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それぞれの憧れ


「ソニアさん」

「はい」


 医師長(ルイ)がソニアに声をかけ……少し、言い淀んだ。



「……アーデルハイド様は、いい上司ですか?」



 何を聞くのかと思えば。


「え? アーデルハイド様は、直接の上司というわけではないので……でも、そうですねえ。ここは、ご飯が美味しくて、食堂はいつでもお茶が飲み放題で、おやつも食べ放題で、居心地はいいですねえ」


 医師長(ルイ)がじっとこちらを見てきたので、つい、と目をそらす。


 いや、そういうところをケチるなとは言っておいたけど。


 とりあえず美味しい物を食べさせておけ、と命令した覚えもあるけど。


 国家直属の……お堅い機関である、宮廷医師団に明確に勝っている部分のような気がしつつ、そこを褒められるのもなんだか複雑だ。


「職務内容は?」


「人によりますが。研究員なら、薬草がどういう効果を持っているかを調べたり、そこから薬を調合したり、ですね。医師団の薬草部門をおっきくした感じですか? 栽培・収穫の計画立案があるのは違いますねー。それと、医師団の時とは違って、患者を診たりは、ないですね。症例の相談が上がってくることはありますけど」


 ソニアのことを、初めの頃は物静かで儚げな、理知的な女性だと思っていたものだが。


 理知的、という印象だけは、残っているだろうか。優秀な研究員だ。


 しかし、話したいことが多すぎるらしく、話す速度を上げることで対応しているために、物静かという印象は跡形もない。儚げという印象も同様だ。


 こう見えて報告書は――かなり長文だが――綺麗で分かりやすい文章でまとめられているあたり、人は見かけによらない。


「宮廷医師団の薬の知識も、整ってると言えば整ってたんですけど、アレですね。よく言えば患者を大切にしていて、お行儀がよすぎって言うか。役に立つ草ばっか探してるって言うか。こっちは毒の知識すごいんですよ、毒!」


 ルイの眉がぎゅっと寄せられる。



「臨床試験のデータも、もうすごくて! やっぱあれですね、生の――」



「――ソニア」


 喋っている内に興奮してきたらしいソニアの興が乗った演説に、冷たい声を差し挟む。


「そろそろ案内を終えて、仕事に戻りなさい。後でまた、報告を聞きます」


「――はい、アーデルハイド様。それでは、失礼します。医師長様、妹様」


 きっちり切り替えて、一礼して去って行くソニア。


 気まずくなった私が無言で歩き出すと、ルイとレティシアが後に続いた。


 ソニアが去ってから、医師長(ルイ)がまた『臨床試験』について噛みついてくるかと思っていたが、それについては特に何も言わない。


 ……分かっては、いるか。


 我が領では、処刑手段は薬によるものだ。

 さらに、最近は数を減らしたが、違法な諜報活動を見逃す義理もない。


 当主就任直後は多かったものだが。


 そういう貴重な生のデータが、私の代でも蓄積されている。


 そのデータを見ただけではどこの誰とも分からない、年代と性別のみに削ぎ落とされた、数字となって。



 我が家が戴くヤモリ(ウォールリザード)の紋章が、綺麗だったことなど一度もない。



 庭園形式の一画……職員の休憩用を兼ねているのだろう、石造りのベンチや噴水がある区画に足を踏み入れる。


 ……ここは、ぼかされていたが、もしや【イベントスチル】の背景では?


 ルイが、噴水の前で足を止めた。

 そのまま、噴き上がり流れ落ちる水を見る。しかしそれはほんのわずかで、すぐに、レティシアと――私へと向き直った。


「【貴族であるあなた】方【に言うことではないかもしれませんが】」


 今、どこかが【公式ゼリフ】と違ったような。

 しかしそのまま話が続いたので、【テキストログ】との照合を諦める。



「【身分に左右されない世界が、僕の理想です】」



 我が妹が主人公を務める【月光のリーベリウム】は恋愛物語だが、時折、真面目な話題がアクセントに入る。

 特に医師長(ルイ)のエピソードは、貴族としてはぎくりとする。


 まあ、地位と財産があれば、頭がふわふわした殿方でもいい、という女性は少数派だろう。……多分。

 王子(コンラート)は頭がふわふわした殿方かもしれないが、あれで優秀なのだ、一応。


「【全てが、生まれで決まらない世界を。……僕にできたのは、少しでも病や怪我で亡くなる人を減らすことだけで、それすらも足りない】」


 医師長(ルイ)とくっつくと、貴族制どうなるのかな……? と思わせるほのめかしが入って、物語はしめくくられる。

 さすがにいきなり撤廃するような馬鹿ではないはずだが。


 それをして、共和国と名を変えたルインズ公国が、どうなったか、大陸中の誰もが知っている。



 ――この後は、【「レティシアさん。その理想の実現に、手を貸してはいただけませんか?」】という、これはもう告白では? という呼びかけと、その返事である【選択肢】でこのチャプターは終わる。



 なんで、この場に私がいるのか分からないが。


 そこで、医師長はレティシアではなく私を見た。

 それも、視線だけでなく身体ごと向けてきて、正面から向かい合う形になった。


 なぜ、私を見る。


「……僕が医師長になってから、何度か聞いた言葉があるんです」


「へえ。どのような言葉ですの?」


 精一杯、動揺を顔に出さないようにして、促した。

 彼の黒い瞳が、私を見つめる。



「――『アーデルハイド様のところではこうしていた』です」



「…………」


「いわゆる、出戻り組……ですね。ソニアさんのように、一度コートを脱いだ人達です。視点が新鮮で、改革の参考にした部分も多くて……。今日、その理由が少し分かったような気がします」


