モルトゥルク編 第二十六話 あっけない逮捕劇
『水路に毒がばら撒かれている模様』
街中に警報が鳴り響き男性の声で信じられない報告がされた。
『浄水システムが作動しているため生活水の心配はございません。ただし水路に落ちると最悪死亡する可能性がありますので、近づかないようお願いします。我々ギルドはただいま原因追及・解決に動いております。詳しくは――――』
中層地区を歩いているときに聞いた放送に僕もクロンたちも硬直して動けないでいた。
さっきまで鳴っていた音楽も放送に遮られて一時止まっている。聞こえていた陽気な会話も困惑する人々の声に変換されていた。
「誰がそんなこと」
「ただのイタズラなんじゃないの?」
楽観的なエリサ。僕は彼女とは対照的に湧き上がる不安を払拭できないでいた。
「毒を撒くなんて、イタズラもモルトゥルク式だねぇ」
クロンが独り言を呟く。
イタズラで毒を撒くなんてありえないとみんな分かっている。分かった上でクロンは僕らが首を突っ込むべき事案ではないと線引きをしているのだ。
中層地区からギルドへ向かっている最中の出来事だった。祭りの開催が近づき、クエストをこなす冒険者がさらに減少しているはず。今なら豊潤なクエストが選び放題だろうという思惑である。
ギルドがある下層地区には水路に掛かる橋を渡らないと行くことはできない。「水路に近づくな」と言ってもさすがに橋ぐらい渡っても良いだろう。
しばらく無言で見つめ合う。僕の意見だけでは不十分だ。どちらかというと緊急事態に慣れているであろうクロンの指示に従いたかった。
「大丈夫、すぐ解決するよ。俺らはいつも通りでいい」
「そうね」
クロンの意見をたしかめてからふたたび歩きだす。すべての判断をクロンに委ねているのではなく、彼の意見が自然と一番信頼できるのだ。
きっと大丈夫、すぐになんとかなる。払拭できないでいた不安を上書きしていく。
ただそんな小細工もすぐに無用となった。水路に流れる毒も貴重なクエストも、一瞬にして頭の中から消し飛んだ。
悲劇は連鎖する。
いや人為的な行為ならばあたりまえかもしれない。
そして残酷ながら僕らにとっては望んでもない好機となる。
微かな弱々しい悲鳴だった。けれど研ぎ澄まされた神経によって僕ら全員そのSOSを聞き逃さなかった。
「クロン!」
僕が呼びかけるより先に、クロンは斜め前に伸びた路地に飛び込んでいった。慌てて僕ら3人もついていく。悲鳴に気づかなかったであろう通行人が「なにごとだ」と驚いた表情で僕らを見つめている。
路地の前にたどり着いた僕ら。正面に広がる光景に、僕らは唇を噛みしめた。
僕らの目に映ったのは血溜まりに倒れる冒険者の姿。
顔面から血液の海に倒れた人物は、長い髪を自信の鮮血で濡らして両手足を力なく投げだしていた。身体の近くに紫色の魔法杖が転がっている。
女性の魔法使いだ。
「ミルシェ、治癒を」
「うん」
そう応える彼女はすでに十字架の杖を握りしめ治癒を始めていた。
窒息状態になっていた魔法使いの気道を確保して淡い光で彼女を癒やしていく。よく見ると女性の背中には刺し傷が痛々しく残っていた。そこから流れる血液がミルシェの治癒によって治まっていく。
路地で冒険者の背中に刃物を突き刺す。やっぱり同じ犯人。
「この路地は一本道だ。1つ奥の大通りに面している出口にエリサとソラは向かってくれ。挟み撃ちにする」
「分かったわ。ソラ!」
「う、うん。浮遊魔法」
躊躇いを隠しつつ浮かび上がる。エリサが伸ばした手に僕の手を重ねた。
空を飛び回るために密かにエリサと練習していた。飛行魔法が扱えない僕を見かねてエリサが提案してきた合わせ技だ。
