妹の可愛さを引き立てる服の注文
「それで、あのう……アーデルハイド様……」
ぷるぷると震えている"仕立屋"。
律儀に、ずっと片膝をついたままの姿勢で、私達の会話が終わるのを待っていたせいだろう。
「注文でしたね。よく聞きなさい」
「はい」
「まず、私の新しい服は必要ありません」
「えっ……」
「そんな!」
愕然とした顔になる"仕立屋"と、血相を変えるレティシア。
「アーデルハイド様が着飾らないなどと! ユースタシアにとって大いなる損失です!!」
"仕立屋"が立ち上がり、胸に手を当てて真剣な口調で力説する。
内容はしょうもないが。
「当主として行くのです。この服は、あなたが仕立てた当主のための服でしてよ」
"仕立屋"が、猫背のせいで普段は目立たないが、実はかなり大きい胸を押さえながら、糸が切れた人形のようにがくりとうずくまった。
「"仕立屋"?」
興奮しすぎて立ちくらみを起こしたのか、それとも心臓かどこかを悪くしたのかと、心配になったのは一瞬で。
ぶつぶつと呟いている言葉が耳に入った。
「あー、ダメ、これダメ。ていうか無理。あー、しんどい……無理……」
頭かどこかを悪くしたらしい。
いや、彼女は元からこうだった。
「でも、お姉様……旅行ともなれば、プライベート……とか?」
レティシアが遠慮がちに聞く。
「旅行ではなく視察です。……まあ、時間に余裕ができれば、当主としての身分を隠して、お忍びで出かけることもあるかもしれませんが」
「お忍び! いい響きです。仕立屋の出番ですね!!」
復活する"仕立屋"。
「市井に溶け込む必要があるのですから、仕立て服の必要性はありませんわ。いえ、むしろ邪魔ですわね」
これで諦めるかと思ったが、"仕立屋"は食い下がった。
「アーデルハイド様の気品は隠せません! 隠すのは貴族としての身分だけにして、大商人の娘あたりを装うのがよろしいかと!!」
「私もそう思います!」
なぜか"仕立屋"に味方するレティシア。
気品を隠せないどころか、ちょっと前に古着を着て少年に化けた際、顔馴染みの宿屋の店主にすら正体を見破られなかった話とか、してもいいのだろうか。
もっと本気なら髪を染めたり、なんなら切ったり、色々手段はあるが。
これでも公爵家当主なので、そこまでする必要がない。
そういった本格的な変装も、シエルに知識としては教えられているが、基本は服を着替えるだけだ。
「そういう服も、あなたが仕立てた物があるでしょう?」
「そ、それはそうなんですけど……新しい服も仕立てたいと言いましょうか……」
私と"仕立屋"の契約は、出来高制ではない。
彼女は何着服を作ろうが、給料が増えたりしない。
というか、給料とかない。
生活の――生命の――保障と引き換えに、命令通りに服を作る。それだけだ。
なのに、常に服を作りたがる彼女は、骨の髄まで"仕立屋"だ。
ああ、世渡りは下手だったんだろうな……と、"裏町"に流れ着いたのも無理はないと思ってしまう。
その性質を、私のような悪いやつに利用されているのだが、私も、彼女が好きなだけ服を作るのに利用されている気がするので、多分、お互い様なのだろう。
――取引とは、常に相手が欲しがる最高の物を用意すれば、必ず上手くいく。
それを多分、悪魔との取引と呼ぶのだが。
そんな都合のいいものを差し出す奴は、大抵ろくでもない奴だが。
「"仕立屋"。あなたの希望は分かりましたが、注文内容は私が決めます」
「は、はい」
かしこまる"仕立屋"。
「妹の服を仕立てなさい。夏から秋にかけて着られる普段着を」
「はい! レティシアお嬢様の、夏から秋にかけて着られるおしゃれ着ですね!」
元気よく復唱する――と見せかけて、今、さらりと注文内容が変更された。
「普段着と言って……いえ、まあ、そうですわね。大して違いませんわね」
実際、ドレスコードがない場の服をなんと呼ぶのかに明確な決まりはない。
「それで、どのような服にいたしましょう?」
指先で、くるくると髪をもて遊びながら、思案する。
【イベントスチル】で見たレティシアの服を、ぼんやりと思い返した。
あの服を再現するべきだろうか。
……違っても、いいか。
難しく考える必要はない。
「――妹の可愛さを引き立てる服を」
「はい!」
「……えっ、はっ!?」
声を上げた妹の方を、二人して見る。
しかしぱくぱくと口を動かすだけで、それ以上何も言う様子がなかったので、私は視線を"仕立屋"に戻した。
らんらんと、期待に満ちた目。
