【査察中の第一王子】
妹に笑顔で近づいてきた王子が、隣にいる私を見る。
「……それにアーデルハイド嬢も、まさかこのような所でお会いできるとは思ってもみませんでした」
セリフは同じなのに、明らかにトーンダウンした露骨な態度。
……うちの妹のことが分かりやすく好きだな、こいつは。
気に食わない男だが、女性の好みだけは認めてやってもいい。
「ええ。私も驚きですわ? お一人ですの?」
「……まさか」
自嘲気味に笑うコンラート。
「護衛が付いていますよ。あなたと同じです」
私達は、もしもユースタシアという国を揺るがそうとした時、上から数えた方が早いぐらいには、旨みのある獲物だ。
公平に見て、"冷徹非情のヴァンデルヴァーツ"の当主である私の方が重要度は上かなと思うが、彼がいずれ王になった暁には、その立場が逆転する。
ヴァンデルヴァーツ家の場合は、自分の領地ということもあり、陰からの護衛が、私達が通る道の前後から屋根の上まで、立体的に安全網を構築している……はずだ。見えないけど。
王家にしても、第一王子周辺はがっちり固めているだろう。――そこに、私達の意思はない。
私達の命の使い道はもう、決まっているのだ。
「領主の館へ戻られるなら、馬車でお送りしましょう」
特殊な辞書で翻訳すると、「妹にいいところを見せたい。それと、一緒の馬車で好きな女の子と同じ時間を過ごしたい」だ。
いじらしいと見るか、いやらしいと見るかは、相手への好感度による。
「……ええ、お言葉に甘えましょうか」
それでも、素直に運命のお膳立てに従った方がいいだろう。
大通りに出ると、コンラートが手を上げ、すぐに馬車がやってきて止まる。反射的に紋章を確認するが紋章なし。
一見しただけでは、二頭立てで四人乗りの、ごく普通の辻馬車に見える。
しかし、車輪がガタつかない足回りの精度に、馬の質。いずれも、辻馬車に求められる水準からかけ離れている。――何より、御者とその横に座る男の二人連れは、明らかに腕が立つ護衛だ。
うちのシエルほどではなかろうが、二人共、腰に長短の剣を帯びていて、武器ありで二対一なら楽には勝たせてもらえまい。
それでもシエルならなんとかしてくれると思うのは、幼い頃から仕えてくれている、七つ年上の教育係に対する盲目的な信頼なのか――純粋に実績による評価なのか、複雑に絡み合い、入り交じり……自分でも分からない。
とはいえ、今はユースタシア王家とヴァンデルヴァーツ家の仲は良好なので、こういう戦力の計算はただの習慣であって、必要なものではない。
個人的に私と王子は仲が悪いが、妹を狙っているということで、最近は、姉である私への嫌味も控えめな気がする。
王子が先に馬車に乗り込むと、レティシアへと笑顔と共に手を差し出した。
「レティシア嬢。お手をどうぞ」
「……ありがとうございます、コンラート様」
レティシアはマナー通り素直にその手を取り、奥の席に座った。
コンラートがその隣に――
「コンラート様」
「なんでしょう?」
――座ろうとしたところで、レティシアが王子に声を掛ける。
「私には手を貸してくださいましたね」
「……ええ」
コンラートが、戸惑っているのが分かる。
それはいい気味なのだが、私も戸惑っていた。
妹が、何を言いたいのか分からない。
「私のお姉様にも、同様の礼を」
私は思わず、コンラートと目と目で会話していた。
予想の斜め上。――しかし、要求におかしなところはない。
遠い昔は男しか、王や当主にはなれなかった。女性の権利は男性より一段制限されていた。
戦乱の時代、戦場に立つことのない女達は、見下されていた。
しかし、総力を振り絞るような消耗戦に、兵の絶対数が足りない事態となり、一部の国は限定的ながらも女性兵士の採用に踏み切り、同時に騎士階級も女性へ解放した。
さらに、前線に立った男の当主が死に、直系の男子がいなかった場合、遠縁の男と直系の女、どちらに家を継がせたいか? という話になった時、多くの国は血の濃い方を選んだ。
そして、そうした方が勝った。
勝者となり、歴史を綴る側に回った。
私が当主の座に就いているのも、そういう歴史の流れに他ならない。
完全な平等ではないかもしれない。今でも各軍の兵士・騎士は男性が多く、女性兵士は数が少ない。騎士となればなおさらだ。
女当主は珍しいとまでは言わないが、やはり少数派。
……そういう面倒な仕事を夫に押しつけている家もあるんだろうな、と思ったりする。
それはそれとして、男性の女性に対するマナーとか、逆に女性の男性に対するマナーとか、そういうのも生き残っている。
そういったものが、全てなくなることはないだろうし、いざなくなったらなくなったで、恋愛小説家は盛り上がりに困るかもしれない。
まあ、そういうのはいい。
今、問題なのは。
お互い、こいつに礼を尽くしたくも尽くされたくもねえなあ、という点だ。
公的な場では無論、お互いに我慢する。……が、今は公的な場ではない。
それでも、王子は姉を軽んじて妹に嫌われたくない、私は教えたマナーを放り捨てる悪い見本を見せたくない、ということで利害が一致して、視線での探り合いを終える。
