モルトゥルク編 第六十八話 再来のモルトゥルク
途中で視点が変わります
この世の終わりみたいな強烈で刺激的な光に目が眩む。エリサを照らす真っ赤な光は広がっていき、太陽がもたらす希望の陽射しを覆い隠す。
上空から彼女へ放たれたエネルギー波が、魔族の姿を閃光で塗りつぶして、立つことで精一杯のエリサへ降り注いだ。
――――エネルギーの中心部だけが色をもたない純白だ。
まるで閃撃魔法のような…………
「風操魔法!!」
自分の意識とは別に彼女の口が言葉を紡いでいた。それと同時にエリサの身体が前方へ弾き出される。
誰かに背中を突き飛ばされたのかと空中で後ろを振り返った。
誰もいない。何も見えない。けれどエリサはそこに目に見えぬ自然の息吹を見た。
直後、後ろを向いていたエリサの視界が轟音とともに真っ赤に染まる。空気の悲鳴が聞こえてきて大地がひび割れた。殺風景な荒野に炎が一瞬だけ立ち上る。
底に眠るエリサの本能が、諦めきっていた彼女の精神に呼びかけて、風操魔法を繰り出したのだ。
意識的では間に合わなかった反射的な魔法使用。自分の肉体が誰かに操られているようなこそばゆい感覚と、何か大切なものを無意識に守った高揚感が胸を満たしている。
死を覚悟しきれていなかったエリサにとってはちょうどいい。
(危なかったぁ……)
そう安堵の溜息に代えた荒い呼吸を繰り返す。地面に投げ出した両足は、己の機能を忘れたのかただ肉のついた棒になっている。
「これだから魔法使いは嫌いだ」
蠱穣蛇をクッションにして魔族が上空から帰還してきた。
間一髪で脅威を躱したというのに、順番待ちみたいに次から次へと脅威がやってくる。すべてこの魔族のせいであるが、悪魔戦を思い出させるようなきりのなさにうんざりする。
両足を引き寄せて自分をなるべく小さく繕う。立ち上がることを諦めて、恨み辛みのこもった視線を魔族にぶつけた。
「ソグルムの居場所を吐かせるつもりだったが、まあいい。どうせそのうち会えるだろうしな」
魔族が近づいてくる。エリサは後ずさりすらできずに、縮こまった身体より大きい魔法杖を縋るように抱きしめた。
魔族の後ろにはいまだ赤い炎がちらつくモルトゥルクの街が見える。あそこに逃げ帰ることができれば助かる見込みはある。そんなこと不可能であると知りながらも逃げの思考を止めることはできない。
だがここで逃げ帰るとほんとうにただの時間稼ぎになってしまう。魔族を倒せる人の到着を待たずして街に戻るのは、自分の無力と無謀を明白にするだけ。
だからエリサがすべきことは一つ、
最期に魔族の居場所を彼に伝えること――――――――
(あ………………)
「じゃあな、無謀な冒険者」
手の届く距離で魔族が告げる。
「ええ。わたしじゃ、あなたに勝てないみたい」
震える声を威勢で誤魔化してエリサが応える。
これから狩られる側だとまるで理解していないかのような肝の据わった口調に、魔族が小馬鹿にするみたい嘲笑する。
「ガキが勘違いするからこうなるんだ」
魔族の肩で蠱穣蛇が肥大化を始める。あっという間に人間を呑み込むに足る大きさまで膨れ上がった。
この魔獣がいなければもっと善戦できたのに、と蠱穣蛇を睨みつけてから、エリサは魔族の深碧色の瞳に目線を合わせた。
「そうみたいね…………だからお詫びに」
エリサは言葉を切ると、気づかれないように魔族の後方を一瞥した。
そして、
「あなたにぴったりの相手を紹介してあげるわ」
イタズラっぽい可憐な笑みを浮かべてそう言った。
眉間にしわを刻んだ魔族が、突如エリサに向かってお辞儀をした。少なくともエリサにはそう見えた。
実際は首に巻き付いた蠱穣蛇のせいだ。
膨らんでいた蠱穣蛇の頭部が、背後から振るわれた聖剣の打撃を受けて前方へ傾く。蠱穣蛇に引っ張られるようにして、魔族の上半身がエリサの方へ折れ曲がった。
