【合同演習と騎士団長】
今日はよく晴れている。雲一つない、澄み渡るような青空だ。
いかに夏が涼しくて過ごしやすいユースタシア北部と言えど、じりじりと肌を炙る日差しに、帽子を持ってくるべきだったか、と思った。
しかし、あまり貴族らしい格好もそぐわないだろう。
私とレティシアはいつもの格好で、シエルは騎士の格好だ。
騎士とはいっても、鎧姿ではない。市内巡回用の、厚手の青いキルトに白いサーコート、革の手袋にブーツという軽装で、サーコートにはヤモリの紋章が、キルトに似た青で染め抜かれている。
これは平時の兵士も同じ格好で、違いと言えば、平時でも詰め所に詰めている騎士は軽鎧で、有事の際には騎士のみが全身鎧をまとい、一部は騎乗する……ということか。
それと、権限と給料が違う。
巡回時の格好が同じなのは、騎士と兵士では、基本的に騎士の方が強いので、練度不足を見た目で分からないようにする……という理由があったりする。
騎士達が全身を覆う鎧を着る機会は、多くない。
式典を除けば、定期的な訓練のみだ。金属製の全身鎧は、戦争用なのだから。
そして目の前には、戦争用の全身鎧をまとった騎士達が集結していた。
小高い丘に陣取って見下ろす形になるから、はっきりと分かる。
旗とサーコートに、刺繍され、あるいは染め抜かれた紋章は二種類。
一つは家守。ヴァンデルヴァーツ家……ここでは、ヴァンデルガント領軍を示す紋章。
一つは一角獣の角が生えた面頬付きの兜。ユースタシア騎士団を示す紋章。
両軍は綺麗に分かれて、距離を取っている。
騎士団の花形はやはり騎兵だが、その中でも最精鋭たる兵種は二つ。
一つは、弓騎兵。
革の色そのままの焦げ茶のハードレザーの鎧に深緑のフード付きマント。サーコートはなし。射手に合わせてオーダーメイドされた複合素材の短弓を持ち、近接武装は小剣とナイフぐらい。
機動性と遠距離攻撃力を兼ね備える最強の兵種の一つだが、金がかかる。
馬術と弓術、その両方の訓練体制を整えた上で、才能のある者を選抜し、さらに訓練し、連携も叩き込んで初めて完成する。
当然、馬への要求水準も天井知らずだ。足が速く、脚が強く、粘り強くしなやかな筋肉を持ち、疲れ知らず。なおかつ従順で……そんな誰もが羨むような名馬を、軍団規模で要求する。
小国では数を揃えるなど、とても不可能な贅沢な兵種であり、大陸でもこの規模を誇るのはユースタシア王国のみ……と言いたいが、西方の騎馬民族国家は、軍のほぼ全員が弓騎兵という意味の分からなさ。
遊牧で生計を立てる遊牧民の間では、立ち上がる前の赤子が馬に乗せられると聞くし、シエルの馬術の師もそちらの出身だと聞いたことがある。
それと対極に位置するもう一つの最精鋭が、重装騎兵。
人はもちろん馬にも鎧を着せ、馬上槍を構え、戦列を築いて行う突撃は、今もって地上最強と呼ぶに相応しい。
防御力と突破力を兼ね備える最強の兵種の一つだが、金がかかる。
弓騎兵とはまた違った馬が必要で、重装鎧を着た騎士の体重を支えられる馬体の馬は、今も品種改良が続いている。
その結果、重装騎兵とそれを支えられる軍馬を持たない国は、それを持つ国と、正面から戦争をできないだけの差が生まれている。
鎧も同様。サイズが合わねば防御力が落ちるか、動きが鈍るか――どちらにせよ性能が落ちる。
理想は個人に合わせたオーダーメイドで、ユースタシア王国は、その理想を体現した軍事国家だ。
それもユースタシアでは、一部の国のように騎士に自らの鎧を用意させることもない。全て規格の統一された支給品だ。
統一された武装による訓練。最低限の品質保証。鎧を買える金持ちではなく、鎧を着るに足る、武の才に優れた者が騎士となる。
それらが、戦場でどれほどの差を生むか。
たゆまない訓練により維持される技量。
その技量に相応しい質の武装。
それを支える国力。
それゆえの、"大陸最強"。
我が国が大陸に覇を唱えんとしたならば、単一で対抗できる国など存在しない。
そしてまた、我が国を無視して大陸地図を書き換えようとする行いが……どれほど愚かか。
我が国はかつて大国から独立し、切り崩し、統一し、成り代わった。
その成り立ちから軍事を最重視するが、同時に平和の価値をどこよりもよく理解している。
軍事は、何も生み出さない分野だ。
しかし、軍事なくば他の全ての分野が、いつか平和の価値を理解せぬ蛮人に踏みにじられよう。
侵されぬゆえに強国たり得て、強国ゆえに侵されぬ。正の循環だ。
角笛が鳴った。
突撃を意味する符丁だ。
ユースタシア騎士団とヴァンデルガント領軍、睨み合う二つの軍団が、同時に動いた。
重装騎兵がゆっくりと動き始め……だく足で僚騎と並び、戦列を築く。
鞍の固定具に石突きを置き、肩にもたせかけるようにして支えていた馬上槍が倒され、前を向く。
