投獄される予知夢を回避して幸せを掴む予定でしたが、投獄理由は処刑じゃなくて溺愛だった
パチン、と頬を叩く乾いた音が中庭に響いた。
カコン、とししおどしの平和な音がそれに続く。
「――さすが、女狐の娘よね。若様のお相手は私が仰せつかっていたのよ!!格違いであることもわからずに図々しい、さっさと身を引きなさい!」
私を叩いたさと様は、落としてしまった洗濯物を草履でぐっと踏みつけると、とりあえず満足したのか、ほかのお嬢様たちとともに中庭から客間へと戻って行った。
「――大変、早く洗い直さなくては」
私は泥がついてしまったシーツを抱えあげ、慌てて洗濯場へと駆け戻る。
真っ白なシーツの泥汚れは落ちにくい。
そのことを、裕福な家の生まれであるさと様は知らないだろうから、仕方がない。
私はもう一度井戸から汲み上げた水をタライに張り、手がかじかんで使いものにならなくなる前に、汚れてしまったシーツをゴシゴシと洗濯板に擦り付けた。
女狐の娘か。
洗濯をしながら、さと様に投げ付けられた言葉を思い出す。
それはあながち、間違いではない。
母も娘の私もこの家に住み込み奉公させて頂いているだけの単なる使用人である。
しかし、伝統医学にも西洋医学にも精通した町医者である旦那様の母への贔屓は、娘の私から見ても目に余るものがあった。
単なる使用人の母だが、娘の私から見ても、吉原の花魁ですら逃げ出すのではないかと思うほどの、それはそれは美しい女性である。
奥方様は若様をお生みになられた際に身罷られ、後妻はいない。
母は身分的には単なる使用人でありながら、稼業の手伝いや来客時の接待、それに旦那様の身の回りのお世話など、まるで奥方様がするような仕事を引き受けていた。
母は持てる能力の全てをその美貌と囲碁に振ったような人だから、多少どころではないやらかしもするので、その人たちにやや同情する気持ちもある。
それでも旦那様が母を選んだのだから母だけの問題ではないと、娘としては庇いたいところだ。
私はそんな母が誇らしかったし、旦那様を慕うほかの使用人や女性たちからどんな嫌がらせを受けても、気にならなかった。
そして私は母のお陰で旦那様から可愛がられながら、また一方でほかの使用人たちから大なり小なりの虐めによる窮屈な思いもしながら育ったのだが、十歳になると不思議な夢を見るようになった。
初めて見た怖い夢は、ほかの使用人に腹を刺されて倒れる母と、その母のそばで泣き叫ぶ自分の夢だった。
その夢を見てしまった私は、恐ろしくて、恐ろしくて、今すぐこの屋敷を出ようと母に言いながら涙を流して荷造りをした。
その夢だけはなぜか、現実になるものだと信じて疑わなかった。
母は私の様子にうーん、と少し考えたあと、私の頭を撫でて「少し待っててね」と言い、旦那様の部屋に籠った。
そして、それからすぐに、夢で見た問題の使用人が屋敷からいなくなったのである。
私はホッとした。
そのあと、母に話があると呼ばれて、驚くべき話を聞かされた。
母は元々、新華族である家門の生まれだったそうだ。
占術を得意とする妖狐の家門で、要人相手に吉凶の占いをする家柄だったという。
そんな母だったが、他家との見合い話が進んでいる中、平民の父を愛して私を身籠ることになった。
残念ながら父はすぐに他界したらしいが、実家に戻ることも出来ずに困ってるところ、旧知の仲だった旦那様から連絡があり、以来ずっと母娘共々この斑目家にお世話になっているとのことだった。
「私も、十歳を過ぎた時にその能力が発現したの。そして、貴女を産むまでは夢を見たものよ。けれども、私達の視る未来は本来の手順を踏んでいないから、確定した未来ではなく、いくらでも変わる可能性がある不安定な予見なの。だから、あまり思い悩まないで」
