モルトゥルク編 第六十六話 毒牙の残り火
ミルシェが初めてクロンの事情を聞いたとき、クロンとハイドをかつての自分とスターグに重ねたことは言うまでもない。
小さい頃をともにした幼馴染みと、同じパーティーの冒険者として新たな関係をスタートさせる。幼いとき願った夢を、二人で一緒に実現する。
ずっと培ってきた二人の友情。ミルシェはそこに少しばかりの恋心を足して、もう亡き人となってしまった幼馴染みを今も想っている。
魔獣の脅威に怯えながら進んだ細道の突き当たりに見えた大きな木造の建物。錯乱状態のミルシェが一度だけ訪れたことのあった孤児院を視界に捉える。
近づくにつれそこでの惨劇が目の奥にフラッシュバックするようだった。
孤児院の壁はいたるところに風穴を空けて、剥き出しになった廊下にはガラスや木片が飛び散っている。
足を踏み入れるとミシッと床が音を立てて歪んだ。
壁や床に付着した血痕を見つけるたびにミルシェの心臓が波打った。ミルシェが中層にいたときにはすでに孤児院は襲われていた。どれだけ怖かっただろうか、苦しかっただろうか。魔獣と対峙したであろう子どもたちを思うと、胸が締めつけられた。
見えない何者かから逃げるように早足で孤児院内を捜索しているミルシェは、すぐに不思議なことに気がついた。
人の気配が一切しないのだ。
飛び散っている血痕や壊れた建物からして、この場所で惨劇があったことはたしか。だが子どもたちの姿はもちろん、血痕を残すことになった誰かすらどこにもいない。
死者も生存者もいない孤児院に寒気が走る。
全員避難できたのだろうか。もしかしたらみんな食べられちゃったのかも。
そんなわけないと分かっていても、ミルシェは行きすぎた心配が手放せなくなっていた。
それに"生きた"魔獣の姿がどこにも見当たらないことが、むしろ不気味だった。エリサと孤児院に向かっているときはどこに目を逸らしても、魔獣の存在を認識してしまうほどだったのに。細道を通って一人で入っているときでも、姿は見えずとも咆哮が近くで轟いていた。
戦闘力を持たないミルシェにとって魔獣と出くわさないで済むことに越したことはない。だが、異常なまでの静けさは、ミルシェの敏感な肌を逆なでし続けていた。
崩壊した孤児院の玄関から外へ出る。
そこで魔獣の死骸に囲まれた、見慣れた茶髪の青年を見つけた。
不安と孤独感が一気に晴れたのも束の間、彼が身体を横たえた地面にできた血溜まりを見つけ、顔が首から青ざめていった。
その血溜まりは彼の背中から流れ出る鮮血によって広がり、鼻をつく生臭い匂いを放っていた。
「クロンさん!!」
ミルシェが慌ててうつ伏せに横たわったクロンのもとへ駆け寄る。
「クロンさん!! しっかりして!!」
苦しそうな表情で目を瞑るクロンは、ミルシェの呼びかけにピクリとも動かない。背中に刻まれた傷口から溢れる液体がその理由を残酷に物語っていた。
ミルシェは十字架模様の杖を手に据えて、傷口にもう片方の手をかざすと、
「治癒」
そう唱えた。
クロンの背中全体が淡く白い光に照らされる。細かな光の粒子が細く空いたクロンの傷に入り込んで、内側からも淡い光を発する。
焦る心をなだめて素早く丁寧に治癒を行っていく。杖に力を込めると、クロンを包む光が強く輝き始めた。
背中に傷を負った冒険者の治癒。ミルシェは連続殺人犯を捕まえたときのことを思い出していた。
あのときも彼女は瀕死の冒険者の命を必死に繋ぎ止めていた。あのあと、彼の意識が回復したのかは分からない。もっと力があれば、彼を自分で救えたのではないか。みんなは褒めてくれたが、犯人を捕まえた三人に自分を比べると、どうしようもない無力感がミルシェを襲うのだった。
