モルトゥルク編 第三十六話 襲撃開始
目の前で燃える木片。あれがさっきまでは橋を形作っていたなんて信じられない。
「もっと警戒するべきだった」
「どういうことですか?」
悔しそうに唇を噛むクロン。事態の整理がついていない僕は、訳も分からず問を返した。
「4回聞こえた轟音、あれは四カ所の下層と中層を繋ぐ橋が爆発した音だったんだ」
「そんな……」
こんなことが他三カ所でも起こっているというのか。
血の気が引き顔が青ざめる。
「機械も何もついていない橋が自然に爆発するなんてまずありえない。しかも四カ所ほぼ同時だ。誰か意図して橋を落とした犯人がいる」
犯人…………いったい僕は何度この言葉をモルトゥルクで聞けばいいんだ。
これまでも不可解な出来事ばかりだった。しかし今回の事件には釈然としない部分がある。
「でも、どうして橋なんか……」
橋を落としていったい何になるのか。
クロンを見上げる僕の視線に、クロンは癌前に流れる水路を睨みつけて言った。
「俺らをここモルトゥルクに閉じ込めるためだとしたら……」
「閉じ込める!?」
そんなまさか。だってこんな大きな街から出られなくなったところで、だ。
たしかに出口は下層にしかないから足止めにはなるだろう。しかし橋を落としたからといって閉じ込めることになるのか。
だって僕らを隔てているのは横幅も高が知れているただの水路なんだから。
「橋を使わなくてもどうにかすれば下層に行けるんじゃ?」
「心理的に厳しいだろうな。水路には致死量の毒が流れているんだから」
「あ…………」
忘れていた懸念を思い出した瞬間、手足の震えが止まらなくなった。クロンの考えがいっきに現実味を帯びてくる。
繋がって欲しくなかった事件がここで繋がるなんて。
橋を爆破した犯人が水路に毒を流している人物だとしたら、犯人の狙いは間違いなくクロンの言う通り、僕らをここに閉じ込めることだ。ハシゴを渡すなどして下層に行こうとしても「落ちたら死」の恐怖心がそれを拒むだろう。
「水路に毒が流された時点で気づくべきだったんだ。今日はほとんどの住人が中層に集まっているんだから」
クロンが「くそっ!」と拳を自身の足に振り下ろす。拳が震えていた。それは僕のような恐怖からではなく、事態を予測できなかった自分の失態への悔やみから。
四カ所同時爆破となると魔法ではなく、時限爆弾のような物を使ったのだろう。毒を流されていたから住民が水路に近づかなくなっていた。足元すら見えないような深夜なら尚更だ。爆弾を仕掛けておく機会はたくさんある。
「どうして犯人は僕たちを閉じ込めたんでしょか? 冒険者が多い以上、完璧に閉じ込めるなんて不可能です」
魔法使いならばこの水路なんて空を飛べば越えられる。僕だって浮遊魔法を発動してから、他の魔法の反動を利用すれば可能だろう。近距離職に至っては飛び越えるだけの身体能力を有している。
冒険者以外を隔離するため? でもどうして?
「何か企んでるんだろう。先手を取られた以上、受け身で待ってると危険だ。俺は下層の様子を見に行くからソラは――――」
キャァァーー!!
クロンの言葉は突如聞こえてきた悲鳴に掻き消された。下層からだ。
悲鳴の主を捜そうと中層から必死に目を凝らす。どうかこの事件と無関係であって欲しい。これ以上の混乱は避けないといけない――――
「そんな…………」
いるはずのないもの、いてはいけないものが目の前にいる。人々の困惑の声がノイズ掛かって聞こえた。どうにか整理をつけようとして頭が空回りしている。
水路を挟んだ先に真っ直ぐ伸びる道路。
その真ん中で四足歩行の化け物がジッとこちらを睨んでいた。
「ク、クロン…………あれ…………」
全身を薄黒い獣毛で覆い、鼻の真上についた大きな三白眼の瞳が赤く光輝いている。その両脇には一回り小さな双眸がパチパチと瞬きを繰り返していた。
大人の身体ほどある巨体を持った三つ目の獣。誰の目から見ても明らか、あいつは魔獣だ。
やっぱりこの街にいたんだ。橋の爆破と何か関連があるのか……?