 ルイが続ける。


「医師団が積んできた物が、ヴァンデルヴァーツ家に劣るとは思わない。……けれど、勝っているとも思えない」


「――優劣を比べる物ではありませんわ。組織の規模も在り方も違う。そういうものです」


 ……そして、その目的も。


 ユースタシアに安寧を。

 そして、ヴァンデルヴァーツ家に利益を。


 あらゆる国民の救済を掲げる、崇高で高潔な宮廷医師団に比べて、うちはかなり生臭い。


 それでも、理想に包帯を巻ける手はない。


 私の下を離れた者達は、もう私の部下ではない。

 しかし、私の下を離れても、その経験が、違う場所でこの国の役に立っているなら、悪くない……そう、悪くない気分だ。


 医師長(ルイ)が、口を開いて、また閉じて、視線を一度地面に落として、噴水を見て。

 どうしたのかと思いつつ、じっと待つ。


 唾を飲み込んで、気持ちを落ち着けるためか、細く息を吐いて。


 力のこもった目で、私を見た。



「……アーデルハイド様。実は、僕は少し、あなたに憧れていました」



「は?」


 憧れ?


「ヴァンデルヴァーツ家は、どこの家もひいきしない……と。この権謀術数渦巻く王宮で、独立を保ち、孤高であり続けるあなたが、まぶしく見えた……」


「実態は、ズブズブでドロドロですわ」


 鼻で笑った。


 我が家に似合うのは悪名であり、独立だの孤高だのは、恐れられて、嫌われて、遠巻きにされているだけではないか。


「……それでも、そう見えたなら」


 実態が、違うとしても。

 ルイのような青年の目に、そう映ったなら。


「きっと、我が家が理念に基づいて行動しているからでしょうね」

「理念、とは?」



「――ユースタシアに安寧を」



 ヴァンデルヴァーツの仕事に、変更はない。

 何度、代が替わっても。

 時代が、変わっても。

 私が、死んでも。


「……我が家が守るものは、国家です。無辜(むこ)の民ではない」


 義務と忠誠を。


 私は王国に忠誠を誓った。――民ではない。


 先人達が組み上げた、ユースタシア王国という名の巨大な国家機構。

 それを動かす歯車の錆を落とす仕事が、私の役目。


 ……その錆になったのが、民の涙であり、血と汗だったとして、それは私の預かり知らぬこと。


「だから、それはあなたが守りなさい。私は知りません」


「……はい」


 彼は、しっかりと頷いた。



 ……私だって、彼に憧れていたのだ。



 "放浪の民"出身であり、この国にルーツを持たぬ身でありながら、それでも誠実に努力し、実力と心根だけで信頼されていく、自分より二つ若い医師の噂。


 公爵家に生まれた時点で、私には絶対にできないこと。

 同じ立場に生まれていたとして、きっと私には、しようとさえ思えないこと。


 ヴァンデルヴァーツ家が積んできた物が、医師団に劣るとは思わない。……けれど、勝っているとも、思えない。


 違う領分だとは、分かっている。

 人を殺す毒でさえ、時に薬になる。


 分かっては、いるのに。


 どうしても医師長(ルイ)のことが羨ましく……妬ましかった。


 まったく、自分の器の小ささが嫌になる。


 自己嫌悪に陥りそうなところで、レティシアが口を開いた。


「お姉様。……私の憧れも、お姉様です。初めて……会った時から」


 ……憧れ?


 相変わらず、妹の口にする言語は理解しがたい。


 レティシアは、私と同じ青い瞳に真剣な光を湛え、私を見つめた。



「私も――お姉様のようになれますか?」



「なれるわけがないでしょう」


 一蹴する。

 ……と、妹が目に見えて落ち込んだ。

 ぐっと唇を引き結び、うつむいて。


 私は、その肩に触れた。

 そして、とん、と突き放すように軽く押す。


 顔を上げた妹に、声をかける。


「……ならなくていいわ」


 妹は、私のようになってはいけない。

 私のような女に、憧れるものではない。


 我が家が戴くヤモリ(ウォールリザード)の紋章にこびりついた汚れをそそげる者がいるとしたら、妹だけだ。

 私が誇りにした紋章を、綺麗な物にできるのは。



「レティシア。あなたは、自分の道を行きなさい。――……」



 私の、可愛い妹。

 最後の言葉を、そっと飲み込む。


 私達姉妹は、レティシアがさっき言ってくれたような、一緒の道は歩めない。


 それでも。

 道が分かれても。

 私の首と胴が別れても。


「――はい、お姉様」


 私はあなたの、お姉ちゃんだから。



 ……ところで、最後の【選択肢】どこ行った?



 これは、医師長ルートではないということか?

 結構いい雰囲気に見えたのだが。


 医師長の薬草園視察はつつがなく終わったが、釈然としないものが残った。


 まあ、明日は【合同演習】だ。

 ヴァンデルヴァーツ家の当主として外せない、公的なお仕事でもある。

 気合いを入れていこう。


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― 新着の感想 ―
[一言] まあ医師の本分を貫くだけならいいキャラだよね とち狂って断罪に加担しなけりゃ 原作のこいつがやったことは以前いたクズ上司と同じでしょ 医療分野から著しく逸脱してる分よりたちが悪い
[良い点] ルイさん……清濁両方を理解しなくても「清濁どちらもある」ということを認識しているようだし(色々あったからかもだけど)ただ理想を掲げるだけの人じゃないことが再確認できて好感度上がった(僕のを…
[良い点] 食事が美味しい職場って憧れますね♪ ルイはとても冷静に観察している分アデルの実力も認めているのですね。レティシアとしては同士だし好感もてるんじゃないかな。 しかしお姉ちゃんへの好感度より…
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