モルトゥルク編 第十六話 大地の怒り
女性が腕を横に広げる。突如彼女の手にごつい魔法杖が握られた。ハノークのものとは違う、僕と同じ本格的な魔法杖。
茶色い大木をそのまま杖にしたようなデザインは、とても女性が持つ杖には見えなかった。
「おい、少年。ただ飛んでいるつもりか?」
不意に視線を向けられ心臓が大きく跳ねた。外野だと思っていた場所が戦場に早変わりする。息が荒くなって手も震えているのが分かった。
ハノークの仲間だと考えているのだろう。
鋭い視線が僕を貫く。
「それとも、きみから仕留めようか」
一段階女性が声を低くして言う。
冗談でも何でもない、彼女にとって僕を仕留めることなんて造作もないんだ。ハノークとの戦闘を妨害されるくらいなら僕から始末した方がいい。
見逃してくれるかもなんて淡い期待、無意味だった。彼女は絶対僕を逃がさない。口封じの意味も込めて僕を殺す。
「待ちなよ」
ハノークが女性に短く告げる。強ばりが幾らか和らいだ、いつもの調子だった。
「こんな『おもちゃ』を振り回す俺より、本格的な魔法杖を持っている彼の方が怖くなったのか? あいつはただの非力な少年さ。手出しするのは俺を倒してからでいい」
煽るような口調で僕を庇ってくれている。
きっと彼だってこの女性に勝つ算段なんてないのだろう。けれど僕を巻き込まないために、危険にさらさないために女性に立ち向かってくれている。
やっぱりハノークは、誰よりも冒険者だ。
「ふん。仲間の絆なんて興味ないが、まぁいい。少し順序が入れ替わるだけだ」
女性が手に握った大木のような魔法杖を地面に突き刺す。杖は自然と同化し、まるで本物の樹木のようにそこに立っている。
彼女が魔法杖に手を掛けた。森のざわめきが聞こえる。木霊から霊気を受け取り魔力を分け与える。森との、自然との等価交渉。
今僕らの前にいるのは魔法使いなんかじゃない。自然の力を譲り受けし人智を超えた何かだ。
湧き上がってくるのは、つかみどころのない嫌な予感。
「我が手に集いし木霊の魂よ、」
彼女が詠唱を始めると同時にハノークが「まずい」と呟いた。僕も察した、彼女の使おうとしている魔法を、そして僕らが絶対に勝てないということを。
ハノークは宙に浮く僕を見上げると腕を大きく振り上げて
「ソラ!! 逃げろ!!」
決死の形相でそう叫んだ。
「愚かなる邪心に裁きを下せ」
「させるかよ!!」
ハノークが女性に突撃していく。魔法を発動されれば負け、一瞬の躊躇いが死を引き寄せる。
魔法杖を拾い上げ低い体勢のまま、彼女へ尖った魔法杖を突き出した。封印魔法が効かないことが判明した以上、物理的に倒すしかない。
「逃げろ」とハノークから言われたけど、浮遊魔法はそこまで万能ではない。移動するためには地上に降りる必要がある。
だから僕ができる最善は
上空でハノークを援護すること。
女性は魔法杖を掴んだまま動かない。それどころか目を瞑って、迫るハノークを完全に無視している。無防備で隙だらけの格好なのに、どこか不気味で悪寒が止まらなかった。
ハノークの魔法杖が彼女の喉へ伸びる。命が懸かっているのだ、容赦がない。細い魔法杖の一撃で倒すには仕方がないのかもしれないが、僕にはできない選択だった。
あと少しで届く。あと少し、あと――――
「樹霊魔法」
地上にいないのに大地の震えを感じた。地震の類の揺れではない、森が1つの生き物として力を解放したときの森自身の身震いだ。森全体が僕らを拒んでいるような、枝を失った樹木の怒りが増幅していくような、目を背けたくなるほどの圧迫感と威圧感。
女性が突き刺した魔法杖。その周辺の土が割れて樹木の幹が飛び出してきた。木面は普通の木と変わりない。
しかしその形状は真っ直ぐではなく触手のごとくうねっていた。
『樹霊魔法』
威力も物量もトップクラスの殲滅力に秀でた魔法。術者がその場から動けなかったり、樹木が周りに生えていないと発動できなかったり制約の多い魔法でもある。
森の中、しかもこの狭い空間では誰がこの魔法に勝てようか。僕とハノークが感じた絶望の正体だ。
