百点満点プラス二百点の夏の妖精
日程が、余った。
運命とやらが、さくさく【攻略対象】達を出会わせてくるせいだ。
いざという時は運命を捏造して出会わせるために、余裕を持たせた日程だったせいもあるが。
一日目、【査察】。
二日目、【薬草園】
三日目、四日目、五日目、【合同演習】。
演習の二日目以降は、指揮官代行と、彼が選んだ部下から前日の報告を聞くのがメインで、直接足を運んではいない。
実際に見るのも大事だが、どのみち、全てを見ることはできない。
フェリクスと顔を合わせなくていいのは、ありがたいところだった。
六日目の今日は、午前中いっぱいかけて、無事に終わった合同演習の振り返り。
もちろんこの後も様々な評価があるのだが、私の元に届くのは最終報告ということになるだろう。
今回は、現地視察に、経過報告、そして最初の総括に参加できたのだから、まあ悪くない。
しかしその分、レティシアとの触れ合いが減った。
……いや、元からそう多くはなかったのだが。
同席させて、時には質問も許したが、それぐらい。
妹も妹で、知識も――権限も――ないことは分かっていて、控えめにしていた。
とりあえず午前中で、義務は果たした。
合同演習を無事に終えただけでも、公的な目標は、ほぼ終えたと言っていい。
第一王子の査察と、薬草園の視察も同様だ。
王子、医師長、騎士団長。三人の【攻略対象】と妹は出会った。
はっきり【イベント】が起きたような気がしないのと、【公式ゼリフ】の割合が少なかったのが気になるが。
この時点ではまだ控えめとは言え、甘いセリフも一切なかった。
全員、妹へ対する好感度は高そうなのだが。
何はともあれ、公的な目標を果たし、三人の攻略対象とも出会うだけは出会わせた。それは事実だ。
ならば日程の残りは、妹に時間を割いてもいいだろう。
私は妹を、良き領主にする義務がある。
――昼食後、私はシエルを部屋に呼んだ。
レティシアも一緒だ。
「シエル。残りの日程に、領都を中心とした視察を入れようと思うのだけれど」
「はい。何か特定の目的はおありですか?」
「いいえ。ただ、街の雰囲気を見たいわ」
シエルが頷く。
「はい。……では、『例の設定』で?」
「ええ」
私は、レティシアに視線を向けた。
「『設定』は覚えていますね?」
「は、はい。頑張ります」
ぐっと両の拳を握って気合いを入れる妹。
そこまで頑張るほど複雑な設定には、していないつもりだが。
「シエル。着替え終わったら玄関ホールに集合です」
「はい。それではまた後ほど」
メイド服姿のシエルが一礼して退室するのを見送った。
いつもと違うシエルが見られるのも、視察の楽しみの一つだ。
乗馬の際の燕尾服姿も、演習の際のサーコート姿も凜々しかったが。
以前、"仕立屋"から「シエルさんにも可愛い服を着せたいんですけど……」という相談を受けたことがあった。
まず私服を仕立ててはどうかとさりげなく話を振ってみたが、あっさりと断られた……とは"仕立屋"談。
彼女の話の振り方が本当に、『さりげなく』だったかはさておき。
他の使用人達はオーダーメイドではなくお仕着せだが、シエルはメイド長にして当主補佐ということで、"仕立屋"に、メイド服や燕尾服を仕立ててもらっている。
採寸される時、なんとなく同席したのだが、シエルは身体に触れられても、顔色一つ変えなかった。
私は"仕立屋"に初めて採寸された時、変な声を上げて固まってしまった。
突き飛ばして逃げた妹は強い。
代わりと言ってはなんだが、私の場合はシエルが即座に対応した。
ヴァンデルヴァーツ家の当主というのは伏せていたにせよ、初めて客となった貴族相手に褒められた対応ではない。
シエルに命を握られた状態で脅しを受けてなお、やましいことはないと宣言した、仕立屋としての矜持を信じることにしたわけだが。
その後、私の資金提供によって再び自分の店を持ち、改善されたと思っていたのだが。
採寸に対する情熱は妹を怯えさせるほどだったので、まったく変わっていない。
私やシエルが二回目以降の採寸で、目的がサイズの再確認だったために、触り方が弱くなっていただけらしい。油断した。
でも、その後お姉ちゃんを頼ってくれたのが嬉しかったりする。
誰にも言えないが。
「レティシア。支度なさい」
「はい、お姉様」
妹が赤いジャンパースカートの胸元の、ヤモリの紋章入り金ボタンに手をかけるのを視界の端に入れながら、私も紺色のジャケットの胸元の、同じ紋章入りの金ボタンを外した。
