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モルトゥルク編 第五十話 盲目の恋

「あいつが……あいつが悪いんだ。僕は……何も悪くない……」


 何度も何度も言い聞かせるように繰り返す。緊張の糸と極限の興奮状態が彼をこの場に立たせていた。

 人生で初めて人を殺めた。しかも勇者パーティー所属の現役冒険者。背中に突き立てた短剣の感触、冒険者の装備を貫通し簡単に肉を切り裂いた自慢の獲物に乾いた笑いがでる。手元で漆黒に輝く"防御貫通の短剣(ピアンザ)"はところどころが鮮血で濡れていた。


 エルティナが下層へ向かうと飛び出したあたりから、纏っていた優等生の被り物が黒く濁った醜い塊に覆われていた。模範的な外面が隠していたもう一人の自分が、無視できないくらいの声量で囁いたのだ「ここしかない」と。


 魔獣の咆哮がいたるところから聞こえる。孤児院に近づくために利用した裏路地は倒壊した建物ですでに埋まっていた。中層地区へ帰るには表通りを通過する必要がある。

 ただ路地から顔だけを出して様子を窺うキルガレスの視界には、何体もの凶暴な魔獣がその牙を打ち鳴らしていた。


(はやく帰らないと……)


 募る焦りに防御貫通の短剣(ピアンザ)を強く握りしめた。

 殺人の覚悟を決めることと人生を諦めることは別物だ。キルガレスはエルティナのために事を起こした。約束された未来を望むために、自分が捕まってしまえば元も子もない。


『祭り当日は犯罪行為すべてが極刑になる』


 焦燥感から思考が絡まる。他の道を捜すという方法を放棄して、キルガレスは魔獣蔓延る表通りに魔獣がいなくなるタイミングをただ待っていた。


 ――――――背後に気配を感じたとき、キルガレスは反射的に表通りへ飛び出ていた。


 自分でも何が起こったのか分からなかった。慎重だったこれまでが嘘のよう。ただ生物としての本能が彼を動かしたのだ。

 飛び出たキルガレスの背後から魔獣が一匹顔を覗かせる。路地に残っていたら食い殺されていた、奇跡的に死を回避したことで鳥肌が全身に波打つ。


 もちろん、生き残る可能性があるというだけで、代わりに他のリスクを考慮していない荒れ地に踏み出す結果となっているのには変わらない。


「おい」


 中層地区へ戻ろうと進行方向を換えた先に一人の男性が立っていた。その威圧感は凶暴な魔獣のようで、思わず浮いた足を止める。

 

 男性の容姿をジッと見つめた。

 うねった緑色の短髪が野蛮な性格を思わせる。この事態だというのに黒い瞳には恐怖の色がまるで見えない。双眸から放たれる鋭い眼光に身震いをした。

 

 そしてなによりもキルガレスの目を引いたのは、男の首に巻き付く濃緑色の生き物。

 

 赤い舌を伸ばし粗そうな肌には茶色の丸い模様がポツポツと乗っている。首をマフラーのように覆って肩付近に尻尾を掛けるそいつの全長はおそらくキルガレスの身長に匹敵するほど。


(魔獣だ……!)


 魔道具店を扱っているおかげで野獣や魔獣にキルガレスは詳しかった。特に毒をもった生物の知識はポーション類の調達には必須だ。

 だからこそ目の前の生き物にも覚えがあった。

 

 蠱穣蛇(こじょうへび)


 いにしえに豊穣神や天候神として信仰されてきた獣。当時は魔獣の知識が浅く、そいつが厄災を振りまく魔獣だと判明したのはつい最近だ。

 

 そんな魔獣を連れている男。蠱穣蛇の瞳が赤く光っている。傀儡状態となった魔獣と男を見比べ、最悪の予想が当たっていたと勘づく。


(逃げなければ……)


 全身から冷ややかな汗が噴き出てくる。唾を飲み込むその音でさえ、敏感になったキルガレスの神経を逆撫でした。


「待てよ」


 急いで男の横を通り過ぎようとしたキルガレスに掛けられた低い声。

 進行を妨害されたわけではないのに身体が硬直して動かない。一歩でも進めば死ぬと男が言外に訴えている。


「は、はい。何でしょうか」


 目を合わせずに応える。裏返って抑揚がおかしくなった声にできるかぎりの平然を乗せた。魔族であると気づいていない振り。自分でも分かるくらいの三文芝居だ。冷や汗が体温の下がった肌を流れ落ちる。