先端には葉も枝もなく、ただの触手をもった化け物と成り果てた樹木がハノークに向けて一直線に伸びる。
「ぐあっ!!」
鈍い打撃音とともにハノークが後ろに吹き飛んだ。腹に樹木の一撃を受けて苦痛に顔を歪める。戦況が一気に傾いた。それも最悪な方向に。
樹木に押される形で後ろに飛ばされたハノークは、そのまま周囲に生えた不動の果樹に激突した。もう1度彼の悲鳴が骨の軋む音に混ざって鳴り響く。
彼の口から真っ赤な血がこぼれ落ちている。背中を強打して口を鮮血で満たされ、呼吸しずらそうに肩を激しく揺らす。
ハノークが歯を食いしばりながら腹に密着した触手を掴むが、その圧倒的な力にビクともしていないようだった。
やがて触手がハノークの身体を覆いだした。腹に密着していた触手がハノークの背後に佇む樹木に絡みついて彼の行動を封じる。彼を呑み込んで触手が本物の樹木と融合していく。
首の辺りまで伸びた魔の手はやがて彼の顔を捉えると
鼻と口までもを完全に覆ってしまった。
ギリギリと締めつける音が生々しくて耳を塞ぎたくなる。瞳孔が開いて彼の顔がどんどん青ざめていく。息ができないのだ。
女性が魔法を解除する気配はない。むしろ手の甲に筋が浮かび上がっていて、確実に仕留めるために魔力を再度込め直しているように見える。
ハノークが殺される…………
僕自身のリスクを考える余裕などとうにない。苦しんでいる彼の瞳が僕を捉えたときにはすでに
「閃撃魔法!!」
そう叫んでいた。
リスクも期待も頭になかった。浮遊魔法のために残していた魔力をすべて込めて魔法を穿つ。自分の全力でハノークを救いだす。
絶対に殺させない。僕の目の前で人が死ぬなんて、そんなことは許さない。せっかく守る力を手に入れたんだ。
断言できる、ハノークは――――
ここで死ぬべきじゃない。
純白の光が地上に飛んでいく。
彼女を狙ったところで防がれる。だから狙うべきはハノークと彼女の杖とを繋ぐ樹木の触手。
感情の高ぶりで余計な魔力を使いすぎたのだろうか。見たことないくらい太いエネルギー波だった。触手を断ち切るにはこれくらい必要だとしても魔力を使いすぎた。
魔法を放った衝撃で身体が後ろに流れる。浮遊魔法を失った僕はそのままの体勢で地上へ吸い込まれた。
落下していく身体に身を委ねながら、魔法の行方を目で追う。
閃撃魔法は見事にハノークと魔法杖を繋ぐ魔の手を断ち切ることに成功していた。断面が焦げたハノーク側の触手が徐々に形を失っていく。あれも結局は魔力の塊なのだろう。
ハノークが解放されたのが分かった。ボロボロと彼を覆っていた樹木が崩れていく。彼も意識ははっきりしている様子で強く咳き込んでいる。
良かった。一時的ではあるけれど助かったみたいで。
意識を自分に戻した。次は僕の番、落下をどうにか止めなければ。何か掴まれるものはないか、周囲の枝に手を伸ばすがギリギリで届かない。
辺りを見渡す僕の視界にこちらに高速で迫ってくる樹木が映った。その先端はさっきとは違って鋭く尖っている。
質量と形状、両方が命を刈り取る矛となる。
あれに貫かれたら、僕は死ぬ。
こんなところで……嫌だ、嫌だ、嫌だ!
ハノーク以外誰もいないこの場所で。クロンたちにも気づかれることなく死ぬなんて絶対に嫌だ!
宙を引っ掻き空気を蹴りつける。ただ揺れるだけの身体をそれでも必死に動かした。どうにかしないといけない。それなのに…………
焦りと恐怖に顔が歪む。目の前の死を受け入れられずに迫る樹木を掴もうと手を伸ばした。
死にたくない…………
しかし現実は僕の意思とは正反対のところにいるらしい。
伸ばした手よりも早く目の前に迫った樹木は、容赦なく僕の
額に突き刺さった。
痛みを感じるより先に僕の意識は彼方へ消える。臆病はこういう時に役に立つ、なんて今さら知っても遅い。
「ソラ!!」
最期にハノークの叫び声が聞こえた気がした。
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