モルトゥルク編 第四十一話 上位種
クロン視点
襲われた男性職員の手当を大人に任せ、破られた一階の扉にふたたびバリケードを築く。散らばった木材を拾い集め空いた空間に打ち付けて、扉があった場所を完全に塞いだ。それだと心許ないので孤児院内の家具と、生成した武器を組み合わせて補強すれば完成だ。
応急措置程度だが通行自由としているよりましだろう。
ただ木造の孤児院では扉を塞げば安全とは限らない。実際壁や窓ガラスを破壊された家屋をいくつも見てきた。いつまでもここに残っているのは危険だ。
水路まで連れて行き反対側にいるはずの冒険者に中層へ運んでもらうのが最善策だろう。最悪クロンが子どもたちを抱えて水路を飛び越えるのだってできる。
問題はどうやって安全にみんなを水路まで連れて行くかだ。
「祭りに子どもたちを連れて行っていれば……」
表情を落とした院長先生にクロンが首を横に振る。
「こんな緊急事態誰も予想できないですよ」
そんな後悔は院長先生ではなくクロンこそがすべきことだ。
いくらでも予測できた。魔獣騒ぎに不審者、殺人犯。この”魔獣テロ”に発想を飛ばせなくとも、人が出払って閑寂とした下層地区に危険を見出せなかった自分に腹が立つ。魔討士団や群衆でごった返した中層地区の方がむしろ子どもたちにとって安全だった。
『祭り当日は犯罪行為すべてが極刑になる』
こんな脅しなど捕まる気のない魔族には通用しない。
子どもたちの怯えた表情。外から轟音が届くたび、身を寄せ合って震える彼らにやるせない無力感がクロンを蝕む。
エルティナがいれば……脳裏に掠めた甘えに唇を噛んだ。
彼女の気持ちはクロンも理解していた。これまで彼女がクロンのために何をしてきたのかも。ハイドに盲目となりエルティナを蔑ろにした自分に彼女を頼る資格などない。
さんざんエルティナが差し伸べた手を払ってきた。他の誰でもない、クロンが選んで見て見ぬ振りを続けてきたんだ。
彼女に頼ることはもうできないと決めたはずなのに彼女の笑顔ばかりが脳裏に張り付く。
「もしエルティナがそんなクロンを許してくれるのなら……」そんな甘えがクロンの思考を深いまどろみの中へと沈める。
「クロン兄ちゃん……」
ジンくんがクロンの袖を掴んだ。
「大丈夫だ。俺がついてる」
「うん……」
ひどく空回りした声だった。
ジンくんの頷きに呼応するように、孤児院全体が大きく揺れた。「キャッ!」という鋭い悲鳴が鼓膜を突く。
「みんな、壁から離れて!」
思考の渦から引っ張りだされた瞬間、クロンは叫んだ。
最悪だ。想像よりずっと早く目をつけられた。
喉から捻り上げるような咆哮が、正面玄関から聞こえてくる。
「二階に上がって! 早く!」
大人たちが小さい子を抱え、他の子たちはそれぞれ手を繋いで階段を上っていく。住み慣れた孤児院だがはぐれないように、置いて行かれないように。
メアリーたち三人がクロンに駆け寄ってきた。
「クロンさんは……?」
綺麗な双眸にクロンを映しメアリーが尋ねる。
クロンは袖をギュッと掴んだ彼女の頭に手を乗せると
「心配するな。すぐに行くから」
そう微笑んだ。
メアリーはクロンの顔をじっと見つめると、やがて「絶対だよ」と苦しそうに言った。
「行くよ!」
メアリーがジンくんとヒナくんの手を引いて階段へ走り出す。二人も何か言いたげだが、メアリーに引っ張られてあえなく二階へ消えていく。
負傷している男性職員を残りの大人で背負っている。その分、子どもたちについてくれる大人が減っていた。
メアリーたち三人なら他の子たちをまとめられるはずだ。
魔獣の激突はいつまで経っても鳴り止まない。扉があった空間に打ち付けられた木材に体当たを繰り返している。そのたびに孤児院が大きく揺れた。
鬱陶しいため倒しに行こうかとも考えた。しかし出入り口を完全に封鎖してしまったため、外に出るためには二階の窓から飛び降りる他ない。つまり二階へ上がるその瞬間だけ、一階に誰もいなくなり、子どもたちが危険に晒されることになる。
どうしようもできないまま魔獣の攻撃に身構える。
キュイーン――――
ふと何かを吸い込むような音がクロンの耳を突いた。気体を吸収しているような、何かエネルギーを溜めているような。
(まずいっ!!)
