ヴァンデルヴァーツ領、ヴァンデルガント
私達の乗った馬車は、ユースタシアの大地を走っていく。
石畳でこそないが、馬車に馬、それに人の足で踏み固められた街道を。
途中の街道宿で二泊。護衛と御者の六人は、今回は二人部屋で三組に分かれ、私とレティシア、それにシエルはまとめて三人部屋だ。
ベッドは別なので、まあ同室ぐらいはいいだろう。貴族も利用する宿で、それなりに部屋も広い。
経費削減をしたいのはやまやまだが、ケチってはいけない経費もある。
いざという時に壁や扉の厚さがあるに越したことはないし、扉や窓にきちんとした鍵が掛かり、敷地内に雇いの護衛が常駐していると、落ち着いて眠れる。
ここはまだ自分の領地ではないが、ヴァンデルヴァーツと契約し、その監修が入っている定宿だ。
サービスと安全に定評があり、貴族はもちろん、大商人をはじめとする富裕層にも人気で、我が家の資金源の一つになっている。
それでも旅先ということで、どうしても、眠りが浅い気がする。
まるで小動物みたいだ。びくびくして、いつも何かに怯えている。
私が継いだ家の名は、"冷徹非情のヴァンデルヴァーツ"。
誰からも愛される家ではない。
必要とされ、存在を許され……疎まれ、憎まれる家。
うちの妹は寝付きがいいが、姉の私はそうではない。
ずっと昔、まだ人の悪意さえ知らなかった幼い時分、母やシエルと共に眠っていた頃は眠りの浅さを気にすることなど、なかったものだが。
大きくなってからはシエルに甘えることなどできるはずもなく。
疲れ切った時には泥のように眠れたものだが。
……ああ、そういえば、牧場に併設された宿で、レティシアを抱きしめるようにして眠った時は、よく眠れた。
もうあんな眠りは訪れないだろうか。
永眠というのを体験させたことはあっても、体験したことはないのだが、首が落ちてから安眠できるのか、それとも永劫の責め苦とやらが待っているのかは謎だ。
まもなく目的地だ。
私は、今日も隣に座っているレティシアに視線を向けた。
「――レティシア。予習はしてきましたね? 私達がこれから向かう、ヴァンデルヴァーツ家、最大の領地について述べなさい」
「はい、お姉様」
妹が、硬い、真面目な表情で頷く。
「――ヴァンデルヴァーツ領、ヴァンデルガント。同名の領都を中心とした、王都周辺、及び、一部の小規模な飛び地領地を有するヴァンデルヴァーツ家の中でも、面積・収入共に、最も規模の大きい領地です」
思い出すようにゆっくりと、しかしなめらかに述べていくレティシア。
「ユースタシア王国北部に位置し、面積は王国全土の一割ほど。山岳地帯と森林地帯を有し、複数の国と国境を接していますが、他領にもまたがるベルクホルン連峰の急峻な地形により、ルインズ公国を除いて、領地としての交流はありません」
地理的な要因が、領地のほとんど全てを決定する。
防衛という一点では悪くないが、攻める旨みさえろくにない土地。
そこを母体とするヴァンデルヴァーツは、土地の豊かさに頼らない武器を必要とした。その一つが痩せた土地ゆえに『恵まれた』資源、毒草……薬草だ。
「気候は寒冷。主産業は酪農・畜産・材木。農業もそれなりに盛んです」
うん。
我が妹ながら、きちんと予習している。
農業技術の発展もあり、かつてほど貧しい土地ではない。
「お肉、特に羊と豚が美味しくて、狩猟肉も鹿と猪がたくさん獲れるそうです。乳製品が王都周辺より安くて、特にチーズは他領や他国でも人気の特産品らしくて、一度食べてみたいです」
……うん?
我が妹ながら、予習の方向性がどうも偏っているような。
間違っているところはない。
しかし、いったい何で予習したのだ?
