モルトゥルク編 第七十三話 歓喜の先に見えるもの
聖剣の一閃で生じた極光が空間を断絶する。歪んだ大気を切り裂いて、睨み合うクロンとベダを眩い閃光で覆い隠す。
地上で見守るソラたちには、魔力に犯された自然の叫喚と、華麗で燦然と輝く天光のみが届いた。
二人の英雄によって魅せられた大技。そこには誰も埋めることができない「時」の絆と「心」の深い共鳴があった。
身に余る大技を繰り出した聖剣が崩れるように砕けていく。役目を果たしたことを理解しているように、鋼は光の中に溶け、輪郭も朧気に形を失っていく。
クロンの手の中に残った魔力は、握られた拳の中に粒子状に留まって見えなくなった。
ソラもエリサも、戦闘職でないミルシェであっても、目の前で演じられた剣技に心を奪われていた。
「自分もああなりたい」という羨望ではない。冒険者としての一つの完成形を拝んでいるような、圧倒されることに対する快感が込み上げてきている。
歓喜よりも先に彼の御業を恍惚として見入ってしまっていた。
空間の断絶は境界にいた者へも同じ運命を辿らせる。強いられた者は意志とは関係なく自然の摂理に葬られる。
ハイドの必殺技を模倣したクロンの斬撃は、心臓が眠るベダの頸部を穿ち、
強靱な首を跳ね飛ばしていた。
支えを失った頭部が視線を彷徨わせながら落下していく。獣の形相で目を見開くベダは、回る視界の中でクロンを見つけると、恐怖と憎悪に満ちた瞳を向けた。
クロンはただ無言で手のひらに残る余韻を噛みしめている。自分の存在を確かめるように、伝わる手ごたえをただ見つめていた。
二人の強者の雌雄が決した瞬間だ。
ベダの胴体と一緒にクロンの身体も重力に従い始める。
はるか上空からの落下。並の冒険者なら大怪我をする状況だが、地上のソラたちやクロンでさえも、特に彼の心配はしていなかった。
クロンが切り離されたベダの胴体をクッションに両足で着地する。獣毛が衝撃を緩和させて、ベダは固い荒野から憎きクロンを守るかたちとなった。
大地へと降り立ったクロンは、先に衝突を済ませていたベダの"頭部"のもとへ向かった。
すでに頭部だけとなっているベダだが、まだ絶命していないのか瞼をせわしなくパチパチと打ちつけて、呪詛の言葉を漏らし続けている。
ただトドメを刺し切れなかったわけではなく、斬られた断面から徐々に形を崩していた。唯一の懸念であるエネルギー波も撃てそうにない。
クロンが新たに模倣した短剣をベダの頭部に突きつける。
「おまえが死ねば、魔獣は支配から解放されるんだよな?」
「…………このまま済むと思うなよ」
精一杯の威勢をもってベダが言う。
問いかけの答えではなかったが、彼の受け答えからしてクロンの言葉は正しかったのだろう。
あとはクラージと、無事であるならマラビィと一緒に下層の魔獣たちを一掃するだけだ。操られていたことで擬似的に知能を持った動きをしていた魔獣たちだが、知能を持たないただの獣となれば一掃はそう難しくない。
すぐにでもモルトゥルクに向かいたいクロンだが、万が一この場を離れた瞬間、ベダがソラたちに隠していた牙をむく可能性もある。
放っといても死んでいくだろうが、危険な芽は摘んでおきたい。
そう考えたクロンが短剣を振り上げた。意識を飛ばすためにはこめかみあたりに突き刺せばいいだろう。
今もなお呪詛を唱え続けているベダに向けて、短剣を振り下ろしたそのとき、
――――クロンの耳に引っかかる言葉が聞こえてきた。
慌てて短剣を止める。
「俺を倒してところで何も変わらねぇ…………火の海に沈む未来はすでに決まってるんだ」
これまでの負け惜しみとは違う。まるでまだ終わりではない、そう言っているみたいな…………
「火の海? どういうことだ?」
彼の制御を離れた魔獣たちがモルトゥルクを火の海に沈める、そういう意味合いだろうか。そんな自力が魔獣たちにあるとは思えない。
けれど「負けた悔しさからのでまかせ」とは片付けられない妙な違和感がある。
――――ふとクロンは、ずっと引っ掛かっていた疑問を思い出した。
「おまえ、住民たちを中層に閉じ込めてどうするつもりだったんだ? 橋を落としたら魔獣は中層に入れない。仮にできたとしても上層にはどう足掻いてもたどり着けない――――――ほんとうは何を企んでいた?」
魔獣が街の中に攻め込んできても被害者のほとんどが魔討士団である理由は、下層と中層を繋ぐ橋を落としたから、そして月鏡祭の日を狙ったからだ。
閉じ込めるための作戦としては最適、逃がさないための作戦としても悪くない。しかし住民を皆殺しにすることが目的なら、ほかに狙いがあったとしか思えない。
別に元凶を倒した今となっては不必要な情報だが、どうしても気になってしまう。
ベダがニタッと笑った。
「もう無駄だ」
クロンの問いかけを待っていたかのように、崩れかけの口角を引き伸ばして、彼が告げる。
