モルトゥルク編 第五十二話 僕の大切
「来ないで!!」
彼に向かって絶叫する。尻を引きずるように後ずさりながら、手探りで周りに散らばった小さな瓦礫を拾い上げる。それを彼に投げつけた。
元の形も分からない割れた木片はクルクル回りながら飛んでいき、彼の胴に当たって落ちた。
「魔獣に食われるってものすごく痛いらしいんだ。だからソラ、抵抗しないで」
彼の言葉を無視して何度も残骸を投げつけた。彼は僕の投擲物を避けようとしない。哀れみの目線で最後の抵抗を受け入れるみたいに僕を見下している。彼がその気になれば僕なんてどうにでもなるだろう。
無駄な抵抗だと分かっていながら、何か投げられる物はないかと捜している内に、エルティナに貰ったあるものの存在を思い出した。
"あれ"を使えばもしかしたら…………
手探りの手に瓦礫に混ざった金属片が突き刺さった。痛みに悶えながら金属片を拾い上げて投げつける。鋭利な断面が鏡みたいに僕らを反射していた。
彼が魔法杖を構えた。
「防御魔法」彼が唱えると同時に半透明な青白い光の膜が出現した。顔ぐらいのサイズしかない小型の防御魔法。僕の投げつけた金属片はその膜に簡単に弾かれた。
延命にも繋がらないような惨めで哀れな最後の抵抗、そう彼に思わせるんだ。
「ソラくん!!」
倒壊した家屋の中からエルティナが姿を見せた。僕に駆け寄ろうとした彼女を追うように、聖獣が瓦礫を吹き飛ばして現れる。
その聖獣の奥、倒壊した家屋のさらに先で、突如、高々と天まで続く竜巻が発生した。黒煙に満たされた空が、竜巻の周囲だけ粉塵舞い散る嵐のような荒ぶりを見せている。遠く離れたこちらにも瓦礫を巻き込む激しい音が聞こえてきた。
街の外へと続く門付近で渦を巻くその竜巻に、僕は心当たりがあった。
エリサ…………?
「風操魔法か。厄介だね、早めに始末しないと」
彼がボソッと誰に言うでもなく一人でつぶやく。
始末…………?
彼にとっては何気ない一言だったのかもしれない。けれど僕にとってすれば、それは聞き逃すことのできない言葉だった。
エリサに手出しをする…………? エリサが、あの子が傷つく…………?
――――――――――誰よりも大切にしたい人が狙われている。
視界が真っ赤に染まった。いやそんな感じがしただけだ。胸の奥にできた火種が獄炎となって全身を尽き抜ける感覚。
胸を刃物で斬りつけられたように、湧き上がる激情が神経を締めつけて、耐え難い痛みとして僕の中に広がっていく。
彼を許さないという思いは、高ぶった激情を冷酷に鎮め、戦場に残された僕の判断を急がせた。
一瞬だけ覚えた殺意を原動力とし、間違いの許されない決断を下す。
彼がエリサに気を取られ、僕から目線を切ったその一瞬、そこを決して逃さない。
瓦礫を探る手を懐に忍ばせた。取り出した二つの"石"のうち、片方を右手に据える。そしてもう片方を左手と魔法杖の間に挟んだ。
彼がふたたび僕を捉える。さっきと同じ所作で瓦礫を一瞥もせずに掴む振りをした。
そして拾ったと見せかけた一つ目の"石"を彼に向けて投げつけた。
何度目かも分からない、ただの悪あがき。防御魔法を使う必要もないほどゆっくり飛んでくる物体に彼が溜息を漏らす。
埃を払うみたいに手を振った彼が、突然目を見開いた。「クッ」という短い言葉を上げて、一歩僕から後ずさる。それから彼は素早い動きで魔法杖を突き出すと
「防御魔法!!」
そう叫んだ。
僕と彼との間に巨大な光の膜が出現する。さっき彼が使っていたものとは違う、今度は背後以外の四方向を頭から足先まで完全に覆っていた。
気づかれた…………だけど構わない。
魔法杖と左手の間に挟んだ二つ目の石を握りしめる。冷水が身体の中を駆け巡るみたいに冷ややかな感触が手のひらを通じて流れてくる。倦怠感が徐々に薄れ視界が鮮明になっていく。
初めて使ったけれど、すごいな、これ。
「浮遊魔法」
彼に聞こえないぐらいの声量で静かに唱える。
