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モルトゥルク編 第十五話 魔法を越えた魔法

 ハノークが目を見開く。

 魔法杖を握っていない左手を身体の回転とともに後ろに伸ばしながら


封印魔法(シールス)!」


 そう唱えた。

 しかし彼が振り回した手は無情にも対象に触れることなく空を切る。その空間にはすでに誰もいなかった。封印魔法が不発に終わる。

 舌打ちをして「クソッ!」と吐き捨てるハノーク。

 

 悔しそうに眉間にシワを寄せる彼を前に、僕は驚愕の表情で固まっていた。

 あいつはいったい何をしたんだ。理解が追いつかない。


 今、僕の目の前でありえない現象が起こった。


 僕がハノークの背後に佇む人影に気づいた瞬間、もうハノークは身体を回して魔法を掛けていた。あのままいけば仮に避けられたとしても追撃で触ることぐらいはできたはず。

 彼の伸ばした手が人影に触れる瞬間、そいつはハノークの背中に隠れた。身体を屈めて僕の死角に入ったのだと思ったのに、振り返ったハノークの前にはすでに誰もいなかったのだ。まるで初めからその場にいなかったかのように、あいつは忽然と消失した。


 極限状況に置かれたことで疑問に脳を働かせられない。

 さっきの野盗とは訳が違う。


 1度でも油断したらやられる。


「粗い魔法だな。そんなで勝てるわけがない」


 低い女性の声が僕らの耳に届いた。男口調で威圧的な声。


 周りの樹木が風に揺らされざわめきだす。森が共鳴し僕らの不安感と緊張感を煽っていく。野盗との戦いを前座に仕立て、「さあ、本番はここからだ」と僕らに戦闘態勢にはいることを強いている。

 目に見えない何者かへの恐怖。全方位から監視されているようで落ち着かない。悪魔戦と異なるのは”敵”は間違いなく”人”であるということ。


 風がうるさい。女性の声がどこから聞こえたのか判断できない。手当たり次第あたりを見渡す。

 野盗たちは…………ちゃんと4人転がっている。他に見るべきは樹木の隙間。ここではないとすると残るは――――


 上!!


 !?

 

 軍服のような格好をした女性だった。全身を緑みを帯びたくすんだ茶色で覆い、被った帽子から後ろでまとめたえんじ色の髪が見える。両手を腰に当てて見下ろす彼女は、顎を引いてこちらを見下していることが分かった。

 

 人が宙に浮いている、冒険者なら見慣れた光景。魔法使いなら尚更だ。

 

 けれど僕は開いた口が塞がらなかった。理解が追いつかず脳がパニックを起こしている。

 その理由はただ1つ


 彼女は魔法杖を持っていなかったのだ。


 あの安定感は間違いなく飛行魔法だ。浮遊魔法ではない。

 魔法杖を使わなくても魔法を操れる魔法使いも熟練ならいるらしいとは聞く。しかしそれは攻撃魔法みたいな瞬間的な魔法に限った話。魔法杖を中に入れることで持続できる収納魔法を例外にして、他の飛行魔法のような継続的な魔法ではまず不可能だ。


 何がどうなっている。あれは魔法なのか、それとも人智を越えた神秘…………


 ハノークが魔法杖を彼女に向けて構える。彼の持つ細い棒がひどく頼りなく感じてしまう。あの魔法杖では彼女に届く魔法を放てない。


「ぎゃああー!!」

「なに!?」


 地上から悲鳴があがった。思わず上げた声とともにハノークと悲鳴の主、大鉈男に視線を向ける。

 いきなりどうしたというんだ。


「え…………」

 

 さっきまで無謀にももがいていた男、その腕と足がピタリと動かなくなっていた。男の顔が頬から地面に突っ伏している。白目をむいて泡を拭いている。

 

 彼は悲鳴をあげたあと、気絶していた。


「どうして……」


 困惑の解決を求めて上空を見上げる。そこには青空が広がっているだけで、女性の姿はどこにもなかった。


「いない!!」


 音もなく消えた女性、突如悲鳴とともに気絶した男。何が何だか分からない。ただこの一連の出来事はたしかにあの女性による犯行だ。


「ぎゃああー!!」


 ふたたび鳴り響く悲鳴。さっきのものより少し高い。僕でもハノークでもないってことは


「ぐあああー!!」


 また聞こえた。似ているが異なる悲鳴。

 枝で隠れた野盗3人を見てようやく分かった、野盗たちが襲われている。大鉈男と同様、気絶させているのか。

 いや、もしかしたらすでに――――


 全員を狙っているとしたらまだ足りない。まだ悲鳴が鳴っていない方向は


「ぎゃああー!!」


 僕の視線の先で最後の悲鳴が鳴り響く。

 残りの野盗を発見した瞬間、近くを黒い影が横切った。野盗とすれ違った瞬間、影が野盗に近づいて何かをしていた。その瞬間悲鳴があがって、野盗はそのまま地面に倒れ込んだのだ。魔法を掛けているのか?