「巨大な花火を咲かせてやる。橋なんかとは比にならない、俺の――――――」
彼の言葉を待たずして、崩壊がベダの口元を完全に覆ってしまった。
モルトゥルクを恐怖に沈めたテロの首謀者は、残された瞳でクロンを睨みながら彼に看取られて粒子状に消えていった。
意味ありげな言葉を彼らに残して――――
脅威を完全に退けたことで、クロンはテロが起きてから初めて本気の安堵の息を落とした。
達成感よりも疲労感に満たされている。命を預かることはこれまで何度もあったが、大勢の、それも故郷のみんなの命を背負う責任は並大抵の重圧ではなかったのだ。
その責務を果たせたかどうかは怪しいところだが。
ソラたちがクロンの傍に駆けてくる。みんな安心したような晴れやかな笑顔で、疲労や怪我をまるで感じさせない。
ミルシェの杖が輝いて、淡い光がクロンの身体を包み込んだ。
「やりましたね、クロン」
ソラが魔法杖をつきながら言う。
クロンにとっては、ソラがどこで何をしていたのか、どうしてエルティナと一緒にいるのかと疑問だらけだったが、ひとまず込み上げる安堵に身を預け、
「ソラのおかげだよ」
そう微笑んだ。
謙遜なんかじゃない。ソラが蠱穣蛇を倒してくれなかったら、きっとクロンはやられていた。ほかにも下層で魔獣たちと健闘してくれていたのだろう。
「そんなことないですよ」
首を振るソラは少し頬を赤らめて嬉しそうに笑っている。
普段は大人びている彼であっても、ふとしたときに見せる笑顔は十三歳の少年相応だ。
「さすがね、クロンならきっとやってくれるって思ってたわ」
「私はちょっとドキドキしちゃった。でもほんと凄かった!」
エリサとミルシェも安堵の表情でクロンを労う。二人がいなくてもクロンは勝てなかっただろう。仲間をありがたみを改めて実感した。
そしてもう一人、中層にいるはずの人物がクロンに近づく。
「ほんとに格好よかった…………あんなの見せられちゃったら、一緒に冒険しようなんて言えないよ」
エルティナがそう微笑んでうつむく。
歓喜に沸くソラたちと対照的に、寂しげな笑顔を浮かべた彼女にクロンは言葉を失った。
無邪気で大胆なエルティナだが、クロンの邪魔をするべきではないという葛藤を彼女なりに抱えていたのだ。二つの願望で板挟みになって彼女を苦しめていたのだとしたら、もっと早く解放してあげるべきだった。
クロンがどう言葉をかけるべきか悩んでいると、
「ほら勇者様はこんなところにいちゃいけないでしょ?」
エルティナが顔を上げて明るくクロンの肩を小突いた。
「猶予がないのは分かってるけど、ちょっと休憩させてくれよ。きっと下層に残ってる人もあとわずかだよ」
「そうじゃなくて…………クロン」
突然背を向けたエルティナに首を傾げる。
彼女の身体をよく見ると戦闘で刻まれた傷や汚れた衣服が目立っていた。ソラと一緒だったことからも、彼女も魔獣と戦っていたのだろう。
少しばかりの静寂を割るようにエルティナが言う。
「はやくハイドと仲直りしてよ。そうじゃないと私、またクロン奪いたくなっちゃうから」
堪えるような震えた声だった。
感情を押し殺してクロンのために区切りをつけるような、今まで見せたことのない彼女が目の前にいる。
「うん、分かった」
クロンも静かにうなずいた。
どうしてハイドのことを知っているのかは訊かなかった。そこは同じ幼馴染みとして感じるところがあったのだろう。
エルティナが振り返る。そこにはいつもの彼女がいた。
「さて、そろそろ魔獣たちを倒しにいくか。みんなはまだ戦える?」
「すいません、僕もう魔力がないんです。この杖も借り物で」
「わたしも限界。キュルシニィ吹き飛ばしたときに使いきっちゃった」
申し訳なさそうに魔力切れを宣言する仲間に、クロンは満身創痍の激戦を想像して心が苦しくなった。成長を喜ぶと同時に傷ついている三人を心配してしまうのは過保護過ぎるのだろうか。
ハイドやダイスたちにはあまり持てない感情を三人には持ってしまうのだ。
「模倣『魔法杖』」
紫色の水晶と黒い水晶でそれぞれ彩られた魔法杖を模倣する。悪魔戦でソラとエリサに貸した物と同じだ。杖自体に魔力が込められており、魔力がなくても魔法を扱える。
「二人とも、これ」
あのときと同じように二つの魔法杖をソラとエリサに渡した。エリサには手渡しで、ソラにはひょいと投げると彼は慌てるように杖を掴んだ。
杖を受け取っただけで役割を悟ったのだろう、二人の表情が引き締まる。
魔力切れの気怠い感覚は残ってるだろうが下層を見回るには人数が必要なのだ。
「ミルシェは中層に向かってくれる? きっと怪我人がたくさん運び込まれているはずだから」
「分かったわ」
「それからエルティナは――――」
彼女が握りしめているのはソラの魔法杖だ。それから腰に聖剣を携えている。
