領主の部屋
領主の館には、私の部屋がある。
正確に言えば、『領主の部屋』だ。
使う資格があるのは、領主とそれに連なる者だけ。
ベッドは――天蓋付きの大きな物が一つきり。
幼い頃は両親と一緒に寝ていたが、ある程度大きくなってからは賓客用の部屋で寝ていた。
つまり――私は、子供を含めてなら三人でも狭くないベッドを独占するので、レティシアにはそっちで寝ろ、と言うのはおかしなことではない。
悪役令嬢的には、使用人部屋に放り込んだりする選択肢もある。妹が使用人達に侮られるのはよくないが、シエルのような上級使用人の部屋ならギリイケるか……? とも思う。
それに妹としては、むしろその方がゆっくりできるのでは? ――うん、それもありかもしれない。
シエルが、荷物を部屋の隅に置きながら私に確認した。
「それではアーデルハイド様。レティシアお嬢様と同じベッドということでよろしいですか?」
私の中の内なる獣たる脳内騎手達が、それぞれの馬に騎乗して、各馬一斉にスタート。
順当な選択肢として圧倒的な力を見せつけるのは「よろしいですわ」。
悪役令嬢としては捨てがたい「妹には使用人の部屋をあてがいなさい」。
完全に暴走している「姉は妹を抱き枕にしてもいいわよね?」。
心の競馬場を埋め尽くす観客達が、無責任にそれぞれの馬へ割れんばかりの声援を送る。
「……シエル。そう思う理由を述べなさい」
意外と接戦で、レースを長引かせることにした。
長距離レースで全員落馬して、第四の選択肢が生まれないかなという淡い期待もある。
「まず、レティシアお嬢様は間違いなく領主に連なる者です」
そこは間違いない。彼女は腹違いとはいえ、当主の妹にして、爵位継承権第一位なのだ。
「部屋を分けると、警備の問題もあります。担当の使用人もそれぞれに用意せねばなりません。一つ部屋を増やすことになるので、費用もわずかながら余計にかかるでしょう」
領主の部屋は、構造上、領主の館の中で最も強固な部屋だ。そこに警備対象がまとまっていれば、守る側としても楽だろう。
自領の館なのだから、宿の部屋を一つ取るほどではないが、準備に手間と金はかかる。無駄金は使いたくない。それも分かる。
我が家の規模からすればはした金……と言ってしまうのは簡単だが、結局のところ、貴族の格は資金力で決まる。――伝統ではない。
おちぶれて困窮した貴族は……哀れだ。特に、領民が。
無駄遣いは厳に慎むべきだ。
【月光のリーベリウム】の設定通りとはいえ、レティシアに対して屋根裏部屋をあてがったり、彼女に割り当てている資金が控えめだったりするのは、そういった方針に裏打ちされている。
それを盾にしている身としては、反論しにくかった。
「それに、初めて乗馬のレッスンで宿泊した際、同室で構わないとおっしゃっていたので」
……前例があったかあー。
そうですわよねー。確かに、部屋を一つ追加する程度の金をケチりましたわあー? 一緒のベッドで寝た過去がありますわねー。ですわよねー。
普段はちょっと作っているお嬢様口調が、脳内で一気に全開になる。
一応、一度は毛布と枕だけ持たせてソファーに追いやったのだが、雷に怯えた妹をベッドに迎え入れたのも、私だ。
もういっそ、第三の選択肢を尊重して「レティシア。あなたは私の抱き枕になりなさい。親愛の情? ありませんわ。これは物扱いですのよ! おーほっほっ!!」ぐらい言ってやろうかな……と、えらく投げやりな気分になる。
しかし落ち着け私。
交渉とは、相手の頭が疲れ切って諦めるまで行うものだ。
この程度で音を上げていてどうするのだ。
私はアーデルハイド・フォン・ヴァンデルヴァーツ。
"冷徹非情のヴァンデルヴァーツ"、現当主。
「あの、お姉様……」
レティシアが私を見る。
今度は何を言うつもりだ?
妹がどんな可愛いことを言っても、絶対にほだされたりしない。
心を研ぎ澄ませ、固く決意する。
妹は無言で、そっと私の服の袖をつまんで、じっと私の目を見つめてきた。
もちろん、一瞬でほだされる。
……そっかー。無言かー。
それは仕方ない。
私の決意はあくまで『妹がどんな可愛いことを言っても』であり、『妹がどんな可愛い仕草をしても』ではなかった。
でも、妹にこんな可愛い真似をされて、ほだされないお姉ちゃんとかいる?
むしろ、それをお姉ちゃんと呼べる?
――否。断じて否。
「……まあ、別に構いませんわ。――どうでも」
それでも精一杯、悪役令嬢らしく振る舞って、袖をつまんだままだった妹の手を振り払う。
ああ、もったいないことをした。
妹は、やはり何も言わない。
でも、ちょっとにこっとしてくれて。
私は、こんな憎まれ口を叩くしか……できないのに。
彼女に好意を寄せ、それを素直に示している【攻略対象】の男どもは、きっと、もっと可愛い妹を見ているのだろう。
じわっ……と黒い感情が心に滲んで、戸惑う。
人の悪意には、慣れている。我が家はそれを利用する側だから。
ただ、冷徹だの非情だの冷血だの残酷だの外道だの……散々に言われる身だが、個人的な感情でそういったことを命令した事実はない。
だからこそ言われるのかもしれないが。
笑顔の妹をもう一度見ると、心の中の黒いもやもやが、ふわっとほどけるように溶けて消えた。
やっぱり、私にはもったいないぐらい可愛い妹だなあ、としみじみ。
……抱きしめて寝たら、ダメかな……。