モルトゥルク編 第三十八話 憧れた少年と憧れの青年
ここから視点が変動していきます
今回は クロン視点 ⇒ メアリー視点 です。
クロンは地獄と化した下層地区を駆けていた。悲鳴が至るところから聞こえる。剣が奏でる金属音、建物が崩壊する音、獣の咆哮、鳴り響くすべてのが凄惨な下層地区の現状をありありと訴えてくる。
三体の魔獣と戦ったときから嫌な予感が纏わりついている。聖剣で喉元を掻っ切る、クロンの経験上普通の魔獣ならこれで戦闘不能に追い込めた。喉元の判定ができなかったり異形系だったり、魔獣が千差万別なのはクロンも理解している。
ただ今回は違かった。
クロンの差し出した聖剣、確信していた一打があっけなく弾かれたのだ。
皮膚が厚いのか防御効果が付与されているのかは確かではない。しかしこの結果が示している現実ははっきりしている。
あいつらを操っているのは間違いなく”魔族”だ。それも魔王からの命令を直々に受ける、魔族の上位層。
素早く魔獣を処理するためにクロンは手榴弾を使った。家屋への被害を考えると爆発物の使用は危険だがやむを得なかった。
心を乱す焦燥が鼓動の早鐘を鳴らす。収まりきらない思考と激情の濁流に呑まれたクロンの視野は、そこに転がっている異物の存在を捉えられないほど狭まっていた。
突如足元に引っかかりを覚える。踏ん張った足が濡れた地面の上を滑って体勢を崩した。倒れる身体を支えるようについた手に液体が付着する。
クロンの足元は鮮血で赤黒く変色していた。すぐ傍には四肢を投げ出すように伏した冒険者。
「おい! 大丈夫か!」
冒険者の身体を揺する。出血がどうとか安静になんて判断、今のクロンにはできなかった。冒険者の顔を確認するため上体に手を掛ける。
「クソッ!」
何度目かの悪態をついた。
冒険者の開いた瞳孔には光が宿っていなかった。ピクリとも動かない表情筋は恐怖に歪んだまま固まっている。
胸あたりに3本の巨大な爪痕が残されていた。そこから絶え間なく血が滴っている。
主人を失った聖剣がその輝きを失い道端に転がっていた。冒険者の死体が投げ出した右手が転がる聖剣に伸びている。
死を悟りながら必死に生を得ようとした彼の最期を思うと、やるせなくなり拳を固く握りしめた。
それから冒険者の瞼をそっと閉じると
「ごめん、弔ってやれなくて」
そう言って先を急いだ。
* * *
鳴り響くサイレンに、メアリーたちは二階の部屋に集まるよう職員の人から指示を受けた。男性職員が孤児院の出入り口にベッドや棚でバリケードを築いている。泣き続ける小さい子どもたちは別の部屋に移され、女性職員が寄り添って頭を撫でている。
メアリーはそっとカーテンを開けて外の様子を確認した。揺らめく炎の光に黒煙が照らされている。咆哮が聞こえて表通りに目を向けると、小さなシルエットで四足歩行の獣が見えた。
不意にその獣がこちらに顔を向けた。遠くからでも分かる真っ赤な瞳に、目が合った気がして慌ててカーテンを閉めた。
轟音が窓ガラスを震わせるたび、子どもたちの短い悲鳴と荒々しい呼吸音で満たされる。抱き合いながら身体を震わせる子どもたち。メアリーもずいぶん前から拭いきれない不安に押しつぶされそうになっていた。
「僕らどうなっちゃうの……」
ヒナくんが涙声で呟いた。壁際で膝を抱えてうずくまる彼は、ジンくんと手を繋いで身体を預け合っている。
「大丈夫。きっと魔討士団の人たちがなんとかしてくれるよ」
そう言葉を掛けるメアリーだが楽観する余裕などなかった。彼女自身も冷静さを失わないことで精一杯だった。
「クロン兄ちゃんが居てくれれば」
ジンくんがそう呟いた。
(クロンさん……クロンさん……)
心の中で何度もクロンの名を呼ぶ。迷路を彷徨う小動物だった自分に道を示してくれた人。二人とこうして話せていることだって、彼がいてこそだった。
エルティナはメアリーを含めた子どもたちにいつも言っていた。
『クロンはいずれ魔王を倒して勇者になる男』