ボタンホールに通している懐中時計のチェーンを外し、胸ポケットから銀時計を取り出す。
そっとベッドサイドのテーブルに置いた。
さらに上着を脱いで上着掛けに吊るすと、一気に涼しくなって、一息つく。
私は、『当主服』を"仕立屋"に複数仕立てさせている。今の時期は、夏用の生地が薄いタイプだ。
しかし、当然ながら長袖二枚重ねは、少し暑いこともある。なので、今日の私が着る服は半袖だ。
なんとなく薄着が不安になるのは、いつもの当主服が私にとっての騎士の鎧だからだろうか。
替えのスカートを用意する。
いつも履いている物より明るい青色のそれは、本格的な変装用ではないが、なかなかシンプルなスカートを履く機会がない。
シエルがいつもメイド服であるように、私はいつもの当主用に仕立てた装いで事足りる。
ジャケットに合わせた紺色のスカートを脱ぐと、腰回りが解放されて、ちょっと涼しい。
ベッドの端にスカートを掛け、軽く白いシャツの裾を整えながら、私と同じくシャツだけの姿になったレティシアを、見るともなしに眺める。
ボタンがぷち、ぷち……と外され、するりと腕を滑らせて脱ぐ。
同性、いや、それ以前に妹だと言うのに、こう……なんかこう……。
「…………」
下着姿の妹の白い肌が眩しくて、視線をそらして、私も長袖シャツを脱いで半袖シャツに着替えると、スカートを手に取った。
腰まで上げて、ホックを留める。
"仕立屋"の仕立ては上等だが、サイズに余裕がないので、久しぶりの服だと緊張の一瞬だ。
スムーズに留まり、きついこともなく、ほっと胸を撫で下ろした。
軽く鏡で確認する。
腰を捻って、裾をふわっとさせる。動きに問題なし。
妹は着替え終わったかと振り向くと、白い半袖シャツの上から、赤地に明るい黄色でチェックの入ったワンピースを、頭からかぶったところだった。
背中も胸元も大きく空いたデザインなので、シャツとの重ね着が前提だと知らずに単品で見れば、たいそう扇情的に見えるだろう。
レティシアが、胸の下の生地を寄せるように通された幅広のリボンを、後ろできゅっと結ぶ。
私が結んであげたかった……という謎の気持ちが湧き上がり、戸惑う。
さらに、既に結ばれたリボンを見ていると、無性に引っ張ってほどきたくなったが、なんでそんなことを思ったのか分からない。
あのリボンは、胸が大きいとワンピースは浮いて見えるので、それを身体に沿わせる工夫だが。
私、あれ要らない気がする。
着替え終わった妹が、最後の仕上げに、平たい円筒形の帽子ケースから麦わら帽子を取り出して、頭にのせた。
目の詰んだ麦わら帽子に巻かれた細いリボンは濃い赤。レティシアの色だ。
そして振り返ると、私が見ているのに気が付いて、笑顔になった。
首をかしげると、合わせて帽子も傾く。
「お姉様! ……どうですか?」
【月光のリーベリウム】の【イベントスチル】で見た通りの、夏らしい麦わら帽子・半袖シャツ・ワンピース姿が三拍子揃って可愛い。
百点満点。
プラス、百点。満点では足りない。それぐらい可愛い。
ユースタシアで一番、いや、大陸一夏が似合う。夏の妖精とは彼女のこと。
"仕立屋"は、実にいい仕事をした。帰ったら特別手当を出そう。
生地代にしないように言い含めなくては。
「……悪くはないですわ。――客観的に見たらね」
まったく、憎まれ口しか叩けないのかこの女。
と、自分について客観的に思うこともしばしばだ。
しかし、悪役令嬢として不適切極まる主観的な意見を口に出さない自制心ぐらいある。
「ありがとうございます、お姉様。悪くはないって、いいってことですよね」
うちの妹がポジティブすぎて笑顔が眩しいので、もう百点持ってこい。
しかし三百点でも足りない。金貨一枚で一点ぐらいにならないだろうか。
次期当主が受け継ぐ財産なら、今すぐ全額貢いでも、いいのではないだろうか。
……いや、いいわけないな。
でも、抱きしめるぐらいなら?
金銭のやりとりが絡まない方法なら、私がどれだけ妹のいつもと違う姿を良いと思っているのか表現しても、いいのではないだろうか。
いや、いいわけないな……。
妹は案外、喜んで抱きしめ返してくれるような気もしたが。
……何を都合のいい妄想をしているのだか。
だいたい、【月光のリーベリウム】は、そういうシナリオではない。
まだ夏の日差しを浴びてもいないのに、頭が熱中症気味らしい。
多分、夏が悪い。