刹那、鳴り響く爆発音とともに閃光が視界を焼き尽くした。直に吹きつける熱風に肌がピリピリと痛みが広がる。耳鳴りの中、上がる黒煙と焦げた空気の匂いに息が詰まった。
一つ目の石、"魔石"が爆発したのだ。
そして浮遊魔法で重力を無視した僕の身体は、すでに爆風で後方の空へと飛ばされていた。
爆風に乗るために衝撃を全身で受け止めたせいで、間近で熱風を大量に浴びるかたちとなった。特に露出している顔が熱を帯びて紅潮しているのが分かる。
彼の怒声が聞こえてきた。耳鳴りのせいで何を言っているか聞きとれないけど、黒煙の隙間から覗いた彼の眼光は怪我をしそうなほど鋭かった。
「逃がすな! キュルシニィ!!」
今度ははっきりと彼の叫び声が聞こえた。
上空を旋回していたキュルシニィが一度高度を下げ、真白の翼をはためかせて迫る。尖ったくちばしに鋭い趾。どちらに捕まっても僕の命はない。
できるだけ引きつけるんだ。やつが僕を捉えたと確信して、飛行を直線的な猛進へと移すその瞬間まで。
空中で自由の効かない手足を捻って姿勢を整える。
空気抵抗によって徐々に上昇と加速が落ち着いてきた。代わりにキュルシニィとの距離が一気に狭まる。間近で見るキュルシニィは美しさよりも、その凶暴な性分が際立っていた。
やつが趾を大きく開いた。捕獲体制に入ったのだ。
真っ赤な双眸で睨むやつの巨躯が僕にぶつかるまさにその瞬間、
「閃撃魔法!!」
流れる身体の方向に向け、閃撃魔法を放った。
魔法の衝撃によって、来た道を辿るようにして強引に地上へ引き戻される。掛かる負荷の方向が反転したことで、体内器官が揺さぶられる。全身を引き裂かれるような衝撃と、逆再生する景色に吐き気が込み上げた。
だけど意識だけはキュルシニィを離さないよう堪える。
衝突寸前のやつの趾をギリギリで躱す。飛ばされそうな風圧を発生させる巨大な翼、その一部に僕は手を伸ばした。
交差するタイミングで触れるキュルシニィの羽根。柔らかいのに肌に刺すような鋭いものを感じる。
魔法杖を強く握りしめる。熱を帯びた杖に魔力の流れを感じながら
「譲渡魔法『爆発魔法』」
キュルシニィに魔法を掛けた。
僕を通り過ぎ飛んでいく白鳥の背中を、地上へ戻る帰路中に眺める。勢いをつけたことで、躱されてからもしばらく止まれずに上昇を続けるキュルシニィ、その位置を確認し続ける。
建ち並ぶ家屋から離れ、ブレーキを掛けるキュルシニィが最高地点に達した。
今だ!!
「強制発動! 『爆発魔法』!」
キュルシニィが鋭くも透明な声を響かせた瞬間、その身を業火が包んだ。爆発源も分からぬままにやつの巨躯が弾け飛ぶ。細かな肉片が焼き焦げ、真白の翼は灯火しながらヒラヒラ舞い落ち、地面につく前に燃え尽きていた。
人生二度目である『爆発魔法』の強制発動。その破壊力は僕の身に余るくらい強力で絶対的だ。
迫る地上にエルティナの姿を見る。聖獣と彼の間ほど、建ち並ぶ家屋に肩を寄せるように立っていた。顔を強張らせて口をパクパクさせている。瞳に映っているのは業火と黒煙の中に呑み込まれたキュルシニィ。
驚かせてしまったみたいだ。
キュルシニィの爆発に気を取られている二人と一匹を空中から見下ろす。彼と聖獣を繋ぐ一本線上からエルティナはわずか数歩外れていた。
エルティナと同時に放った閃撃魔法で聖獣を攻撃した際、たしかにダメージが通った。そしてすぐに聖獣の額に埋まった宝石の輝きが少しだけ強くなった。
あの宝石こそが聖獣の核だとしたら――――――――――――あそこを壊せば倒せるんじゃないか。
魔法杖を右手に戻す。左手に握り直した二つ目の石、魔力の結晶である"魔晶石"はいまだ熱を帯びて輝いている。魔力の貯蔵は十分らしい。
どのみち今回の攻撃が失敗したら終わりなんだ。出し惜しみなんてせずにとことん贅沢に使おうじゃないか。
「ふざけるな!!」
彼がキュルシニィから視線を外し、僕を睨み付ける。しかし
「な…………!?」
着地を済ませた僕はすでに彼に向け魔法杖を構えていた。杖の先から漏れる純白の光。彼の目が見開かれる。
