薬草園の研究員
私は気持ちを切り替えて、ルイとレティシアの二人に、真面目に薬草園を案内していた。
耕された土に、等間隔で切られた畝。周囲を人の背ほどの鉄の柵で大きく囲われた区画に差しかかる。
「このあたりは、『畑』に近いものですわね。区画ごとに、単一品種を栽培していますわ」
「整っていますね。効率的です。利点と欠点をお聞きしても?」
「食べられるものはありますか?」
感心したように頷いて興味を示すルイ医師長と、興味のベクトルが微妙に違うレティシア。
「収穫が楽ですわね。ただ、虫が発生した時など被害が広がりやすく、土壌が痩せやすいところもあります。食用ということでは、ハーブもありますし、葉や実を食べる品種もありますわ」
なるべく丁寧に答える。
さっきまでと打って変わって、木が生い茂り、その間に下生えが生える区画に差しかかった。
鉄の柵で囲われている点だけは共通だ。
「こちらは、自生環境をなるべく再現した区画ですわね。ここで育てている……というか、生えているのは、薬草だけではないはずです」
「……これは、毒草では?」
「食べられる草に見えるのもありますけど……」
めざといルイと、ある意味めざといレティシア。
「ええ、不用意に触れないように。あまりに危険な品種は取り除かれているはずですが、野山の土を入れているから、何が生えているかは分かりません。食用品種もあるでしょうが、それ目当てではありません」
「あ、美味しいやつは職員のおやつにしてますよー。ここは観察用で、収穫目的じゃないんで」
通りすがりの、紫のローブを着た眼鏡の女性研究員が口を挟む。
……まあ、不正がなければ管理のやり方は自由だ。
「それで、アーデルハイド様、例の薬草なんですけど……」
そのまま話に入って来た。
白いシャツとスカートの上に着ている紫の前開きローブは、研究員の証。
茶色の髪を野放図に背中まで伸ばし、一部を左耳にひっかけて後ろに流しているが、そのアンバランスな髪型はおしゃれなのか適当なのか微妙なところだ。
"仕立屋"の半ばまで目を覆い隠す前髪とは対照的に、遮る物のないおでこが輝くよう。
そして、銀縁眼鏡の向こうの明るい茶色のくりっとした瞳は、ぎらぎらとした光に満ち満ちていた。
「ソニア……」
「増産は順調です!」
笑顔になると、八重歯がきらりと光る。
ヴァンデルガントの薬草園で働く若手研究員のソニアは、当主直々に命じて進めさせている『増産計画』を担う一人だ。
「元々雑草みたいなもんですからねー。環境を整えると逆にへたるの雑草魂見せろよって思ったりしたんですけど。むしろある程度、放置してやるのがいいみたいで。あ、ほら。そこにも生えてますよ」
なめらかな早口でまくしたてるソニア。
ちら、と鉄の柵の中を見る。
生命力が強いのか、多様な植生の中でも目立つほどに勢力強めの、わさわさと生えたギザギザの葉っぱ。生命力旺盛な明るい緑の葉に比べて、白い花はだいぶ小さく、愛らしい。
――【ヤマイドメ】。この草は、実際に雑草扱いもされることも多い。畑に生えるとその生命力の強さで栄養の奪い合いになり、作物の生長が悪くなるせいだ。
長期的に見ると土壌に良い影響がある、という説もあるらしいが、肝心の収穫が減るのでは……ということで、やっぱり邪魔者扱いだ。
「王都近郊の方でも順調らしくて、あれですね、ユースタシア中を一週間は寝かせないだけの量がありますね」
かなり適当なことを言うソニア。
とはいえ事実無根というわけではない。眠気覚ましに使われる草でもあるのだ。
いろいろな用途がある薬草の一種だが、どれも効果が弱く、少量ずつブレンドする場合はお声がかかるが、主な使い道は、ほぼ眠気覚ましに限られる。
ただ、薬効とは、少し違う気がしていて。
不味いのだ。とにかく……眠気が飛ぶレベルで、不味いのだ。
こう……えぐみがあって、臭いというより草い、良く言えば青々とした味。思わず遠い目をしてしまう。
シエルの方針で、当主として何かと忙しい身ではあるが、非常時以外はきちんと睡眠を取ることになっている。
ただ、どうしても急いで片付けねばならない案件がある時は――【ヤマイドメ】の眠気覚ましに、お世話になる。
ちなみに、酒に漬けて飲む薬草酒タイプと飴タイプがある。
ここらは、他の薬草も同じだ。たまに酒に漬けると効果がなくなったり、そういうのもあるが。
保管に気を遣うが有効期間が長い薬草酒と、蟻にさえ気をつければ保管が楽だが有効期間が短い飴。それぞれに良さがある。
酒タイプの方が眠気覚ましとして『優秀』なのだが、私はもっぱら飴タイプ。
長持ちするのでしばらく寝ないという利点もある。
と、そこでソニアが、ぐるん、とレティシアに向き直った。
「あ! 噂の妹様ですか? お姉様にはたいへんお世話になっております!!」
「は、はい」
ぐい、と妹に対して距離を詰め、レティシアが珍しく気圧されたように一歩距離を取った。
「私、昔は宮廷医師団にいたんですけどね。患者を診てるのか財布を見てるのか分からないような重鎮様がのさばってて、あー、これはダメだなって思って」
とんとん、と彼女の肩を叩く。
「はい? なんでございましょう、アーデルハイド様」
私は無言で、ちょいちょい、とルイを指さした。
彼女は、じっと彼を見る。
白地に黒のラインが入ったコートに、丸帽子。
柊と月桂樹をかたどったバッジ。帽子にも同じ紋章。
極めつけは、帽子に刺された猛禽の羽根飾り。
さっき散々に言った宮廷医師団の長、ご本人だ。
「……失礼をいたしました……」
相手が誰か把握したところで、さっきまでの明るさが嘘のような完全に死んだ目で、呟くように謝罪するソニア。
ギギ……と、油の切れたからくり人形かという動きで私を見たが、私はため息ですませた。
「――私に免じて、聞かなかったことにしてくれるかしら?」
「聞かなかったことには……できませんね」
ため息をつくルイ。
場に緊張が走るが、彼は落ち着いた声で続けた。
「耳が痛いことです。反論もできません。……優秀な医師が何人も辞めていくのに、僕は引き止めることさえできなかった」
宮廷医師団は、民間の患者も診ている……が、平時はやはり、ある程度裕福な商人が中心となる。
『宮廷』の名の通り、貴族が主な客であるのもまた事実。
公衆衛生や疫病対策……医療は政治と密接に絡む。しかし、医療の現場が政治の都合で振り回されるのは、望ましいことではない。
より大局的な視点で力を振るえる、しかし世俗の権力そのものではない組織が、必要とされた。
それが、ユースタシアの宮廷医師団。
「患者を救うためには、資金が必要なのは事実ですが、目的と手段が、いつの間にか逆転していた……」
……世俗の権力と無関係ではいられず、しかし、腐りつつもあった。