鋭い爪で地を引っ掻き、重々しい足音に乗って魔獣がこちらに歩いてくる。目が合った気がして息が詰まった。
「うわぁっ!」
思わず後方に蹴り飛ばした身体を魔法杖で支える。叫んだままの顎が震えてカチカチと音がなっている。
露わになった魔獣の顔面は鮮血で真っ赤に染まっていた。
横に大きく裂けた口に細長い物体が挟まっている。それが聖剣であると遅れて気づいた。
魔獣のうなり声が風に乗って流れてくる。身体を持ち直したばかりなのに、一度聞いただけで身体が竦む。縋るように魔法杖を強く握りしめた。
グルルルルル…………
魔獣がもう一度唸る。そして――――
鋭い音を立てて聖剣を噛み砕いた。まるで僕らに見せつけているかのように。
粉々になった聖剣が地面に散らばる。その光景を見た人々の恐怖に歪んだ悲鳴が重なった。
下層からの悲鳴に突如現れた魔獣。血まみれの顔面に奪われた聖剣。
間違いない、下層で警備をしていた魔討士団が襲われている。
住民への被害が初めて露わになった瞬間だ。
「ソラはエリサたちと合流しろ!」
クロンがそう叫んで駆け出した。
水路の縁に足をかけ、重量を感じさせない軽やかな身体使いで跳び上がる。そのまま余裕をもって向こう岸の下層地区に降り立った。
「模倣『聖剣』」
クロンの右手に聖剣が握られる。悪魔戦以来の聖剣だ。
踏み込み一つで魔獣との距離を詰める。高速移動中に聖剣を振り上げ、そのまま魔獣の首元に振り下ろした。
刃が魔獣を襲う寸前――――
クロンの身体がいきなり横に吹き飛んだ。
木造の家屋に衝突して壁を突き破る。粉塵が散って破壊音がこちらまで届いた。
「クロン!」
名前を叫んでから失態に気がついた。
「クロン?」
後ろから1人の女性の呟きが聞こえてきた。やってしまった。
せり上がる後悔を無理矢理呑み込む。首を振って今はそれどころではないとクロンの姿を捜す。額についた三白眼が二つ、浮かび上がっているように見える。
彼を家屋に吹き飛ばした”もう一体の魔獣”は、クロンが吹き飛んだ先をジッと睨んでいた。
まったく同じ三ツ目の魔獣。額に光る三白眼は真っ赤な眼光を飛ばしている。
”赤い目”で思い浮かぶのは昨日のキュルシニィだ。クラージが誰かに操られている可能性があると言っていた。
それが事実ならあの二体も誰かに操られているということになる。いや”誰か”ではない、毒を流して橋を爆破した誰かだ。
一体目の背後にもう一体の影を見つけてしまって背筋が凍った。
魔獣が三体に増える。いったいどれだけいるっていうんだ。これがもし下層全体に及んでいるとしたらその数は想像を絶する。
何もできず唖然と魔獣を眺めていたとき、壊れた家屋から飛んできた木材の破片がやつらに命中した。
表情がぱっと明るくなったことが自分でも分かった。
家屋から頭を抑えながらクロンが出てくる。手にはしっかりと聖剣が握られてる。遠目からだけど目立つ怪我はないように見えた。
三匹に増えた魔獣を不機嫌そうにクロンが睨み返す。彼はきっと苛ついている。
魔獣が一歩足を引いた。あんなに凶暴そうな魔獣がだ。
クロンが一度中層の僕らに視線を向けた。それから「大丈夫だ、早く行け!」そう叫んだ。
すぐに戦闘態勢になって三体の魔獣と対峙するクロン。
彼なら不意打ち以外でやられることはないだろう。今はクロンを信じるしかない。そう自分に言い聞かせて、クロンに背を向け走りだす。
「ちょっと待って!」
声が僕を引き留めた。顔を向けると一人の女性が僕を呼んでた。魔法杖を携えた、おそらく魔法使いの冒険者だろう。
「あの人が使っていたのって『模倣』だよね。それもさっきクロンって。彼ってもしかして……」
周りの人々が女性の言葉に騒ぎだす。近くのやつと話しながら「まさか」と事実に達していく。
急がないといけないんだ、いい訳なんて考えている余裕がない。足を止めているのももどかしくて小さく足踏みしながら返答を考える。
中層の家屋が一つ炎に包まれた。そこから獣の咆哮が聞こえている。クロンが戦っている場所ではない。魔獣三体はまだクロンと交戦中だ。
さらにもう一つ、建物が崩れる音と誰かの悲鳴がこだまする。下層地区が地獄と化している。やっぱり魔獣は下層中にいるんだ。
もうこんなところにいるべきじゃない。あの場はクロンに任せて早くエリサたちと合流しないと。
考えている時間はなかった。だから
「彼はとっても強い僕らのリーダーです。だから心配しないで!」
そう言い残して中層地区の内部へと急いだ。
* * *
ソラがいなくなったことを確認して、クロンは息を一つ吐いた。
中層にだっていつ危険が及ぶか分からない。この異常事態に一人行動は危険だ。エリサとミルシェ、二人がいれば何とかなるはず。
過保護過ぎるのはクロンだって分かっている。ソラの閃撃魔法があれば目の前の魔獣だってもっと楽に倒せるだろう。
だけれどクロンは頼らない選択をした。自身の能力を過信している訳ではない。「自分がソラを巻き込んだ」そう責任を感じるクロンにとってソラの安全は最優先事項なのだ。
グルルルァァァー!
魔獣が咆哮を上げながら突撃してくる。
クロンは咄嗟に魔獣の胴体の下に身体を滑り込ませると無抵抗の腹を蹴り上げた。
僅かに浮く魔獣の身体。クロンが真下から聖剣を合わせ魔獣に突き刺す。深紫色の血液が噴き出し聖剣を血で染める。
聖剣を振り払うと魔獣が地面に転がった。
「これじゃあ体力使いすぎるな」
巨体を蹴り上げた足が痺れている。肉体戦はクロンの得意とするところではないが、聖剣で安直に斬りつけても手応えがない。
立っている魔獣は二体、今の一体もまだ死んでいないだろう。
下層で鳴り響く悲鳴と咆哮。他の場所でも冒険者が襲われている。急いで救援に向かわなければ。
(冒険者…………?)
引っかかりを覚えて思考を止めた。
どうして冒険者だと断定したのか。それはきっと他のみんなは中層地区にいるはずだから。
では本当に冒険者以外の住民はみんな中層地区にいるのか。
『先生の数が足りないので月鏡祭はパレードだけ見に行きましょう』
毎年言われていた言葉。この言葉を聞くたびに落胆していた。
脳裏によぎるのは子どもたちの笑顔、メアリー、ジンとヒナ、そして院長先生――――
「まずい……」
駆け出しそうとしたクロンの進路を魔獣が塞ぐ。
クロンは聖剣を抱え直すと舌打ちをしながら言った。
「ったく、おまえらに構ってる余裕なんてないんだよ」
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