原因不明の胸の痛み
ユースタシア王国の王城への、石畳で舗装された道を、馬車が走っていく。
私は、ぴったりと寄り添う妹を引き剥がすタイミングを、完全になくしていた。
四人乗りの馬車で、私が想定していた席順は、当主の私が二人席を一人で使い、レティシアとメイドが前に座る……というもの。
そのはずが、なぜか現実にはレティシアと私が隣同士で、メイドが広々と二人席を一人で使っている。
これでは、まるで仲良し姉妹ではないか。
私は、『父の不貞を償うために寛大にも"裏町"出身の彼女を妹と認めはしたが』『その出自が気に入らず、いじわるを繰り返す』『腹違いの姉』だ。
そういう、設定だ。
しかし、まだ慌てるには早い。
この後は、我が国の第一王子が、レティシアと出会うシナリオになっている。
馬が合わないが、能力は認めてもいい。
その『必要性』を骨身に染みて理解する前に、我が家のような後ろ暗い家を絶賛するようでも、人柄に不安が残るし。
残りの【攻略対象】二名も悪くはないが、もしレティシアが気に入るようなら。
……まあ、妹を任せても、いい。
そこで、つきん、と胸が痛んだ。
今は秋の終わりであり、風邪を引きやすい季節の変わり目だ。
肺に異常はないかと、胸を軽くさする。
「どうかしました?」
妹が、うつむいた私の顔を、さらに少し下から覗き込む。
「――いえ。なんでもありませんわ」
「そうですか。でも、風邪なんか引かないようにしてください」
それは、妹にこそ言いたい。
順番からしてもう少し先だが、彼女は風邪を引くことに『なっている』。
……それに、彼女の部屋は、骨まで凍るような屋根裏部屋だ。
寝具がお客様用の上等な物で、さりげなく階下の熱が伝わるように改装してあるとは言え。
それでも、本来、人が住むための部屋ではない。
まして、可愛い妹を。
本当はあんな部屋に寝かせたくなど、ないのだ。
「……あなたこそ、気を付けなさい」
自嘲する。
何に気を付けろと、言うのか。
それは私の役目だ。――私の役目の、はずなのだ。
暖炉のある暖かい部屋を与え、上等な寝具を与え、栄養のある食事を与え、いざ風邪を引いたら、最上の治療を施す。
私に、まっとうな家族としての情があれば、そうした。
でも、私は妹の幸福を願う姉であると同時に、"冷徹非情のヴァンデルヴァーツ"の当主だ。
彼女が『必要』なのだ。
彼女のような、『物語の主人公』が。
……『都合のいい奇跡』が。
罪悪感を覚えつつも、最後に幸福になるからと誤魔化して、私は実の妹を利用することに決めた。
そんな私に、何を言えると言うのか。
そんな私の言葉に、何の意味が。
妹は、私の言葉に頷いて――なぜか笑顔になった。
「はい! 私、"裏町"育ちだから、身体は丈夫なんですよ!」
眩しかった。
生まれを隠すこともなく。恥じることもなく。
こんな素っ気ない心配の言葉を、そんなにも喜ぶ姿が。
目をそらして、窓の外を見る。
「絨毯に沿って歩いて、王様の前で止まって、挨拶……」
ぶつぶつと、レティシアが小声で【承認の儀】の手順をおさらいしているのが耳に入り、そちらを見た。
その表情は真剣だ。
考えてみれば、私にとって今日は、攻略対象の一人である第一王子と出会うイベントがメインだが、妹にとってはそうではない。
初めての王城。初めての国王陛下の御前。初めての――貴族としての儀式。
不安にならない方が、どうかしている。
妹が顔を上げて、目が合った。
「お姉様。何か、気をつけた方がいいことってありますか?」
「そうね……」
少し考える。
儀式の手順は、王城と打ち合わせて決まった物を教えてある。
シエルに命じて挨拶も練習させた。
不安があるとすれば……『舞台慣れ』していないこと。
「お姉様は優しいですけど、他の貴族の方にお会いしたことはないので、不安で……」
……何か今、妙な評価が混ざった気がする。
それも、『悪役令嬢』としては、断じて許容できない類の。
しかし、そこに今は触れないことにして、シンプルにアドバイスした。
「堂々としていなさい」
「はい」
レティシアが、神妙な顔で頷く。
「……それで、その後は?」
「堂々としていなさい」
私は繰り返した。
「それだけ……ですか?」
「それだけです」
頷いた。
「……そうね。気が抜けても困るから教えてなかったけれど」
「はい」
「今日の儀式、今の貴族達が生きている間に行われたことがないから、誰も正解を知らないのよ」
「……そうなんですか?」
「ええ。……安心なさい」
きょとんとした様子も可愛い妹に、軽く笑ってみせる。
お姉ちゃんとしてではなく、当主として。
ほんのりと、『悪役令嬢』らしさも込めて。
「あなたは私の……ヴァンデルヴァーツ家の血族よ」
私の妹、と言えなかったあたり、心が弱い。
いや、『悪役』としては多分、それが正しいのだが。
今度こそ『悪役令嬢』らしく――"冷徹非情のヴァンデルヴァーツ"の当主らしく、歯を剥き出しにして笑う。
「我が家の名誉を汚そうとする者がいれば、目に物見せてやりましょう」
「……はい、お姉様」
いや、なぜそこで嬉しそうにする。
今まで数知れぬ交渉相手の心を折ってきた、世界を善と悪に分けるなら、間違いなく悪の笑顔だ。怯えてほしかった。
妹の、なぜか嬉しそうな笑顔を見ていられずに、もう一度、窓の外を見る。
片腕に、寄り添う妹の体温を感じながら。
……ふと気が付くと、胸の痛みは、どこかに行ってしまっていた。