クロンが身の危険を察したとき、エネルギー波が生み出す爆音が孤児院内に轟いた。
クロンの目の前にある正面玄関、補強したはずの扉が周りの壁ごと木っ端微塵に吹き飛ぶ。粉々になった木片がエネルギー波に呑まれて消滅した。
「クソッ……」
放たれたエネルギー波に突き飛ばされて後ろの壁に激突する。「ぐあっ!!」背中を走る鋭い痛みに意識が朦朧とした。舌を噛んで、広がる激痛と血の匂いを頼りに意識を引き戻す。
クロンの右手には模倣した"不壊の盾"。咄嗟に模倣したはいいものの、衝撃を流しきることができなかった。衝撃を直に食らった右腕がジンジンと痛む。ドーヴァ戦を思い返し、同じようにいなすことができなかったことを悔いた。
木屑と砂埃で塞がっていた視界が徐々に開けてくる。エネルギー波を撃った"何か"が姿を現わす。
姿を確認したクロンは、焦燥と苛立ちの混じった舌打ちをした。
その魔獣は獣特有の毛に覆われておらず、大気に晒された肌は触らずとも粗くゴツゴツしていると分かる。内巻にカールした縞模様の角が二本生えた頭を左右に揺らし、大きく裂けた口元からは蒸気が漏れていた。
これまでの魔獣とはっきり違うところ。
クロンの前に"佇む"魔獣は、二本足で起立していた。
スレンダーな胴体に不釣り合いなほど大きな頭部。肩から生えた両腕は人間でいう膝下まで垂れ下がっている。
魔獣の"上位種"だ。
クロンも何度か戦闘経験がある。がむしゃらに突っ込んでくる通常の魔獣とは異なり、上位種は慎重に的確に相手を襲う。理性や知能がないのは研究で明らかになっているが、その戦闘スタイルから冒険者の中には研究結果に懐疑的な人も多いと聞く。
そして何よりも他の魔獣と比較にならないほど強い。
魔族ほどではないが、上級冒険者でも一人で戦うのは危険なほどだ。
上位種がゆっくりと近づいてくる。やつの周りには身体が半分蒸発した魔獣の亡骸。孤児院を襲っていた魔獣を巻き込んで、あのエネルギー波を撃ち込んだのだ。
上位種は足元に転がる魔獣を容赦なく踏みつける。びちゃっという不快な音にクロンは顔をしかめた。
垂れ下がった長い腕が持ち上げられる。指揮を執るみたいに手首を返して何か合図を送った。
やつの後ろから数体の魔獣が姿を現わす。四本足で見慣れた姿の魔獣。しかし
(目が赤く……ない?)
操られている魔獣は目が赤く変色するはず。しかし魔獣の瞳は焦げ茶色をしていた。加えて何故か上位種の命令に従って、ジリジリとクロンとの距離を詰めている。
クロンの脳内に一つの考えがよぎった。
この魔獣たちは操られているのではなく、上位種に従っているのではないか。
こいつらとは違い、上位種は真っ赤に燃えた双眸を据えている。つまりこいつは何者か、いや魔族に操られている。ならば考えられる可能性は一つ。
魔族は、魔獣を上位種に従わせ、その上位種を操ることで大量の魔獣を手中に収めているのだ。
強大な力と戦術。まだ見えぬテロの首謀者にクロンは静かに戦慄した。
上位種がふたたび腕を振り上げる。
やつを取り囲む魔獣に身構えた瞬間、上位種みずからクロンめがけて突進してきた。
予想外の行動に刹那反応が遅れる。痛む全身に呼吸を合わせ、両足の踏み込みで上位種の直進上から身体を逃がす。
上位種がその長い腕を鞭のように振るった。
頭部を的確に狙う攻撃に、クロンは身体をのけぞらせる。顔すれすれを通る殺意の刃が空気を切り裂く音を鳴らす。
空振った腕が孤児院の壁に突き刺さる。武器を持っていないただの腕なのに、触れただけで肉を断ち骨を砕く威力。
クロンが視線を上位種に戻したとき、やつはすでに魔獣へ指示を飛ばしていた。
一匹の魔獣が階段へ迫る。猛進する魔獣とクロンを遮るように佇む上位種。「階段を上られたら……」目の前の絶望はクロンの瞳にスローモーションで映った。
「模倣『短剣』」
生成された短剣が魔獣めがけて飛んでいく。
首元に短剣が突き刺さり、魔獣からどす黒い血が噴き出てくる。しかし魔獣は猛進を止めなかった。
「やめろ!!」
クロンが飛び出す。上位種がすかさずクロンの行く手を塞いで両手を薙ぐ。
クロンは姿勢を下げて攻撃を誘導し、屈んだ体勢から大きく跳ねて上位種を飛び越えた。天井と上位種の頭部のわずかに空いた隙間に滑り込む。
「模倣『斧』」
クロンが胴体ほどもある巨大な斧を生成する。それを魔獣の身体に叩きつけた。
しかし魔獣は俊敏な動きで斧をかいくぐる。獣毛だけが切り取られパラパラ宙に舞う。斧は美しい弧の軌道を描いたまま、木造の階段を粉砕した。階段下部を粉々にしたことで、二階へ上がれない建物のできあがりだ。
魔獣の撃破と階段の破壊を同時に行うつもりだった。しかし最優先の魔獣がまだ階段上にいる。選択を間違えたことを悔やんだ。
「捕らえなければ」と追いかけようとしたクロンにふたたび上位種が腕を振るう。跳んで躱されないよう頭部、もしくはそれより上を狙った攻撃。
回避を優先して屈んだら魔獣を二階へ送り込むことになる。
クロンは持っていた斧を捨て、腕を振るったことで空いた上位種の正面スペースに滑り込んだ。勢いを身体に乗せ、上位種に体当たりを食らわせる。上位種の身体が後ろへ飛ばされた。
わずかに生まれた隙。逃すまいと階段上の魔獣へ意識を向ける。一撃で仕留めようとしても失敗のリスクがある。まずは足を折ってからだ。
キュイーン――――
ふたたび鳴り響く吸引音。壁越しに聞いていたよりもずっと甲高く身を震わせる音だ。心臓が早鐘のように胸を打ち、背を向けた先の視線が身体を芯から凍らせる。懸念が散らかった脳内から黒光りの拒絶を選び取った。
転がっている"不壊の盾"を拾い上げたクロンの視線の先は、大口を開ける上位種ではない。
「逃げろぉぉ!!」
魔獣が侵入してしまった二階へ悲痛な叫び声を上げた。
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