さらに舞い踊る銀剣が魔族の首元へ伸びる。
魔族はお辞儀をした身体を起こす前に、まるで何かを感知したみたいに腰に据えた巨大な尻尾を振りかざして、自身を穿つ聖剣をはねのけた。
「やっぱり自分に向かう攻撃には敏感だな」
聞き馴染みの安心する声を耳が受け取ると同時に、エリサの身体が宙に浮いた。手からこぼれ落ちかけた魔法杖を慌ててまた抱きしめ直す。
膝を折りたたんだ姿勢のエリサを、背中と膝裏に腕を回して抱え上げるせわしなくも逞しい身体。揺れるたびに脇腹に鈍い痛みが走る。驚異的な速度で運ばれているのに、彼にはどこか優しさを感じた。
表情を見たくて顔を上げようとしたが、あまりのスピードに彼の身体が傾いて、胸に顔が埋もれてしまう。
それならば仕方がない、と助けた姫に笑いかける余裕すらない勇者様の胸を借りて、うっすら瞳に張っていた膜を誤魔化す。ごしごしと顔を擦りつけると、溜まった安堵の涙も目立たなくなった。
ぐらっと全身が大きく揺れた。
直後、抱えられていた身体がさらに高く持ち上がる。めまぐるしく移ろう視界に、忌々しい魔族の尻尾が映った。
「きゃっ!」
痺れるような衝撃が彼から伝わってきた。同時に何かがぶつかった鈍い音が近くから聞こえて、目をぎゅっと瞑る。
腕の中で身体をバウンドさせながらやっと揺れが収まった。目をそっと開けると地面がずいぶん間近にあった。
膝に回されていた腕が下ろされて両足が地面につく。さらに上体を起こされて背中を支えていた腕を外された。
自立しようとしたが、脇腹の痛みと魔力切れを思い出し、よろよろと彼の胸にふたたび倒れてしまった。
慌てたように彼がエリサを支え直す。
「大丈夫……じゃなさそうだね。ごめん、遅れて」
心配そうに顔を覗き込んでくる茶髪の青年と目が合う。
エリサは「もう!」とちょっと怒ったように微笑むと、
「遅いよ。あとちょっとで死んじゃうところだったじゃない」
「ちょっとトラブルがあって。よく持ちこたえた、すごいよ」
助けてくれたクロンに「ありがとう」と返した。
「エリサちゃーん!!」
どこからか声が聞こえてくる。キョロキョロあたりを見渡すと、十字架模様の杖を抱えて走って来る桃色髪の女性が見えた。
クロンが来てくれたときと同じ安堵の表情で彼女に手を振る。クロンとは別の安心感を彼女は持っていた。
「クロンさん、速いよー」
エリサたちのもとまでたどり着いて、肩で息をする彼女をクロンの胸から見上げると、
「ミルシェも助けに来てくれたのね、ありがとう」
そう笑顔で礼をした。
ミルシェもいつものエリサに安心したのか、「もう、急にいなくなったと思ったら、エリサちゃんすごいことしてるんだから」と荒い息を吐き出す。
それから、
「え!? エリサちゃん、その傷!!」
ミルシェが突然エリサの脇腹を指さした。まだじんじんとした痛みが走る抉れた傷口は、揺れたことで出血が酷くなっている。身体の痛みを意識したことで、何度も殴られた腹の鈍い痛みも主張を再開し始めた。
「大変、すぐ治すから! 治癒!」
急いでミルシェが治癒を始めた。さっきから彼女は表情がころころ変わる。
淡い光に包まれた全身に走る痛みが少しだけ和らいだ。脇腹は重点的に治癒しているのか、より濃い光で完全に覆われている。
出血はまだしているものの、その勢いが徐々に弱まってくる。苦痛で引きつった表情に余裕が生まれてきた。
「ごめん、エリサ。なんも考えないで運んじゃって。つい――――」
「いいのよ。魔族が近くにいたんだから」
申し訳なさそうなクロン。
エリサとしてはむしろ謝られることに申し訳なくなった。命を救ってくれたのだ、その方法に文句なんてつけられるはずがない。
「あとは俺がなんとかするから」
