タルカル編 第二十話 一瞬の隙
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昨夜はフジおじさんのせいで眠れなかった。目を閉じると旅や未来の不安が湧き上がってくるのだ。不確かな未来は知らない方がいいのかもしれない。魔族に対する嫌悪感も影響しているだろう。
タルカルを去るまで後3日。この街を気に入っていただけになんとも名残惜しい。
「もうすぐ離れちゃうんだし少し街を見て回らない?」
エリサの提案で僕たちはタルカルで最後の観光をすることになった。今の宿があるのは東地区。このあたりはすでに何度も訪れている。
行っていない場所もあるにはあるが、彼女には他にどうしても行きたい場所があるらしい。
「西地区の『獣通り』? に行きたいわ」
飲んでいた飲み物を盛大に噴き出した。むせて何度も咳き込む。
聞き間違いか? お嬢様が『獣通り』なんて野蛮なところに行きたいだと?
せっかく古宿に泊まっていた時、近づかないように苦労したというのに。
「止めといた方がいいよ。ろくな場所じゃない」
「あら、なんで?」
なんでもなにも。僕はあそこで無一文になるところだったんだ。想像しただけで嫌になる。
「俺もおすすめしないな。あれはきみのような純白な人には似合わない。俺やソラならまだしも」
クロンの言葉にエリサと一緒にむっとする。エリサは自分だけ仲間外れにされたことが不服なのだろう。
僕は穢れているというのか。別に僕が純白だと思っているわけではないが、当たり前にクロンと並べられるほどなのか。
「ならむしろ行きたいわ。純白なわたしの心を人間に近づけてもらうのよ」
純白な心?
「なにか?」
「なんでもない」
エリサはにこやかに微笑んでいる。目の奥が笑っていない。
1度思い立ったらすぐに行動を起こさないと気が済まないのだろう。腰掛けていたベッドから降りるとドアまで歩いて振り返った。
「さっそく行きましょう」
* * *
久しぶりに訪れた『獣通り』は以前のままの姿で僕らを歓迎していた。
日中なのに薄暗く、栄えてはいるが活気がない。実に異様だ。
「ここがそうなのね! こんな場所初めて!」
エリサが興奮気味に言う。
お嬢様にとっては珍しいのだろう。こんなところエリサの両親は絶対に近づけさせない。ミストレルは街全体がひとつの芸術のように色鮮やかなのだから。
「こんなにも栄えているのにどうしてこんな治安が悪いのかね」
「以前は領主が東地区を発展させて西地区を半ばスラム扱いしていたそうですよ。今はそんなことないですがその名残でしょうね」
見慣れているだろうにクロンがキョロキョロと立ち並ぶお店を観察している。人の出入りが激しいし需要がなくなることはないだろう。しかしわざわざこんな場所に出店しなくても、とも思ってしまう。
売っているものや料理はそこまで東地区と変わりはない。強いていうなら手軽に食べられるジャンクフードが多いといったところか。
「クロンも駆け出しの頃はお金に困っていたんですか?」
「そりゃあ。僕は孤児院から旅立ったから軍資金ってやつもなかった。もっとも金欠だったのは数日程度でそれからはそれなりに綺麗な宿に泊まれるくらいにはお金に困ってなかった」
「初めは2人だったんですよね?」
クロンのこれまでの口ぶりからパーティーにいる幼馴染みはハイドだけだろう。だったら初めはクロンとハイド2人での旅だったってことになる。2人で金欠を一瞬で解決したというのか。
「そうだ。小さい時からハイドは化け物だったからな。俺が何もしなくてもあいつが勝手に倒してくれる」
「模倣者は慣れるまで時間が掛かりそうですもんね。ハイドさんは当時から剣の扱いが上手かったんですね」
「昔、俺が体調を崩したことがあって。ハイドは俺に寝てろって言って俺を寝かせてからおもむろに宿を飛び出した。数時間後、ハイドは大量の薬とポーションを抱えて帰ってきた。最初は強盗でもしたのかと思ったよ」
当時の2人を想像してみるが、微笑ましい親友同士のパーティーでこちらまで幸せな気持ちになる。
「どれが効くか分からないから全部買ってきたって」
「薬もポーションも気軽に買える値段ではないですよね」
「そう! 俺がお金の心配してたらハイドが言ったんだ『大丈夫、今日稼いだお金だから』って」
「え!?」
「ハイドはその日に出ていた時間の掛からない高報酬のクエストを片っ端から1人で片づけていたんだ」
規格外すぎて開いた口が塞がらない。
「無傷ってわけじゃなかったし、無理していることも伝わってきた。でも自分のことは気にするな、さっさと飲めの一点張り。後日ギルドに確認したらほんとうに1人でクエストをこなしていたと分かった。ほんと住む世界が違うよ、ハイドは」
懐かしそうに頬を緩めるクロンを見ていると、このまま過ぎ去った過去にしてしまうわけにはいかないという使命感に駆られる。もう1度、クロンはハイドと冒険をしなければいけない。もしハイドがそれを望んでいなくても無理矢理にでもくっつけてやる。
エリサの目に留まったお店に入り、何を買うでもなく商品を物色する、その繰り返し。特段珍しい物があるわけではない。全部どこかで見たことあるような小物ばかりだ。
やがてエリサも物珍しさが覚めたのかすっかり落ち着いて立ち並ぶ建物たちを黙って眺めだした。はしゃぎすぎて疲労が溜まっているのかもしれない。こんな気が滅入る場所に長時間いたらそりゃ疲れる。
エリサを先頭にクロンと横並びで歩いていた僕だが、ふと脇道からこちらを見つめている人影に気づいた。物陰からそっと顔だけを覗かせている。
見られている、と気がづくほどに集中してジッと僕らを監視している。
僕の視線に気がついたのだろう。その人物は慌てて路地裏へと逃げ込んでしまった。
その一瞬に見せた姿に見覚えがあった。
「クロン、今の」
「ソラも気づいていたか。あいつってたしか」
「ミルシェ。ジードパーティーの『聖職者』です」
どうしてこんなところに? ジードならまだしも大人しめの彼女が独断でひとり僕らをつけているとは思えなかった。
戦闘職じゃない女性冒険者の1人行動なんて『獣通り』では御法度。襲ってくださいと言っているようなもんだ。
何が目的なんだ?