母はそう言って、微笑んだ。
それ以来、私は必死で良い未来を選び取るように頑張ってきた。
母に自分の夫を寝取られたと勘違いした女性が母を襲って捕まり、牢屋で自害する未来も変えた。
若様が「自分は父から愛されていない」と勘違いして、父から愛されている母を恨み毒殺する未来も変えた。
ところが最近は、どんな働きかけをしても変えられずにいる夢を見ていた。
私と母が別々のお座敷牢に入れられるという、嫌な夢である。
私のところに訪れるのは、牢に入れた当人である若様だけだ。
若様は誤解を解いた日以来、私を姉のように慕ってくれているから、そんなことは起こらないと思いたい。
しかし、その嫌な未来の予見は徐々に短い期間で訪れ、私を悩ませていた。
町医者である班目家にはお座敷牢なんて存在しないが、班目家の直ぐ隣には町奉行所が存在しており、あり得ないと断言するだけの判断に欠けた。
斑目家の裏稼業を考えれば、なくもない話だとすら思ってしまう。
長年お世話になった屋敷を去るのは惜しいが、現実になり取り返しがつかなくなる前に母娘共々早く逃げなければと、焦燥感は増すばかりだった。
***
「若様、謀りましたね?」
私は自分より一歳年下の若様をジロリと恨みがましく上目遣いで見る。
「なんのこと?」
パチン、と小気味良い音をたてて、若様は将棋の駒を指す。
「さと様のことです」
読んでいた手の通りだったので、私も間を置かずに駒を指した。
「同年代で将棋を指せる良家のお嬢様なんて珍しいですよ。素敵なご縁でしたのに、なぜさと様を帰らせて約束を反故になさったのですか?」
「あの女より、みやのほうがずっと上手だから、仕方がないよ」
若様はくすくすと笑いながら肩を竦める。
「そういう問題ではございません。せっかくのご良縁でさと様がこのお話に乗り気であることは一目瞭然でした。これからの家のお付き合いもございますのに、旦那様を困らせてしまいます」
将棋を指しに来訪するというのは建前で、二人の縁談を進めたがっていることは傍から見てもわかるのに、賢い若様がわからないわけがない。
旦那様の苦労を思えば、母娘共々お世話になっている私は、つい説教じみた話をしてしまう。
「大丈夫だよ、我が班目家は裏稼業がある限り、廃れることはないから」
にこにこと笑い平然と秘密を口にする寿人様に、私のほうが慌ててしぃ、と人差し指を口元に立てた。
「若様ももう結婚適齢期なのですから、早く婚約してお嫁さんを迎え入れてくださらないと、旦那様が安心できません」
「なら、みやが嫁に来てよ」
最近多いこのやり取りに、私は額を押さえる。
「若様、何度も言いますが、私は下働きの女です。若様の妾ならまだしも、妻などになれる身分ではございません。そして私は、誰かの妾になるつもりはございません」
斑目家が単なる町医者であればそれも可能だったかもしれないが、要人が秘密裏に訪ねてくるような家門に、平民は嫁げない。
しかし私がこうして何度はっきり断っても、相手は飄々として今度はこちらの秘密をそっと耳元で囁く。
「みやなら問題ないから、わざわざほかの女を屋敷に入れる必要はないよ。みやは読み書きも算術も礼儀作法も完璧にできるし、なんならお茶もお花も囲碁もできる。それに身分だって」
「若様」
私は慌てて若様の言葉を遮った。
「今はふたりきりだよ、みや。名前で呼ぶ約束だよ」
「寿人様」
「ん?どうしたの、みや。可愛い顔で睨まれても、可愛いしかないんだけど」
年下の少年に言われて、怒る気も失せ脱力した。
その間に、パチン、と寿人様が読み手外の手を指す。
その手を受けた私が長考しだすと、寿人様は軒下から覗くお月様を見上げた。
「懐かしいな、あの夜もこんな月が出ていた」
