モルトゥルク編 第五十一話 僕らのラストバトル
「どういうことですか……」
投げかけられた言葉を咀嚼しきれずに訊き返した。
「そのままの意味。俺は操られていた魔獣を洗脳魔法で上書きして操っていただけ。それも手中にいる魔獣は数匹だけだよ。こんな規模で操れるほど俺も洗脳魔法も優秀じゃない」
「魔獣が操られていた……? そんな、誰が……」
「魔族だろうね。『魔獣使い』ってやつ」
動悸が胸を騒がせる。
魔獣…………
あの規格外の存在がモルトゥルクにいるのか。それも大量の魔獣を従えて。
信じられないし、信じたくなかった。けれどそれと同時に魔獣テロなんて魔族以外できないと納得もしてしまう。
「魔族と組むなんて――――――この街で育ったんじゃないの!」
「勘違いしないでほしいんだけど、俺は別に魔族と共犯関係にはないよ。ただテロに勝手に乗っかっただけ」
降りかかる火の粉を払うみたいにエルティナの非難にかぶりを振る。
「このテロを知っていたってことですか?」
「たまたま気づいたんだ。水路に毒が流されていると知ったおかげで、おおかたテロの方法も予想できた」
いつも欄干から水路を眺めていたハノークだからこそ、違和感にいち早く気づくことができたのだろうか。
僕が欄干に上るのを止めた理由はやっぱり水路の毒を知っていたから。優しさか気まぐれか分からないけど、僕は彼に救われたわけだ。
魔討士団を恨んでいると彼は言った。テロの首謀者ではないとすれば彼の行動にも説明がつく。彼が操る魔獣は決して民間人を襲わない。それも可能な限り救いの手を差し伸べている。
ただし民間人を巻き込まないことを第一目標とはしていない。あくまで犯行以外で無駄な死を望んでいないだけ。必要な死は受け入れ、魔討士団の殲滅を達成目標としている。
「そこまで分かっていたのなら、この街を助けることだって…………」
分かっていた。ハノークにこんなことを言っても無駄だということぐらい。
けれど悔しいんだ。被害を抑える方法がこんなにたくさん散らばっていたのに、まるで何も対策できなかった。そんな現実をいざ目の前にして、胸をつく苦い感情に唇を噛むことしかできない。
握りしめた魔法杖の軋んで音を鳴らした。
「テロの首謀者はきっと十五年前の魔獣使い」
ハノークが低い声を出す。
「親父たちを殺した"本当の"犯人だ」
「本当の、犯人…………」
彼は十五年前の事件の犯人は魔討士団ではなく、魔族だということを理性的に理解している。理解した上で魔討士団への復讐を決断したのだ。
彼が魔討士団から負わされた心傷を軽視する気はないけれど、主犯がこの街にいるならその矛先は魔族に向けられるべきじゃないのか。
「なら! 僕たちと一緒にその魔獣使いを倒しましょうよ。ハノークさんが復讐するべき相手は絶対そっちです」
「分かってる!! そんなことぐらい!!」
ハノークが叫んだ。
悲しみに満ちた彼の双眸は、こころなしか助けを求めているように見えた。
「だけどダメなんだ……あの日のことを思い出すたびに、俺を見捨てた魔討士団の顔が小さな俺を嘲笑っている。俺にとっては親父たちを殺した犯人なんかより、助けられたはずの命に背を向けたあいつらの方が、ずっと憎いんだ…………」
喉を詰まらせながら苦しそうにハノークが言う。
彼の悲しみを、怒りを理解した。それは幼い子どもが背負うには重すぎる運命だった。だからこそ、降りかかった災難によって捻じ曲げられた、歪んだ思想は、僕の尺度で推し量るのは不可能だと悟った。
僕たちが浴びて育った光の色はあまりにも違っていた。
「あなたのお父さんは復讐なんて――――」
「親父のためにやっているんじゃない。これは俺の復讐だ」
苦し紛れのエルティナの言葉を遮って、ハノークが口調を戻す。ふたたび鋭く残酷な瞳には単純な殺意しか残されていなかった。
彼を説得するのは無理だ。もう彼の目に僕らなんて映っていない。
紅に輝く瞳に揺れる炎は僕らを呑み込んだことすら気づかないまま燃え続けている。
聖獣が静寂を切り裂くように足を踏みならした。一歩退けた身体に冷たい感触が当たり、自分たちが追い詰められていることを実感する。
エルティナの位置を横目で確認して、魔法杖に魔力を込め直す。懐に忍ばせた道具の位置を相手に悟られないよう確認した。
来る…………!
