ベリー飴
日が傾きつつある領都を、私はレティシアとシエルと共に歩いていた。
私は、紋章入りの上着を着替えたぐらい。レティシアも胸元の金ボタンが紋章入りなので、スカーフで隠している。
シエルはエプロンとメイドキャップ、それに胸元のリボンを外した黒いワンピース姿だ。
領主の館の裏口から出て、足の向くままに歩いて行く。
「お姉様は、道、分かるんですか?」
「ええ。まあ、自分の領地ですからね。庭のようなものですわ」
一年ぶりなので、豪語したほどには、はっきり分かっていないが。
それでも、要所要所の標識にある区画番号で、だいたいの位置が分かる。
さっきは妹にいい所を見せたくて見栄を張ったが、そういうのが未整備の都市だと、迷うかもしれない程度の方向感覚しか持ち合わせていない。
通りの一つに、屋台が並んで出ているのにレティシアが反応した。
「あの、あれ……」
「館で、夕食が出ますから」
ちょっと屋台で食事がしたそうな妹を促す。
「……はい」
大人しく従うレティシア。
しかし、またすぐに足を止めた気配がして、振り返る。
「レティシア?」
「あ、はい! すみません、すぐ!」
彼女が足を止めて見た屋台を視界に収める。
ベリー飴。小さな串にいくつか刺されたベリー……時期や店によっても変わるが、赤くて小さいこれは、多分ラズベリーだろう。それにシロップをコーティングして固めた菓子だ。
串ではなくカップだったり、瓶に入っていたり、そこらは店によって様々なバリエーションがある。
南部にも似たものはあるが、どちらかというと北部のご当地菓子で、王都ではあまり見ない。ずっと王都、それも"裏町"で暮らしていたレティシアには珍しいのだろう。
「……少しだけですよ」
「え?」
私は、小さめのバッグから財布を出しながら、そばに控えていた最も忠実な従者を見た。
「シエル。あなたは食べますか?」
「……はい。しかし、私が……」
シエルを制止して、私は屋台の売り子に声をかけた。
「いいの。お姉さん、三つください」
「はい! 全部で、銅貨六枚です」
無地のエプロンをして、刺繍入りのスカーフで栗色の髪をまとめた女性店員が、営業スマイルで対応してくれる、
一つ銅貨二枚。まあ、相場だ。
一応さらりと、衛生環境などをチェック。――合格点。
こうすると、自分の中で視察だという言い訳が立つ。
銅貨をカウンターの木皿に置くと、受け取った串の一つをシエルに渡し、もう一つをレティシアに差し出した。
「あっ……ありがとうございます」
シエルが目配せし、先に一つ食べると頷いて許可を出した。
私も、短い串の先から一つずつ口の中に含んで、舌の上で転がしてシロップの膜を溶かし、ベリーの酸味が出たところで噛み砕いて味わうと、砂糖の甘みと果実の酸味が混じった甘酸っぱい味が広がる。
そして二個目に軽くかじりつき、引き抜いて口の中に放り込んだ。
私の食べる様子を見ていたレティシアが、おずおずと串の先からベリー飴を一つ歯で引き抜いて口にすると、目を閉じた。
「どう……かしら?」
無心に味わっているのは分かるのだが、つい聞いてしまう。
使われているのが(多分)ヴァンデルガント領産のベリーで、領都の屋台となれば、気分は領主としての資質を問われているに等しい。
いや、大げさな上に図々しいかもしれないが。
「美味しくて、嬉しくて、幸せ……です。後、なんかこう、胸がいっぱいで……」
感想が大げさな上に重い。
しかし彼女は、一つベリー飴が減った串を見て微笑んだ。
「きらきらして宝石みたいで」
彼女が手にするベリー飴の表面のシロップコーティングが、弱くなってきた陽の光にきらめく。
でも妹の笑顔こそ、きらきらして宝石みたいだ。
「口の中に入れると甘くて、最後にちょっと酸っぱくて。またもう一つ食べたくなって……」
言葉通り、もう一つぱくりと行く。
そして頬を緩ませる。
ふと周りを見ると、屋台の前に小さな人だかりが出来ていた。
売り子を見ると、ほくほく顔で客をさばいていて、こちらの視線に気が付くと、笑顔になった。
最高の宣伝に感謝、ということだろう。
私こそ、たった銅貨二枚で妹の笑顔を見せてくれたことに感謝したい。
銅貨二枚でこれだけ喜んでくれる妹なのだから、金貨を積み上げて、喜ばせてやりたい。
……ただ、金額を百倍や千倍、それこそ一万倍にしても、それで喜ぶような少女ではないのだ。
どうすれば、喜んでくれるだろう。
どうすれば、幸せにできるだろう。
……まず、意地悪をやめるところからでは? と私の中の比較的まっとうで善良な部分がささやく。
とりあえずそれを心の奥底の牢獄に放り込んだ。できるわけないだろ。
これを食べている間は、レティシアの笑顔が見られる……と思うと、もったいなくて、名残惜しくて。
けれど、口に含んでいれば砂糖のコーティングは溶けて。ベリーの甘酸っぱさも、なくなってしまって。
ゴリ、と種の粒を歯と歯の間ですり潰すようにして噛み砕いて、飲み込んだ。
屋台のゴミ箱に串を捨てる。
ヴァンデルガントでは、こういったゴミが出る屋台にはゴミ箱の設置義務があり、町中でゴミを捨てると罰金だ。
そういった施策が街の美観を保っている。――窮屈さと引き換えに。
「行きますわよ」
「はい」
妹が自然と隣に並ぶ。
ちら、とシエルを見るが、彼女は従者らしく背後に控えた。
町並みが、静かに闇に沈んでいく。煉瓦の壁や街路樹の輪郭線がぼやけ……昼間に蓄えられた熱が冷めていく肌寒さと相まって、ほんの少し寂しく、もの悲しく、不安になり、現実感が揺らいでいく。
そこで、民家の窓に明かりが灯り、ほわっと世界に色が戻った。
まもなく夕食時ということもあり、煙突からは煮炊きの煙が上がり、時々、焼かれた肉や煮込み料理のいい匂いが鼻をくすぐる。
ヴァンデルガントの領都は、日が落ちてからも若い女性が一人で歩ける程度には、治安がいい。
それでも、暗くなりきる前に帰りたかった。
そこで、聞き覚えのある声がした。
「【レティシア嬢! まさかこのような所でお会いできるとは、思ってもみませんでした】」
明るく弾んだ声。夕暮れ時でも分かる、晴れやかな笑顔。
妹が、彼の名を呟くように呼んだ。
「コンラート、様……?」
運命は、ここでこいつを出会わせてくるのか。
ユースタシア王国第一王子、コンラート・フォン・ユースタシア。
【月光のリーベリウム】の【攻略対象】の一人にして、うちの妹にベタ惚れで、その姉である私と仲の悪い王位継承権第一位の『王子様』だ。