久しぶりの採寸
私が採寸のために"仕立屋"の前に立ち、伸ばした手を両肩のあたりまで軽く上げると、その動きに合わせて脇の下から蜘蛛のようにひょろりとした手が突き出た――ところで、レティシアが叫んだ。
「ちょ、ちょっと待ってください!」
「はい、なにか?」
手を止めた"仕立屋"が、背後で首をかしげるのが気配で分かる。
「い、以前測ったのでは!? それに、お姉様の服は作らないって……」
「ボディラインは常に変わるものですよ? 仕立て直しが必要かどうかも判断せねばなりません」
胸だけ仕立て直しとかなったら、少し泣きたい。
しかしそれはおくびにも出さない。
「み、見れば分かるのでは」
「見て分かるようになった段階では遅いのです」
うんうん。
体型の変化が、他人が見て分かるようになった段階では……手遅れだ。
いや、頑張ればなんとかなる。
と、信じてはいるが、以前ちょっと太っただけで、とても大変だったなあと。
健康なラインと、公爵家当主としてまったく隙を見せない理想のラインには、かなりの差がある。
「特にレティシアお嬢様は、まだ成長期ですしね」
どうせ私は、成長期終わりましたよ。
「それでは、アーデルハイド様……よろしいですか?」
「ええ」
頷くと、がしりと胸を鷲掴みにされる。……と言うには膨らみが足りない気もするが。
相変わらず、遠慮がない。
しかし初対面からこうなので、もう諦めている。
「うう……ええー?」
レティシアは頬を赤くしつつも、私が胸を測られるところを、食い入るようにじっと見ていた。
……やりにくい。
というか、なんだか恥ずかしくなってきた。
思わずうつむいてしまう。
仕立屋に触られるぐらい、当たり前のことなのに。
子供服の時は、幼い私を気遣ってか、もっと素早く、ざっくりした採寸だった。
年頃になり本格的なドレスを仕立てる際も、お抱えの仕立屋は馴染みの老紳士だったので、信頼できた。
そもそも、ここまで胸を強く揉まれたり、遠慮なく触られることはなかった。
……そういえば、採寸や仮縫いの時には、必ず母か父が同席していた……と、昔のことを思い出す。
貴族の令嬢に対し、あらぬ疑いをかけられたら首が飛ぶ、と、内心、綱渡りをしていたのかもしれない。
当主になってから、そして妹を迎えてから、以前は分からなかった両親の気持ちが分かるようになってきた気がする。
シエルを信頼して、私の養育に関する多くを任せていたから、放任に見えていたのだろう。
当主とは忙しい立場だし、"冷徹非情のヴァンデルヴァーツ"と恐れられる家ゆえに、どうしてもおろそかになりがちな社交を、母が補っていたことも、分かるようになってきた。
……丁度、今、私よりレティシアの方が【攻略対象】の男ども――ユースタシア王国の次代を担う俊英達――の好感度が高いように。
お抱えの仕立屋は、私が幼い頃に既に老境だったので、私の当主就任前に引退してしまった。
病で手が思うように動かなくなったからだと聞いたので、見舞金を持って今までの礼を言いに行ったら、真面目な顔しか見たことのなかった彼の目に涙が浮かび、焦ったものだ。
仕立屋業界も慢性的な人手不足で、めぼしい仕立屋は、他家のお抱えになっているか、自分の店を守っている者ばかり。
もちろんヴァンデルヴァーツの名をちらつかせて圧力をかければ、よその家のお抱えを引き抜くのも、店持ちを抱え込むのも、できなくはないが。
あまり無理な横槍を入れると、人間関係とはひび割れるものだ。
それはもちろん、普通に店に注文しても悪いことはないし、しばらくはそうしていた。
そんな折、"裏町"にいる他国人の仕立屋の話を聞いたのだ。
様子見に行ったら、言葉足らずな上に、微妙に性格に問題があるような気もするが、いい腕だった。
気に入ったので、筋を通して手中に収めた借金をカタにして縛り上げた。
家の名前と司る領分が少々物騒ではあるが、貴族家、それも公爵家お抱えとは、仕立屋の華でもある。
昔は自分の店を出していたと言うが、よくやれていたものだ。……いや、ダメだったから、はるばるユースタシアの"裏町"に流れ着いたのか。
何はともあれ、今では、まっとうな資金源の一つだ。
世話になっていた老仕立屋にも、"仕立屋"の店を出す際に、正当な謝礼を払って仕入れなどの仲介を頼んだが、彼も感心していた。
全身を撫でさすり、掴み、指を当て、メジャーを当て……と好き放題して寸法を採っていた"仕立屋"が離れる。
「終わりましたの?」
「はい。仕立て直しは必要ないようです。後はクローゼットの方で、手入れの必要がある服があるかを確認させていただきたく」
軽く頷いて許可を出す。
一応、シエル同席の上になるが、このあたりはお抱えである"仕立屋"にとっては、慣れたものだ。
やはりお抱え仕立屋がいると、何かと楽でいい。
「……アーデルハイド様は、努力家でいらっしゃいますねえ」
しみじみと言う"仕立屋"に、怪訝な視線を向けてしまう。
「なにを?」
「以前測らせていただいた時から、体型がお変わりないことに感心しまして」
