モルトゥルク編 第十八話 孤独な少女
勉強の時間になったとのことで、子どもたちはメアリーに連れられて孤児院の中に戻っていった。
クロンはエルティナと院長先生がいるという院長室に向かう。
通り過ぎる部屋を眺めながら、育った孤児院の現在の姿にかつてを重ねた。どこも思い出の中のクロンとハイドが楽しそうに遊んでいる。
曲がり角に位置する部屋から子どもの泣き声が聞こえてきた。そっと覗くと職員の方とその胸に顔を埋めて泣く3歳ほどの男の子がいた。
この部屋は親元を離れたばかりで気持ちの整理がついていない子や、まだ1人で身の回りのことをできない子どものための場所。
やがて落ち着いた子は他の子どもたちと遊ぶことで過去を洗い流していくのだ。
「全然変わらないな」
「懐かしいでしょ?」
「ああ、懐かしい」
ハイドを追っかけていた日々。彼になろうと努力した毎日。
『必ず他に理由がある』
ハイドとの思い出が蘇るたびに、ソラの言葉に縋りたくなる自分がいた。追放されて絶望の淵に立たされたクロンを救ってくれたあの言葉に。
廊下を進んだ先に両開きの扉が見えた。さっきまでも部屋とは異なる堂々とした存在感。
昔ハイドと一緒に興味本位で侵入して怒られたことを覚えている。「先生を足止めして」「訪問者が来る周期を確かめて」なんて策を練っていた当時は冒険みたいで楽しかった。
院長室の扉の前に背筋を伸ばして立つ。行う予定の挨拶と簡単な報告を頭の中で繰り返してから、扉を指の背で数回叩いた。
「ご連絡いたしましたクロンです」
「ますますシワが増えたように見受けられますが、お元気そうで何よりです」
「変わってなさそうで安心したわい。ずいぶん遠くに行ってしまったからなぁ、クロンもハイドも」
クロンの軽い言葉にシワをさらに刻みながら微笑む男性。彼こそがこの孤児院の院長であり、両親に捨てられたクロンを拾ってくれた恩人だ。
年齢はまだ60歳前後のはずだが、早いうちから顔にシワが目立っていたため、クロン含め当時の孤児たちからいじられていた。そんな子どものいじりを寛容に受け入れる寛大な器の持ち主である。
「どうかな? 久しぶりの孤児院は」
「あの頃を思い出しますね。6年しか経っていませんが建物はだいぶ古くなったように感じます」
「改修したいのはやまやまだが、費用がねぇ」
「もしかして2階のあの廊下もそのままですか?」
この孤児院には前々から危険だからと通行禁止となっている廊下がある。床板がその部分だけ劣化が激しく、乗るといつ踏み破るか分からない。子どもたちからは『奈落』と呼ばれていて、その両側には『通行禁止』とテープが張られていた。
「ああ……子どもだけなら乗ってもまだ平気そうだからと放置されていてなぁ。危険だからはやく直さないといけないんだが」
表情を暗くし声のトーンが落ちる。院長としては子どもの危険が何より心配なのだろう。
「俺が魔王を倒すまで待っててください。そうしたら費用はいくらでも負担しますから」
声を張って明るく言う。
今はこんな生活をしているが、クロンだって上級冒険者。ハイドの元へ帰ることができればお金に不便はしない。魔王を倒したとなればなおさらだ。
少ない空気を目一杯絞り出すように院長が笑った。
「すっかり大きくなったなぁ。『冒険者になる』って息巻いていた子どもがここまでの大物になるとは。これで魔王を倒したとなればいよいよ頭が上がらない」
「どんなに時間が経とうが俺の実家はこの孤児院で俺の父親は院長先生です。今後いくらでも頼ってください。ハイドと一緒に助けに行きます!」
何の打算もないクロンの紛れもない本心だった。孤児院の危機となれば他をかなぐり捨てて助けに向かう自信がある。『ハイドと一緒に』の部分が守られるかどうかは、旅の結末次第になってしまうのは申し訳ない。
ハイドのことを尋ねられるかもしれないと思っていたが、院長先生は満足げに頷くと
「ほんとに……立派になったなぁ」
としみじみ呟いただけだった。
中に向けて一礼してから院長室の扉を閉める。幼少期から染みついた癖に気づいてふと笑みがこぼれた。
目的は達成したクロン。夕方まで暇なこともあり「ゆっくりしていって」と言う院長先生の言葉に甘えることにした。
曲がり角に面した部屋をまた覗いてみると、さっき泣いていた男の子は女性職員の方に抱かれて眠っていた。布団に下ろされそうになると、男の子が女性の服をギュッと掴んで「んーー」と抵抗の声を上げる。
覗いていることに気づいた女性が男の子を抱えたままクロンに会釈をした。クロンも慌てて会釈を返す。クロンがいたときも職員として働いていた人だった。