大丈夫、狙いは彼じゃない。
「宝石を狙って!!」
エルティナに叫んだ。
察しの良い彼女は魔法杖を聖獣に構えると、一切の躊躇いを見せずに「閃撃魔法!」と唱えた。
純白の光が飛んでいく。細くて鋭い彼女の魔法は、吸い込まれるように聖獣の宝石に命中した。
聖獣が逃げる前に僕も続く。
普段の感覚とはまた違う。体内に散らばった魔力を一つの導線上に乗せて運ぶのではない。魔晶石と魔法杖を繋ぐための媒介をするだけ。手のひらを通して伝わる魔力の熱とエネルギー、そのすべてを魔法杖に送り込む。
高純度の魔力に触れたことで酔ったみたいに頭に靄がかかる。感じたことのない手応えに、場違いな胸の高鳴りを覚えずにはいられないかった。
「閃撃魔法!!」
ああ…………やっぱり魔晶石ってすごいな…………
放った魔法の大きさに驚く日が来るなんて思いもしなかった。僕にとってそれは最も無縁でそうそうに諦めた世界だったから。
僕の身体ほどもある純白の塊が空中に一本の線を描き、僕と聖獣を強烈な煌めきで繋ぐ。大気の悲鳴が聞こえてきそうなほどの威力だ。
軌道上に巻き込まれた彼が横に大きく跳んだ。飛んでくる光線から身体を離脱させる。
閃撃魔法はやがて聖獣の獣毛で覆われた顔面に直撃する。光に覆われて聖獣が目を瞑る。
宝石を狙った僕の攻撃。外したのではない、聖獣を襲った光の結晶は宝石を含めた顔面すべてを覆い尽くしてしまったのだ。
巨大な光の柱が宙に浮いているよう。反動で飛ばされそうになる身体を何とか踏ん張って、この現実離れした魔法に呆然とした。
一日の魔力を補ったり、巨大魔法を放つ補助をするための道具を閃撃魔法にまるまる使った結果だった。
なんとかこれで倒してくれ、願いのすべてを杖に込める。
しかし――――――――――――僕の願いはその後すぐかき消えた。
聖獣が一歩足を前へ進めた瞬間を僕は見た。初めは見間違いかと思った。けれどまた一歩、もう一歩。二本の閃撃魔法をその身に受けながらゆっくりとこちらに歩いてきている。光に照らされた影が揺れ動く。
聖獣が目を開けた。魔法に覆われていて分からないけど、その鋭い眼光だけははっきりとこちらまで届いていた。
魔晶石を使った閃撃魔法なのに…………威力は普段の数倍はあるはずなのに…………
信じられない。こんなこと……こんな無茶苦茶なことなんて…………
「もう、諦めな」
彼の声が耳に響く。弱音を吐きかけた僕には直接痛いくらいに染みた。
諦めるなんて………………僕はできない。
そんなことしたらエリサが狙われる。エリサが更なる危険に晒される。彼女の可憐な顔が恐怖や苦しみで歪む。
死が怖くないなんて言わない。ただエリサが傷つくことのほうが怖い。僕の知らないところで彼女が苦しむなんて我慢できないんだ。
それに僕が死ねば、きっと彼女は悲しんでくれる。ありがたいことだけど、僕は彼女に悲しんでほしくない。
初めてできた仲間で僕の中の支えだった。支えになりたい、そう思っていたけど彼女は常に僕の前にいた。
引こうと繋いだ手に逆に引っ張られ続けている僕は、守ると決めた彼女の背中ばかりを眺めていた。
エリサを見るたびに僕は曖昧になった記憶の中の"彼女"を思い出す。エリサの逞しさを知るたびに、僕の中の"彼女"が白銀の髪をなびかせる。魔法杖を構える"彼女"に覚えた憧れが蘇る。
エリサを強く想ったからか、走馬灯なのかは分からないけど、時を過ごして薄れていた過去が徐々にその形を思い出す。
夢のように曖昧で、魅力的で、どんなお話よりも美しい僕の過去。僕の原点にして幼少期の僕を彩ったかけがえのない思い出。
僕が冒険者を志すようになった日。
僕が初めて恋をした日。
僕が魔力切れを恐れるようになった日。
そして――――――――――――――――――僕が譲渡魔法を覚えた日。
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