「だめだよ、クロンさん!! まだ生きてなきゃだめ!! ハイドさんに会うんでしょ!!」
目を覚まさないクロンへ呼びかける。
想いを伝えられずに幼馴染みを失ったミルシェだから分かる。
幼いときから人生をともにした幼馴染みとは、すべての想いを、すべての誤解を、すべての願いを交換して笑い合うまでは死んじゃいけないのだ。
できなかった後悔は、残された者が一生かけて背負って生きていくことになる。そのつらさはミルシェが一番よく知っている。
それに、
「あの子たちだって!!」
思い浮かぶのはクロンと笑い合うソラとエリサの姿。
まだまだ幼い二人はきっとミルシェが思っているよりずっと大人だ。クロンやミルシェがいなくても二人で生きていけるくらい。
だがクロンとこのテロで死別したとなればそうじゃない。
駆け出しだった二人はクロンからいろんなものを吸収して成長してきたはずだ。冒険者を初めてから最初の手本、憧れの人がクロンであると、二人を見ているとよく分かる。
クロンが自分を連れ出してくれた二人に感謝しているとともに、二人も師として仲間としてクロンに感謝している。
そんな人とこんなところでお別れなんて、ミルシェだったら耐えられない。
「ソラくんとエリサちゃんにとって、クロンさんはもういなくちゃいけない人なの!!」
ミルシェの悲痛な叫びは涙となってクロンへ降り注ぐ。
孤児院に人が誰もいなかったのは、きっとクロンが逃がしたから。魔獣がいないのはみんな彼に討伐されたから。
孤児院を守ろうとしてほんとうにすべてを救ってしまうクロンは、ミルシェにとっても憧れで格好いい存在だった。
照らされた傷口が徐々に塞がっていく。
出血が止まったことを確認してから、ミルシェはクロンの身体を抱きかかえた。傷口に触れないように彼の背中に腕を回して、うつ伏せの状態から身体をひっくり返して上半身を起こす。腕にのしかかるクロンに、まだ暖かさを残した命の重さを感じた。
クロンの頬が微かに痙攣した。それから「うぅ……」と呻き声をもらす。
ミルシェが涙の溜まった目を見開いた。
クロンの瞼がピクピク動き出す。口がわずかに開いて、呼吸する音がミルシェにもはっきりと聞こえてきた。
ミルシェはあと少しだと杖に力を込め直す。傷口から全身へと淡い光を運んで、彼の衰弱した身体を癒やしていく。
やがてクロンがその瞼をゆっくりと開いた。
「あ……! クロンさん、大丈夫!? 私だよ、ミルシェ! 分かる? よかったぁ、目覚めて」
気絶から目覚めた人に掛けるべき言葉の量をゆうに超えて、ミルシェがまくし立てる。彼女よりもクロンの方が冷静なくらいだ。
クロンが何度かパチパチと瞬きをする。
ミルシェだと分かったのか、クロンは彼女に「ああ……」と消えそうな返事をした。
支えられている上体を起こして、クロンが立ち上がろうとする。
「痛っ!」
しかしすぐに背中に激痛が走ったのか、顔を歪めて座り込んでしまった。
「まだだめよ、動いちゃ。出血すごかったんだから。傷も外は塞いだけど、中は傷ついたままだからね」
ミルシェはまたクロンの背中に手を回す。
クロンは自分が倒れていた血溜まりに目線を落としてから、介抱してくれているミルシェに顔を向けた。
「治癒してくれたのか、ありがとうな。あと少しでほんとうに死ぬところだった」
「パーティー仲間なんだから当たり前だよ。私、クロンさんが倒れていてすごい焦ったんだから」
「不意打ちでやられたんだ。ほんと情けないよ」
申し訳なさそうにうつむくクロン。
ミルシェは、彼でも不意打ちされることあるんだと驚いた。
しかもあの傷は冒険者装備の防御効果までも貫通していた。どんな強敵ならクロンにここまでの致命傷を与えることができるのだろうか。
