モルトゥルク編 第三十七話 半透明な容疑者
「すいません」
人混みの中を幾度となくぶつかりそうになりながら駆ける。下層の現状に気づいて中層内部に逃げ込む人々と、何が起きているのか確かめるために橋へ向かう人々の波が衝突して停滞を生んでいた。もどかしい気持ちを押し殺し、急かす鼓動をなだめる。
この人混みの中から背の小さなエリサを見つけるのは難しい。探すとしたら桃色の髪が目立つミルシェの方だ。
背はエリサと大差ない僕の視界はすっかり群衆で埋まっていた。揉みくちゃになりながらも、背伸びをして周りに存在をアピールする。
クロンはほんとうに大丈夫だろうか? サポート職だしあんな大量の魔獣を一人で相手にするなんて危険だ。
やっぱり僕も彼の加勢に入るべきだったんじゃ、そう思うと同時に「足手まといになるだけ」と弱気な言い訳が浮かんでしまう。心の奥で僕は、彼が負けるはずがないと決めつけていた。
「ソラくん!」
不意に名前を呼ばれて振り返った。
「エルティナさん!?」
群衆に紛れて、息を切らしながら橙髪を揺らすエルティナが見えた。頬が紅潮している。
「ソラくん一人? クロン……みんなは?」
「た、大変なんですよ! エリサたち見ませんでした?」
エルティナの目が見開かれる。
「見てないけど、エリサちゃんたちに何かあったの!? それにこの騒ぎっていったい……」
「実は――うぁっ!」
背後からの衝撃に前方へ体勢を崩す。
「うぉっ! 大丈夫?」
エルティナが慌てて身体を支えてくれた。フワッと彼女の香りに包まれて思わず赤面してしまう。
普段はクロンにべったりで大変な彼女だけど、今はいてくれるだけで気持ちが落ち着いた。
「ごめんなさい!」
「ここじゃ危ないからキルのお店に行かない? エリサちゃんたちもいるかもしれないし」
「エル! よかった無事で!」
キル魔道具店の扉を開けた瞬間、店主のキルガレスが勢いよく入り口へ走ってきた。店内には数人の客もいたがお構いなしだ。
「ソラくんも一緒か。どうしたの? 他のみんなは?」
「それが大変なの!」
エルティナがキルガレスの腕を力任せに掴む。彼女の顔が想像以上に近づいたせいか、キルガレスが顔を赤らめ視線を逸らした。
「ソラくんから聞いたんだけど、下層と中層の間の橋が誰かに爆破されたらしくって」
「爆破!? さっきの音ってまさか……」
「そうなの! しかも4つ全部!」
話を聞いていた客も2人の会話に愕然としている。
「それで、クロンとソラくんが様子を見に行ったら、下層に魔獣がたくさんいたらしいの!」
「ほんと!?」
「ほんとうです。今クロンが魔獣と戦っています」
「そんな……」
キルガレスの顔が青ざめていく。店内も騒然としだした。
そうか、魔獣騒動自体彼らは知らなかったのか。
突如店内に鳴り響いた警告音に身体を震わせた。いや店内だけではない、おそらくモルトゥルク全体にサイレンが響いている。甲高く異常を悟るにふさわしい不快な音。
『異常事態発生。異常事態発生。何者かによって下層地区と中層地区を繋ぐ橋が落とされた模様。加えて下層地区に大量の魔獣が出現。ただいま魔討士団が魔獣の駆除を行っています。下層地区にいるみなさんは外出せずに出入り口にバリケードを作り魔獣の侵入を阻止してください。中層地区のみなさんは下層地区に近づかないようお願いします。繰り返します――――』
アナウンスの声に混ざって現場の慌ただしい雑音も聞こえている。早口でまくし立てるような口調に緊迫感が嫌でも伝わってきた。
「マジかよ……」
キルガレスが呟く。
「どうすればいんだよ……」
ショーケースに両手をつき、頭をがっくりと垂れている。
「中層は今のところ安全なので、店の中にいるのが一番だと思います。僕は仲間を探しに行きます。エルティナさんもあまり出歩かないように――――」
エルティナはガタガタ震えていた。目を見開いて今にも泣きそうになりながら、虚空を見つめている。
「子どもたちが……」
消えそうな声だった。
「エルティナさん……?」
「孤児院の子どもたちが……」
そう言った彼女は衣服を翻し店の奥へと走り出した。
キルガレスが顔を上げ、そんな彼女の腕を慌てて掴む。
「離して! このままじゃ子どもたちが危ないの!」
「エルが行ったって危険なだけだ!」
「私なら魔獣を倒せる! 私なら子どもたちを助けてあげられる!」
「落ち着け! エルは冒険者じゃないんだ!」
エルティナの目に涙が溜まる。今にも泣き出しそうな彼女の腕をそれでもキルガレスは離さなかった。
キルガレスが知らないだけでエルティナは冒険者だ。それも勇者の役職である『戦士』。
けれど彼女の言葉からして、まだ未熟であの魔獣と張り合えるとは思えない。あくまでクロンと旅をするために冒険者の職に就いているだけだから。
エルティナを向かわせるわけにはいかない。
「大丈夫です、エルティナさん。きっとクロンが向かってます」
放送を聞いていればクロンなら間違いなく孤児院へ向かう。
僕がマラビィに襲われた日、クロンは孤児院に行っていたとミルシェから聞いた。その後も僕の知らないところでたびたび訪れているようだった。生まれ育った孤児院、クロンがもっとも大事にしている場所をきっと彼なら守りに行く。
エルティナの充血した瞳が僕を捉える。
「クロンが孤児院を大切にしていることはエルティナさんだって知ってるはずです。彼なら決して見捨てないことも」
