タルカル編 第二十一話 エリサ誘拐事件
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翌朝になってもエリサのベッドに彼女の姿はなかった。空室となった彼女の部屋には荷物だけが綺麗に置かれているだけだった。
クロンはあれからも寝ずに街中を探してくれている。足手まといにしかならない僕を宿へ帰らせてから丸一晩。まだクロンは戻ってこない。
ぼーっと朝日に照らされたタルカルの街並みを眺める。どこもエリサと訪れたことのある場所ばかり。短い思い出だけが何度もフラッシュバックする。彼女と出会ってまだ全然時間が経っていないけど、こんなにも僕を満たしてくれていたなんて。
軽く両手で頬を叩く。こんなことをしている場合でない。僕にできることをしなくては。
そう思ってベッドから立ち上がったときだった。僕の視界に一枚の紙切れが映った。
部屋の外へと続く扉、その下の隙間に挟み込んである。
なんだろうか?
手に取ってふたつ折りの紙を開く。送り主の名前はない。
中には手書きの汚い文字が並んでいた。ゆっくりと読んでいく。
『エリサ』の文字を見つけて背筋が凍った。信じたくなかった。
『お前の仲間のエリサを預かっている。引き渡したいから北地区工場跡地へ1人で来い。誰かにこのことを漏らしたり約束を破ったりしたらこの女は二度とお前のもとに帰ることができなくなる。変な気は起こすなよ。ソラ、俺らは常にお前を監視している』
高圧的な文章だった。敵意を隠そうともしていない。
脅迫文。それも僕宛てに書かれたもの。
エリサを預かっている? 保護ではないことが文面から見てとれる。間違いなく彼女はこいつらに誘拐されたんだ。
誘拐犯の要求は身代金が一般的。ただの人攫いならこんな脅迫文なんか送らないでさっさと商人に売り飛ばすだろう。
可能性はふたつ。
エリサと僕両方を標的にしている場合。
もうひとつは、僕をひとりきりでおびき出すためにエリサを誘拐した場合。
少なくとも僕がひとりで出向いたら相手の思うつぼだ。人質を増やしクロンに脅迫を繰り返すことだって考えられる。
ならどうすればいい? 誘拐犯は僕らの利用している宿の部屋すら特定している。監視の目がどこにあるかも分からない。
クロン含めて誰かに漏らすことはできない。
扉の開いた音がした。慌てて脅迫文を隠す。
クロンが部屋に入ってきた。疲弊して沈んだ表情を見るに収穫はなかったのだと察する。
「タルカルをすべて回ってみた。でもエリサが居た形跡すら見つける事ができなかった」
肩で息をするクロンが苦しそうに言う。
「ギルドにも行方不明者として報告したが、そもそも冒険者は危険な職業だ。クエスト中の行方不明なんて日常茶飯事。まともにとり合ってくれないだろう」
悔しそうだった。自分を受け入れパーティーに誘ってくれた少女がこんな形で姿を消したんだ。
今すぐにでもクロンに脅迫文のことを伝えたい。
でもこの部屋だって安全か分からない。監視の方法が判明していない以上筆談もバレる心配がある。エリサに何かあることだけは避けなければいけない。
どうしようもなかった。
その後、僕はさりげなくクロンが北地区を見て回ろうと提案するように会話を誘導した。もしかしたら捕らわれているエリサを偶然発見できるかもと思ったからだ。
しかしクロンと北地区を回ってみたが、結局成果はなにも得られなかった。
昼を過ぎるころには僕は覚悟を決めていた。
最悪僕の身はどうなろうといい。必ずエリサだけは助けだす。
* * *
北地区はもともと魔道具を製造する工場地帯だった。規模は小さいが最新鋭の技術で生み出される魔道具の数々はタルカル内外から高い評価を得ていたらしい。
工場の移転が決まって機械類が軒並み撤去され、今は建物だけが残っている状態だ。
東地区と中央地区の過密化に伴い、北地区の再開発を望む声も少なくないと聞く。
昼間でさえ行政職の人が出入りする程度。ましてや夜中なら誰も近づかない。誘拐犯にとっては絶好の取引場所だ。