クロンの強さはメアリーには分からない。けれどこれまで出会ってきた大人たちとは違う魅力が彼にはあった。院長先生ともまた違う、”大人”を追いかけるメアリーが思わず立ち止まって見惚れてしまうような、不思議な存在。
エルティナはクロンを好いていて彼に絶対的な信頼を置いている。クロンに出会ったことで、メアリーは彼女の心情をすんなりと受け入れていた。
「クロンがモルトゥルクに居る」思い至った拠り所は、耳をつんざく咆哮によってあっけなく破壊された。
次いで激しく何かが孤児院に叩きつけられる轟音が響く。一階からの振動が建物を伝ってメアリーたちの部屋まで届いた。木造の孤児院が大きく揺れる。
繋ぎ止めていた涙腺が崩壊した子どもたち数人が、わぁっと声を上げて泣き出した。泣き声は他の子の恐怖心を煽り、不安と混乱で全員がパニックに陥る。メアリーたちを覆っていた黒雲は、一つのきっかけで視界を奪うほどの豪雨を降らせた。
恐怖がこの場を支配していく間にも、幾度となく伝わる衝突音。数を重ねるたびに破壊音が混ざって壁が破られていくのが分かる。
ガラスが割れ、木材が軋み、唸り声も激しくなってきた。
メアリーは自身の身体を両腕で強く抱きしめた。抑えきれない震えを鎮めようと歯を噛みしめる。迫り来る危険から目を逸らしたくて目を瞑った。
慌ただしい足音が一階から聞こえてくる。男性職員の怒鳴り声も二階のここまで届いていた。受け取るすべての音が心の平衡を乱していく。
「メアリー」
ジンくんの声に顔を上げた。そっと目を開けると間近にジンくんの顔があった。少し日焼けしていて口元の八重歯がカタカタ音を立てている。
ジンくんは身を抱いていた手を解いたメアリーの手に自分の手のひらを重ねた。男らしく泣きそうな顔を引き締めてメアリーを見つめている。
彼の体温が震えた手から伝わってきた。同時に彼が強がっていることも。
空いた左手を今度はヒナくんがしっかりと握ってくる。いつも冷静な彼も込み上げる不安が顔に滲んでいる。
ほんとうは最年長として小さい子たちを抱きしめてあげるべきかもしれない。けれどメアリーだってまだ子ども、泣きそうなときぐらい周りに支えて欲しい。
弱った神経を三人で繋ぎ合わせる。両手で2人の手を握りしめ輪になって事態が収まるのを待った。
「破られるぞ!! 逃げろ!!」
危機迫った男性の怒声に目を見開いた。繋いでいた手を離して立ち上がる。
扉が破裂したかのような破壊音に乗って男性職員の悲鳴が聞こえてくる。バラバラと木片が舞ってガラスの破片が散乱する、一階の状況が容易に想像できてしまった。
冒険者は、魔討士団はいないのか。これだけの騒ぎで魔討士団の人たちが黙っているはずがない。あの人たちは街の危機を幾度となく救ってきた英雄なのだから――――
もしすでに魔獣の餌食になっているのなら、誰が救いに来てくれる?
魔獣が暴れている。職員の人が必死に食い止めてくれているのだろう。冒険者でもないのに生身で、メアリーたちを守る為に。
逃げなくてはいけない、そんなことメアリーだって分かっていた。分かっていてなお足が動かないのだ。震えるだけ震えて前にたった一歩すら進んでくれない。
周りの子たちもへたり込んでしまっている。もう避難には絶望的な状況だった。
激しく床板を踏みつけながら階段を上がってくる音がする。踏み破る勢いの不規則でバラバラな足音に職員の誰かではないと気づいた。
息が詰まりそうで胸が締めつけられていた。低く鋭い影がメアリーたちの前に現れる。荒い鼻息でメアリーたちを威嚇し、天に向かって伸びた2本の牙にはべっとりと血液が付着していた。
小柄な体型に獰猛な気性を有した四本足の魔獣が、部屋の前でメアリーたちを睨んでいた。細く鋭い瞳を真っ赤に光らせて。
「「「キャァァァ!!!」」」
他の子たちとは違い、メアリーは声が出なかった。喉につっかえた悲鳴が呼吸を阻む。
「みんな後ろに下がって!」
女性職員がメアリーたちに叫んだ。しかしみんなメアリーと同じで動くことができない。女性職員の方も叫びながらも腕の中で号泣する女の子を抱きしめたまま。この場にいる全員、魔獣に泣き顔を晒し命の行方を委ねている。