何を言うのかと思えば。
「当たり前のことですわ」
「いいえ。ベストをキープするのには、努力も必要です。腰のラインも少し引き締まりましたね」
ちょっと嬉しい。
レティシアのくれたクッキー以外、予定にないおやつを我慢した甲斐があっただろうか。
あれも、後でシエルに申告して調整して貰ったし。
……以前、シエルが不在の時に仕事が立て込んだことがあり、パーティーの席や一人の外出の際、自分の裁量で間食したら、じんわりと太った。
怒られはしなかったが、生まれた時からそばにいる元教育係に、じっと無表情でお腹のラインを見られるのは、地味に堪えた。
「――では、次はレティシアお嬢様ですね」
ぎらり、と眼光鋭く妹を見る"仕立屋"。
信頼がなければ、とりあえずシエルを呼んでいる。
「は、はい。お手柔らかにお願いします……」
「もちろんですとも。……仕立屋として、お客様に不埒な気持ちを抱いたことなど、一度としてございません」
本当だろうか。
――いや、本当だと信じていなければ、身体を預けられない。
レティシアが観念して降参するように両手を上げ、"仕立屋"が背後から、私より豊かな妹の胸を鷲掴む。
じっと監視する。
妹がちら、とこちらを見て、そして、ふい、と目をそらした。
その頬は、ほんのりと赤い。
やっぱり恥ずかしいのか。
……そういえば、さっきは胸を揉まれ、身体を触られていることよりも、それをレティシアに見られていることの方が恥ずかしかったような。
しかし、そういう妹の表情は貴重で可愛い。
目をそらしながらも、たまにちらっ……と視界の端に私を認めては、ゆっくりと視線を戻すのがまた可愛い。
後、それを気付かれていないと思っているだろうあたりがたまらなく可愛い。
……私に触られたら……どんな顔をするだろうか。
初めて"仕立屋"に触られた時のように、振り払うだろうか。
それとも。
もしかして。
受け入れて、くれ、たり。
「はい、以上でございます。お疲れ様でした、レティシアお嬢様」
びくっとする。
白いもやが晴れるように、ふっと視界が戻ってきた。
さっきは、思考の沼にはまりこんでいたらしい。
丁度、レティシアが"仕立屋"から解放されたところだった。
「少しお胸が成長していますね」
私は変わってなかったのに。
……妹の栄養状態が改善されたのは、いいこと。
妹の発育がいいのは、喜ばしいこと。
そう心の中で呟いて、精神の安定を保つ。
「それに、全身が引き締まったようです。なにか運動でも?」
「お姉様がダンスや乗馬の練習に付き合ってくださるおかげですね」
「そうでしたか」
にこやかに頷く"仕立屋"に何か言ってやりたくなったが、レティシアの説明は事実なので否定できない。
乗馬は郊外まで行かなくてはいけないので、【乗馬イベント】を終えた今、多分もう時間は取れないだろう。
一度、リーリエにお別れは言っておきたいが。
しかし【最後の舞踏会】がある以上ダンスはおろそかにできず、せっかく自宅で練習できる環境があるということもあり、なるべく付き合うようにしている。
最近は振り回しても以前のようにくらくらしなくなった……と踏んでいるのだが、にも関わらず、練習後は私の膝に頭を預けて一息入れるのが、すっかり習慣となってしまった。
最初に強く言えなかったのに、その後に強く言えるはずもなし。
汗のにおいとか気になっているのだが、聞くに聞けない。
レティシアの汗のにおいは、特に不快ということもなく、頑張っているなと好ましいぐらいだが、彼女にとって私がどうなのかは謎だ。
「普段着はそこまでギリギリにしていないので、仕立て直しは大丈夫でしょう。後でアーデルハイド様と同様に確認だけはさせていただきますね」
「はい……」
レティシアが頷いた。
"仕立屋"が手帳とペンを出し、ガリガリとメモを取り始めたので、私はソファーに座り、肘掛けに腕を置いて一息つく。
すると、レティシアがよろよろと歩いてきて、座るスペースにはだいぶ余裕があるのに、私の隣に腰かけた。
そして、軽く寄りかかってきた。
腕と腕が触れ合う。
服越しでも、じんわりと熱い。
なんのつもりかと軽く睨むと、睨まれているのが分かっているのかいないのか、レティシアは力なく微笑んだ。
「……久しぶりの採寸だったので、緊張してしまいました」
「……そう」
私は今、緊張してしまっている。
……妹相手に、何を考えているのか。
「旅行、楽しみですね」
「旅行ではなく、視察ですわ」
……でも、ちょっとだけ、レティシアと一緒に違う土地に行けるのが、楽しみだったりする。
心の潤いぐらい、悪役令嬢にも許される……と思う。多分。
心の内を、表に出さなければ、きっと。
妹を想う気持ちも、許されると、思う。
"仕立屋"が手帳から顔を上げてこちらを見る……と、目を閉じて天を仰いだ。
そして前髪に隠れがちな目をカッと見開くと、ばっと手帳に向き直る。
手帳に書き付けるペンの動きが、激しさを増した。
……なにやらペンの動きが、文字を書くものから絵を描くものに変わったような気がする。