「それ」


 魔族がキルガレスの手元を指さした。キルガレスの右手には血の滴った防御貫通の短剣(ピアンザ)が握られている。汚れるからと鞘に戻していなかったことを酷く悔やんだ。


「あ、えっと……」

「"あいつら"の血じゃねぇな。こんな状況で殺人とはな」

「いや……違くて……」


 魔族相手なのに反射的に言い訳を並べようとした。犯罪者同士なのに罪を隠そうと必死の頭は空回りを続けている。

 魔族が目を細めてキルガレスを睨みつけた。


「答えろ。この街でもっとも強い冒険者はどこにいる?」


(一番強い冒険者…………? なんでそんなこと)

 

 魔族が一歩キルガレスへ歩み寄る。脳がパニックを起こしたのか動いて欲しい両足だけは地面に突き刺さり、代わりに全身が小刻みに揺れていた。


 モルトゥルクで一番強い冒険者は間違いなくクラージだ。比べる対象がいないくらい圧倒的な実力者。みんなから恐れられているマラビィでさえ、戦場を森林に移さなければ勝ち目はない。

 しかしクラージがどこにいるかなんてキルガレスには分からなかった。


 黙ったキルガレスを拒否と受け取ったのか、首に魔族の手が伸びる。

 キルガレスが片手で首をわしづかみにされ、ジリジリと宙へ持ち上げた。痺れるような激痛と窒息感。激しく足をばたつかせるが、そのたび首がちぎれそうになる。


「答えたらそいつは黙っておいてやる」


 魔族の言葉に、握りしめていた防御貫通の短剣(ピアンザ)の存在を思い出す。

 霞んでいく意識の中でも手放さなかった秘刃。普通の短剣なら防がれて終わり、しかしこれは普通の短剣ではない。

 

 クラージの居場所を答えることはできない。デタラメを答えても平然を失った今、嘘なんてつけばすぐにバレる。


 ――――――生き残る方法など一つしかなかった。


「あ……あそこ…………」


 残された力を振り絞って空いた片手で背後を指さす。

 魔族がキルガレスから視線を逸らしたその一瞬をついて、防御貫通の短剣(ピアンザ)を突き出した。"心臓"を潰せなくとも逃げることができればそれでいい。突き刺してからできた隙をついて路地に飛び込めば助かるかもしれない。


 ――――――首元を狙ったキルガレスの攻撃は、甲高い音を立てて魔族に届く前に止まった。


「クソ…………」


 伸ばした短剣は蠱穣蛇の噛みつきによってあっけなく防がれていた。蠱穣蛇の小さく尖った歯が鋼を軋ませる。頭部のみが肥大して非力なキルガレスの攻撃を受け止めていた。


 絶望とともに力が抜け短剣が滑り落ちる。同時に蠱穣蛇も口を離したことで短剣がカランと音を立てて地面に転がった。


 その音を聞いて魔族が舌打をする。


「命が惜しくねぇらしいなぁ」


 首がさらにきつく絞められる。わずかに残されていた気道を完全に潰され、パクパク口を開けることしかできない。目に揺れる水面から涙が一滴したたり落ちた。

 大人しく中層に残っていたらこんなことにはならなかったのに、と過去の自分を恨んだ。そうクロンを殺そうなんて考えなければ今頃ここには――――


(クロン…………?)


 キルガレスが目を見開く。懇願するように魔族に視線を送った。


「どうした? 教える気になったか?」

 

 わずかに動く顎を上下させる。

 魔族が掛ける力が少しだけ弱まる。ピンと張ったつま先に地面を感じて足に力を込めた。確保した気道をたぐり寄せるようにしながら


「クロン……勇者パーティーのクロンがあそこにいます……」


 孤児院の方向を指さした。

 『もっとも強い冒険者はどこにいる?』別にすでに死んだ人でも問題ないはずだ。何よりクロンは勇者パーティーの一員、クラージよりも強いだろう。

 

