フェリクスのお誘い
「…………」
騎士の称号を得るべく努力した日々のことを懐かしく思い返し、追憶の中で沈黙した私のことをどう解釈したものか、フェリクスが私の手から剣をもぎ取った。
「アーデルハイド」
そして――珍しく、本当に珍しく、私に笑いかける。
私の世界一可愛い妹に向けてではなく、私に。
「腹黒公爵家の当主が嫌になったら、俺のところに来い。お前なら、"リッター"の称号に相応しい」
騎士に憧れる若者なら、歓喜するだろうセリフだ。
騎士団長直々に、"騎士"に相応しいと言われるなど。
しかし、ヴァンデルガント領軍の練成課程を経て、既に騎士の称号を得ている身としては、あまり響かない。
私は彼のお誘いを、鼻で笑った。
「どんな未来があればそうなるのやら」
「政争に負けて没落するとかな?」
フェリクスの軽口に、妹が慌てた様子を見せた。
「め、滅多なことを言わないでください、フェリクス様!」
それが、滅多なことでもない。
「まあ、ないですわね」
「まあ、ないなあ」
私とフェリクスは、お互いに、はは、と乾いた笑いで、戯れ言を笑い飛ばした。
――私がただの一騎士として生きるような未来は、ない。
そんな面白ルートは、ないのだ。
私の最期を示す【ゲームテキスト】は、たった一文。それもナレーションだ。
王子、騎士団長、医師長、全てのルートで、こう。
【アーデルハイド・フォン・ヴァンデルヴァーツは、断頭台に送られた。】
さっくり殺しやがって、という当事者として納得いかない気持ちと、まあここを詳細に描写するのもなんか違うよね……という恋愛物語読者として理解を示す気持ちが同居している。
私を待ち受ける【断頭台】は――つまり私が、『政争に負けた』ということを意味している。
【月光のリーベリウム】は、主人公視点の恋愛物語だから描写されないだけで、裏ではいろいろ動いているのだろう。多分。
【断頭台】は控えめに言って『マシな方』だ。
フェリクスの言葉を借りれば、『腹黒公爵家の当主』。言い得て妙だ。
私が政争に負ければ、死ぬしかない。
あらゆる意味で、火種なのだから。
"冷徹非情のヴァンデルヴァーツ"の名にはそれだけの重みがあるし、どちらかと言えばマイナスの信頼もある。
担ぎ上げようとする勢力にも事欠かないし、裏金に裏の人脈も豊富。
やろうと思えば、一国を傾かせる程度の権力を持つ。
まあ、当主でなくなった時点でヴァンデルガント領軍は動かない公算が高い。
"影"にしても何人が残るか。
裏の人脈も、結局は立場を生かした物であることを考えると……。
あ、なんだか、また寂しくなってきた。
私個人に属する力など、ほんの僅か。
せいぜい、スコップで穴を掘ってバケツで水を入れて泥沼を作り、妹を突き落とす程度の力しかない。
そこで、フェリクスが大きくかがみ込んで、私の耳に口を寄せて、ささやいた。
「……アーデルハイド。この後、二人きりで、話せるか?」
騎士団長との恋物語に憧れる淑女なら、歓喜するだろうセリフだ。
しかしこのシチュエーションで私が想定するべきは、暗殺に脅迫、水面下の交渉、表に出せない依頼。……などなど。
ちら、と、今まで無言で控えていたシエルを見ると、彼女は頷いた。
まあ、このシチュエーションで暗殺ということもあるまい。
「レティシア。シエルと共に、演習を見学して、参加者と交流していなさい。私は、フェリクスと話をしてきますわ」
「……はい、お姉様」
フェリクスは、ついてこいと言わんばかりに後ろも見ずに大股で歩き出す。
うん。淑女のエスコートなら、ここで失格だ。
私も大股で、彼の後を追った。