【月光のリーベリウム】で見た妹の服を無理に言語化しようとはせず、しかし、なるべく近いイメージで言葉を選んでいく。
「レティシアの清楚さを崩さないように」
「はい!」
「夏用と言っても、もちろん露出は控えめになさい。必要なら上着で調整できるように」
「合点承知!」
「素材が良いのだから、装飾に凝る必要はありませんよ」
「万事心得ております!」
いつも、返事はいいのだが。
返事だけはいいのだが。
「……あの」
さっきから、私達の会話を聞きながら何か言いたそうにしていたレティシアが、そこでようやく、控えめに口を挟む。
「なんです、レティシア。なにか希望があるなら、今のうちに"仕立屋"に言っておきなさい」
「そうではないんですけど……」
煮え切らない。
「言いたいことがあるなら、はっきり言いなさい。私も暇ではありません」
ぴしゃりとやる。
今、悪役令嬢として、かなりいい雰囲気だったのではないか、と内心で自画自賛する。
促されたレティシアが、おずおずと口を開いた。
「……お姉様は、私のことを、可愛くて、清楚で、素材が良いと思っていらっしゃるのですか……?」
……あ。
口を滑らせた。
「…………」
無表情のまま黙り込む。
たすけてシエル。失言した。今、悪役令嬢としてはかなりダメな感じに失言した。取り繕いたい。急募。
もちろん、脳内の教育係は何も言ってくれない。
しかし、私は、彼女に教えを受けたのだ。
当主就任まもなく、他家の当主から「彼女のような当主補佐がいれば楽でいいですなあ。いや、お若いとはいえ、ヴァンデルヴァーツの当主様に対して失礼でしたか」などと嫌味を言われるほど優秀な人材に。
数日後、嫌味を言ってきた御仁の女性関係のスキャンダルと、領地での不正会計がご開帳され、当主が代替わりした。
私は何もやってない。
ついでに、『なぜか』その家の隠し資産がごっそり我が家の物になった。
私は何もやってないし、命令もしていない。
ヴァンデルヴァーツ基準でもあまりに鮮やかで、怖くて真相は聞けていない。
しかし、シエルは怒らせないようにしよう、と心に誓ったものだ。
――よし、開き直ろう。
「客観的な視点で評価を述べたまでですわ。何か不満でも?」
冷たい声色に、高圧的な口調。さらに人を見下すような視線と三拍子揃えば、まさに悪役。
私は王子のことが嫌いだが、彼の「あなたは性格が悪い」「喋り方が人をイラつかせる」「喋らなければ淑女と認めて差し上げてもよろしいのですが」という意見には同意する。
私も奴に対して同じことを思うが、多分同族嫌悪だろうと思えるぐらいの客観的視点も持ち合わせている。
それに、性格のいい王を信用できるほど、清らかでもない。
「……いいえ」
レティシアが大人しく引き下がる。
しかし口元に微笑みが浮かべられていて、もう本当に、可愛くて、清楚で、素材が良い。
"仕立屋"が彼女に近づいて、そっと肩に手を置いた。
「自信をお持ちになってください。並み居るご令嬢の中でも、レティシアお嬢様はとても健康的でお可愛らしいですよ」
「そんな……」
はにかむ様も、とても健康的で可愛らしいレティシア。
しかし姉の欲目を横に置いて客観的に見ると、多分、並み居るご令嬢方は、甘い物の食べ過ぎと運動不足。
特に甘やかされているとその率が上がる。
最近は、輸入品の砂糖も安くなったし、牛乳が生クリームに回される率も上がったとはいえ。
バターと砂糖と生クリームを組み合わせると暴力的な味わいとはいえ。
体質は人それぞれだし、少しぐらいふくよかなのも可愛いと思うが、世の殿方は、細いのに出ている所が出ているとかいう幻想をお求めになるので。
レティシアは私と一緒に、シエルと、彼女の指示を受けた厨房に、きっちり栄養を管理されている。
私なんかは、妹にもう少し栄養をとらせたり、贅沢な食事や豪華なお菓子をあげたいのだが、体型で隙を見せて、侮られるわけにもいかない。
個人的にも、もう少し甘い物を食べてストレス解消をしたいのだが、シエルが許してくれない。
……侮られるわけにはいかないのは分かるのだが。
それに、妹はダンスの練習も頑張っているし。
私もレティシアの練習に付き合っていたら、ちょっとウェストラインがすっきりしたような。
しかし私、痩せる時に胸から痩せる気がする。
すっきりして欲しくない所もすっきりしたような。
……誤差か、と諦める。
「……それでは、アーデルハイド様。レティシアお嬢様。採寸をさせていただきたいのですが」
「ええ」
私は軽く頷いた。