「……どんな本を読みましたの?」
「主に、王城と屋敷の使用人さんから聞きました」
……生の情報か。
予習しろと言ったので、屋敷の図書室を使ったものだと思っていた。
それだけではなく、幅広い相手から話を聞き、情報を集められる人当たりの良さは、さすが【月光のリーベリウム】の【主人公】……といったところか。
「うちの厨房でもヴァンデルガントの食材を使ってるなんて、知りませんでした」
それはまあ、うちは自領の食材ということで、王都への輸送のついでに『産地直送』の品も使わせているが。
「最近はベリー類に力を入れているらしくて、輸送用ではジャムになるけど、樽詰めだと風味がちょっと変わって、瓶詰めは品質が安定する代わり、どうしても運ぶ時に気を遣うから高くなるって聞きました」
確かに今のヴァンデルガントにおけるベリーは新たな商品作物として、採集・栽培、両方で力を入れている分野だ。
最近のことだから、本には載っていまい。
そして収集した情報が、妙にきめ細やかだ。
「産地だとそのまま食べたりするし、同じジャムでも安いって聞いてて!」
私欲も入っていそうだ。
「……とりあえずいいでしょう。合格ですわ」
食材方面に情熱が偏っていたような気はするが、まあ食は大事だ。
飢えからは解放されつつあり、味や、付加価値の追求がされはじめている。
ユースタシアの建国以前、この大陸が戦乱の時代にあった頃は、料理など、貴族の道楽という位置づけだった。
さすがに宮廷料理やそれに類する豪華なものではないが、庶民の間でも料理は、食材と共に進歩している。
我が領は、鉱物資源に恵まれていない。
急峻にして寒冷なベルクホルンの山々には眠っているのかもしれないが、雪深い地面から鉱脈を見つけ、厳しい環境下で採掘して赤字を出さないような技術は、今のところ、どの国にも存在しない。
海はなく、もちろん港もなく……まあ、口さがない者の言葉を借りれば『辺境の田舎領地』だ。
それでも、我が領はユースタシアの食料庫の一つであり、ヴァンデルヴァーツの最も大きい財布でもある。
先人達のたゆまぬ努力。そして何より、平和があの地域を発展させた。
入植地が焼き払われない保証。盗賊による被害の補償と――徹底的な討伐。
利益と恐怖を共に示す。貴族政治の基本中の基本。
大陸中には、未だ不安定な地域も数多くあることを思えば、自領が安定しているのはありがたいことだ。
レティシアが、それら全てを引き継ぐ。
父を含めた先代までの領主。そして当代の領主である私。それに連なるヴァンデルヴァーツの血を、私の妹は引いている。
正式に爵位継承権を王家より認められ、私が死ねば、その跡を継ぐ。
私にとって領地の発展は、義務だった。
でも、妹に遺せるものがあると思えば、果たしてきた義務と捧げてきた忠誠にも、意味があったのではないか。
「そういえば、"裏町"にいた頃は、ベリー摘みもしてました」
ふと、というように、レティシアが軽い語り口で話し始める。
「買ってくれるお店があって、森に入って摘むんです。いいのだけ売って、傷んだやつは自分達で食べるんですけど。……お腹が減ってる時は、見る目が厳しくなってしまって」
私もシエルも、思わずくすりと笑ってしまった。
しかし。
「……ところで、王都近郊では、ベリーを摘みに森へ入るのには、申請が必要だったと思うのだけれど」
レティシアが笑顔のまま、ぴたりと静止した。
「……忘れてください!」
そして笑顔のまま、爽やかに言い放つ。
無許可か。
妹の経歴に、ささやかな犯罪歴があったようだが、聞かなかったことにしよう。
それに、出所を察しつつ、安く買い叩く店も悪いと思う。
――宮廷会議の議題には上がらないような、立場の弱い者の足下を見た、小さな不正。
それが巡り巡って、少しずつ"裏町"のような場所を作り……今もきっと、そこの住人を苦しめている。
「……あ! ヴァンデルヴァーツの旗が!」
強引に話題をそらしにかかるレティシア。
指さされた窓の外に視線をやると、街道沿いに等間隔に長方形の旗が垂れ下がっているのが見えた。
青地に黄色で染め抜かれた紋章は、ヤモリ。
領地の境界にある関所にも、同様の旗が垂れ下がる。
ここでの意味は――これよりヴァンデルガントの領都だということ。
「まもなく領都へ到着ですが、主な視察場所は、頭に入っていますわね?」
「はい! 市内、薬草園、ヴァンデルガント領軍の演習場です」
レティシアが指折り数えていく。
「――よろしい」
全て、【月光のリーベリウム】における【イベント発生地点】だ。
本当はどこを選ぶかで、誰のイベントが起きるか決まる。
しかし、レティシアが三人の攻略対象のうち、誰に傾いているのかはっきりしないため、総当たり方式で行くことにした。
【イベント】がどんな風に起きるかは、運命と――レティシアに任せよう。