モルトゥルク編 第七十一話 終焉への旋律
咄嗟の防御の甲斐無く、クロンは地面にたたき落とされた。巨大な獣に突撃されたような重い衝撃に全身の骨が軋む。身体が硬直して息ができなくなった。
完全な無防備で受けていたら、間違いなくクロンはこの世にいなかっただろう。
「優位をとったからか? 急に動きがおざなりになったなぁ!」
上空から降ってくるベダの声。手榴弾の爆発はまるで効いていないようだ。
防衛本能に揺れる身体を奮起して、転がるように地上へ着地する。完全に勢いを殺せたわけではなかったが、無事に大地へ足をつけた。
空を見上げると手榴弾を薙ぎ払い終わったベダが空中でクロンを見下ろしていた。
叩き落としたと同時に追って地上へ降りられたほうが、クロンにとっては厄介だった。地上では魔獣を含め、ベダには無数の選択肢がある。双方が地上にいるうちに攻撃を仕掛けられると、今度こそ致命傷を受けかねない。
ベダが空中に留まっている今だけが勝利の可能性を秘めている。
(まだいける……!)
大地を強く踏みしめる。体重を預け飛翔への準備を整えると、
上空のベダに向けてふたたび跳び上がった。
大地の響きを置き去りに不自由な居場所へ身を投げる。
経験が描く聖剣の軌道を正確に辿って、綻びを生むために、戦況を引き戻すために、ベダへ再度の剣戟を見せつけた。
キューーー!!
突如、鳴り響く甲高い鳴き声。
そのすぐあと、クロンの視界で真白の巨体が横切った。
翼を点灯させて羽ばたく白鳥が二人だけの戦場にいきなり割り込んでくる。白いキャンバスのような身体の中で、何かの象徴のように瞳だけが真っ赤だった。
(キュルシニィ!?)
振るっていた聖剣を戻すことも、狙いを外すことももう叶わない。
クロンが空中で優位なのは、相手が空を飛べないからだ。逆にその前提が崩れた途端、二人の立場は逆転する。
気がつかなかった、気がつけなかった。冷静でいるつもりが視野が狭くなっていたのだ。
飛んできたキュルシニィの細くしなやかな足にベダが掴まる。空中で身体を安定させてから大口をクロンへ向けた。
(まずい…………!)
キュイン――――
微かに聞こえる吸収音。上位種よりもずっと短くて、真っ赤に染まる大口は真紅に光輝いている。
(早く防御を…………)
クロンが模倣を使うより先に、ベダがエネルギー波が放った。
避けられない真上からの攻撃。手榴弾を模倣しようにも間に合わない。
光線は大気を焼きながら、クロンもその熱波に巻き込まんと襲い来る。軌道上にいたものは骨すら残らない塵となる。
クロンの構えた聖剣に光線が直撃した。
鋼の悲鳴が骨を伝って全身に響いている。握りしめる聖剣の柄は熱を帯びながら必死に刀身を支えていた。
(こんな…………)
光線を押し返しながら魔力を聖剣に流し込んだ。
正確には聖剣を形作っている魔力が消耗されているため、ふたたび魔力を補充しているのだ。
このままでは聖剣もクロンも溶けてなくなってしまう。
これ以上の停滞は死を引きつけるだけ――――
「模倣『短剣』!」
クロンは模倣した短剣をキュルシニィへ射出した。
直線を描いて飛んでいく短剣は白鳥の真っ赤な瞳を貫いた。傀儡として作られた赤に鮮血が上塗りされる。
甲高い悲鳴を上げながら、身をよじって暴れるキュルシニィ。
掴まっていたベダも不規則に揺れる巨体に引っ張られたことで、エネルギー波の軌道がわずかにずれた。
クロンから外れた光線は荒野の大地に焦げ跡を刻んでいる。
エネルギー波の脅威から逃れたクロンだったが、彼の身体は地面へ逆戻り。またしても地面を転がって土の香りを身体にまぶした。
捌ききれなかった光線が皮膚の一部を溶かしていた。火傷とは比べものにならない、肉を抉られたような激痛だ。
