この世に平等がないのなら
妹が、【月光のリーベリウム】の【主人公】でなかったら。
レティシアは、「私一人だけ」と言った。
彼女のように一人で生きていかねばならなかった、妹と似た境遇の者達が、たくさんいる。
あの、"裏町"に。私達が正式には"旧市街"と呼び、誰もいないことになっている、荒れ果てた区画に。
私とお揃いの懐中時計も、母の手紙も、貴族の父も持たぬ少女が。
『私の妹ではない』女の子も、たくさん。
ヴァンデルヴァーツ家の支援は、所詮、限定的な対症療法だ。
自分が、不平等の体現者だと言った言葉に嘘はない。私が"裏町"からすくい上げたのは、妹だけ。
それが、より多くの人を救うと信じている。そういう筋書きだ。
それでも私は、見捨てた。
妹と同じような境遇の子供達を。
今この瞬間にも、世を恨みながら、境遇を呪いながら息絶えている幼子がいるかもしれないのだ。
それを仕方ないと、そういうものだと、切り捨てる冷徹さを、私は持っている。
……それを痛ましいと、救えない自分を無力だと感じる弱さも、私は捨て切れていない。
レティシアが顔を上げる。
私達二人を見て、目をそらした。
「それでも、もう少しマシな『平等』が欲しかった。お給料がちゃんと支払われる仕事が、買い叩かれない立場が欲しかった……」
……私が彼女に与えるのは『平等』ではない。
私が彼女に与えようとしているのは、自立した生き方ではなく、当主という椅子に縛り付けられた未来だ。
私が思い描く『幸せ』は、そんなものだから。
ほんとうの平等が、あれば良かった。
私達が、先祖代々積み上げてきた不平等とは違う形で、人の幸福を守れる選択肢が、あれば。
……ルインズの革命政権も、それが欲しかったのだろう。
あいつらは、共和国を名乗った。共に手を取り合う平和な国を作ろうとした。
ただ、誰もやり方を知らなかった。
私も、知らない。
……ふと、【月光のリーベリウム】のことが頭をよぎった。
あの恋愛シミュレーションゲームとやらは、どういう仕組みかまったく分からない。形としては、本を読むのと似ている。【イベントスチル】なんかは、まさに見開きの挿絵に思える。
でも、それだけじゃない。没入感を高める仕掛けが、そこかしこにある。
キャラクターの絵は時に動いて、声が同時に聞こえる。
音楽が流れていて、それも、シーンごとに違う。時に静かに、時に不安をかき立て、時に情熱的に。
楽団を控えさせている……はずはないのだが、どうやっているのか。
妹の声も良かったし、相手の声も……特に告白セリフなどは耳元でささやかれるようで、後の二人はまだしも、王子の声にときめいたのは一生の不覚だ。
まるで魔法だ。――それで綴られるのが、都市の本屋で売られるような、あるいは劇場で演じられるような、定番の恋愛物語とは。
どんな技術の無駄遣いだ。
……そんな魔法のような技術を、娯楽に使える世界なのか。
せっかくそんなお遊びの舞台なのだから、恋愛だけしていられれば、よかったのだが。
……いや、その場合私は何をしていればいいのか。
政略結婚するに相応しい相手が今はいない。
自分の全てを委ねてもいいと思える男も。
……ちら、とうつむいたままのレティシアを見た。
「私は"裏町"の出身で、生まれついての貴族じゃ、ない……」
自分の境遇を噛み締めるような呟き。
彼女は、すーっと息を吸って、挑むように顔を上げた。
「――それでも、今の私は、ユースタシアの貴族です。この世に平等がないのなら、私達が義務を担う。今よりもほんの少し、平等に近づけるために」
私達は、不平等の体現者だ。
支配者階級から降りることは、できない。
私達が目指した平和は、不平等によって生まれた権力構造が維持している。
完全ではない。苦しむ民もいる。救われぬ者もいる。支配者とて思い悩む。
完璧な治世など、この世のどこにもない。
それでも。