生に対する主導権を失ったメアリーたちはただ運命を受け入れるのみ。窓から飛び降りようとする子も逃げだそうとする子もいない。恐怖の境地において無意識の諦観で魔獣の行動を眺めるだけだった。
たった一人を除いて。
傍にいた男の子がメアリーの元から離れる。誰も踏み出せなかった一歩を踏み出し、魔獣が佇む部屋の入り口へ歩いて行く。
「ヒナ!」
「ヒナくん!」
メアリーとジンくんの焦り声が重なった。遠ざかる背中に向けて「ダメ」そう呟く2人に、ヒナくんは振り返ることなく告げる。
「ぼ、僕だって……僕だってジンを、メアリー姉さんを、みんなを助けるんだ……」
魔獣が鼻息をばら撒き足踏みを始める。ヒナくんを真っ赤な双眸で睨みつけ牙を上下に揺らす。
攻撃の姿勢にはいった魔獣にもヒナくんは怯まなかった。
「そうじゃないとクロンさんみたいな冒険者になれない!」
ヒナくんはそう言ってカーテンのように天井からぶら下がった装飾を掴んだ。そのまま天井の緩い接着を引き剥がす。
エルティナからのクロンの話を、ヒナくんは一番熱心に聞いていた。ジンくんが横でうるさいため相槌は控えめだが、瞳の奥には羨望の光が輝いていたことをメアリーは知っている。
だからクロンの名を出した彼の覚悟がどれほどのものか、痛いほど理解してしまった。危うい覚悟の先にある残酷な結末さえも。
床が爆ぜる音とともに魔獣の突進が始まる。狙いはもちろんヒナくん。
女性職員が「だめ!」と宙へ腕を伸ばす。
両足を肩幅に開いてカーテン型の布を固く握る。掴んだ布をバサッと広げたヒナくんが、魔獣との激突する寸前横へ跳んだ。
魔獣は先に誰もいなくなった布へそのまま衝突する。
ヒナくんは魔獣が突っ込んだ布の両端を引き寄せ魔獣の視界を奪った。布で魔獣の頭部を包むようにして布を引っ張る。
そして魔獣の背に跳び乗って伸びた角に両手を預けた。
「はやく逃げて!!」
ヒナくんが叫ぶ。
グァルルッ! グァルルッ!
その場でぐるぐる回転し、ヒナくんを振り落とそうともがく魔獣。視界を奪われ必死に抵抗を試みる魔獣の意識はすでに彼一人にあった。
「はやく!!」
もう一度ヒナくんが叫んだ瞬間、みなを縛っていた足の呪縛から解放される。泣き声を上げながら部屋を出る子どもたち。主導権を取り戻した先に生を求めて逃げ出していく。
部屋に残っているのはメアリーとジンくんとヒナくん、3人だけになった。
「二人もはやく逃げて! 腕が……もたない……」
振り落とされないよう角に抱きつくヒナくんだったが、徐々に身体が大きく振り上がるようになっていた。もともと華奢な彼には魔獣に対抗するだけの力はない。魔獣が暴れるにつれ劣勢になっていくヒナくんを、それもで何もできずにメアリーとジンくんは見つめていた。
ヒナくんが降りれば彼とメアリーたちが殺される。けれどもヒナくん一人を置いて逃げることなんてできなかった。
「もう……限界…………」
魔獣が後ろ足を振り上げる。その勢いにヒナくんが後ろへ振り飛ばされた。尻から床に激突して悶えるヒナくんを真っ赤な双眸が捉える。
魔獣が顔の後ろまで裂けた口を開いた。
魔獣の口内が三人にお披露目される。二本の牙の周りには何本もの鋭く尖った歯が、獲物を待ちわびてヨダレに濡れていた。
魔獣の牙がヒナくんへ届く。
彼が目を固く閉じる。メアリーとジンくんも鋭い悲鳴を上げながら手で顔を覆った。
荒い息で時間を数える。数えている間は嫌な現実もメアリーへ到達するのを待っててくれる気がして。それくらいメアリーは目の前に広がっているであろう現実から目を逸らしたかった。
だから――――
「もう大丈夫だ」
魔獣の唸りとともに聞こえてきた声がメアリーの衰弱しきった胸を突いた。
そっと手をどかして目を開ける。
安堵の声をもらすよりも先に自然と涙が溢れてきた。頬を伝う涙は温かくてメアリーに生の実感を与えてくれる。
ヒナくんを片脇に抱え魔獣を吹き飛ばした青年
「頑張ったな」
エルティナとメアリーの勇者様、クロンが優しく告げた。
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