戦闘訓練
鋼と鋼が激突する、鈍く、しかし同時に鋭い音が空気を震わせて響き渡る。
踏みしだかれた草の臭い。掘り返された真新しい土の臭い。人の汗の臭い。革の臭い。……鉄の臭い。
昨日の薬草園に満ちていた緑の香りは、なんとまあ穏やかで平和だったことか。
しかし、どこか懐かしい戦場の臭いだ。……擬似的な。
血の臭いがしないだけ、いい。
今日積まれた無形の財産が、経験という名の黄金が、いつか流れる血を減らす。
視線の先では、全身鎧を着た騎士同士が、火花を散らして剣を交えている。
刃を通さない甲冑を着て防御は万全ではあるが、得物は刃を落としただけの鉄剣だ。一応は訓練用だが、研ぎ直せばそのまま実戦用としても使えるあたりは、無駄を嫌うユースタシアらしい。
ヴァンデルガント領軍とユースタシア騎士団、どちらに所属しているかは、甲冑の形では見分けられない。鎧のデザインは、ユースタシア王国中で統一されているからだ。
違う部分は、サーコートの紋章と、兜に付けられる頭飾りぐらい。
模擬戦を見ていると、片方の騎士が、剣と剣の鍔迫り合いから組み付いて押し倒し、気絶したらしい相手を地面に横たえた後、剣を持った篭手を突き上げて勝ち名乗りを上げた。
勝ったのは、我がヴァンデルガント領軍所属の騎士だ。……と、ヤモリの紋章で分かる。
張られた布に、○と×が一つずつ描かれた。
一本の線で上下に分けられていて、上が領軍で、下が王国騎士団を示しているらしい。簡単にだが、家守と一角獣の角付き兜の紋章も描かれている。
ざっと見ると……接戦だが、少し負けているか。
「団長! やっていきませんか」
兜を外さず、面頬のみを上げた騎士が一人、騎士団長の姿を認めて駆け寄ってくる。呼び方からして察せられたが、紋章は一角獣の角付き兜。ユースタシア騎士団側だ。
「おう! ……構わんか?」
返事をした後で視線を下げ、私を見るフェリクス。
「いちいち了解を取らなくても結構ですわよ」
「そうか。では――"ユースタシア騎士団"騎士団長のフェリクスだ! ぜひお相手を願おう!」
名乗りを上げるフェリクスの野太い声に、どよめきが起こる。
この国の武の象徴にして、最強と名高い王国騎士団の長なのだ。当然だろう。
譲り合うような空気が流れる。
有名な騎士団長と一度は戦ってみたいが、相手が相手だから尻込みしてもいる……そんな雰囲気だ。
「ヴァンデルガント領軍として、胸をお借りしたい」
その中から一人が進み出る。
私は彼に声をかけた。
「ヨハン、遠慮は要らないわ。やりなさい」
「アーデルハイド様! 当主直々の声援とは、身が入りますな」
面頬を下ろしているので声がくぐもっているが、若い男の声だ。
確か私より二つ三つ年上だったか。
「……知り合いか?」
フェリクスが私を見る。
「同期ですわ」
「ああ、なるほど」
彼は頷き、腰の剣帯の留め具に手をかけた。
「すまんがこれを……レティシア。預かっていてくれるか」
そして剣帯から鞘ごと外した長剣を妹に差し出す。
「剣を、私が? よろしいのですか?」
「ああ。お前になら」
妹がそれを受け取り……少しバランスを崩した。
「……重い」
「武器だからな」
それだけを言うと、小脇に抱えていた面頬付き兜を、獅子のたてがみのような褪せた金髪を押し込むようにしてかぶる。
面頬を下ろすと、褐色肌が隠れた。固定用のフックを留める。
軽く動いて馴染みを確かめると、兜から伸びる長い赤の飾り房が、その動きに合わせて揺れた。
フェリクスだけは、サーコートに刺繍された紋章も違う。