二度の着地での怪我を含めて、すでにクロンの身体はボロボロだった。
「役立たずが」
ベダの苛立った声が降ってくる。
立ち上がることもまだであるクロンは、痺れている両足を引きつけて天を仰いだ。
ベダが片手を振り上げて勢いよく振り下ろす。
まるで物を叩き落とすみたいに――――
まずい、直感したがもう間に合わない。
瞳に映るぐらっと傾いた真白の巨躯が拡大されていく。翼に生えた羽根一本一本まではっきりと見えた。無防備に純白の身体を晒したキュルシニィの潰されていないもう片方の瞳と目が合う。
意志なんかもっていないはずなのに、殺意と遺恨の両方がたしかに宿っていた。
クロンも後悔を浮かべながら近づいてくる白鳥を眺めている。
――――――ベダに操られた白鳥がクロンへ墜落した。
魂が潰れる音が響く。重いようで軽く、操られたキュルシニィの巨大な肉体と空っぽの精神を表しているようだった。
横たわった翼が真っ赤に染まっている。
自身の鮮血で美しいキャンパスを汚した魔獣は、一鳴きもできぬ死骸と成り果てていた。
「自分が勇者だと勘違いした結果だ」
ベダがそう吐き捨てる。
彼はエリサとの戦闘で見せたように蠱穣蛇を膨らませて地上へ降り立った。首を鳴らして肩のこりをほぐす仕草を見せる。
ベダがキュルシニィの死骸へと歩いていく。
下敷きになっているクロンを確実に仕留めるために。
「だめ!! 風操魔法!!」
顛末を眺めていたエリサが叫んだ。
彼女の掲げた杖から魔法が放たれる。渦を巻く旋風がベダへと飛んでいく。
エリサの頭はまだ朦朧としたままだ。魔力切れも治っていない身体で、それでも彼女は魔力を絞り出した。クロンを助けたい、その一心で。
エリサが絞り出した旋風は、鋭利な刃物でも重厚な空気の塊でもなく、殺傷能力のないただの渦巻いた風だ。
ベダは迫る旋風を避けることなく、魔法を掻き切ろうと獣手を振るった。
旋風が突如、進行方向を変えた。
ベダの正面で折り曲がって、地に伏すキュルシニィの死骸へと襲いかかったのだ。
キュルシニィの死骸が風に攫われる。滴る鮮血が旋風に巻き込まれ、巨大な翼が真紅に染まりきらなかった真白の羽根を散らしながら飛んでいく。
露わになった地面に横たわるクロンの姿が見えた。
「治癒!!」
すぐさまミルシェが唱える。
エリサが攫われたときに彼女に対して行った遠隔の治癒。クロンの状態を直接確認したい気持ちを鎮め、唯一の治療法に神経を注ぐ。
クロンの身体が淡い光に包まれた。
彼は膝を折って上体を足に預ける姿勢で、うずくまっている。丸まった背中が周期的に膨らんでは全身が波打っていた。
エリサがベダに対してもう一度杖を向ける。
ベダは目を細めるとクロンを一瞥したあと、エリサを睨みつけた。
呼吸をすることに精一杯だったクロンの身体が徐々に癒やされていく。全身の軋みが緩和して、潰されたように走る臓器の痛みも、我慢できる程度には治まってきた。
クロンが聖剣を杖にしてゆっくり起き上がる。
動いても平気になったわけではないが、クロンの中の何かが彼にそうさせたのだ。無茶だ、無謀だ、そんなことは分かりながら、これ以上彼女たちに甘える自分が許せなかった。
まだ身体はミルシェの治癒を受けているまま。不格好でぼろぼろの肉体で、クロンはそれでも前を向く。
「面倒くさい」
ベダがふとそうつぶやた。
突然聞こえだす荒野を駆ける何体もの足音。バラバラでありながらただ一つの標的へ進む荒々しい音だ。
エリサとミルシェが振り返る。
彼女たちの背後から、四足歩行の魔獣が何体も押し寄せてきていた。
エリサがベダから、迫り来る魔獣へと杖を回す。
魔力を絞り出して魔法杖に込めようとしたところでエリサは気づく。
彼女にはもう絞り出せるほどの魔力すら残されていなかった。