「ハノークさん…………」


 顔面蒼白のハノークが視界に映る。彼も今、焦っている。


「まずい…………」


 ハノークが静かにそう言った。唇を震わせて魔法杖を固く握りしめている。


「あいつだ」

「あいつ?」


 ハノークが応える前に樹木の陰から僕らの方へ走ってくる人物が見えた。手には何も持っていない。丸腰で僕らに突進してくる。


「ソラ、飛べ!!」

浮遊魔法(フローティング)!」


 ハノークの言葉に反射的に飛び上がった。最高出力で女性と距離をとる。ハノークを置いて逃げることに抵抗はあったが、今は彼を信じるしかない。

 ただ女性は飛行魔法を持っている。いくら逃げても浮遊魔法では彼女に勝てない。


 ハノークが地上で彼女と対峙する。

 

 女性が走りながら左手を顔付近に近づける。その瞬間、爪付近が刹那輝いた。太陽光の反射ではない、自ら光源となり光り輝いたのだ。

 それを合図に爪に彼女がキスをする。艶めかしくはない、儀礼的で機械的な所作。彼女の鋭い眼光が合わさり、恐怖が肥大していく。


 ハノークとの距離感をわずかに確認して、彼女が畳んでいた腕をいっきに伸ばした。光り輝いていた爪を装備した彼女の手がハノークに迫る。

 武器などは持っていない。危険はないはずなのに直感した。


 彼女に触れられればハノークはやられる。


 ハノークがもう一度強く舌打ちをする。

 

 それから彼は身体を屈めて体勢を低く落とした。持っていた魔法杖を彼女に投げて、その勢いを左足を軸にした回転に移す。

 振り上げた右足が、彼女の伸ばした腕のわずか下、脇腹付近に迫る。


 魔法を放つと思っていたのだろう。女性は目を見開いて攻撃を中断した。

 右足を後ろに投げて反動で身体を宙で前方向に回転させる。ハノークの足を空中で避けて、そのまま両足で着地した。


 背中を見せた!


 僕が気づいた彼女の隙にハノークが気づかないはずがない。

 空振った右足を地面に押しつけ、身体の動きの方向を無理矢理女性の方へ移す。低い体勢を維持したまま女性の背中に魔法を刻もうとふたたび手を伸ばした。


 また姿を消されるかもしれない。しかしもしそうなら僕は絶好の観察点にいる。どうやって消えたのか、どこに消えたのか、すべて暴けなくとも情報を得るんだ。


『推理とはいかにして断片的な情報を繋いで真実という像を鮮明に描くかだよ』


 ハノークが昨日言っていた言葉を思い出す。

 断片的な情報で彼女の瞬間移動の謎を解いてやる。頭を使うことがこの状況で僕にできる最善策だ。


 ハノークの手のひらが女性に届いた。隙のなかった女性から意外にもあっけなく隙を作る。今回は姿を消さなかった女性。発動条件でもあったのか?

 「きた!」とハノークが強きに笑うと


封印魔法(シールス)!!」


 自信満々にそう唱えた。

 勝った! 喜びで顔が明るくなったことが自分でも分かった。あの魔法に掛かれば誰だって戦闘不能のなる。

 そう外野から確信した――――のに。



 僕はまだ彼女をみくびっていたらしい。



 彼女の自由が効かなくなったはずの上半身が回転した。

 「なんで…………」ハノークが恐怖に歪んだ顔ですぐさま後ろに飛ぶ。彼も勝利を確信していたはずなのに、危機感知は切らなかったようだ。


 女性が薙いだ左手がハノークの顔面に迫る。ピンと伸ばして凶器となった指には、また爪が光り輝いていた。ハノークを見ることなく的確に相手の急所を狙っている。


 しかしハノークは落ち着いていた。彼女が動けることは想定外でも、その後の攻撃は想定内だったようだ。


 彼女の手が顔面を捉える瞬間、彼は手にしていた魔法杖を逆手に持ち替える。首を後ろにグイッと引っ張って攻撃をすれすれで躱すと、そのまま持っている魔法杖を女性の手のひらに突き刺した。


「うっ!」


 彼女から漏れる初めての苦痛の声。

 

 魔法杖のくせにやけに尖っているとは思っていた。しかしこんな使い方予想外だ。普通の魔法杖なら刺さるどころかちょっとの衝撃で折れている。

 たぶんハノークのものは刺撃を前提に作られているんだ。


 さすがの彼女も魔法杖が刺さると、ハノークから距離をとった。よほど驚いたらしい。

 一方のハノークはずいぶん誇らしげに「どうだ!」と女性を見つめている。


 傍観している僕まで息が荒くなっていた。

 恐ろしいくらい洗練された体捌きだった。それに両者、おそらく僕と同じ魔法使い。まるで拳闘家同士のバトルだ。

 駆け出し冒険者の巻き込まれていい世界ではない。次元が違っている。


「魔法だけじゃなかったのか。見誤ったな」


 ふたたび女性の低い声がする。振り向いた女性にはわずかな笑みが浮かんでいた。


 彼女は懐から正方形の布を取り出すと、怪我をした左手に乱暴に巻き付けた。言動一つ一つが野性的だ。


「もう油断しない」

 

 女性の一言で空気が一変する。ヒリついて触れるだけで敏感になった肌が切れそうになる。

 お互いが「本気を出すべき相手」だと認識していた。油断も隙もない、本気の戦闘が始まろうとしている。


 女性が短く言った。


「次は本気で仕留める」

ここまでお読みいただきありがとうございます


次の投稿はあさってです

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