「寿人様、今は話しかけないでください」
「今の僕たちは、あの時の父上と、みよさんのようだね」
「将棋と囲碁の違いはありますが、確かにそうですね」
思考の邪魔をしてくる寿人様の顔も見ずに、私はそう返事をする。
みよとは、私の母のことだ。
「僕たちがお互いの秘密を共有したあの日、約束したじゃないか。みやはずっと、僕の傍にいるって」
「それは……確かにお約束、致しましたが」
私は一度将棋盤から目を離すと、寿人様に倣って月を見上げた。
***
若様が母を恨むという夢を見た翌日、私は夜遅くに若様の部屋を訪ねた。
「若様、少しよろしいでしょうか」
障子越しに嗚咽している音が聞こえていたが、私が声を掛けるとそれはピタリとやんだ。
狸寝入りのつもりだろうかと思いながら、私は若様の部屋の障子をスパンと開ける。
「な……っ!し、使用人の癖に無礼だぞ!!」
「使用人でなくても、無礼ですよ若様」
若様は泣いた跡を隠そうとして、顔を腕で覆いながら私を咎めた。
そのまま布団に潜り込もうとする若様の片腕をぐっと掴む。
「若様、これからこっそりと旦那様のお部屋まで参りましょう」
「は!?」
私は若様の腕を引っ張って、シンとした廊下を床鳴りがしないように歩いた。
本当に旦那様の部屋へ向かっている、と気付いた若様は「お前、自分が何をしようとしているのか、わかっているのか?」と顔を紅くしながら囁いた。
囁いた、というあたりに育ちの良さと、本音を感じる。
「大丈夫です、若様が心配なさっているようなことにはなりません」
「ひ、人の、それも主人の情事を覗こうとする使用人なんて、明日には出て行って貰うからな!父上に見つかったら、お前に無理矢理連れて来られたって……」
強めの口調で、けれどもやはり小声でコソコソ話す若様を無視して、私は旦那様の部屋の縁側が見える廊下の曲がり角で止まった。
「おい、急に止まるな」
「若様、あちらを」
「わ、私は覗きなどしないぞ」
「若様が期待していらっしゃるような、いかがわしい光景ではありませんから」
「なんだと……っ」
カッとなったらしい若様は、ムキになって私の指し示すほうを見た。
「……あれは、囲碁をしているのか?」
「ええ、そうです」
月明りの下、二人は縁側で碁を打っていた。
私が物心つく前からの、二人の習慣だ。
「旦那様が私の母を好いているのは事実です」
正直に伝えれば、若様は俯いてぐっと唇を嚙み締めた。
「母がこの屋敷の使用人として旦那様に雇われた日、旦那様が母に囲碁で千勝して、その時にも旦那様の気持ちが変わらなければ、旦那様からの求婚を受け入れるという約束を交わしたそうです」
そして娘の私が結婚適齢期になるほどの年月が過ぎた。
それでも旦那様は、囲碁だけに特化した能力を持ち合わせている母と対局し続け、千勝するまであと僅かというところまでこぎ着けた。
「若様、私の母は旦那様のお誘いを、ああして囲碁で勝ち続けることで毎日避け続けています。ほかの者たちが言うように、母から旦那様を誘惑した事実はございません。対局が終わるまで私は二人の傍にずっとおりましたし、二人がしたことと言えば碁と、子煩悩全開の子ども自慢話くらいですよ」
私が笑ってそう言えば、若様は戸惑った表情を浮かべる。
「え?……しかし、私は父の本当の」
若様はそこですぐに口を噤んだ。
「若様が旦那様の本当の子どもかどうかが大事なのではなく、旦那様が若様を大事に思っていることこそ、若様にとって知りたい大事なことではないですか?」
それは公然の秘密だ。
お亡くなりになった奥方様は、旦那様の従兄弟と姦通して若様を身籠った。
旦那様は、子ども相手だと感情の起伏が全くなく、表情筋の動きが乏しい方だ。