眼前に粉塵が舞う。巨大な一歩を踏み出して、聖獣が巨躯を揺らして突貫を開始した。
近づかれたら負け。相手は攻撃の通らない魔獣と、一時的にマラビィに本気を出させた実力者。どう見ても不利な戦いだけど、一縷の望みだけは捨てない。
勝ちとまではいかなくても引き分けには持ちこめる。僕らが生きて逃げ切ることができさえすれば。
――――――――僕らは最後の戦闘を開始した。
「閃撃魔法!」
閃撃魔法を聖獣のすぐ傍、家屋に刺さらない程度の角度で放った。
横に逸れた光の線に聖獣が興味をなくした瞬間をついて、魔法杖を水平に一振りする。光線が聖獣を横から襲った。
さっきの攻撃で学習したのか聖獣は避けようとしない。淡黄色の獣毛を這う魔法が、聖獣に軽い焦げ跡を描きながら通り過ぎる。瞬き一つで僕の一閃を受け止めた。
隣のハノークは軽やかに飛び上がり魔法を難なく躱した。標的を仕留め損ねた光の線は、家屋にぶつかる前に消滅する。
「エルティナさん!」
ハノークを空中へ誘い出し、彼の体勢が崩れた一瞬をついて、エルティナに浮遊魔法を『譲渡』する。
「浮き上がって壁を蹴って」彼女の手をとり指示を飛ばした。彼女の反応を確かめるより先に地を蹴って浮遊する。僕に引っ張られるような形でエルティナも地を蹴った。脚力の差で僕の方が上へ引っ張られている。
「せーのっ!」
息を合わせて僕らを取り囲んでいた外壁につけた両足を伸ばした。硬い感触に力を込めて身体を空の旅へ飛ばす。空中を滑るように移動する。
眼下には聖獣とハノークの姿。この高度を維持したまま閃撃魔法で移動するのは厳しい。ならばハノークたちを飛び越えてから、さっきと同じ要領で逃げればいい。勝たなくていいんだ、ただ生きてさえいれば。
握っていたエルティナの手がほどける感触がした。握り直そうと振った手がどこにも触れずに宙を斬る。
ほのかに感じる体温だけ残して消えた彼女の行方を捜そうと視線を動かしたとき、数秒遅れで聞こえてきたのは
――――――――エルティナの悲鳴を掻き消すぐらい大きな鳥の鳴き声。
巨大な影が日光を遮るように羽ばたく。チカチカ点滅する太陽光に目を細めた先にいたのは、白い翼をはためかせた魔獣、キュルシニィだった。その趾にカッチリ挟まったエルティナの姿。
どうしよう、キュルシニィに攫われた!