「風操魔法! 風操魔法!」
エリサが歯を噛みしめて何度も唱える。
しかし発生するのは微風にも満たない魔力の残り火。気持ち悪さが全身を巡って、突然酸素がなくなったかのような苦しい吐き気に襲われた。
振ってもただ空振る魔法杖に、彼女の中に焦りだけが募る。エリサの隣で佇むミルシェが、クロンから視線を切って、魔獣にデバフを試みていた。
速度低下、筋力減衰、視界遮断、どれもこの状況を打破するに及ばない。
けたたましく打ち鳴らされる足音が迫る。
魔獣の牙が彼女たちへ突き刺さるその瞬間、
「うらぁっ!!」
二人の目の前に飛び込んできたクロンが、迫る魔獣の首を切断した。
次々襲い来る魔獣に聖剣を振り回し、肉を断ち、喉元を掻き切り、悲鳴の隙も与えずに斬撃を叩き込む。一匹も後ろへ通さずに卓越した剣戟を披露する。
クロンの顔は汗と鮮血が混ざった液体で濡れ、真っ赤に染まったキュルシニィの羽根が装備に付着していた。肩で息を繰り返す彼は、魔獣を倒すたびに命を削っているような、そんな限界の気迫をまとっていた。
エリサとミルシェは目の前のクロンをただ眺めることしかできない。
やがてすべてを討伐したクロンは、
「はぁ……はぁ……」
と荒い息を漏らしながら散らばった魔獣たちを睨みつけた。
それからすぐにベダへ向き直す。ミルシェが思い出したかのように慌ててクロンへの治癒を再開する。
一連の流れを眺めていたベダが口を開く。
「そんなに仲間が大事か?」
クロンが魔獣から顔を上げる。
瀕死でも二人を助けたクロンへのシンプルな疑問、それに「馬鹿なやつだ」という煽りの口調が加えられている。
「そこまでして何故助ける?」という問いを含んだベダの嘆き。
(ああ…………やっぱり俺は人間で、こいつは魔族なんだ)
片目を潰されたキュルシニィをあっさりと捨てたベダにとって、従える魔獣など欲望を満たすための駒でしかない。
今さら魔族の在り方を非難する気力も湧かないが、ほんとうに
(不愉快だ……)
自分を助けてくれた二人を一瞥する。それからベダを見つめると
「魔族には分からないだろうな、仲間を想う気持ちは」
そう言い放った。
「想って何かいいことあんのかよ」
「良いことがあるから大切にするんじゃない。魔獣を従えていい気になってる裸の王様には、一生かかっても分からないさ」
ベダの被毛が逆立った。
今回は過敏となった神経ではなく、彼の中の煮え切った激情をクロンに明示していた。
見た目に反して感情的になりやすいのは人間的とも言えるが、根底に眠る思想は決して交わらない平行線のように相反する。
魔人ドーヴァもそうだった。人間に憧れているからといって、魔族が人間と同じ倫理観を共有することはできない。
それはこれまでの冒険で身に染みて実感した。
自分の常識が通用しないと分かりきっているのはクロンだけでなくベダ側も同じ。空っぽな会話から未知を望んでなんかいない。
だから、
――――――高ぶった感情を鎮めたのは両者同時だった。
クロンとベダ、二人の間を流れる空気がヒリつく。
交わった冷たく鋭い二人の視線が、凍てつく空気に火花を散らす。二人の息遣いが場の温度をさらに下げ、触れるだけで切り傷を刻む歪な雰囲気を醸し出している。
細かく繊細な息遣いが逃げられぬ緊張感を生んでいた。
正真正銘、相手に終焉を告げる最後の衝突。
それはすなわち、モルトゥルクの命運を賭けた戦いだ。
クロンの敗北が街の壊滅を意味する。二十にも満たない青年に街まるごとの運命が託されていた。
二人の間に流れるは沈黙。相手の表情、呼吸、指を動かすようなわずかな仕草にいたるまで注視し、探り合いから謀り合いまで静寂の中で交差する。一度でも風が吹けば切れてしまいそうな緊張の糸が荒野中に張り巡らされている。