一筋の涙が彼女の瞳から流れ落ちる。
「今はまだ平気でも中層だっていつ危険になるか分かりません。エルティナさんはここでキルガレスさんやお客さんを守ってあげてください」
彼女の心情を考えれば今すぐに孤児院へ駆け出したいだろう。水路を飛び越える術を持っているかは知らないけど、一か八か飛んでみるぐらいはするはずだ。行動せずに後悔するよりも、無意味だったとしても行動するほうが楽だから。
エルティナが静かにうなずく。縋るよう目線に頷いて扉に急ぐ。
「待って!」
僕の背に向け彼女が呼びかける。
「エリサとミルシェさんを探しに行きます。二人がいれば魔獣と戦える」
「そんな危険だよ!」
さっきまで下層へ飛び込もうとしていた人とは思えない。
『そんな弱気じゃハイドに笑われるって』
笑っているクロンが頭をかすめる。
僕はクロンの仲間としてハイドたちに出会う。勇者様に失望されないように、クロンが呆れられないように、僕だって強くならないと。
『期待してるよ』
クロンの期待に応えるために、
「大丈夫です。絶対生きて帰ります」
そう明るく告げた。
* * *
ふたたび人波をかき分けてエリサとミルシェの姿を探す。思い通りに進まないことに苛立ちが募っていく。
彼女たちもきっとこの事態に何か行動を起こしているはず。
むやみに探すよりもどこか行きそうな場所に絞った方がいいかも。
「下層の魔獣、誰かに操られるらしいぞ。今魔討士団の連中が次々に襲われてるって」
通行人の会話が耳に入ってきた。
「おいおい、せっかく殺人犯が捕まったってのに、今度は魔獣かよ」
殺人犯…………?
僕は足を止めていた。漠然とした何かが脳裏を掠めたような。掴めない、けれど確実にそこにある何か。
「中層にいれば安全だろうな。だってあいつら水路越えられないだろ」
「じゃあ何のために橋を落としたんだよ」
危機感があまり感じられない会話に呆れつつ、今の状況を振り返ってみる。
橋を落としたのは住民を中層に閉じ込めるため。閉じ込めた後なにをする?
犯人が中層ではなく下層に魔獣を放った理由は? 僕ら中層の人間が標的なら、中層に魔獣を放ってから橋を爆破した方が効率がいい。
なぜ犯人はそうしなかった?
そもそもほんとうに閉じ込めることだけが狙いなのだろうか? それとも狙いは別?
他の狙い、たとえば中層の人間から上層の人間を選別するため。上層の人間ならば上層という逃げ場がある。下層に隣接している中層よりも上層の方が安全だし人も少ない。
上層の人間を狙いたくて事件を起こした?
いや、上層は警備が厳重だ。いくらピンポイントで狙っていたとしても、上層に引っ込まれれば簡単に手出しはできない。
では逆に下層の人間がターゲットだった場合。
商人以外の住民を狙っている? 今日はほとんどの住人が中層にいるじゃないか。下層に魔獣を放っても意味がない。
じゃあ警備を行っていた魔討士団、彼らがターゲットだった場合。
「あ……」
手を伸ばした真実に指が掛かる感覚がした。実体を持たなかった目の前の何が、白黒の像となって現れる。
こんな最悪の可能性なんて期待していないかったのに。
この犯行が連続殺人犯のしわざだとしたら――――
もう解決したと思われていた連続殺傷事件。まだ実は犯行が続いており、魔討士団を一部隔離して監視の目を遮断してから殺人をするためにこの騒ぎを起こした……?
橋の爆破をすることで"冒険者以外"を閉じ込める。冒険者には自由に出入りさせることで、襲われている魔討士団の悲鳴と人々の信頼を餌に、下層へ誘導しているんだ。
僕らが掴まえた男。あの男性が犯人じゃなかったとしたら誰が真犯人?
被害者は短剣で背中を刺されて殺されていた。どうして短剣を使っている? どうして被害者に容易に近づくことができた?
犯人の目撃情報があるのにも関わらず、それらすべてに該当する人物が上層の人間を除いていなかった。犯人は上層の人間?
『特に隊長と副隊長、二人は熱狂的なファンを多く抱えているらしい』
クロンがパレードのときに言っていた言葉。手放しに魔討士団の人たちが信用する人物といえば一番初めに思いつくのは一人。
上層の人間が犯人であった場合、クラージを直接狙わなかった理由は…………
足を止めていたことで誰かから舌打ちを受けた。慌ててふたたび走り出す。
もう少し、もう少しで全部分かりそうなんだ。こびりつくモヤを払うように頭を振って思考を戻す。
クラージ隊長が……?
いやクラージ隊長が犯人なら聖剣を使わなかった理由がない。それにどうやってこの大量の魔獣を従えているのか説明もつかない。
魔獣を操るなんて魔族の芸当だ。仮に他の方法があるとすれば、たとえば魔法。
まさかマラビィ……?
容疑者はもっといるはずなのに知っている名前ばかりが浮かんでしまう。邪な考えだと反省する。
魔獣を操るなんて魔法、危険すぎるじゃないか。悪用されたら都市一つくらい滅ぼされかねない。あったとしても昔に葬られているだろう。
ん?
葬られた魔法……?
思い出したのは現実に突然現れた桃源郷。そこでは一人の子どもが魔法杖を胸を張って掲げている。少年の瞳は澄んだ黄色で、彼の名と同じ空色の短髪が太陽の光を反射していた。
折れ掛かった心を清める絶景と結びついた昔の記憶。
あの日知った三つの魔法――――
そっか、もしかしたら。
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