「……お手をどうぞ、アーデルハイド嬢」
「ええ、ありがとう。コンラート殿下」
うさんくさい王子スマイルと、よそゆきの淑女スマイルで殴り合う。
見た目だけは、優れたお手本としてマナーの教本に載ってもおかしくないような優雅な所作で手を差し出してきたので、私もその手を取り、馬車に乗り込んだ。
二人して妹を見ると、妹は満足そうに頷いたので、ほっとした。
多分、王子も同じだったろう。
腐っても第一王子。仮にも公爵家当主。
そんな上等なものではない腐れ縁とはいえ、一応は幼馴染みと呼べる境遇に甘え、マナーをないがしろにしていい立場ではない。
レティシアは生まれついての貴族ではなく、したがって、幼い頃からの貴族教育を受けていない。
しかし、そういったマナー意識がきちんとしているのを見ると、教育とは偉大なもので、それを受け取ろうとする者に恩恵を与えてくれるものだとしみじみ。
……もしも立場が逆で、妹がないがしろにされたなら、姉としてブチ切れていたと思うし。
コンラートは妹の隣に座りたそうだったが、私はエスコートされた位置関係を利用して彼を奥に押し込み、その隣に優雅にどっかりと座り込んで席を確定させる。
私だって妹の隣に座りたかったが、その勇気はなかった。
シエルもレティシアの隣へ乗り込み、扉を閉めた。
昔は、使用人は主と同じ馬車に乗らないというルールもあったらしいが、馬車の台数が増えたり移動中の打ち合わせができなかったり、いろいろと面倒なので、使用人は気にしないということで……となし崩しに慣例が緩んでいった過去がある。
それはそれとして、この王子と一緒の馬車に乗るのは初めてだったりする。
彼は、生まれた時から王位継承権第一位の王族。
私も、生まれた時から爵位継承権第一位の公爵家令嬢。
それぞれの家に専用の馬車があるし、そもそも、私達二人が同じ馬車で移動する用事がなかった。
移動中の馬車の中の会話が外部に漏れることはまずないため、密談に使われることもあるが、それならそれで子供達を同席させるはずもなし。
さらに、自家の馬車を使うのが普通だった私にとって、偽装されているとはいえ王家の馬車……それも王子と一緒というのは、なんだか、変な感じだ。
私は、隣の王子に話題を振った。
「コンラート殿下は、どうしてこちらへ?」
知ってるけど、一応。
向こうも知ってることを知ってるだろうけど、一応。
「陛下より、ヴァンデルガントの査察を任されました。それで、市中を歩いていたのです」
「それはそれは。責任ある立場を任されつつあるのですね」
ユースタシア王国の直轄地だけでは、王国は王国たり得ない。
大貴族達の領地が適正に運営されているか……具体的に言えば、反乱の芽はないか、国家へ納めるべき税金がちょろまかされていないか。
それを確かめるのは、王家の存続に関わる重要な仕事だ。
まあ、うちは査察先としては初心者向けだが。
ユーディットは報告書をきちんと作成し、今まで一度も矛盾はなく、"影"による査察も全てクリア。
彼女のような領主代行がいれば、よほどアホでなければ領地経営をしくじることはないと言えるほど。
もちろん方針の決定は当主がせねばならないのだが、私に対しては、シエルと共に丁寧に意見をしてくれるので、正直なところ、甘やかされてるなーって思うこともある。
……この立場は重いものだ。責任もある。
ヴァンデルヴァーツ家の当主が、どんな無能でも務まるとは思わない。
ただ、先人が積み上げたものがあり、支えてくれる優秀な人材がいる。
当主の椅子に座るのは、私でなくてもいいのだ。
「……お姉様。視察と査察って、どう違うんですか?」
レティシアが控えめに質問し、そちらに意識が向く。
「似たようなものですが、今回の場合は、私は自らの領地の見回りで、コンラート殿下は、臣下の領地が適切に運営されているかの確認である……という違いがありますわね」
「なるほど……」
いつか、レティシアが当主の椅子に座る。
その時、ユーディットは助けになってくれる……はずだ。
そして攻略対象達も。
「……アーデルハイド嬢。非公式ではありますが、領主としての貴方、そして領主代行殿と話がしたい。受けてくれますか?」
「まあ、よいでしょう」
私は、軽く頷いて見せる。
非公式というのが引っかかるが、まあ第一王子の査察自体が非公式だ。
いざとなったら、来訪自体なかったことにしよう。非公式だし。
さすがに王位継承権第一位を持つ第一王子殿下に身体的な危害は加えられないが、脅しを入れるぐらいは許されるだろう。
そこでコンラートが、自分の身を抱くように両肘に手を当てて震えた。
「コンラート様? どうかなさいました?」
「……いいえ。あなたのお姉様と一緒にいるとよくあることです」
妹の質問に、何かを振り払うように軽く頭を振ってから、微笑んで答えるコンラート。
今、猛烈に失礼なことを言われている気がするのだが、証拠がないのでさすがに手出しできない。
こいつが第一王子殿下であらせられなかったら、肘打ちの一つもしてやりたいのだが。