 魔族の目がふたたび細められる。品定めをしているかのごとくキルガレスを睨みつけ、やがて大きな口を開いた。


「クロン――――そうか」


 魔族がキルガレスを宙に捨てた。突然の解放に着地ができずに胸から倒れ込む。

 空気を欲する肺に全身で酸素を送り込んだ。肺に空気が流れるたびにジンジンと胸あたりが痛む。込み上げる咳は血の味がした。


 首を押さえながらよろよろと立ち上がる。幸運なことに見逃してくれたのだ。殺人がバレる前に中層へ戻りたかった。


「ほらよ、出番だ」


 魔族から何か言われて顔を上げる。

 

 目の前にいたのは、半身を魔族に絡みつけたままもう半身を何倍にも膨らました蠱穣蛇だった。開けた大口はすでにキルガレスを優に呑み込むサイズにまで巨大化している。


「あ、あ…………」


 足に力が抜けふたたびへたり込んだ。途切れ途切れに助けを請うが、言葉にならない喘ぎだけが空しく地に落ちる。

 真っ赤な細い舌が頬を掠める。視界を真っ暗な洞穴が覆った。どこまでも続く暗闇にチカチカ輝く白い突起。洞穴は入り口を閉じていきキルガレスを闇へ葬っていく。


 魔族が見逃してくれるなんて、ただの願望に過ぎなかった。

 

 死を知覚したときに影絵のように蘇った記憶はきっと走馬灯だ。キルガレスの影絵が描く物語はエルティナに出会ったときから始まる。

 

 初めて彼女が魔道具店を訪れたときその美貌に心惹かれた。繊細な橙色の髪を揺らし、浮かべた柔らかな笑みは春に咲く花のように鮮やかで暖かかった。その日は仕事など手につかず、ずっと彼女のことを考えていた。

 何度も店を訪れてくれていた彼女にキルガレスは思い切って声を掛けてみることにした。今思えば客に話しかける態度とはほど遠い、情けない顔をしていたと思う。

 

 エルティナはこの店の商品に一目惚れしたと言った。お金がなくて買えないがつい気になって見に来てしまうとも。

 彼女は必死に謝った。買う気もない自分が店を訪れるなんて失礼だと。

 キルガレスは内心とても嬉しかった。自分の店の商品を彼女が気に入っていてくれた、まるで夢のように幸せだった。

 

 お金が集まるまで我慢するといい店を出ようとした彼女のことを、キルガレスは無意識に引き留めていた。そして言ったのだ。


『お金が貯まるまでうちの手伝いをしませんか? そうすれば商品を見放題です』


 彼女の顔に満面に笑みが咲いた。どんな絶景も宝石もちっぽけに思えてしまうほど、彼女のすべてが輝いて見えた。

 そこでキルガレスは改めてエルティナに惚れたのだった。


 

風操魔法(ウィンディール)!!」


 何者かの声がキルガレスの走馬灯を遮断する。意識が下層へ連れ戻されたと同時に視界が一気に明るくなった。


 目の前で蠱穣蛇が血をまき散らして暴れている。魔族はキルガレスの上空を睨みつけていた。

 

 突然、肌に突風が流れた。突風はキルガレスを包み込むように纏わりつき、身体を上空へ巻き上げていく。宙を飛行し、魔族からどんどん遠ざかっていく。

 やがて突風が徐々に弱まると、ふわりと優しく着地した。


「はやく逃げて!!」


 旋風を纏って空に浮かぶ一人の少女。キルガレスの目が見開かれる。

 そこにいたのはエルティ――――


「エリサちゃん!?」


「何してたかは知らないけど、はやく行って! もう! せっかく尾行してたのにぃ!」


 空中で地団駄を踏むエリサが「風操魔法(ウィンディール)!」と魔族へ向けて魔法を放つ。

 魔族を中心に巨大な竜巻が発生し魔獣ごと呑み込んだ。粉塵や瓦礫も一緒に舞い散って空中へ誘われる。竜巻が規模を維持しながら門の方へ伸びていく。渦を巻いた空気で魔族を閉じ込め、風圧で押し上げる。


 嵐を操っているような、圧巻の魔法だった。

 

 クロンのことは彼女はきっとまだ知らないのだろう。クロンのことを殺したとも知らずに、健気に自分を助ける彼女がいたたまれなくなり、キルガレスはその場から逃げるように走り去った。

ここまでお読みいただきありがとうございます


次の投稿はあさってです

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