王城への馬車
王城から手紙が来たのは、レティシアの謁見用ドレスが完成してから、三日後のことだった。
審議は終わり、レティシアを、『レティシア・フォン・ヴァンデルヴァーツ』として承認する――と。
それに伴い、国王陛下への謁見を許可する、と。
書類だけで済ませられないものかな、と思うが、まあ妹のドレス姿のお披露目の口実としては悪くない。
それに……【攻略対象】の登場でもある。
私は顔見知りだが、妹にとっては、重要な出会いだ。
彼が妹とくっつくかは分からない。――確率は、単純に考えて三分の一だ。
それでも、『第一王子』という肩書きによる将来性は大きい。
人柄も悪くはないが……私とは相性が悪い。
"冷徹非情のヴァンデルヴァーツ"という、この国が掲げる『正式な』法律をぶっちぎった裏稼業を生業とする家など認められないという、政治的潔癖症なのだ。
逆に考えれば、ヴァンデルヴァーツ家なき後の未来を共に生きるパートナーとしては、悪くないのかもしれない。
この国は、この家を必要としないところまで来ている。
――未来を選ぶのは、妹だ。
「レティシア。準備はできまして?」
着替え部屋の扉を、軽くノックして声をかける。
「あ、はい!」
「どうぞ、お入りください」
すぐに返事があった。妹とシエルの二人分だ。
シエルの手によって、部屋のドアが内側に開く。
「…………」
「……どう、ですか?」
はにかむレティシアのドレス姿は、誰にも見せたくないぐらい、愛らしかった。
私の着ているジャケットとスカートの濃紺よりも淡く鮮やかなすみれ色。
スカートの裾を引きずるのは、ユースタシア王国ではとうの昔に廃れた様式だが、今もその名残はあって、床につくギリギリまで足下を隠すスカートが正式とされている。
多分、寒いのもある。
ドレスのスカートの内側には、自然な膨らみを出すために色々と仕込まれるのが一般的だが、この国では、さらに毛皮を裏張りして足下を温めることも多い。
室内を暖めるだけの財力を誇示する見栄もあり、長いスカートとは対照的に肩を出し、それに長手袋を合わせると、見せたいのだか隠したいのだか。
似合っているから、いいか。
「……お姉様は、いつもの恰好なのですか?」
「え? ……ああ。決まっているわけではありませんが、当主として、通りのよい恰好ですから」
ゲームの私も、特別な時を除いて、ずっと同じ恰好だったようだし。
"仕立屋"は、普段着にもバリエーションを増やして欲しい――つまり、自分にもっと服を依頼して欲しいと思っているようだが。
「そうですか……」
なぜか、どことなく残念そうなレティシア。
「……私とお姉様が、一緒にドレスを着るようなことも――ありますか?」
しかし、少し元気を取り戻すと、私にそう聞いてきた。
「……あるかも、しれませんわね」
……社交の席などでは、そういうこともあるだろうか。
お茶会などでは、軽めのドレスを着ることもあるが、普段着でも構わない。
だが、夜は盛装するのが正装だ。
しかし、私とレティシアが、ドレスを着て共に出席する公式イベントは。
たった一つ、【最後の舞踏会】だけだ。
私とレティシアの道を決定的に分かち、"冷徹非情のヴァンデルヴァーツ"の歴史を終わらせる。
いつか来たる、別れの日。
『悪役令嬢』が引導を渡されるその日は、まだ遠い。
「行きますわよ、レティシア」
「はい!」
レティシアの着替えを手伝っていたシエルには、私の留守を任せる。
「シエル。留守を任せます」
「……は」
彼女にしては珍しく、留守番を命じた際に、自分も付いて行くと言ったが、私が押し通した。
王城に行って国王陛下に会う――と言えば、重要な行事のようでいて、我が家にとっては日常だ。
ユースタシアに三家しかない公爵家にして、『国家公認にして非公認』の、影の見張り役たる"冷徹非情のヴァンデルヴァーツ"にとっては。
もちろん、今日は大事な日ということで、特別だ。
しかし、シエルに来てもらっては、その、なんと言うか、困るのだ。
一つは、ゲーム内で記述がなかったこと。
もう一つは――シエルのような有能なメイドがいると、この後の【イベント】が失敗しかねない、ということ。
なんというか、シナリオに無理がある。
それはまあ、舞台上で役者が演じ、それに没頭していれば、些細なことは気にならなくなるものだが。
それにしても、限度がある。
……運命の綻びは、多分そこかしこに出ている。
私達が、自然に日常を送れば……きっとこの世界は、【月光のリーベリウム】のシナリオから外れていく。
それは、私にとって許容できることではない。
私はヴァンデルヴァーツ家の当主として、この運命を変えないことが、大多数の――少なくともユースタシアの――利益になると、判断した。
だから、運命を変える可能性を、徹底的に排除する。
私がそれを受け入れたのは、妹の幸福が約束されていると同時に……それがより多くの人間を、幸福にするからだ。
私は、そう育てられた。
定められた優先順位は、揺るがない。
ユースタシアに安寧を。それが、ヴァンデルヴァーツのすべて。
私は、アーデルハイド・フォン・ヴァンデルヴァーツ。
"冷徹非情のヴァンデルヴァーツ"の現当主。
この国を守る、一匹の家守。
……そして、妹の幸福を願う、一人の姉だ。
馬車に乗るところで、シエルが羽織りものを差し出す。
「これを。今日は冷えます」
「ありがとう、シエル」
さらに馬車の座席には、ひざかけ。
地味な灰色の羽織りものも、ひざかけも、馬車自体も、熱した石を仕込み温められている。
彼女は有能だ。
二枚用意されているそれを、あえて一枚だけ取る。
さらに妹の方を見もせずに、座席に乗り込んだ。
……レティシアの顔を見る勇気がなく、窓の外を見る振りをした。
そしてレティシアが馬車に乗り込み――
なぜか、四人乗りの馬車だというのに、私の隣に腰かけた。
「……レティ、シア?」
予想外だ。
さすがに窓の外に興味深い物でもあるかのように、『私はあなたに興味がないのだ』というポーズをとり続けることはできず、彼女の方を見ると、妹は微笑んだ。
「今日は、冷えますから」
そして、肩を寄せてくる。
思わずシエルを見てしまうが、彼女は特に表情を変えず、こちらを見ていた。
……異常な事態では、ないと言うのか?
そしてシエルが、お付きのメイドの肩を軽く押す。
「……失礼します、アーデルハイド様」
ぺこりと頭を下げて、メイドは私の前を避けて、レティシアの前に座った。
扉が外から閉められ、メイドが内からロックする。
御者台と客車を繋ぐ窓が、薄く開いた。
「アーデルハイド様。馬車を出してよろしいでしょうか?」
「……出しなさい」
見えないのを承知で頷きながら、御者に許可を出した。
ギッ……と馬車が動き出し、がたん、と大きく揺れる。
馬車に慣れていないレティシアがバランスを崩し、咄嗟に手を伸ばした。
抱きとめる格好になり、妹と目が合った。
私と同じ青い瞳が、見開かれている。
そして、彼女は少し目を細めて、頬を緩めて、笑顔になった。
「……ありがとうございます、お姉様」
支えた腕に寄り添うようにして、レティシアが座席に座り直す。
そして最初にそうしたように、もう一度、そっと肩を寄せてきた。
「今日は……冷えますけど、温かいですね」
「…………」
やっぱり、抱きしめたらダメかな……。