缶コーヒー
「こんばんは」
今日も彼は来た。
「カスバの缶コーヒーください」
レジ近くに置いてある保温機の中に、彼の大好きな缶コーヒーがある。
「どうぞ。熱いので気をつけてくださいね」
いつものやり取り。でも何か話したい。
「ありがとうございます」
結局今日もそれしか言えず、彼は帰ってしまった。
一カ月前から、毎日来るようになった彼。
名前も何もわからない。
ただわかるのは彼がカスバの缶コーヒーが好きなだけ。
「あと二缶かあ」
自動販売機を設置することを決め、保温機に補充されなくなった缶コーヒーは残り二缶となっていた。
翌日。
「いらっしゃいませ」
店に入ってきた彼を見て、思わず先に声をかけてしまう。すると彼はまっすぐレジに来た。
「残り二缶……なんですね」
「……はい」
残念そうな彼に何か言わないと、急かす気持ちとは裏腹に私は短く答えるだけにとどまる。
緊張しすぎて、彼の顔を見れずに俯いてしまう。
「カスバの缶コーヒーおいしいですからね」
「そうですね」
彼の言葉に頑張って相槌を打った。優しい瞳とかちあい、なんだか恥ずかくなる。
「えっと、カスバのコーヒーですよね?」
聞きながら、あと二缶分しか見られない彼の顔なのに、私は恥ずかしくて顔を上げられない。
「はい。一缶ください」
私とは違って、彼は明るくはっきりと答えた。
「熱いので気をつけてくださいね」
いつものセリフを言いながら私はビニール袋に缶を入れる。
「ありがとうございました」
悲しいかな。情けない私は今日もそれしか言えず、その背中を見送った。
最後の日がやってきた。何を言っていいかわからなくて、俯いてしまう。最後なのに。
「今日は言ってくれないんですか?」
缶コーヒーの入った袋を受け取りながら彼は聞いてきた。
「な、何をですか?」
彼にじっと見られて、きっと私の頬は真っ赤だ。
それなのに彼はじっと私を見つめたまま、再び口を開く。
「『熱いので気を付けてください』って」
覚えていたんだ。
一カ月前から毎日言い続けていた言葉、同じ台詞しか言えない私。
「あの、名前を教えてください。俺と付き合ってくれませんか?」
「!」
え……?
頭の中が一気にパニックに陥る。
私は自分が金魚のように口をぱくぱくしているのがわかった。
「返事はゆっくりでいいです。明日また来ます」
彼は優しく笑ってから背を向ける。
「熱いので気を付けてください」
私は混乱しながらも必死にいつものセリフを口にする。
すると彼は振り向き、また明日と言った。