"領主代行"
ヴァンデルガントの同名の領都は、城塞都市だ。
遠い昔、ヴァンデルガントといえばこの都市と周辺地域のことであり、ヴァンデルヴァーツ家は今のような広大な領土を持っていたわけではなかった。
それは、かつて小規模な都市国家が林立していた時代の名残だ。
城壁を必要とする戦は、ユースタシアではここ百年は起きていないが、我が領の行政の中心であることから、今も整備された現役の城塞都市の一つでもある。
レティシアが、物珍しそうに馬車の窓から町並みを眺める。
王都よりも道幅が狭く、入り組んで建物は高い。一部施設の城壁外への移築などが検討されてはいるが、まだ計画段階だ。
なので、建築技術の発達と共に、上に増築してスペースを確保しようとした結果、特に入り組んだ区画は迷宮と揶揄されることもある。
それでも、中央広場の周りはさすがにすっきりして、空が見える。青の濃い、気持ちのよい夏空だ。
道中が順調だったのは、天気に恵まれたのも大きい。
日が落ちる前に到着してよかった。
領主の館も、中央広場に面している。
いつもいる本邸よりも大きい屋敷だが、これはここが私邸ではないからだ。
屋敷の主人が誰であるかを示すために、長い紋章旗が二つ、門の左右に垂れ下がっている。
もちろん紋章は、ヴァンデルヴァーツのヤモリだ。
馬車がゆっくりと領主の館へと入る。
「「「お帰りなさいませ、アーデルハイド様」」」
馬車から降りると、赤い礼装に兜のみをかぶり、斧槍を携えた衛兵達に出迎えられた。
その雰囲気は柔らかい。
毎年、幼い頃から訪れていて、多くは顔見知りだ。
最近は王城の衛兵達にも、似たような雰囲気で出迎えられているが。
「ただいま。……噂に聞いている者もいるでしょうが、今年は妹を連れてきました」
「レティシア……です。ふつつかものですが、よろしくお願いします!」
嫁入りか。
ほっこりした空気になっているのは……まあ、いいか。
ここは私の領地。ヴァンデルヴァーツの領地。――つまり、レティシアの領地だ。次期当主に向けられる目が優しいに越したことはない。
「よろしければ後で、お話を聞かせてください。領地のことや、お姉様のことなど」
「もちろんでございます。……構いませんな?」
兜に赤い房飾りのついている初老の衛兵長が、力強く頷く。
その後で、私を見た。
「……ええ、まあ。――私の悪評は控えめになさい」
さざなみのような笑いが起きる。
冗談だと思われたらしい。
どっちかというと悪評を吹き込めと思っているが、それを言ったらもっと冗談だと思われるだろう。
「馬と馬車を頼みます。それと荷物も」
「お任せください」
後のことを御者と、館の厩舎担当へ任せた。
シエルとレティシアを伴って、一年ぶりの館へと入る。
領主の館の応接間――いくつかある中でも最上の一室――にて、一人の老女に、うやうやしく出迎えられた。
「ようこそいらっしゃいました、アーデルハイド様。万事滞りなく」
「それはなにより。久しぶりね、ユーディット」
白くなった髪を後ろでまとめ、地味ながら品のいい、シンプルな紫のドレスをまとう彼女、ユーディットは"領主代行"だ。
「お顔を見られて嬉しゅうございます。……そちらは、レティシアお嬢様……でしょうか?」
私の後ろの妹に視線が向けられる。
「ええ。よく分かったわね」
「分かりますとも。……ヴァンデルヴァーツの血を継いでおられる」
ユーディットの口元が笑みの形に引き結ばれ、笑いじわが寄った。
「……そう、ですか?」
「はい、レティシアお嬢様。――わたくしめは、ヴァンデルガントの領主代行を務めさせていただいている、ユーディットでございます。先代の頃から、ヴァンデルヴァーツ家にお仕えしております」
私が引き継いだ『財産』のひとつ。
"冷徹非情のヴァンデルヴァーツ"という、精巧にして冷たい機械仕掛けを動かす歯車の中でも、重要度が高い。
私が幼い頃から、彼女はヴァンデルガントの領主代行だった。
その彼女が、シエルに続いてレティシアをヴァンデルヴァーツの血縁として認めてくれたことに、ほんわりと心が温かくなる。
背後の妹を振り返ると、目が合った。
ちょっと微笑まれ、思わず微笑みを返し――慌てて視線をユーディットに戻す。
何を笑っているのだ。馬鹿か私は。
いくらユーディットが【月光のリーベリウム】には名前さえ出ず、【イベント】に関わってこないとはいえ、気を抜きすぎだ。
革張りのソファーを勧められ、レティシアと並んで腰かける。シエルは座らず、斜め後ろに控えた。
重厚な木のローテーブルを挟んで、私達の後に、ゆっくりとした動作で座ったユーディットと向かい合う形になる。
気持ちを引き締め、領主としてユーディットに問う。
「――なにか、変わったことは?」
「第一王子殿下がいらしております」
「コンラート……殿下が」
『知って』はいた。
【月光のリーベリウム】では、そうなっているのだから。
「査察のようです。非公式ですが、事故防止のために内々に使者が」
「そう」
非公式の査察を通達していいものだろうか……と思うが、まあ人選からしても、本気ではないということだろう。