そのため若様は自分が旦那様から憎まれていると勘違いをしているのだが、旦那様が唯一デレデレになる私の母の前でだけ、ウチのコ凄い自慢が止まらなくなるのだ。
母もそれに負けじとウチのコ可愛い自慢をするので、似た者同士と言えよう。
「そうだったのか……今まで私はずっと父上とあの女、いやみよさんのことを誤解していて……もしこのまま何も知らなければ、とんでもない過ちを犯したかもしれない……」
若様はぐっと歯を食いしばって己を恥じた。
そんな若様を横目で見ながら、母が毒殺されずにすみそうだと胸を撫で下ろす。
「旦那様は、本当の息子でなくとも若様を愛しておりますし、私たち親子もずっと傍にいて若様を支えて参ります」
「……うん、ありがとう」
若様は綺麗な顔に、微笑を浮かべてくれた。
「では誤解が解けたところで、そろそろ戻りましょうか」
私がそう言ったとき、旦那様の「君に似て美しく育ち、本当に良かった」という声が聞こえてくる。
「しかしずっと不思議だったんだ。君はあの男に乱暴される前に私へ婚約破棄を申し出てきた。ならばあの悲劇を予見していた筈なのに、なぜ未来を変えなかったんだ?」
私たちは、二人してその場で固まる。
「今のはどういう――」
「しっ」
私は、説明を求める若様の口元を咄嗟に押さえた。少しの音も逃すまいと、自分の耳がまるで狐のように母と旦那様の会話に集中していることを他人事のように感じた。
「だって、視てしまったんですもの。あの男との気持ちの悪い行為に耐えた私が、みやという生涯の宝物を抱いて、心から笑っているところを」
「……それは、私との結婚よりも大事だったのか?」
「美貌の持ち腐れと言われて育った私が唯一誇れることは、みやを生む未来を選んだことです」
それに、こうして私は結局、貴方に囚われているではありませんか、と言いながら母は微笑む。
「みや、大丈夫か?」
その場でしゃがみこんだ私を、若様が支えた。
「う、そ……」
私は、母と父の身分違いによる愛の結晶などではなかった。
母は、私のせいで縁談が駄目になったどころか、家を追い出される羽目になったのだ。
ぐわん、と頭を叩かれたような衝撃が走る。
良い家柄の母は、旦那様と婚約をしていた。
ところが母は暴行されて、私を身籠ったのだ。
母は家門を追い出され、母を諦められない旦那様に囲われた。
ただ、私をその手に抱いた未来を視たというだけで、それを選んだのだ。
母の人生と旦那様の人生を狂わせた元凶が、私だったなんて。
確かに母は、昔からどこか変わった人だった。
それでもこれは、私が理解出来る限度を超えている。
「確かに、みよの選択のお陰で今こうして、寿人やみやという可愛らしい宝が手に入ったのではあるがな」
「あの男は貴方が殺したのでしょう?お陰でもうすっかり顔を忘れてしまいました」
「斑目は毒を操り暗殺業務を担う家門だからな。私の大事な人に手を出した時点で、そうなることは必然だ」
その時初めて聞いた話に、私はチラリと若様に視線を走らせた。
若様は無表情で、こくりと頷く。
昔から薬は毒で、毒は薬だった。
医療と暗殺が表裏一体となった家門が斑目家だったのか。
だから、新華族である家門と町医者の家門の婚約という話が出たのか。
それは、私のせいで叶わなかったようだけど。
足元がふらつく私を、若様が支えて部屋まで送ってくれた。
行きは若様が泣いていたのに、帰りは私が泣いていた。
「みやが気にする必要はない」
若様は、頭を下げた私にはっきりとそう言った。
「大事なのは、みやが私に言ったように、私たちの親が私たちを大事に想ってくれているということ、ただそれだけだ」
「はい」
「余計なことは考えずに、これからもずっと傍にいて、私たち親子を支えてくれないか」