ユースタシア騎士団を示す一角獣の角付き兜――それに赤い飾り房が描かれているのだ。
兜の飾り房は各部隊の長のみ。さらにその中でも赤色は、騎士団長にのみ許されている。
戦場では、敵も味方も赤い飾り房を探し求めることだろう。
フェリクスとヨハンが、度重なる模擬戦で抉られ、土が剥き出しになった地面を鉄靴で踏みしめながら向かい合った。
甲冑は各人の身体に合わせたオーダーメイドである以外同じ物だが、フェリクスの方は金で縁取られた騎士団長仕様。
なお、特に性能差はない。
強いて言えば、豪華な方が身代金目当てで殺されにくい代わりに、最優先で狙われるぐらいか。
鉄剣を渡され、両者、軽く革手袋の腹で撫でて、きちんと刃が落とされているか確かめる。
そして距離を取ると、お互いに軽く構えた。
「始めても構わんか?」
「喜んで」
ヨハンの返事に、フェリクスが楽しそうに笑う。
お互いにじり……と距離を詰め、一息に数合を打ち合った。
「わっ……」
金属の激突音に、火花。妹が声を上げる。
「念のため、もう少し下がってなさい」
「は、はい」
妹の腕に軽く手を触れて、さりげなく誘導しながら、他の者達と同様に、二人を遠巻きにする。
剣と剣が、剣と鎧がぶつかり合って、火花を散らす。
時折、剣が空振って空を斬るが、全て避けるなど現実的にまず不可能だ。
それゆえの、全身甲冑。
もはや盾さえも不要となった分厚い装甲は、刃を通さない。
「……あの、これ。どうやって決着が……?」
生身ならそれぞれ五回は死んでいそうな剣戟の応酬。
しかし二人は動きを鈍らせる様子も見せず、剣と剣が振るわれる。
「しっ。見逃すわよ」
「は、はい」
ヨハンが仕掛けた。押し込んでほんの僅か鍔迫り合いを演じ、上に意識を向けさせた後、右足を素早く振って、フェリクスの軸足を刈り取った。
――ように見えた。
実際は、すね当てとすね当てがぶつかる金属の激突音が響いたのみ。
大地から根が生えたように動じないフェリクスが、お返しとばかり、肩鎧を叩き付けるようにしてぶちかました。
吹っ飛ぶヨハンに野獣のように襲いかかりながら、剣で喉元を押さえ込み、起き上がろうとする彼の面頬を篭手で殴りつけて黙らせる。
さらに、腰の剣帯から細身の短剣を引き抜き、振り上げ――
「そこまで!」
――た、ところで、審判の声が差し込まれ、試合が終わる。
フェリクスが、素早く起き上がって離れた。
「生きていて?」
「不甲斐ないところを……」
倒れたままのヨハンに声をかけると、すぐに返事が返ってくる。
声がしっかりしていて安心した。
「今日は演習よ。負けても、殺されも身代金を取られもしないのだから、思い切り不甲斐ないところを見せなさい」
笑い声が上がる。
一番大きく笑ったのはフェリクスだ。
「噂にたがわぬ腕前で……」
「いや、貴公も良い腕だった。戦場ならば分からん」
フェリクスが手を差し伸べて引き起こす。
そのまま、篭手と篭手で固く握手を交わす二人。
ぱちぱち……というよりは、ぼふぼふ、がちゃがちゃという割合が大きいが、拍手が湧き起こる。
私も、レティシアと一緒に拍手をした。
「お疲れ。――アーデルハイド様。次は私が」
「ええ、ホルスト。どれだけ腕を上げたか見せてみなさい」
ヨハンとハイタッチして、別の甲冑姿の騎士が進み出た。
フェリクスも戻ってきた。兜を外し、渡された布で汗を拭っている。
連戦ぐらい余裕でこなせる男だし、訓練であることを考えればフェアだとかそういう言葉は笑い飛ばしていいが、彼も最高指揮官だ。ここでばかり時間を使ってもいられない。
しかし、もう一戦見学するぐらいは、許されるだろう。