見覚えのある服
数日後、"仕立屋"が、とりあえず一着仕上げてきた。
普段着とは言え、かなり早い。
隣室で着替えた妹が応接間に姿を見せると、私は思わず息を呑んだ。
「こんなの着たの、はじめて……!」
レティシアが、今までの服とは比べ物にならない質の服にはしゃぐ。
「着心地がすっごくいいです!」
「そうでしょうとも!」
「生地の手触りがなめらかで、引っかかりがなくて……」
「奮発させていただきました」
「どこで縫われているか、分からないぐらいで……!」
「レティシア様のサイズは、入念に把握させていただきましたからねえ……!」
レティシアの歓喜の声に、"仕立屋"が頬を緩ませて顔をにやつかせながら相槌を打ち、満足げにうんうんと頷く。
妹からの賞賛の嵐は、正に仕立屋冥利に尽きる、というやつだろう。
妹が、くるりとその場で一回転し、赤いスカートをひらめかせた。
全身で喜びを表現するような躍動感が、本当に愛らしい。
そして、尾を振る犬のように、小走りで一直線に駆け寄ってくる。
スカートの裾をつまんで、私の前でもう一度一回転したので、頭のてっぺんから爪先に、背中に至るまで、全てを目に収めることができた。
「どうですか、お姉様! ……似合って、ますか?」
「え、ええ。……まあ、見られる恰好になりましたわね」
言葉を失っていた私は、妹に話しかけられて、はっとした。
反射的に絞り出したにしては、なかなかに嫌味っぽい、いじわるゼリフ……と思ったのは、一瞬のこと。
「ありがとうございます! 褒められましたよ、"仕立屋"さん!」
「当然ですよ。私の服が本当にお似合いですから……!」
この二人、メンタルが強すぎる。
あれが褒め言葉に聞こえたのか。
……次からの『いじわる』をどの程度に設定するか、実に迷うところだった。
さっき、私が言葉を失っていたのは、妹の可愛さに……ではない。
いや、うちの妹は、断頭台で首を落とされる未来を回避しようと思えないぐらいに可愛いが。
白いシャツに、赤いジャンパースカート。胸元で輝いて主張する大きめの金ボタンには、ヴァンデルヴァーツの紋章であるヤモリが刻印されている。多分、私のジャケットと同じ物だ。……お揃い。
丁寧にショートカットにされた金髪は、栄養のある食事・入浴・適切な手入れで、本来の輝きを取り戻しつつある。
初めて会った時とはまったく、見違えるようだった。
……この、"仕立屋"がレティシアのために仕上げてきた一着目の服を見た時、私は背筋が寒くなるような感覚を味わった。
それが【月光のリーベリウム】で、主人公がいつも着ている服と、寸分違わなかったからだ。
私は、何も伝えていない。
仕立屋に見立ててもらう、『おまかせ』だ。
……それなのに、まったく同じデザインとは、恐れ入る。
私がいつも着ている服も、【月光のリーベリウム】を知る前に"仕立屋"に仕立てさせた服だ。
妹の存在。
お揃いの懐中時計。
聞いたことのあるセリフ。
それらと並んで、逃れようのない『力』を感じる一例ではあった。
この世界の未来は決まっている――かどうかは、分からない。
私は、これから先に起こる全てが決まり切っているとは、思っていない。
ここは誰かが作り上げた舞台のような世界で……でも、自分の全ての行動が縛られているとは、思っていない。
【イベント】は、私の解釈では、点のようなものだ。
舞台の一幕一幕のように、本来はもっとある出来事の中から目立つ物を抜き出して、ストーリーを進めていく。それが『正史』なのだろう。
しかし実際には、点と点の間を結ぶ線をどのように引くかは、演者の……私達の自由だ。――自由なのだ。きっと。
未来を、変えることもできるかもしれない。
でも、だからこそ。
私は、あるべき未来を選ぶ。
そうすれば、少なくとも妹は幸福になることが約束されているのだ。
