不平等の体現者
ユーディットを応接間に残し、私は、こんなでも第一王子ということで、コンラートの野郎を玄関ホールまでわざわざ送ってやることにした。
彼の護衛達は一足先に馬車の準備へ向かっている。
赤い絨毯の敷かれた廊下を歩きながら、レティシアが、王子に話しかけた。
「コンラート様。査察は、どうでしたか? 査察と視察は違うものだとは聞きましたけれど、私、初めての視察なんです」
それは、お姉ちゃんが手取り足取り教えてあげたい。
「そうですね……」
王子は、一瞬だけ考え込む様子を見せた。
「【実り多き旅でした】」
どきりとする。
「【王子として育てられた身ゆえ、こういう形でしか民の生活を知ることができません。本当の意味で知ることもできないでしょう。ただ、それを守りたいと。そのために義務を果たそうと思えるような旅でした】」
不意に語られる【公式ゼリフ】。頭の中に既視感をねじ込まれるような不快さ。世界がほんの少し色あせて、作り物めいて感じられる瞬間だ。
後、こいつ殊勝なセリフ似合わないな。
王族としては、まあまあ悪くないが、まだまだひよっこだ。
それでも、「民など、税を生み出す肉袋にすぎん」みたいなセリフを大真面目に、しかも公の場で言う貴族もいるので、マシな方だろう。
そういうのは、かなり恨まれやすいので、今は故人だが。
「【レティシア嬢。あなたに出会ってから、多くの見方が変わりました。良い変化だと信じています。……これからもあなたに教わって行きたいと思うのです】」
特殊な辞書を用いて翻訳すると、「惚れた相手が"裏町"出身だったので、身近な問題になって興味が湧きました」となるだろうか。
悪いとは言わないが。
ここらは、ゲームでは妹の返事も選択肢もない。
そもそも、私の出番もないシーンだ。
けれど、今ここに私はいる。
「コンラート。妹の視点は貴重でしょうが、頼りすぎることはないように」
なので、ちょっと釘を刺しておく。
「……それは、もちろん」
うちの妹は可愛いが、次期王がデレデレになった結果、頭が悪く、恋愛物語に出てくる『王子様』のような安っぽい出来になっても困る。
「レティシア。あなたは、庶民の生活を知っているかもしれません。けれど、肝に銘じておきなさい。あなたが知っているのは、自分一人分の人生です。……人は、ひとりひとり、違うのです」
――それらの違う全てを、恐怖と利益で塗りつぶすのが、ヴァンデルヴァーツのやり方。
恐怖だけでは人は縛れない。
冷たい牢獄で鎖に繋がれていれば、人は恨むし、憎むし、逃げ出そうとする。
けれどそこが牢獄だったとして、そこで生きていれば幸せなら。
私が貴族としての生き方に窮屈さを感じながらも投げ出さないでいられるのは、豪華な食事に、広々とした温泉、ふかふかのベッド、身の回りの世話をしてくれるメイドなど、贅沢な環境があるのも大きい。
――私はもう、それを受け取った。生まれついての貴族として。
生まれてから今日までを、貴族として生かされてきた。
「……アーデルハイド・フォン・ヴァンデルヴァーツ」
「なんですの、コンラート・フォン・ユースタシア殿下」
フルネームで呼んできたのでフルネームで呼び返す。
「……あなたは、いい領主なのですね」
「は?」
思わず、ほとんど素で返してしまう。
こいつが、私に対して、褒め言葉を?