「はい、お約束致します」
「しかし、私の父とみよさんが婚約者同士だったとは、どういうことだろう」
「若様、そのことですが、実は……」
私は若様に、私が妖狐の生まれであることとその能力について語った。
若様は私に、班目家の能力……蛇毒を操ることの出来る白蛇の末裔であることを教えてくれた。
***
「だから、みやにはずっとうちにいてもらわないと」
「……そのことですが、寿人様」
「ん?」
ごくりと唾を飲み込んだ。
そのあと班目家について色々調べたが、班目家の血を引く者は皆、執着心が異常であることがわかっている。
「私に、求婚された方がいらっしゃるのです」
「……は?」
私は考えることを諦めて、寿人様の顔を見る。
月明りの下、寿人様の額は鱗で覆われ、蛇のような縦の瞳孔に変化していた。
月と同様に金色に輝くその瞳を、私は心から美しいと思う。
「ですから、母と一緒にこのお屋敷からお暇させていただこうかと思いまして」
「駄目だよ。僕も許さないけど、父も許すはずがないだろう」
そうかもしれない。千勝するまで、あと少しなのだ。
しかし、母だけを置いていけば、母だけあの座敷牢に入れられてしまうかもしれない。
むしろ、私はいいのだ。私はどうなってもいいから、約束された裕福な人生を私のために捨てた母を、私は守りたい。
私の覚悟が伝わったのか、寿人様はふぅ、と溜息をつく。
「一度、みよさんに相談してご覧」
「母に相談、ですか?」
私は首を捻る。
「どうして君が急にそんなことを言い出したのかわからないけど、きっとまた嫌な夢でも見たんだよね?だったら、みよさんに話してみなよ。みよさんが選んだことなら、みやも納得できるでしょう」
私は黙って考えた。
母が座敷牢なんかに入れられることは我慢ならない。けれども、私の能力を知り、自らもその能力を持っていた母であれば、一緒にその未来を変える手を思いついてくれるかもしれない。
母は変わっている人だけど、何十、何百通りの手から妙手を選ぶ人だ。
「それで、誰がみやに求婚したの?」
「それは――」
顔を上げると、目を細めた寿人様と視線が絡まる。
なんとなく、名前を告げてはいけない気がした。
「ひ、秘密です」
「そう、残念。昔から僕は、みやとしか結婚する気がないから、邪魔する奴は消そうと思っていたのに」
そう言われて、目を瞬いた。私は驚いて尋ねる。
「まさか、本気だったのですか?」
「ええと、どっちの話?」
「私をお嫁に、というお話です」
「まさか、本気じゃないと思っていたの?」
なぜか寿人様からも驚いたような反応を返された。
「寿人様には、さと様がいらっしゃるではないですか」
「ああ、あの女がうちに来ていたのは裏家業の絡む別件だよ。話せばあの女が死んだときみやが気にすると思ったから、言わなかったけど。こんな誤解をされるなら、さっさと話すべきだったかな」
「そ、そうでしたか……」
少しだけ、さと様に同情してしまった。
「それにあの女、うちに来るたび、みやに意地悪をしたでしょう?父様に止められてなければ、さっさと……いや、なんでもないよ」
にこ、と笑う寿人様の口元に、毒牙がちらりと現れる。
成人した寿人様は、怒ったり興奮したりするとこうして所々蛇の要素が出てくるようになった。
「わかりました、若様。母に相談してみます」
「うん、それがいい。みよさんなら、最善手を考えてくれると思うよ」
「はい」
私はこくりと頷いた。
その日の勝負は、若様に負けた。
***
「まあ、そんな夢を見たの?」
「はい。ですから母様、この家を早く出ましょう。どこへ行っても、今度は私が母様の面倒を見ますから」
私が覚悟を決めてそう言えば、母はうーん、と考えて目を瞑る。