慌てながら聖獣とエルティナ、キュルシニィを順番に目で追った。地面に引き寄せられるようにどんどん落ちていく僕の身体。
エルティナを助けないと。でもどうやって? 閃撃魔法を放てば僕の身体は聖獣の待つ地面へ急降下する。かといてキュルシニィに近づくことなんて――――
戦場においてよそ見は厳禁。見えていたはずのものが途端認識できなくなるから。そしてそれはこの場においても同じだった。
「ぐぁっ!!」
鈍い衝撃が腹に炸裂し、一瞬で全身の力が抜けた。必死に吸い込もうとする息が詰まった喉に絡まって、か細いうめき声だけが反芻される。胃酸が食道を伝ってせり上がってくる感覚がする。
――――――――僕は跳び上がったハノークの蹴りを受けて、背中から灰の地面へ激突していた。
今度は全身に走る鋭い激痛。いたる肌が内側から弾け破れるような痺れと痛み。取り込んだ空気が肺を刺激し電流が臓物すべてに駆け巡る。痙攣した手足はどこに触れるでもなく、ただありもしない虚を掴もうと必死にバタついていた。
「逃がさないよ」
痛い、苦しい……視界がぼやける。意識が虚ろになっている。
聖獣の咆哮が近くで聞こえる気がする。重い足音が鳴り響くと地面に接した背から震えが伝わってくる。
天を仰いだ僕の視界の端に映った明るい影。鋼色の爪を鳴らし大地を揺らす巨体が迫ってきていた。
力を入れ踏ん張ろうとする手足が滑る。
「ソラくん!」
エルティナの声が降ってきた。
――――――――そう、"降ってきた"のだ。
自然光を反射した鋼を手に、エルティナが聖獣の頭上へ向けて落ちてくる。鞘から引き抜かれた聖剣を両手で逆さに握り、老人が杖に身体をあずけるみたいに、柄頭に自身の腹部を押し当てている。
高所から彼女の重量をもって落ちてきた聖剣は、その刀身を弓矢のように震わせて聖獣の頭部に食い込んだ。衝撃が返ってきたのかエルティナが「ぐぇっ!」と嗚咽を漏らす。
厚い皮膚に阻まれてか聖獣の頭頂から血は噴き出してこない。代わりに虫を嫌がるみたいに頭をグワングワン揺らしてエルティナを振り落とそうとした。
エルティナを視界に捉え、淀んでいた視界が徐々に光を思い出す。
いつの間にか感覚が戻っていた上体を起こして後ずさった。足に力が入るようになるまでに聖獣と距離を取らないと。
ざらざらした地面をお尻を滑らせて移動する。
エルティナが落ちてきた上空を見上げると、キュルシニィが飛んでいるのが分かった。でも何かが変だ。
翼を覆う真白の羽根が一部欠けて見えた。光を反射してチカチカ輝く翼の中で、黒い斑点のように光を吸収している箇所がある。それが血痕であると遅れて気がついた。
「キャッ!」
短い悲鳴に視線を戻すと、エルティナが聖獣から振り落とされたところだった。
彼女は振り落とされる寸前に聖獣の頭を蹴り、近くの家屋の屋根に着地した。聖剣を屋根に突き刺し呼吸を整えている。
「あんな高いところから落ちて怪我すらしないなんて。恐ろしいね」
ハノークがエルティナへの独り言をつぶやきながら僕の方に歩いてくる。杖の先端を光らせて、転がる僕を見下しながら。
荒い呼吸にいまだ抜けない倦怠感。曖昧な意識を巡らせる僕は、目を逸らしていた事実が目前まで迫っていたことを悟る。
もう魔力がほとんど残っていないんだ。
軽い魔力切れからの地面への衝突。身を守ろうと無意識に僕の魔力が身体に纏わりついた。枯渇寸前で耐えていた魔力がそれで一気に発散したのだろう。
「魔力切れか…………よく頑張った方だよ」
ハノークの哀れみの目。これから死にゆく者に対する惜別みたいだ。
引きずることしかできない両足が鉛のように絡みついて僕を縛っている。魔力切れでもここまで動けないことなんて滅多にないのに。
「ソラくん――――キャッ!!」
エルティナの足場となっていた木造の家屋に聖獣が突っ込んだ。少し黒ずんだ壁は泥壁のようにあっさりと崩れ、聖獣の暴れる動きに合わせて建物が崩壊を始める。
家屋を形作っていたものたちの残骸にエルティナの姿が消えた。上がる砂埃をかき分けるように聖獣が彼女の元へ向かう。
キュルシニィの鳴き声が聞こえてくる。上空で旋回を続け、その真っ赤な双眸は僕のことを睨んでいた。
そうか、浮遊魔法で空から逃げさせないために――――
また足音が近づいてくる。
「来るな」そう心の中で叫ぶたび、耳の中に留まる音はより鮮明に響いた。拒んでも拒んでも止まらない、止まってくれない。
ハノークの手に握られた魔法杖が鋭利な刃物のように感じられる。
魔法を使わずともあの杖で胸を突かれた時点で僕は死ぬ。魔法よりもずっと直接的で直感的な死が迫っている。
いやだ、いやだ!! 何度も叫び続けた。
もう彼にハノークの顔を重ね合わせることはできなかった。今僕の目の前にいるのは別の誰か、たしかな殺意で僕を殺す冷酷な殺人鬼だ。
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