さっきの悲鳴が被害者のものだとしたら、犯人はまだこの路地にいる。1本先の通りに逃げられたら探すのが困難になる。犯人は逃走するために軽装で武器も短剣だけだろう。それなら僕たちにも十分足止めが可能だ。
せっかくの好機。絶対逃がさない。ここで決着をつける。
「風操魔法」
渦を巻いた旋風がエリサを宙へ運ぶ。僕の手を握りしめてエリサが空に飛んでいった。
引っ張られるかたちで僕も空の旅へと誘われる。僕の足元にも小さな風の塊ができていて、浮遊魔法では補いきれない動力を与えてくれている。
建ち並ぶ建物を飛び越えて空を駆けた。あまりのスピードと高さに、平気な顔をしているエリサが不思議で仕方がない。
「離さないで!」
エリサの叫びに彼女の手を掴み直す。腕に掛かる負荷に筋肉が悲鳴をあげている。ここで離したら空中に取り残されてしまう。
すべてをエリサに預けてただ彼女にくらいつく。
方向感覚も失いかけた瞬間、急激に下方向へ引っ張られた。手放しそうになる意識を意地だけでつなぎ止めた。
やがて落下が穏やかになっていく。そっと下を見ると地面がすぐそこまで迫っていた。
無事反対側の大通りに着地したと同時に溜まっていた空気を思いっきり吐き出した。「疲れた」と声にださずに呟く。
「はやく!」
息を整えていた僕にエリサが鋭く言った。すばやく路地に飛び込んだエリサの背を必死に追っていく。ここで終わりではない、ここからが勝負だ。
散乱したゴミを飛び越え、うねる道を壁に手をつきながら進む。長くないはずの路地がどこまでも続く迷宮のように感じられる。
街の活気から外れ薄暗く濁ってきた空気に顔をしかめた瞬間、そいつは現れた。
短剣を片手に路地をこちらに向かって走る――――体格からして男だ。
「止まりなさい!」
エリサが叫ぶ。煌びやかな魔法杖を構えて迫る殺人犯に物怖じず立ち向かう。
犯人の手には鞘に収まった短剣が握られていた。
ビシャッという不快な音とともに血だらけの刀身が引き抜かれ、くすんだ地面に真っ赤な弧が描かれる。
逃走から戦闘へ切り替えたことが犯人の狂気から伝わってきた。
短剣を前に構えて突進してくる犯人にエリサが短く唱える。
「風操魔法!」
魔法杖から放たれた風の刃が文字通り空気を裂いて進んでいく。見えるのは緑がかった空気のブレだけ。
この暗い路地では迫り来る刃を避けることすら困難だ。
しかし犯人は止まらない。短剣の鞘をこちらに投げつけて斬撃の位置を把握。そのまま短剣を前方に押し出して風の刃を受け止めた。
短剣だけ捌ききれないと判断したのか、自身の腕を盾代わりにして強引に風を薙ぎ払う。彼の腕から鮮血が噴き出して無機質な壁に模様を刻む。
捌ききれなかった分は膝をたたんで上体を後ろにずらして躱した。犯人の背後に飛んでいった魔法が暗闇に消えていく。
戦闘慣れした滑らかな動きだ。経験から最適解を導く戦い方、やはりこいつの正体は冒険者以外ありえない。
犯人は下層地区の冒険者――――
今はこんなこと考えている場合ではない。
犯人の後方に影が見えた。
「閃撃魔法!」
すぐにエリサの後ろから魔法を飛ばす。
直進する純白の光は屈んだ犯人の頭すれすれを通って、モルトゥルクの空へ打ち上げられる。体勢を崩した犯人の足が止まった。
エリサの隣に並んでふたたび杖を構え犯人の進路を遮った。
これでいい。僕がすべきことは犯人を足止めすることと、”彼”が正確な距離を測れるように対象を照らすこと。
犯人の背後から駆けてくる足音。
静かな息遣いに乗って空気が弾けるような音が聞こえてくる。
犯人が振り返った。
スパンッ!
