三姉妹の長女
私は、針のむしろの上にいた。
今日は、来客の予定はない。
なので、領主の館が公的施設の側面も併せ持つとはいえ、玄関ホールを待ち合わせ場所にした判断は、至極当然のもの。
当然のもの、だったはずだ。
しかし、妹と手つなぎだと、ちらちら見られる。
衛兵は警備と儀礼、両方の観点から配備されている。
メイド達を筆頭に、使用人も通る。もちろん正規の来客がいる時は控えるように通達しているが、今は平時だ。
それはもちろん、こっち見んな、散れ! と命令するのは容易い。
しかし、そんな真似をすれば、見られて困ることをしていると吹聴するようなものだ。
衛兵や使用人が噂話をしないのは、皆がヴァンデルヴァーツの地獄耳を承知しているから。
だからこそ、何を思っているのか分からない。
――二人共、かちっとした格好ではなく、リボンだけ色違いでお揃いの麦わら帽子に……手つなぎ。
これではまるで、仲良し姉妹ではないか。
……シエル。早く来て。
その願いが届いたのか、少し低く耳に心地よい、待ち望んだ声が聞こえた。
「お待たせしました、アーデルハイド様。レティシアお嬢様」
シエルの落ち着いた物腰に、灰色のドレスがよく似合っていた。
これは地味ではなく、貞淑というのだ。
髪型はいつも通りで、いつもはメイドキャップに収めている結い上げた後ろ髪を、今日は帽子の中に収めている。
ドレスと同じ灰色の、つばのない円筒形の丸帽子に巻かれた長いリボンは白。
ドレスに、あくまでさりげなく使われているフリルとリボンも白で、重いグレーを一段軽やかな印象に仕立てている。
ウェスト部分はきゅっとくびれていて、大きい胸をさりげなく強調しつつ、しかし露出度は高くなく上品。
今は畳まれて細く絞り込まれた日傘が、凜とした気品に花を添えていた。
装飾品は胸元の、石の小さいブローチと、いつもの左前髪を留めている銀のヘアピンぐらいだが、レティシアと同じく素材が良いので問題ない。
さすが"仕立屋"だ。
私は、淑女然として堂々とした様子のシエルの前で、妹と手つなぎしている現状に耐えられず、おずおずと聞いた。
「……あの、手を……つないでることについては、何も言わないのかしら?」
シエルが軽く首をかしげて見せた。
「館を出る前から、設定のための演技を徹底されていることに感心しておりました。……違うのですか?」
「違わないわ」
大きく頷く。
シエルの解釈に、全力で乗っかることにした。
「姉妹という設定だものね。シエルは長女役で、私が次女、レティシアが三女。年齢は実年齢そのまま。大丈夫、完璧よ」
「はい。僭越ながら私が長女役を務める、三姉妹ということで。顔立ちや髪の色が全員違うのは、私とお二人は義理の姉妹だから。よろしいですか」
素人のレティシアがいることもあり、ボロが出にくいように、設定は現実に即し、かつ無難なものにしてある。
「ええ」
「分かりました」
別に、いつも通りシエルを使用人役として、私とレティシアが主人宅の姉妹……という風にしても良かったのだが。
たまには優秀な当主補佐にも、息抜きをして欲しかった。
なにしろ、彼女はまともに休暇を取らない。
私はシエルに全幅の信頼を置いているので、彼女に自分の判断で休暇を取ることを許可している。
彼女の不在が不定期なのは、一つに貴族の忙しさには、波があるからだ。
領地運営は季節によって忙しさが大きく違う。
ただ、基本的には同じことの繰り返しで、トラブルが起きない限り、それこそ"領主代行"のユーディットに任せていれば事足りる。
また、シエルからは、信頼出来る部下を揃え、有事以外は丸投げできるのが良い領地であり、良い貴族家だと教えられた。
多分、真理だ。
もちろん方針の決定と最終的判断は私の仕事だ。
私が判断を誤り、舵取りを間違えれば、多くの民が死に……その責任はいずれ、自分達の命で支払うことになる。
それが、貴族家当主の重みだ。
そしてもう一つ、シエルの休暇が定期的でないのは、安全のためでもある。
なにしろ彼女は、下手をすれば当主より重要度が高い、"当主補佐"。
ヴァンデルヴァーツ家が誇る"影"を統括する立場であり、その不在は分かりやすい弱点だ。
彼女が休暇なのか単に他の仕事中なのかを知るのは私一人……と言いたいのだが、実は私も知らなかったりする。
しかし、私がシエルにいて欲しいと思った時、彼女に相談したいと思った時には、いつも控えていてくれる。
なので、本当に休んでいるのだろうか、と疑っている。
本人にそれとなく話を振ると「自由にさせていただいております。ご心配なく」と微笑んだので、ついその笑顔に誤魔化されたが、やっぱり休んでいる気配が感じられない。
休日に何をしているのかと聞いた時も、「街を散策したり……いろいろです」と、さらりと打ち切られた。
レティシアもそうなのだが、私はその『いろいろ』が知りたい。
しかし、いくら生まれた時からの付き合いだとしても、いや、だからこそ、一人になりたい時ぐらいあるだろう。
そんな風に休み無しに働いているように見えるシエルだが、それでもパフォーマンスを落としたこともない。
ほとんどいつも顔色一つ変えずに、私を補佐し、命令に従う。
……多分、彼女はそれを幸せだと教えられた。
主に仕え、奉仕することを叩き込まれた。