天変地異か疫病の前触れか? さては、こいつが元凶か。
「私がヴァンデルガントの査察を命じられたのは……この領地の運営を見て学べということだったのだと、分かります。それも、先入観なく……いや、批判的な目で見た上で、学べと」
「……我が領は、コンラート殿下のお眼鏡にかなったと?」
彼は真面目な顔で肯定した。
「ええ。……認めましょう。ユースタシア王国、いえ、大陸有数の領地ですね」
「さすがに社交辞令が過ぎますわ。南部の穀倉地帯や、アルトライン水系の交易都市群に比べれば、とてもとても」
「豊かな穀倉地帯や、天然の良港や河川を使っての水上貿易のような、栄えて当然の条件を持たずして、領地を富み栄えさせ、精強な領軍を有し、良好な治安を維持する……謙遜も過ぎれば嫌味ですよ」
嫌味は望むところだが。
……こいつの褒め言葉は、精神に悪い。
「……それでも、あなたほどの領主でも、平等とは実現できないものですか?」
「できませんわね」
即答する。
「……なぜ? 今のユースタシアには、弱者に手を差し伸べるだけの、余裕があるはずです」
私は足を止めた。
コンラートとレティシアも半歩遅れて止まる。
「私達こそが、不平等の体現者でしてよ、コンラート」
王子が押し黙る。
こいつだって、分かっているだろうに。
こんな甘ちゃんだったろうか。……まったく恋というやつは人を変えるものだ。
「『実り多き旅』だったのでしょう。ユーディットの話に感じるところがあったのでしょう。――権力があっても、果たせないことがある」
かつて、権力を求めた人達がいた。
ユースタシアという国が興る前、この大陸には、火種がくすぶっていた。
かつて、大国があった。酒を入れすぎた古い革袋のように、伸びきった国が。
大きすぎて、施政が行き渡らなかった。――いや、徴税以外、する気がなかったのか。
それを国家と呼べたのかすら、分からない。
徴税官と略奪者との差がろくにないような国を、どう呼べばよかったのか。
遠い過去は、力の論理が全て。権力者のさじ加減一つで、全てが決まった。
誰が安心できるだろう。
力ある者に媚びを売り、へつらい、ひざまずき、誇りを差し出すことが『正解』になってしまえば。
権力者はそれを受け取り、ますます力を増し、絶大な権力に酔い、溺れる。
手の一振りで、多くの人が死ぬ。思いつきで生まれた税金が民に重くのしかかり、下される裁可はその時々で変わる。
理不尽が、理不尽で居続ける。
それが、この世界の『当たり前』だった。
だから、ユースタシアの建国王は剣を取った。
武のハルガウ、商のヴィルツシャフト、そして策謀のヴァンデルヴァーツ。
我が家を含めた、後のユースタシア王国における三公爵家となる家々を筆頭に、後の貴族家となる諸侯をまとめ上げ、この大陸を戦乱に叩き込んだ。
怨嗟に満ちた歪な安定よりも、血に濡れて輝くような秩序を求めた。
どれだけの血が流れたのか。
私達は、祖先の――そして敵の――血が染み込んだ大地に生きている。
そうしてでも、権力を求めた人達がいた。
王権を定め、その下に法を置き、その法に基づいて国家を治めようとした人達がいた。
私達、ユースタシア王国の貴族は、その子孫だ。
忠誠を誓い、義務を担った者達の。
「……コンラート様」
その血を継ぐ者の一人である私の妹が、建国者の直系たる王子へと、そっと声をかける。
「私は、"裏町"の生まれです。多分、殿下の言う『平等』から、遠いところにいました」
「ええ。ですから、手助けを――」
「私達が欲しいのは、手助けじゃないんです」
静かに、しかしきっぱりと告げる。
コンラートが虚を突かれた顔になった。
「あ、いえ。手助けもあったらあったでいいんですけど。――平等なんてないって、知ってるんです」
レティシアがわらった。
口元は微笑みの形で――けれど目は、どこか遠くを見るようで。
「そんなことは――」
「さっきお姉様が言われたでしょう。コンラート第一王子殿下。私だって今は公爵家の令嬢です。美味しいご飯を食べて、清潔な服を着て、贅沢なお風呂に入ってます。……私一人だけ」
うつむく妹に、私達二人は何も言えなかった。
「お姉様は優しいから、こんな私にもよくしてくれますけど」
いや、そこは違う。公爵家の娘が受け取るべき物を与えているにすぎない。
断じて、私が優しいからとかではない。
しかし、さすがに口を挟める雰囲気ではなかった。
「貴族の血縁っていう立場に甘えてるって、分かってるんです」
そんなことはない。
彼女は、【月光のリーベリウム】の【主人公】だ。
彼女には、全てを受け取る資格がある。
……でも、その物語さえなかったら?
ふっと、心の中の家守がささやいた。