騎士の称号
「お姉様?」
レティシアが、剣を差し出してきたフェリクスと私とを、交互に見る。
「別に、久しぶりでもありませんわ」
私が騎士団長から剣を受け取ると、ユースタシア騎士団を中心に、周囲がざわついた。
何度か軽く振って手に馴染ませる。
別に久しぶりでもないと言ったが、視察の準備でごたついて、最近は剣を握っていなかった。
私は、剣を握るのが仕事ではない。
それでも、シエルは私に『ある程度』の剣の腕を求めた。
いざという時、自分を守れるように。
今も、何もない地下室で彼女の指導の下、剣を振っている。
お腹周りが気になっていた時に、少し鍛えるだけでもすっきりしますよと言われたのもある。
ちなみに、王都で定番の怪談として、ヴァンデルヴァーツ家の地下室には広大な拷問部屋が広がっていて、夜な夜な犠牲者が運び込まれ、その血が染み込んでいるのだ……という、噂がある。
この後、恨みを持つ者が~と派生するバリエーションが無数にある。
怪談そのものというよりは、便利な冒頭シーンの舞台装置に近い。
くだらない噂だが、根も葉もないと断じることができないのは、実際に、ワインセラーや倉庫でもない地下室が広がっているからだ。
時々は臨時の倉庫としても使われる地下訓練場で、やましい施設ではない。
それ自体は特に機密というわけではないので、多分、どこからから漏れた事実に尾ひれがついたのだろう。
うちの拷問部屋は小さいし。
夜な夜な運び込まれたりしてないし。
汚れたら流せるように排水も整った石床だし。
そもそも薬物中心で血が染み込んだりしないし。
……怨念なら、染み込んでいるかもしれない。
一つ息を整えると、頭をよぎるくだらないもやもやを振り払うように、一歩踏み込んで剣を突き出した。
剣を素早く真横に振り、斜めに斬り上げ、その軌道を辿るように袈裟懸けに斬り下ろす。
すっと足を戻しながら、二人と同じく、両手で捧げ持つように掲げた。
きら、と切っ先に太陽が反射して目を細める。
「わっ……」
レティシアが息を呑む声が耳に届き、そちらに視線を向けた。
同時に、わーん……と音が戻ってくる。ほんの一瞬だが、周りの喧噪から切り離されていたらしい。
「なんだ今の」「ヴァンデルヴァーツの当主が? 剣を?」「すごい……」「え、あれうちの領主様ですよね?」「領軍でも、見たことがないやつもいるか」「うちのアーデルハイド様は武闘派だぞ?」……と、主にユースタシア騎士団側と、ヴァンデルガント領軍側で、反応は二つに分かれる。
剣を下ろし、レティシアの元に歩み寄る。――彼女も、ほんの短い距離を待てないとでもいうように駆け寄ってきた。
妹は両手を握りしめ、興奮に声を弾ませた。
「お姉ちゃん、かっこいい……!」
騎士団長であるフェリクスでさえ言われなかった「かっこいい」というセリフに、ふふん、と鼻が高くなる。
――が、私が言われてどうするのだ。
『お姉ちゃん』呼びをしたことに、私が言う前に気が付いたのか、レティシアは取り繕うように、かしこまった口調で続ける。
「……お姉様は、剣の扱いに慣れていらっしゃるのですか?」
「慣れて……まあ、そうですわね」
今では剣の訓練は、健康増進と体型維持が目的になっていると聞いたら、かつての仲間達は――『同期』達は泣くだろうか。
寄ってきたフェリクスが、私の肩を、軽くぽんと叩いた。
「こいつはこれでも、ヴァンデルガント領軍の騎士練成課程を終えている。基礎をすっ飛ばして、半年間の最終訓練課程を、な。合格者は全員騎士だ」
「……騎士の称号まで? すごいですね。さすがお姉様です」
レティシアの賛辞はくすぐったい。
が、私は平然としてウェーブのかかった銀髪を払い、宣言してみせた。
「ヴァンデルヴァーツ家の当主として、当然ですわ」
――もちろん、当然などではない。
ヴァンデルガント領における騎士は、王家直属であるユースタシア騎士団とは、同じ騎士と言っても所属が違い、当然として、待遇が違う。
しかし、いざという時に一つの軍としてまとまるために、ユースタシア王国が定めた騎士の練成課程を乗り越え、合格する必要があるという点は同じだ。
騎士の練成課程は、訓練であると同時に長い試験だ。
参加にすら試験が必要な、選び抜かれた志願者の素質を練り上げ、騎士へと成らせる最終訓練課程。
十六になった時、次期当主たるもの、ある程度の安全を自分で確保できねばならない、という理由でシエルが強く主張し、お父様はそれを受け入れた。
……お父様も、先々代達もやってないはずなんだけど。
なので、合否は当主の地位に関係ないはずだが、領軍からの信頼に関わる。
受けていないのと、受けた上で落ちたのとでは、意味がまったく違う。
ここで、落とせるはずもない。
次期当主への貴族教育も並行して行われ、夜は、いつの間にか机に突っ伏し、シエルにベッドに運ばれ、寝間着に着替えさせられているのもしばしばだった。
本当にハードで、とても大変だったので、あまり思い出したくない過去だ。
一度など、寝ぼけて、シエルに「おやすみのキスしてくれなきゃやだ……」と、ごく幼い頃の習慣である、就寝前の頬へのキスをねだったことは、今も鮮明に覚えている。
してくれたけど。
それ以来、きちんとカリキュラムは組んでいるので、夜は日中の訓練のためにも安心して寝て欲しい……というシエルの意見を受け入れるようになった。
――それまでは、そうしないと、不安で仕方なかった。
私は選り抜かれた宝石ではない。
たまたま良い位置にあって、磨かれただけの石ころなのだ。
貴族としての教育を受け、学んでいくうちに、自分の非才が怖くなった。
自分の肩に何が乗っているのかを、理解し始めたから。
――天才はいる。英雄もいる。
才能に溢れ、運命に味方されるような非凡な者達が、この世には確かにいる。
そして私は、そうではない。