彼女をこれ以上魔獣と戦わせるわけにはいかない。彼女はあくまで一般人なのだから。
「エルティナはミルシェと一緒に行ってくれるか? ミルシェの護衛として」
「うん、まかせて!」
魔獣に遭遇さえしなければエルティナが戦うことはもうない。
一通りの指示を出し終えたクロンはふたたび深く息を吸い込んだ。
あとは下層の魔獣たちを討伐しつつ、クラージやマラビィを探し出すだけ。
あと少しでこのテロも終わる。平和なモルトゥルクが戻ってくる。死に怯える非日常が平穏な日常で上書きされるまで時間はきっとかかるだろう。
けれどクロンは信じている。
苦しい過去を塗りつぶすくらいの明るい未来を。
ただしクロンが信じていたのは非日常を抜けた先にある日常の幸福だ。つまり、非日常などすぐに消え去る、脅威はもういないのだと確信していたのだ。
ここからの綻びなんてあり得ないと高をくくっていた。
まだこのときは誰も、魔族のほんとうの恐ろしさを知らなかった。
希望が上向いたことで気づくものがある。視野が広まったことで見えてくる世界がある。
けれどその新発見が必ずしも幸せな発見だとは限らない。
瞼の裏で手招く深淵も、背後に残した血痕も、事態が終息したと確認したときに初めて気がつくものだ。
希望を手に入れたことで見える絶望は――――残酷なほど近くに潜んでいた。
「あれなに?」
最初に気がついたのはエリサだった。
遠く離れた空を見上げその先に指を向けている。クロンも習うようにエリサの視線を追った。
(なんだあれ?)
不思議な光景に首を傾げる。クロン以外も同様に困惑が表情に表れていた。
見えたものを例えるとすれば、空に浮いた小ぶりな島。
霞の中に浮かんでいるような浮島を陽射しが照らす。薄暗く分厚い雲が晴れたことで、陰に潜んでいた空に浮かぶ物体がクロンたちに晒された。
(なんだよ……あれ…………)
空飛ぶ島のようなファンタジーな空想ならばどれほどよかったか。あのまま陰に溶けて消えてしまっていたらどれだけありがたかったか。
あれが巨大な一つの"生き物"であると気づかなければどれだけ幸せだっただろうか。
曖昧な輪郭から突き出ているものは、宙を泳ぐようにうねる触手だ。棍棒のような触手が遠くからでも分かるほど大量に、陽射しの下で踊り狂っている。
平べったい巨体には四足歩行の魔獣のような頭部が、まるで装飾のように埋め込まれていた。
キメラ魔獣――――それも空を飛び、上層地区を覆うくらい巨大な化け物。
地獄と見紛う絶望がクロンの身体を突き抜けた。緩んでいた神経が、締まるどころか硬直して動かなくなる。
しかしクロンを穿つ絶望はそれだけにとどまらない。
「クロン! あっちにも!」
エルティナがキメラと正反対、モルトゥルクを挟んだ反対側の空を指さした。
はるか先の空には黒い物体がもう一つ飛行していた。
モルトゥルクを挟んでいるせいでさっき以上に距離がある。こちらは小さな粒程度にしか見えないが、距離からしてエリサが指さしたものと同等の大きさをしているようだった。
そして二つの空飛ぶ生命体は、進行方向をモルトゥルクへ向けて飛行していた。
『俺を倒してところで何も変わらない…………火の海に沈む未来はすでに決まってるんだ』
ベダの残した言葉が頭の中で反芻される。唾を飲み込むと喉につっかえて、呼吸が徐々に荒くなる。
『巨大な花火を咲かせてやる。橋なんか比にならない、俺の――――――』
二つの空飛ぶ生命体とベダが残した不自然な言葉。
"火の海"――――――クロンが思い浮かべるは、炎に包まれる中層の街並み。
"巨大な花火"――――クロンが思い浮かべるは、モルトゥルクの中心で弾ける火花。
ベダはどうしてモルトゥルクの住民たちを中層や上層に閉じ込めたのか。どうやって捕らわれの住民を皆殺しにするのか。
(あのキメラを街に放つ……?)
このまま飛行が続けば、二つの物体はちょうどモルトゥルクの上層地区の上空に到達する。空からの侵入ならば橋が落とされていることも関係ない。閉じ込められた住民を一方的に蹂躙できる。
けれど、クロンはまだ納得がいかなかった。
これまでのベダの発言を、彼が起こしたテロの全容を想起、想像する。
ベダならばどうするか。
彼は自分の能力である魔獣操作以外にも毒や爆弾といった道具も駆使して犯行に及んでいる。魔族特有の、プライドから自身の能力以外を使わないといった驕りがないのだ。
彼なら用意するはずだ――――中層と上層を吹き飛ばすほどの爆薬を。
そして爆薬がどこにあるのか、正面と背後の空飛ぶ巨大な化け物を見ればすぐに分かる。
そう、あの二つの生命体は、
――――――――――モルトゥルクに墜落したのち爆破する。
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