「あのね、みや。自分が見た夢だけを見ていてはだめよ、もっと全体を見なければ。昨日は寿人様に負けたのでしょう?みやは集中しすぎて大局に目を向けるのが苦手だから……」
「母様」
「あ、ごめんなさい。……ええと、なんの話だったかしら?」
「私達親子が監禁される夢のお話です」
「そうそう。みやがその夢を見出した頃、何か変わったことはなかったかしら?」
「変わったこと……」
今度は私がうーん、と考えて目を瞑る。
「さと様が班目家に来るようになったことと、私がとある方から求婚されたことくらいですね」
しかしそれは監禁とはなんの関係もないだろうと思って母を見れば、母はくすくすと笑っている。
「ふふ、どんな現象にもかならず起因するものがあるのですよ。貴女はそのタイミングで求婚されて、どうしようと思ったの?」
「一目散に結婚して班目家から逃げようと思いました」
私は頷きながら母に説明する。
ただ、花嫁道具をそろえるという手間を母にかけさせたくなく、自分で花嫁道具をそろえている間に、旦那様の千勝しそうなタイミングと重なってしまった。
もう結婚という大義名分は捨てて、母と一緒に夜逃げするしかないと思ったところである。
「あのね、みや。班目家はとっても執着心が強い蛇なのよ」
「はぁ」
「囲碁に例えるなら、」
「母様」
「あ、ごめんなさい。……ええと、なんの話だったかしら?」
「班目家の執着心についてのお話です」
「そうそう。自分の獲物が逃げようとしたら、どうすると思う?」
「逃げようとしたら……?」
母が何を言おうとしているのかが読めず、私は首を捻る。
そんな私の様子に、再びくすくすと笑う母。
「嫁入り道具の準備はやめて、みやはそろそろ私と仕事を変わりなさい。前から言われていたでしょう?使用人の仕事はいいから、若様について花嫁修業をなさいと」
「はぁ……」
確かに、旦那様からも若様からも花嫁修業については勧められていた。
ただ、私が花嫁修業をすればさと様が激昂され、挙句若様にさと様が殺されてしまうという夢を見たので、今まで通りの仕事をしていたけれども。
「さと様に危険がなければ、お引き受けします」
「もう彼女からは十分な情報を取ったらしいから、いらっしゃることはないでしょう」
母はにっこりと美しい微笑を浮かべる。
「それと、みやがその求婚してきた相手について若様に話さなかったことは、良かったと思うわ。あとは、自分で考えて動きなさい」
「はぁ」
母に言われたことを頭の中で反芻し、私なりの解答を導きだした。
求婚は断り、寿人様にそれを伝える。
さと様の安全を担保に、寿人様について花嫁修業を開始する。
その後一度だけ道中で出会ったさと様は、私の顔を見るなり真っ青になって走り去ってしまったが、とりあえず殺されずにすんだことだけは確認できた。
ほかの良いご縁に恵まれればいいと思う。
寿人様は毎日上機嫌で、私があの夢を見ることがぴたりとなくなった。
旦那様はやっと母に囲碁で千勝を果たし、旦那様が準備した花嫁道具で母は旦那様と再婚した。
そして花嫁修業に励んでいたある日、ほかの人からまた私が求婚されると、再び監禁される夢を見た。
母に聞かなくても、今ならわかる。
逃げようとするから、監禁されるのだ。
「そろそろお嫁においで、みや。ほら、王手だよ」
寿人様は、笑いながら優雅に駒を指す。
「……色々参りました、寿人様」
詰んだ私は、ぺこりと頭を下げる。
狐は蛇を捕食するものだが、相手が大蛇であれば話はまた別らしい。
その日私は、寿人様の隣で我が子を抱いて、幸せそうに笑う夢を見たのだった。
いつもブクマ、ご評価、大変励みになっております。
また、誤字脱字も助かっております。
数ある作品の中から発掘&お読み頂き、ありがとうございました。