なにもかも不確かな世界で、運命が味方してくれる立場にいるのならば。
私は、それを選ぶ。
「レティシア様。普段着ですが、二着目はどうしましょう」
「あ、えっと……」
一着きりというわけにもいかない。
"裏町"……貧民街の出の妹でさえ、何着か持って、きちんと着回していた。
……どれも、貴族家なら物置掃除用の雑巾か、厩舎の馬の汗拭きにでも回すようなボロだったが。
似たような服ばかりで、正直言ってろくに見分けも付いていないし、その必要性すら感じない。
でも、そんな恰好でも妹は可愛かった。抱きしめたいぐらいに。
ただ、今の方が可愛いし……苦労した分、幸せにしてあげたいと思うのだ。
妹を幸せにするのは、私ではないというだけで。
お膳立てができるだけでも十分だろう。
私はこの子の、たった一人の姉なのだから。
いずれ嫌われても。
私の首が胴体と離ればなれになっても。
それだけは、変わらないから。
「同じデザインでお願いできますか……?」
「同じデザインなら早く仕上がりますが……よろしいのですか?」
二人を眺めていると、"仕立屋"は控えめに首を傾げた。
レティシアが頷く。
「以前住んでいた所では、同じような服ばかり着ていたので……同じデザインの方が落ち着くかな、って」
「はい、承りました」
なるほど。そういう事情があったのか。
ゲームの中の妹は、特別な【イベント】時以外は、いつも同じ服を着ていた。
舞台衣装にはよくある『主人公の目印』のようなものだと思っていたが。
私が普段、同じ――デザインの――服を着ているのも、そういう事情だ。
私はヴァンデルヴァーツ家の当主であり、必要なのはお洒落ではなく、見る者が見れば一目で私を"冷徹非情のヴァンデルヴァーツ"当主と理解する装いだ。
服装規定でドレスが必要ならそうするし、それに普段は少し地味な方が、社交の折の盛装が映えるというものだ。
「それに、この服、すっごく気に入ったので」
"仕立屋"が笑み崩れた。
「ふふ……。仕立屋殺しですねえ、レティシア様は……!」
妹が、気に入ってくれたなら何よりだ。
「……あ、それと、アーデルハイド様。費用の方ですが……」
「好きに使いなさい」
素っ気なく言い捨てた。
ヴァンデルヴァーツの金庫には余裕がある。
表沙汰にできないような裏金もたっぷりだが、表の領地経営なんかも、ちゃんと収支がプラスだ。
それに、"仕立屋"の店は、今ではまっとうな資金源の一つにまでなっている。
「いつものように、シエルに必要な額を言いなさい。――ヴァンデルヴァーツの新しい縁者がドブネズミのようだと噂されては、たまったものではありませんし」
私は、唇の片端を持ち上げるようにして、わらった。
「せいぜい、家名を汚すような無様な真似はしないことね、レティシア」
自分に『悪役令嬢』としての未来が用意されていると知ってから、自室の鏡の前で何度も練習した表情だ。
いやみったらしく、妹の心を抉るような言葉を選んで使えば、効果も倍増。
『ドブネズミ』とは、"裏町"の住人を指してよく使われる罵倒だ。
新しい縁者、家名を汚すというあたりにも、所詮は腹違いの妹なのだと皮肉を込めて当てこする。
私は、血の繋がった実の妹ということで、死ぬほど可愛いと思っているが。
それを表に出すわけにはいかない。
来たるべき【断頭台】までに、きっちり嫌われる必要がある。
それまでの【イベント】だけでも十分だとは思うが、こういうのは日々の積み重ねが大事だと判断した。
しかし、顔を歪ませるかと思ったレティシアは、予想に反し、顔をほころばせて笑顔になった。
「ありがとうございます、お姉様。私を……ヴァンデルヴァーツの縁者と認めて、心配してくれているんですね」
なにその前向きさ。
私、いじわるしてるのよね。
……嫌われる、のよね?