キャーー!!
悲鳴が聞こえた。女性の甲高い叫び声。さっきミルシェが逃げ込んだ路地裏からだった。
「まさか!」
クロンが言う。
悲鳴の先にミルシェがいる。もしかして今のは彼女の――――
『聖職者』は防衛手段を持たない。故にいくら冒険者といえども非力な彼女では男ひとりにすら敵わないだろう。
「襲われてる!」
「はやく行かないと」
反射的にクロンとともに脇道に駆けていた。『獣通り』においての衛兵さんは冒険者なんだ。僕らはもう守られる対象ではない。冒険者の自覚が僕の中にも芽生えていたようだ。
エリサはどうする? 連れて行くのも1人にさせるのも危険だ。ミルシェを襲っている人物を取り逃がしたら表通りに逃げ込む可能性もある。
いろんな可能性を考慮するとやっぱり僕はここに残るべきだ。勝手に動いた足を止める。クロンなら、1人でどんなチンピラにも対処できる。
「エリサ、僕らはここにいよ――――」
わずか数歩進んだだけだった。脇道に入ってすらいない。音どころか気配さえも感じなかった。まるで最初からそこに存在していなかったかのように。
振り返った先に居るはずのエリサが忽然と姿を消していた。
「エリサ……?」
呼びかけるが反応はない。響く名前が人混みに呑まれていく。
通行人に目を懲らす。彼女の目立つ白銀色の髪を探すが、エリサは見当たらない。
『獣通り』全体が彼女を忘れているようだった。変わりない風景が初めからエリサなんていなかったと語り掛けてくる。
しかしそんなはずはない。僕はたしかにエリサと一緒にいた。
「エリサ!」
目につく商店に手当たり次第飛び込んだ。きっと僕らが目を離した隙にどこかのお店に入ったんだ。必死に名を呼びその姿を探した。
人が急に消えるなんてこと、あるわけがない。転送魔法なら光と魔法陣がしばらくの間残るはずだ。無理矢理連れて行かれたならエリサが声を上げるだろう。
不可思議で奇怪な現象の餌食になったエリサ。
必死の捜索も空しく、エリサを見つける事はできなかった。
「エリサが消えた!?」
帰ってきたクロンに急いで状況を説明した。半泣きになっていてよく覚えていないが多分ひどい顔だったと思う。
クロンのほうは結局悲鳴の主も犯行現場も一切見当たらなかったそうだ。ミルシェの姿もそこにはなかったと。
「どうしましょう! 僕が目を離したせいで……」
「ソラのせいじゃない。俺が構わず駆けだしたせいだ。一番危険なのはエリサだって分かっていたはずなのに」
悔しそうに唇を震わせ眉間にシワを寄せるクロン。
誰が見ても美少女で高貴な彼女はここでは絶好の獲物だ。魔法使いは杖がないとただの一般人と大差ない。接近戦ならなおさら。
もしかして僕は知らず知らずのうちにクロンの傍を離れたくなくて悲鳴を追いかけようとしたんじゃないか。誰かを助けたかったのではなく自分を守りたかった。そうなら僕は最低だ。
自己嫌悪だけが加速していく。
「とりあえずもう一度探してみよう。俺は通行人にも聞いてみる。ソラはまだ危険だから俺から離れるな」
静かに頷く。結局僕は守られてしまっている。守るべき者すら守れないで。
僕らは『獣通り』が眠りにつく日没までエリサを探し回った。延びる脇道には片っ端から入り、開いているお店すべてにエリサの容姿と似た人が来ていないか尋ねた。
しかし何の情報も得られないまま夜が来てしまった。
すでに帰っている可能性もある。そう願って彼女を求め宿に戻ったが、エリサの派手な魔法杖が主人の帰りをひとり待っているだけだった。
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