この世に平等がないのなら。
――私達が、義務を担う。
彼女の言葉は、貴族の言葉だった。
「私にだけできることが、きっとある。コンラート様にしかできないことも。――いずれこの国で、最高の権力を持たれる方なのですから」
「……はい。そうですね」
コンラートが、どこか寂しげに微笑んだ。
「義務と忠誠を。レティシア嬢。あなたのその言葉に懸けて誓いましょう。良き王たらんと努力することを。――そういう義務を担ったのですから」
完璧であろうとすればするほど、王は孤独だ。人の心を持たねば民を慈しむ名君にはなれないのに、人を数字で見れぬなら暗君と言わざるを得まい。
――だから、私達が必要となる。
王に忠誠を誓い、義務を果たす貴族達が。
王国を分割した領地を与えられ、それぞれの領分を担い、継いでいく者達が。
レティシアに流れているのは、間違いなく貴族の血だ。
しかし同時に、彼女こそが貴族主義を否定する。
彼女のような境遇でも、高潔な精神とそれを遂行する能力が身に付くものなら……貴族など要らない。
私達貴族は、生まれた時から教育を受ける。――彼女のように、十六になってからではない。
まあ、貴族教育が身についていない輩もいるようだが。
それでも、いちいち適性の高い者を選抜するより、幼少時から教育を与えて育てていれば、最低限モノになるだろうという考えが前提にあるとすれば……貴族主義とは、意外と教育の力を信じた主義なのかもしれない。
実際の国家運営には、ユーディットやシエルのような平民出身もかなりの数、参画していることだし。
民は無力ではない。
良い国は作れなかったかもしれないが、ルインズの革命主義者達は、為政者達に危機感は与えた。――眠っていた断頭台の恐怖を、呼び起こした。
彼らが目覚めさせた恐怖が、きっと私が断頭台へ送られる理由の一つ。
そこで、自分の言葉を噛み締めながら覚悟を新たにしていたのだろうコンラートが、躊躇いがちに口を開いた。
「……私は第一王子として、何もなければ王となる身です。期待されてもいます」
「? はい」
緊張した面持ちのコンラートと、真面目な表情ではあるが、もういつも通りのレティシア。
「わたっ……とな……――……これからも、私を支えていただけますか? レティシア嬢」
「はい、コンラート様。一人の貴族として、微力ですが王家をお支えします」
妹は微笑んで返した。
王子が、ほっと息をついて、気を抜いた笑顔になる。
いい雰囲気出しやがって。
どうせ、私の隣で支えて欲しい、とでも言おうとしたのだろう。
……今のは公式ゼリフではないが、もっと仲が深まってからの【告白ゼリフ】に似ていた。
そちらはこうだ。――【「これからも私の隣で支えて欲しい。王妃として、妻として。……恋人として。……レティシア。あなたに結婚を申し込みます」】。
そして、綺麗な小箱に収まった結婚指輪を差し出すのだ。
少々……いや、かなりキザではあるが、好きな相手にされたら嬉しい気もする、気合いの入った演出だ。
断られることを考えると、なかなかできないやり方でもあるが。
ちなみに【選択肢】は【1.「はい!」】と……【2.「ごめんなさい」】の二択となっている。
そこまで親密な仲になっておいて、まだ断る選択肢があることに戦慄した。
恋愛シミュレーションゲームとは、本当に【主人公】の選択に全てが委ねられているのだなと。
私はそれぞれのルートを【エンディング】まで一本道で追っただけなので、「ごめんなさい」を選んだ場合どうなるか知らない。
告白など断じてごめんだが、断った時コイツがどんな顔をするのかだけは、少し興味がある。
こほん、と一つ咳払いをして真面目な顔を取り繕うコンラート。
「それで、その……レティシア嬢」
「はい、なんでしょう、コンラート様」
「もし日程のどこかに空いている時間があれば、ご一緒できないか……と思うのですが……」