人類を見下すベダでさえ、対峙するクロンの実力を警戒していた。
思想も行動もこれまで出会ってきた人間と同じ。それでも油断すればやられる、と獣の本能で理解しているのだ。
今にも途切れてしまいそうな緊張――――――その糸を断ち切ったのはクロンだった。
予備動作ゼロで踏み出したクロンが、ベダのもとへあっという間にたどり着く。音を置き去りにするとはまさにこのことだ。
高速移動にミルシェの治癒が外れた。
クロンは懐に滑り込ませた聖剣を弧を描くように振り上げた。蠱穣蛇が巻き付いている首元へ挨拶代わりの一閃を叩き込む。
流れるような剣戟を優先したため聖剣を握るのは片手だけ。しかしスピードのついた聖剣は威力の衰えを感じさせない。
蠱穣蛇が一瞬だけ肥大化を見せる。
しかし聖剣の威力に気がついたのか、ベダが大袈裟に上半身をのけぞらせて攻撃を躱した。後隙を誤魔化すように尻尾をクロンへ振るう。
「やっぱり――――」
クロンは背後から迫る尻尾を躱すために跳び上がった。
ベダの顔面を蹴り飛ばそうとした脚に獣手が一本伸びる。防御の獣手を蹴ったことで鉤爪がふくらはぎに突き刺さった。
短い呻き声を上げるクロンにもう片方の獣手ですかさず追撃をするベダ。
クロンは刺さった鉤爪を振り飛ばすと、身体を回転させて追撃を避ける。そこから振るわれる尻尾に体重を乗せるようにして高く跳び上がった。
クロンを追うようにベダもその巨体を空へと持ち上げる。
「模倣『爆裂剣』」
クロンは聖剣を捨てると模倣した爆裂剣を手に据えた。落下しながら魔力へと変わっていく聖剣が朱色の刀身に映る。
眼下から尻尾を振り上げるベダを爆裂剣で迎え打った。
勢いを溜め込んでいる最初の飛翔時の攻撃を抑える牽制の一撃。怯めば連撃でたたみかける、怯まなくても勢いさえ殺すことができれば、空中ではクロンに分がある。
尻尾に直撃した爆裂剣が刀身から爆ぜた。
しかし――――――
「軽いなぁ!!」
ベダは爆発の衝撃を力で封じ込め、クロンの胴に巨大な尻尾を叩きつけた。
クロンの視界が一瞬だけ暗転する。
上空に打ち上げられた身体は回転しながら宙を舞う。全身が上げる悲鳴を無視しようとも耳を塞ぐだけの余裕すらない。
このままベダの追撃が来たらまずい、と焦燥感が全身を駆け抜けた。
(なんとか打開を…………)
ベダとの距離が縮まった気配がした。蠱穣蛇を膨らませたベダが、無抵抗に空を駆けるクロンに迫ってきている。
(どうにかしないと……どうにか……何か策を――――――)
「クロンさん!!!」
突如、クロンを呼ぶ声が聞こえた。
(…………!!)
クロンたちを包む雰囲気が、声の方向へ流される。
幻聴なんかじゃない、たしかに届いた彼の声。エリサでもミルシェでもない。
懐かしいのに心臓が跳ねる、ずっと心に引っ掛かっていた少年の声だった。
ベダの動きが一瞬鈍ったことで、迫っていた獣手をすれすれで躱した。宙を掻き切る獣手が目の前を縦断する。
蠱穣蛇を踏みつけてベダから離脱し空中で体勢を整えた。
すぐに地上を見下ろして、荒野の端、モルトゥルクの外壁からこちらへ駆ける二人の人物を見つけた。
空色の髪と橙色の髪の冒険者が二人。一人は魔法杖を両手で抱え、もう一人は聖剣を腰に据えているのに魔法杖も片手に握りしめているという何ともチグハグな格好だ。
(よかった…………)
死闘の最中であっても、二人の姿に安堵の息を吐くことはクロンには止められない衝動だった。心残りが霞となって消えるような感覚。
特に空色の髪の少年――――――ソラとの再会はクロンの心を一気に軽くした。
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