魔族の強さを知ったあとだと強がりにしか聞こえない言葉だが、クロンが言うとほんとうになんとかしてしまいそうに思える。
クロンが魔族を倒してくれれば、エリサは自分の時間稼ぎには意味があったと胸を張れる。
彼に蹴飛ばされた魔族が遠くで何か叫んでいるのが聞こえた。
* * *
ミルシェを担いで外壁を越えると、すぐに倒れているエリサと魔族の姿を見つけた。そのときのクロンの焦りは、孤児院で子どもたちのもとに魔獣を送ってしまったときに相当する。
クロンはミルシェを下ろすとエリサを助けに向かった。
魔族に音もなく近づき、その憎たらしい背面に聖剣を振り下ろそうとして、途中で首に巻かれた蠱穣蛇へと狙いをずらした。危険を察知するためか魔族の尻尾が上下に波打っていたからだ。
蠱穣蛇へ一撃を与えると、ついでに魔族にも試してみたが防がれてしまった。
エリサを素早く抱え上げる。まだ子どもの彼女の身体は驚くほど軽かった。
軽い身体にたしかな温もりを感じて安心する。間に合って良かったと安堵を一瞬で終わらせて、すぐにその場から離れた。脇腹の傷には気づかなかったが、ミルシェに治癒を掛けてもらおうと彼女のもとへ急いだ。
三人でいることがとても懐かしく感じる。ほんとうはあと一人いてほしいのだが。
エリサをミルシェに託して、聞き取れない怒号を発する魔族に聖剣を構える。
魔族はクロンに蹴られたことで頭に血が上ったのか、ぎらついた眼光で彼を睨みつけている。魔族というだけあってその迫力はすさまじかった。
「ミルシェ、ソラとは一緒じゃないの?」
「そうなの。クロンさんずっと一人行動だったらしくて、ソラくんがどこにいるか知らないって」
「そう……じゃあやっぱり、あの爆発が…………」
「爆発って……? ちょっと、エリサちゃん!!」
ミルシェの声にクロンが振り向く。
ミルシェに介抱されていたエリサが立ち上がろうと腰を持ち上げていた。エリサの突然の行動にミルシェが慌てて止める。
「はやく行かないと、ソラがピンチかもしれないの!」
「エリサ、どういうこと?」
クロンが魔族と彼女を交互に見ながら問いかける。
エリサがモルトゥルクの街を指さした。
「下層で魔族追ってたとき、爆発魔法みたいな爆発が見えたの」
「…………譲渡魔法か」
険しい顔つきでクロンが考え込む。
クロンと別れたソラはエリサたちと合流することなく下層に赴いた、そして譲渡魔法を使うほどの相手と遭遇したということになる。
困ったな、とクロンが頭を悩ませる。
譲渡魔法が発動したのならその相手は倒せたのだろう。けれど上位種のような強者が他にいるかもしれない。
はやくソラと合流しないと取り返しのつかないことになる。
「俺を無視しやがって、良い度胸だ、なぁ!?」
クロンの眼前で魔族が声を荒げる。その声にエリサとミルシェが身体を硬直させる。
気がつけばやつの周りには数十体の魔獣がこちらに向けて牙を鳴らしていた。
魔獣使い――――決してありふれた存在ではない。
「魔獣使いの魔族…………おまえ"ベダ"か?」
魔族がにやりと笑う。
「クロン知ってるの?」
「十数年前にモルトゥルクが魔獣襲撃に遭った。そのときに魔獣を従えてた魔族として候補に挙がってたんだ」
エリサが絶句する。
「知ってやがんのか」
「そのときモルトゥルクにいたハイドから聞いていたから」
「ハイド? ふんっ、懐かしい名前だ」
「知ってるのか?」
「あたりまえだ」
クロンが目を見開く。
ハイドを知っているというのか。当然勇者パーティーのリーダーなら魔族が把握していても不思議はないが、クロンのことは知っている素振りを見せていない。
そんなクロンの疑問に答えるように"ベダ"が続けた。
「前回、俺はハイドを攫うためにこの街を襲ったんだからな」
ここまでお読みいただきありがとうございます
次の投稿はあさってです