静寂が神経を尖らせ物音ひとつしただけで心臓が跳ねた。開けている分、幽霊山道よりは明るいが雰囲気は同じ重苦しいものであった。
幽霊山道ではあくまでクロンを追いかけて踏み込んだ。だけど今回は違う。はっきりとこちらに敵意を向けている人間が待っている場所に自ら赴く。
僕は工場跡地で一番大きい建物を目指していた。誘拐犯が待っているとしたらそこな気がした。
足音が響く。こんなにもうるさく感じたことなんて今までなかった。
暑くもないのに汗が額に滲む。
ひときわ大きな建物が視界に入った。荒廃した工場は塗装が剥がれガラスはすべての窓から取り除かれている。
かつての活気を感じさせないくらい寂れ、風だけが空しく通り過ぎていた。
これだ。きっと犯人はここにいる。
入り口は簡単に見つかった。
一度深呼吸で息を整える。ここまで来たらやるしかない。勇気を振り絞って入ろうとしたときだった。
「犯罪ですよ! 絶対駄目です、こんなことしたら!」
建物の中から声がした。若い女性の声だった。
必死になって何かを懇願している。エリサのものじゃない。
「うるせぇ! 口答えするんじゃねぇ!!」
「きゃっ!!」
鋭い悲鳴と共に鈍い打撲音が反響してここまで届く。
誰かが殴られた。
誰かが暴力を振るわれている? だけどエリサではないことはたしかだ。
仲間内のトラブルか?
考えても仕方がない。僕がするべき事は誘拐犯の指示に従うこと。そう自分に言い聞かせて一歩ずつ建物に足を踏み入れていく。
暗い工場内。そこに浮かぶは4つの影。
1人が椅子に座り、1人が地に伏している。残りの2人は倒れてる人物を見下ろしているようだった。
椅子に座っていた人物がこちらに気づいた。僕も同時に”彼女”の正体に気づく。
「エリサ!!」
思わず彼女の名前を叫んだ。
「ソラ……」
顔をあげ掠れた弱々しい声でエリサが僕を呼んだ。
エリサは両手を背後に回され椅子に全身を縛られていた。必死に身体をよじる彼女は動作がひどくぎこちなく痛々しい。
どれくらい縛られていたのだろうか。可憐だった彼女の顔はやつれ輝きを失っていた。
「ソラ、ソラ、ソラ……」
エリサが何度も僕の名を呼ぶ。だんだん言葉が崩れ息づかいだけが届くようになる。
まずい、エリサの容態がだいぶ深刻だ。脱水症状になっている可能性もある。食事は? 排泄は? 人間らしく扱っていたとは到底思えなかった。
エリサをこんな目に…………
怒りで頭に血がのぼる。目の前が歪んでクラクラ目眩がする。
心の奥底から目の前の犯人に対する殺意が湧いてきた。
「ついカッとなって」加害者がよく使う常とう句。自分の理性を制御できないということを自ら明かす弱者の言葉。
僕には無縁だと思っていた。それは文章ごしの出来事で、現実で遭遇することなんてない。ましてや自分が当事者になるなんて考えたこともなかった。
理性がどんどん遠のいていく。
魔法杖を固く握りした。流せる最大の魔力を杖に込める。
こいつらがどうなろうとどうでもいい。僕は閃撃魔法を使うことにためらいがなかった。彼女の敵を討てるなら、僕は犯罪者にだってなってやると。
杖を構えて魔法を放とうと――――
「よぉ久しぶりだな、ソラくん」
聞いたことのある声がして我に返った。
「覚えているだろ?」
立っている男のひとりが僕に問いかけた。
記憶をたぐり寄せるとあっさり見つかった。ああ、覚えている。
驚きよりも不快感が上回っているのは、きっと奴らがこういうことをするやつだと分かっていたから。
エリサを探し回っていたときも何度か目撃した。そのときはおかしなところはなかったように見えた。だが気がつくべきだったのだ。『魔法使い』を連れていなかったことを。エリサから目を離したきっかけを。
「約束通り誰にも伝えていないみたいね」
女性の声が降ってきた。
ガラスを失った窓枠に座っている人影がひとり。
これで犯人グループ全員が揃っただろう。僕らと因縁がありエリサに執着している4人組。
「さあ、第2ラウンドといこうか」
ジードが不敵な笑みを浮かべてそう言った。
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