邪魔になってはいけないと部屋から離れて歩き始める。院長先生との会話中にいつの間にかいなくなっていたエルティナを探しつつ、子どもたちの様子も見るつもりだった。
自分が以前使っていた教室にでも行こうかと廊下を進んでいると、孤児院内に聞き馴染みのある音楽が流れてきた。落ち着いたトーンであるのに神経が刺激される。
その理由を騒がしい子どもたちの足音がしたと同時に思い出す。
玄関付近にいるクロンから段々離れるように足音が小さくなっていく。玄関の反対側に隣接した広場に向かう元気な声が孤児院全体に響き渡っていた。
『遊戯の時間』だ。
元気に遊ぶことを『強制』される時間。
とはいってもみんな勉強で固まった身体をほぐそうと広場に飛び出すため、遊ばないで怒られるなんて滅多にない。トレーニングに使おうとするハイドを先生が「子どもらしく遊びなさい」と呆れて注意していた。
「あ、クロンさん」
クロンが歩いている廊下に面した部屋から、小さい子どもと手を繋いだメアリーが出てきた。
「もう院長先生とのお話は済んだの?」
「うん、全然変わってなくて驚いた。でも安心した、元気そうで」
「院長先生、クロンさんのことすごく気に入っていたみたい。クロンさんが孤児院を出て冒険者になった後も、わたしたちに『こんなに凄い人がいた』ってよく話してくれてるの」
「そんな気に入られてた感覚ないな」
微笑するクロンに意外そうなメアリー。
目の前の廊下から少女が1人駆け寄ってきた。メアリーの手に繋がれた少女の空いた手を駆け寄ってきた少女が握る。
「遊んできて」そういうメアリーに頷くと、少女2人は手を繋いで笑顔で去って行った。
「わたしクロンさんがうらやましい」
2人の背を目で追いながらメアリーが呟く。
「クロンさんは孤児院でハイドさんという親友ができた。そして自分を想ってくれるエル姉もいる。2人ともクロンさんと同い年。孤児院っていう生まれも事情も違う施設の中で、そんな友達ができるなんてすごいと思うし、うらやましい」
自分より高い位置にあるクロン顔を見上げたメアリーが寂しげに微笑む。最初に挨拶したときの子どもらしい笑顔はどこにもない。
クロンが何も言わないことを確認すると、メアリーは続けた。
「わたし同い年の子がいないの。一番歳が近いのは2つ下のヒナくんとジンくん。2人はすごく仲良しでいつも一緒にいる。いつから仲良くなったのかは分からないけど、気づいたときにはもう2人にしか見えない絆みたいなもので繋がっていた」
メアリーがクロンから視線を切ってゆっくりと歩きだした。クロンも自然と彼女についていく。
「みんな歳が近い子と仲良くなって、一緒に遊んで、一緒に勉強して。孤独だった自分にお別れしていく。みんなが普通だと思ってやっていることがわたしには普通じゃないの。わたしには…………そんな人いないの」
かすかにメアリーの表情が翳る。
「さっき手繋いでいた子は? エルティナもそうだし、小さい子たちだってメアリーのこと大好きそうにみえたよ」
院長先生室に行く前、メアリーに連れられた子どもたちはみんな幸せそうに彼女に話しかけて、手を握って、笑っていた。あの笑顔が嘘だなんてクロンは思わない。
「もちろん、みんなわたしのことを大事にしてくれてる。『好き』って言ってくれる子もいる。けれどお世話する側とされる側っていう立場があるから、ヒナくんとジンくんみたいな関係には絶対になれない。純粋な『友達』になんてなれない。最年長になって、優しく構ってくれる年上の子がいなくなって改めて実感したの、わたしはまだ孤独だって」
メアリーがどうしてこの孤児院に来たかは分からない。ここではその質問はタブーになっている。ただ彼女だってここにくるまでは孤独だったはず。
優しそうな子どもたちに囲まれて、本人もその子どもたちも幸せそうに見えた内側には、1人で抱えた苦悩が潜んでいた。
『”孤独”が怖い』
クロンが長年抱えてきた感情、ハイドに捨てられて再び思い出した苦しみ。しかし逆に言えばクロンはハイドに出会ったことで救われた。孤独から解放された。
メアリーはまだあの暗闇の中を歩いている。周りに灯る柔らかな光を幻だと錯覚し、自分がどこへ向かうかも分からないままただ彷徨っているのだ。
どんなに眩い光でも目を閉ざしたままではその明るさに気づくことはできない。
「ごめんなさい。クロンさんと話したかっただけなのに、こんな重いこと言っちゃって。はやく行かなきゃ怒られちゃう」
完全に口をつぐんでしまったクロンにメアリーが明るく言う。
クロンの目の前にはすでに芝生色に染まった広場が広がっていた。
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