我が家は、王国の不利益になるような不正はしていない。王家の"影"もそこそこだが、規模は我が家とは比べものにならないのが実情だ。
【イベント】に絡むところ以外は、彼女に任せておけば問題はない。
「宮廷医師団より薬草園の見学の申請が入っております。こちらは私の権限で許可させていただきました」
「構わないわ。追認します」
ヴァンデルヴァーツは、おそらく大陸中のどの家より、どんな組織より、毒に長けた家だ。
最近は控えめだが、暗殺用の毒薬を筆頭に、睡眠薬、自白剤……使う側であり、使われる側であり、攻撃側としても防御側としても、多くの事例を有する。
それゆえの、"冷徹非情のヴァンデルヴァーツ"の異名。
けれど、レティシアに処方したこともあるように、睡眠薬は精神を落ち着かせる鎮静剤でもある。手術の際に使われる麻酔も毒薬の一種だし――まさに、毒と薬は紙一重と言える。
対外的には毒は売っていないが、治療薬――解毒薬――は有力な商品だ。
命の代価としてなら、大抵の金額が安く見えるものだから。
もっとシンプルに、ハーブのような優しい効きの薬もまた、我が家が得意とする領分だ。
薬草飴、ハーブティー、薬草酒……長年の経験で安全を確かめられた薬の数々は、生活を豊かにする。
各種の薬やその素材を宮廷医師団にも卸しているし、我が家は、医師団と関わりが深い貴族家だ。
「ユースタシア騎士団と、ヴァンデルガント領軍の合同演習は、日程通りに」
「ええ。私も同席します」
私は、ヴァンデルヴァーツ家の当主であり、ヴァンデルガントの領主。
行政も、軍事も、私が最高権限を持つ。
ただ、普段は行政を"領主代行"であるユーディットに任せているように、領軍にも"総指揮代行"がいるので、別に領主自ら顔を出す必要はないのだが。
それでも、父も毎年の演習には顔を出していた。
さらに今年は、大規模な合同演習だ。外すわけにはいかない。
ユースタシア騎士団は、毎年、ローテーションで他の領地の領軍と合同で演習を行っている。
もちろん、有事の際の連携を強化する……というのが一番の目的だが、大貴族への牽制もあるだろう。
ユースタシア王国は一つの国。それが建前だが、実際は各領を治める貴族の権限は大きい。ことに、公爵家ともなれば。
まあ、王国に属していた方が旨みがあるので、反乱を考えているような馬鹿は、今のところいない。
それに、この国は、私達の先祖が建国した国だ。私自身、生まれ育った国だ。
……愛着ぐらい、持っている。
ユースタシアは一つ。それが、多くの民を幸せにする。
領地への査察。薬草園の見学。合同での演習。
一つ一つは、毎年あるような、ちょっとした……『イベント』。
それが今年に限っては、この国の未来を左右するかもしれない【イベント】だ。
王子、医師長、騎士団長が、こうもひとときに、都合よく集まるとは。――それこそ、運命に導かれたように。
ちら、とレティシアを見る。
……妹は――【主人公】は、【攻略対象】の三人から、誰を選ぶのだろう?
私は、妹の恋路が気になる気持ちを振り払い、ユーディットに視線を戻した。
ヴァンデルヴァーツ家の現当主は私。
「とりあえず、不在の間の報告を聞きましょう。……レティシア。少し町中など見てきてはどう?」
王子とレティシアは、町中で出会うはずだ。
今回のイベントは、騎士団長以外、確実に出会えるのか分からない。彼女がコンラートをどう思っているのかいまいちよく分からないが、運命とやらが味方すれば出会えるだろう。
しかし、そこでユーディットが口を挟んだ。
「急を要する報告はございません。レティシアお嬢様は初めてのヴァンデルガントなのですから、アーデルハイド様が案内してさしあげればよろしいのではないでしょうか?」
正論だ。
「そんな義理など……」
しかし、主人公と悪役令嬢が姉妹仲良く町中を歩くなんてシナリオはない……と、意地悪く笑って断ろうとした。
したのだが。
「お姉様とご一緒できれば、嬉しいです」
はにかむレティシアが可愛すぎた。
「……少し歩くだけですよ。日が落ちる前には戻りますからね」
「はい!」
これは、コンラートに出会う可能性を提供してやるため。
シナリオ通り。演者の裁量の範囲内。問題ない。
そう自分に言い聞かせて、己の意志の弱さを正当化することにした。
「久しぶりの領地を直にご覧になる良い機会でしょう。――シエル」
「はい、ユーディット様」
シエルが、うやうやしく頭を下げる。
ユーディットは、彼女の教師の一人だ。
仲もいいが、今は領主代行と当主補佐という立場で話している。
「あなたは、お二人の供をなさい。アーデルハイド様と、レティシアお嬢様のこと、任せますよ」
「は。万事お任せください」
シエルは身体の前で手を揃えて綺麗に一礼し、ユーディットは満足そうに微笑んで頷いた。
ユーディットは以前、シエルがいない所で、今まで教えた生徒の中で彼女が一番出来がいいと、嬉しそうにのろけていた。
その時にも見た笑みだ。
普段は事務的に接しているが、愛弟子が可愛いのだろう。