私が次期当主として育てられたのと、同じように。
――彼女は、どんな大人になりたかったのだろう。
ふと、そんなことを思った。
私は公爵家の長子として生まれ、次期当主として育てられた。そこに私の意思はない。
けれどシエルは平民だ。使用人の子として生まれたとしても、使用人になる以外の選択肢もある。
当家が、事故で両親をまとめて亡くした彼女に住まいと……仕事を与えたのは、あくまで、長く仕えてくれた使用人夫妻の娘への温情だった――はずだ。
それでも、七つの少女が、生まれたばかりの公爵家令嬢に仕えて、それから二十年以上を生きてきた。
まるで、家族のように。
……家族をなくした女の子が。
……いったい、どんな気持ちで。
「アーデルハイド様?」
シエルが、私の顔をのぞき込む。
彼女の忠誠を疑うことはない。
シエルが私を育て、教えてきた日々が、義務であり、仕事であったことは間違いない。……けれど、それだけとは思っていない。
――でも、愛情や親しみだけでないのも、間違いなかった。
既に、最も信頼する部下である彼女を解放するという選択肢はない。……私には。『公爵家当主』には。
私の死は、彼女を自由にする。
シエルはそんなこと、望んでいないのかもしれないが。
「どうかなさいましたか?」
心配されている……ような気がする。
つい、考え込むことが増えただろうか。運命やら何やら怪しげな物に導かれ、脳内の【テキストログ】を読み返し、どの【選択肢】が選ばれるかと、【シナリオ】の行方を固唾を呑んで見守り……としていれば、心配されるのも仕方ない。
「いえ。ただ、シエルはそういう格好も似合うなって」
「恐縮でございます」
表情一つ変えず、軽く一礼して謝意を示すシエル。
どこぞの貴族令嬢がお忍びで……の方が良かったのではと思うぐらいだ。
「それでは、レティシアお嬢様。私達は、"アイデックス商会"の関係者ということになっております。ただ、細かい設定は覚えなくて結構です。そういう商会の重要人物の娘である、とだけ。いざという時は私達がフォローします」
「はい。足を引っ張らないように頑張ります」
私達は、裏でヴァンデルヴァーツと繋がっている商会関係者の令嬢、という設定になっている。
繋がっているというか、秘密裏に経営している。
王国側が把握していない『秘密の財布』だ。
アイデックス商会は、公的には我が家と何の関係もない。
扱っている商品も、仕入れルートも、販売ルートも、何一つ公爵家と直接の関連性はない。
一応は独立採算制ではあるが、公爵家の資金力が背景にあるために多少の赤字でうろたえることもなく、領主が次に取る政策が分かっていて、絶対に本格的には睨まれない商会が、多少は控えめにしても成功するのは自明の理。
もちろん税金はちゃんと領に納めていて、間接的に王国にも納税している、表向きは叩いても埃が出ないクリーンな商会。
クリーンな商会から生まれたクリーン資金は、"冷徹非情のヴァンデルヴァーツ"の、表に出せないクリーン活動の活動資金になる。
今のところ、当主が断頭台へ行って、爵位継承権第一位の妹が跡を継いでもなんとかなるだろうと思う程度には、ヴァンデルヴァーツ家の基盤は盤石だ。
それを支える領地の様子を見られるのは、きっと今回の視察が最後。
私達は、衛兵達に見送られ、裏口からそっと出る。
人の気配はない。
領主の館のせいで影が落ちている路地から、日の当たる通りへ出る前に、先頭のシエルが足を止めて、日傘を開いた。
そして私達を振り返って、微笑む。
「それでは行きましょう。……アデル。レティ」
「はい、シエル姉様!」
レティシアが元気に返事をした。順応が早い。
『シエル』、『アデル』、『レティ』。それが今回の偽名だ。
シエルは本名そのままだが。
……私は、少し迷って。
レティシアとつないでいない方の手で、そっとシエルの手を取った。
「おじょ……アデル?」
「……シエル……お姉様?」
シエルが、ぱちぱちとまばたきをした。
それ以上は表情が変わらないために、何を考えているのか分からない。
彼女は少し言葉を選ぶような間の後、いつものかっちりした冷静さではなく、穏やかな優しさが込められた声色で告げた。
「……ここからは、だんだん人通りも多くなるから。手はつないでいない方がいいわね」
「あ……はい」
「そう……ですね」
私がシエルから手を離し、レティシアが私から手を離した。
長女という設定に従っているのか分からないが、私が言うよりシエルが言う方が、レティシアの聞き分けがいい気がする。
そこはかとない無力感に、ちょっと視線を落とした。
「……でも、嬉しいわ」
はっと顔を上げると、シエルは日傘を差しながら、私達に背を向けて歩き出したところだった。
どんな表情で、そしてどんな気持ちでその言葉を口にしたのかは、分からない。
私とレティシアは、並んでその後を追った。
私は、運命に従う。
今日は、半分はお忍びで視察する当主として、半分は運命の筋書きを現実にすべく働く悪役令嬢としての仕事だ。
ただ、今日の『設定』が。
血のつながりがない長女と、腹違いの次女と三女が……結果として、妙に複雑な事情がありそうな設定の三人が。
ただの、仲良し姉妹として過ごすことが。
もしも、もしも、ほんのひとかけらでも、真実を含んでいるならと。
そう、願ってしまった。