受けたクエストは凶暴な野獣の討伐だった。野獣の住処へ奇襲を仕掛けたところ、野獣の住処に連れて行かれた少女を発見したらしい。あの少女も数日前から行方不明者として捜索願が出されていた。
凶暴な野獣、その住処へ出向いた討伐など今の僕らですらクロン抜きでは難しい。リィナお姉さんたちは想像以上に経験豊富な実力者だったのだろう。
「いくよ」
「おう」
「転送魔法」
三人と少女が淡い光に包まれる。地面から浮き上がってきた輪っかが四人を囲んで眩い閃光へと変わっていく。
リィナお姉さんが唱えた聞いたことあるような台詞。僕は別の魔法が見えるのかとドキドキしながら様子を窺っていた。
しかし――――――――光が晴れたそこには四人の姿はどこにも見当たらなかった。
慌てて茂みから飛び出す。リィナお姉さんたちが立っていた場所まで走ると周りを見渡した。
さっきまでリィナお姉さんたちが入っていた洞穴に、僕らが歩いてきた森。遠くを見渡そうにもすぐに樹木の列が邪魔をする。
「お姉さーん!!」
見つかることを承知で叫んだ。しかし返事は返ってこない。代わりに崖面にぶつかって跳ね返った自分の震えた声がこだましていた。
ここで僕はさっきの魔法が、モルトゥルクに来るために母さんが使った魔法であると気づいた。遠く離れたモルトゥルクまで一瞬で移動できるあの魔法。
つまりリィナお姉さんは少女をすぐモルトゥルクに帰すために、さっきの魔法を使ったということになる。
(おいて行かれちゃった…………)
結論が出たことで置かれた状況を理解した。
細かく刻まれた呼吸が木々の揺らめく音に掻き消される。指先が震えるのを必死に堪えた。これでは胸を埋める恐怖も孤独も慰めることなんてできないと分かっていながら。
(そうだ! きた道をもどればいんだ!)
心ではそう言ってみるものの、複雑に分岐した道を正確にたどれる自信なんてなかった。
けれどもやってみないと分からない。僕はすぐに森へ戻ると来た道を引き返し始めた。
変わらない景色に積もる疲労と焦燥。周囲の緑は一段と深みを増して、僕をさらに深層に呑み込んでいく。足元の枝木が乾いた音を立てるたびに振り返っては、誰もいない空間に溜息を落とした。
すでに道を間違えたことを悟っていた。しかしどこまで戻ればいいのか、そもそも来た道すらも曖昧で、とにかくどこか別の出口を祈って進むしかなかった。
(ちょっと休けいしないと…………だいじょうぶ、ぜったい帰れる!)
気持ちを振るい立たせつつ、近くの樹木に身体を預けたそのとき、木々の隙間から光の差し込む空間が見えた。幻覚かと瞬きを繰り返す。しかし何度目を凝らしてもそこだけ光輝いている。
もしかしたら出口があるのかもしれない、と重い身体を奮い立たせてその空間を目指した。さいわいにも、僕が進んでいる道の先が目的地であるようだった。
パッと視界が開ける。
「うわぁ……!」
飛び込んできた光景に目を丸くした。
時間が止まったみたいな静かな空間だった。背の高い木々が緑のカーテンを、円を描くように引いている。丈の短い緑が空いた地面を埋め尽くす。
そして円形の空間の中央、空の青が浮かび上がっているみたいに、鏡のような澄み渡った"泉"が陽の光を反射させて輝いていた。
風が吹くたび水面に浮かんだ金や緑の光がゆらゆら揺れる。柔らかな木漏れ日が泉のほとりに細い線を何本も伸ばし、主役を引き立てるライトの役割を担っていた。
泉に導かれるように幻想的な空間に一歩足を踏み入れる。途端全身にのしかかっていた疲労が姿を隠した。たぶん僕が勝手にそう思い込んだだけだけど、ほんとうに身体が軽くなったのだ。
身軽なステップで泉に近寄り、落ちないよう慎重に水面を覗いた。煌めく清水に混ざって見知った顔と目が合う。
――――――――――――その少年は泣いていた。
上空に見える澄んだ空と同じ色の髪をもった少年。彼は黄色い瞳を真っ赤に腫らして、頬には水滴が通った筋が何本も残っている。
(そっか……ぼく…………)
突然孤独感が襲ってきてその場に座り込んだ。緊張の糸がぷつりと切れたみたいに、これまで堪えていた、堪えていたつもりになっていた弱音が胸の中になだれ込んできたのだ。
これからどうすればいいのか、自分はどうなるのか、湧き上がる不安が喉から溢れ、脆くなった心にのしかかる。
膝を畳んで両腕で抱え、丸くなって太ももに顔をうずめた。もう帰り道を探す気力も街へ帰る希望も、すっからかんになくなっている。どうすることもできないまま、僕は泉とともに日の傾きに身を委ねた。
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