犯人が咄嗟に突き出した短剣に、握った手ごと細くしなやかな紐のような物が絡みつく。紐の反対側には走ってくるクロンの姿が見えた。
鞭だ。
クロンの背丈ほどある長くしなやかな鞭。何度か練習しているところを見たことがあるけど、実践ではこれが初めてだ。狭い場所では扱いずらそうな獲物をクロンはいとも容易く使いこなしている。
クロンが鞭を引っ張る。絡みついた鞭に抵抗できず犯人が短剣ごと引き寄せられた。
思わぬ攻撃に犯人が無抵抗でクロンのもとへ誘われる。
飛び上がったクロンが犯人に向けて足を振り下ろした。
犯人の顔が一瞬見えたときふと違和感を覚えた。何が引っかかったのか分からないまま――――
的確にうなじを狙ったクロンの蹴りが犯人に見事命中した。
ガクッと項垂れる犯人。骨が軋むよな鈍い音と犯人の短い悲鳴が路地に広がった。
インパクトの瞬間、犯人が衝撃の方向に身体を投げたように見えた。少しでも衝撃を和らげようとするその判断は、やはり戦闘慣れしている。
ただクロンの蹴りが想像以上に容赦がなかった。
あっけない逮捕劇。
情報戦でも何でもない、クロンの傍で犯行を行った犯人の不運と、逃がさなかった僕らの武力での勝利。
路地に転がって動かなくなった犯人を睨みつけ、クロンは短剣を鞭を外して短剣を奪いとる。
事前に用意していた犯人のものとは別の鞘に刀身をしまうと
「ほら、証拠品」
と僕に投げ渡した。
鞘から刀身を引き抜くとべっとりと血液が付着した短剣が姿を現した。
「「うわぁ……」」
覗きこんでくるエリサと一緒に込み上げる不快感を吐き出す。
鞘の中を覗いてみると血液が付着していなかった。たぶん証拠品を収納する魔道具なんだろうけどとても不思議だ。
鞘に短剣を戻しつつ視線をクロンに戻した。
クロンは犯人の懐をあさっていた。他に武器がないか確認するためだろう。手慣れてすぎていて、金目の物を探す盗賊みたい。
やがてクロンはうつ伏せに倒れた犯人をひっくり返した。さっきまでは暗くてよく分からなかった犯人の顔が露わになる。苦痛に歪んだ表情のまま気絶している。
「こいつ、ギルドにいたやつだ」
僕も見覚えがあった。
事件の聞き込みをしている最中もギルドの端で楽しそうに談笑していた男だ。パーティーメンバーと仲良く酒を飲み合う彼は、人当たりも良さそうでどちらかというと好印象だった。
彼に聞き込みをした際も親身に話を聞いてくれたし、質問には嫌な顔せず答えてくれた。
悲鳴をあげて倒れていた女性も思い返せば男の仲間だった人だ。
パーティーメンバーにも慕われてそうだった彼がどうしてこんな…………
「クロンさん、みなさーん!」
僕とエリサの正面、クロンの背後から僕らを呼ぶ声と駆け寄ってくる足音が聞こえてきた。
クロンが犯人を鞭で縛りながら顔だけを向ける。
「大丈夫ですか?」
「キルガレスさん!?」
「うわぁっ! まさか犯人!?」
縛られ中の犯人を前に路地を駆けてきた青年、キルガレスが顔を引きつらせてピタッと足を止める。
「どうしてここに?」
「悲鳴が聞こえたんですよ。それで路地に向かったらミルシェさんが倒れている冒険者を治療してて。クロンさんたちが犯人を追って行ったと聞いたもので」
「よく追ってきましたね。取り逃がしてたら襲われてたかもしれないんですよ」
「つい…………」
恥ずかしそうに頭を掻くキルガレス。面倒ごとに首を突っ込むタイプなのは意外だ。もっと慎重で計算高い人だと。
キルガレスは犯人に近づくでも離れるでもなくオロオロとその場を歩き回っている。やっぱり勢いでここまで来てしまったのだろう。
遠回しに危険な行為を咎められたことが気まずいのか、挙動不審になっているキルガレスが可笑しくてエリサと顔を見合わせて苦笑した。
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