深呼吸で息を整えたクロンは、ミルシェの介抱から離れて、傷なんて感じさせずに立ち上がった。
慌ててミルシェも立ち上がって、孤児院の敷地から出ようとする彼を追う。
「ちょっと、まだ動いちゃ危ないよ」
「大丈夫、もう平気…………だから」
「全然平気そうじゃないよ! もっと休まないと」
背中を庇うように歩くクロンは、貧血なのか足元がふらついていて、今にも倒れそうだ。
クロンが足を止めて振り向く。
「ちょっと目眩がするだけだからすぐ治るよ。そういえばミルシェ、ソラとエリサは?」
「え!? ソラくんと一緒じゃなかったの!?」
ミルシェの言葉にクロンが顔を引きつらせる。
「エリサちゃんとは途中まで一緒だったんだけど、急に先行っててって言われちゃって。ソラくんはどこにもいなかったから、てっきりクロンさんと一緒にいるんだと…………」
「いや、俺は中層でソラと別れて一人で来たんだ。二人と合流してって言ったのに、できてなかったのか」
クロンが眉間にシワを寄せて考える素振りを見せる。
ソラがクロンと一緒ではなかったのなら中層に残っているのだろうか。
「臆病なところがあるけど意外と勇気はある」というのがミルシェのソラへの評価。一人でも下層に来ている可能性が高い。
ソラとエリサ、二人の仲間の安否にミルシェは頭を悩ませた。
「とりあえず二人を捜さないと。ミルシェは俺と一緒に来てくれ」
「ええ、大丈夫なの!?」
いつの間にかクロンは元気にストレッチを始めていた。たまに浮かぶ苦痛の表情も、完全に現れる前に表情筋で無理矢理殺しているようだ。
たしかに怪我人といえども、この場でじっとしている暇はないのかもしれない。なにせ仲間二人が魔獣蔓延る下層で行方不明なのだから。
聖職者としてクロンに休んでほしいという気持ちと、ソラとエリサを捜し出さないとという焦りに板挟みになっていた。
「それにちょうど、急がないといけない場所が見つかった」
クロンが、孤児院を向いたミルシェの背後の空を指さす。
それにつられるようにミルシェが振り返った。
「え…………あれってまさか…………!」
クロンが指さす方向には、メラメラ燃える炎をまとった巨大な竜巻が、外壁の外で踊り狂っていた。
不自然な真っ赤に燃える竜巻――――ミルシェには一つだけ心当たりがあった。
「エリサちゃん…………」
* * *
ミルシェと時を同じくして、樹木が伸ばす枝木の隙間から竜巻を見ている人物が一人。
口元を拭うと血の匂いが鼻をつく。被っていたベレー帽はどこかに飛ばされて、後ろでまとめただけのえんじ色の髪が草木と一緒に揺れている。緑みを帯びたくすんだ茶色の軍服には大きく切り裂かれたところが何カ所もできて、筋肉質の素肌をその隙間から覗かせていた。
「風操魔法、火…………なるほどな。面白い使い方じゃないか」
彼女が唇の端を引いて笑みを浮かべる。
「どうやら、こちらももたもたしている暇はないみたいだ」
眼下に佇んでこちらを真っ赤な光で見つめる漆黒の魔獣を眺める。腕を四本に増やしたそいつは、二本の細長く鋭い腕を打ち鳴らして、残り二本の屈強な腕の先には彼女の顔面ほどの拳をつくっていた。
「任せてくれ」と豪語した手前、はやく討伐しなければ格好つかない。
竜巻を発生させているであろう少女の顔を思い浮かべる。
自分の暴挙が許されているのは、許してもらえているのは、モルトゥルクの危機を身を挺して退ける使命を背負っているから。
少年への乱暴に表面上だけでも身を引いてくれた少女に、今度こそちゃんと認めてもらうためにも――――――
大木のような魔法杖を眼下の上位種に向けて、マラビィは魔法を唱えた。
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