ゆっくりと、しかし確実に速度が増した。
鏡写しのように、両軍が共に加速していく。
速度を乗せた、規格外の一撃を叩き込まんとする。
速度が最高に達し――
そして、両軍がすれ違った。
「さすがユースタシア騎士団。いい動きですわね、フェリクス騎士団長」
「いや、ヴァンデルガント領軍も、素晴らしい。これはお世辞抜きだ、アーデルハイド」
私達は、突撃隊形ですれ違い、速度を落としつつあるお互いの重装騎兵達を褒め称え合った。
私の方も、お世辞抜きだ。
さすが、大陸最強の騎士団を名乗るだけはある。
領主として、そして名目上ではあるが最高指揮官として、我が領軍も負けてはいないと思うが。
重装騎兵の後を、馬にまでは鎧を着せていない通常の騎兵達と、歩兵が続く。
弓騎兵達もその周辺を位置取りしながら駆け、矢は取り出さず、短弓を構えて射る真似だけはして見せた。
詳しくない者が見れば、お遊びにさえ見えるかもしれない。
しかし、こういった演習の経験があるかないかで、いざという時に動けるかどうかが、まったく違う。
今日は、ユースタシア騎士団とヴァンデルガント領軍の合同演習だ。
無事に晴れてくれた。
実戦形式でこそないが、雨天決行は当然。
ただ、雨だった場合にレティシアを視察に参加させたかは、微妙な所だ。
雨が降れば、水煙で視界は悪くなるし、身体が濡れれば、疲労も激しくなる。……また風邪を引いたらという不安もある。
しかし、晴れてくれた。……これも、運命とやらのお導き、だろうか。
【月光のリーベリウム】では、雨が降っているような様子はなかったから。
ここは、ヴァンデルガント郊外の演習場。
普段は訓練に使われる、領内では最大級の演習場だ。
訓練施設もあるが、ほとんどは柵で囲まれた草原で、たまに近隣の農家から放牧の申請を受けたりもする。
柵があるので、家畜を放牧中の事故が少ないというのが理由だが、こちらも放牧の交換条件として、柵の点検を依頼したりしていて、まあ持ちつ持たれつというやつだ。
領都に近いため、年に一度実施される大規模演習の舞台にもなる。
この演習は、領軍単独の年もあれば、近隣の領軍を招くことも、招かれることもある。
今年は例年の演習の中でもひときわ大規模な、王国騎士団との演習ということで、皆、気合いが入っているようだ。
全身鎧を着て、面頬付きの兜のみかぶらず小脇に抱えたフェリクスが、妹に視線を向けた。
「レティシア、どうだ。……つまらなくはないか?」
話を向けられた私の妹は、静かに首を横に振った。
「いいえ、フェリクス様。……楽しいとまでは言えませんけれど。必要であると、理解しています」
「よかった」
フェリクスが、安心したようにほっと息をついた。
模範的な回答だ。貴族らしい見識が身についてきている。
「この後は、訓練内容によって分かれる。俺は順番に見て回りながら、参加もする。無論、同行してもらっても構わんが……どうする? アーデルハイド」
「ぜひ、同行させていただきましょう。騎士団長と共に兵を見回れる機会は、そうはありませんから」
フェリクスと視線を交わし、頷き合う。
軍事に関しては、頼れる男だ。
「それで……だな。レティシア。お前も……その、同行してもらっても構わんが」
恋愛に関しては、頼りない男だ。
妹を誘うのはいいが、その誘い方はどうなのだ。
普段、部下の女騎士・兵士、文官、それに下働きぐらいとしか……つまり、仕事でしか女性に接していないせいだろうか。
……しかし、どう誘うのが正解なのか分からない私も、言えた義理ではない。
「喜んでご一緒させていただきます、フェリクス様」
微笑んで答えるレティシア。
「そうか」
フェリクスも顔をほころばせた。
こいつも可愛い所がある。
私の妹の返事に喜びを隠せない様は、王国の暴力装置の頂点たる騎士団長としてどうなのかは分からないが、人間的には好感が持てた。
妹が私に、騎士団長に向けたものより一段と明るい笑顔を向ける。
「私は、お姉様の隣で学ばせていただきますね」
そして、肩と肩が触れ合うほどに距離を詰め、私の隣に来た。
妹の可愛い所などいくつ挙げればいいのか分からないぐらいだが、一体これはどういう。
王国の暗部を象徴するような"冷徹非情のヴァンデルヴァーツ"の当主としては、どう振る舞えばいいか分からず、一瞬固まった。
「……そうか」
ちょっとフェリクスの笑顔が曇った。
何か悪いことをしているような。
いっそ手を繋いできたり、腕を絡めてきたりしたら叱責できたが、妹も軍事演習の場ということでわきまえているのか、あくまで隣に並ぶだけだ。
残念とか思ってない。
「それでは、行こうか」
篭手をはめた手で軽く肩を叩かれ、彼の後に続いた。
妹と並んで、歩きながら。




